「あなた、雪人さんですか? 春ちゃんの弟の。」

 女の人が、歌うように軽やかな声でそう言った。

 俺は、どう反応していいのか分からず、ぎこちなく頷いてみた。春ちゃんの弟。それは事実だ。ただ、それが事実だとすると、俺が兄貴のベッドに裸で寝ていることへの言い訳が、かなり難しくなる。

 「やっぱり。話に聞いていた通りだわ。」

 兄貴の女は、にっこりと微笑んで、靴を脱いで部屋へあがってきた。俺が裸なことに気が付いていないのかもしれない、と思ったけれど、すぐに彼女が俺の衣類をまとめて拾い上げ、こちらに寄越してきたことで、その細い希望の光はついえた。

 俺はごそごそと布団の中で服を着直しながら、女の言葉に改めて戸惑い直していた。

 話に聞いていた通り?

 兄貴が俺のことを、どう話していたというのか。こうやって、実兄のベッドに裸で寝ているの状況が意外でもないふうに。

 服を着終え、俺はゆっくりとベッドから起き上がった。彼女は生き生きとした光を宿す大きな目で、俺の動作を興味深げに追っていた。

 「……俺も、兄貴から聞いてます。あなたのこと。」

 兄貴の女の、警戒心と言うものが全く感じられない、幼女みたいな様子に少し気圧されながらも、俺は辛うじて自分の役目を果たそうとした。

 この女が、兄貴が大学を辞めようとしている原因だ。セックスもしていないのに、兄貴の子どもを妊娠したとか言っている、女。

 「あら、どんなふうに?」

 彼女があくまでも楽しげなので、俺は次の言葉に詰まった。このひとが妊娠しているとか、さらに言えば妊娠の原因になる性行為をしているとか、そういうところが全く想像できなかったのだ。

 「……兄貴の子ども、妊娠しているって。」

 疑問符がべたべたと張り付いた俺の台詞に、兄貴の女はにっこり微笑んで、大きく一度、頷いた。

 「ええ。」

 俺は軽い眩暈を感じ、いっそこの女を放置して瑞樹ちゃんの家に帰りたくなった。でも、それを阻んだのは、やはり瑞樹ちゃんの張りつめていた眼差しで。

 「……でも、兄貴はあなたと、なにもしてないって言ってましたよ。」

 絞り出した言葉に、女はやはり、笑った顔のままで頷いた。

 「ええ。」

 俺はその答えを聞いて、眩暈の程度をさらに激しくした。なんなんだ、この女は。兄貴と同じように、処女懐胎でもしたと言い張るつもりなのか。

 「春ちゃんとはなにもしていないけど、でも、春ちゃんが、俺の子だって言ってくれたから。」

 嬉しそうに、女は言った。その右手はそっと自分の腹を撫でている。まだ膨らみの目だたない、薄い腹だった。


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