兄貴の住んでいるアパートは、ガストから歩いて三分もかからない。

 俺と兄貴は微妙な距離を開けたまま、黙って歩いた。三歩先を歩く兄貴は、二、三度俺を振り返った。それは、俺が逃げずについてきているか確認する、看守みたいな視線だった。俺は、なんとなく癪に触ったので、その視線に気が付いていないふりをした。

 白い三階建てのアパートの一階角部屋の鍵を開けた兄貴が、またちらりと俺を振り返ってから、部屋に入って行った。俺も、ちょっと間を開けてそれに続いた。もしかしたら、部屋に女の人がいるのではないか、と思ったけれど、そんなことはなくて、部屋には誰の気配もなくがらんとしていた。瑞樹ちゃんのマンションに住んでいた頃、兄貴の部屋は結構ごちゃごちゃしていたのに、この部屋は妙に片付いている、というか、物がない。奥の壁にくっつけてベッドが置かれているのと、その手前にガラステーブルがあるのが家具らしきものの全てだ。俺は、兄貴は女の部屋に入り浸っていて、こっちにはあまり帰って来ていないのかもしれない、と思った。

 兄貴は黙ったまま、ベッドに座って脚を組んだ。俺は、座るのが弱みを見せるみたいで嫌だし、椅子とかクッションとか、座るためのものがなにもないのもあって、玄関から少し入ったところに立ったまま兄貴に声をかけた。

 「ヤってないって、どういう意味?」

 兄貴はじっと俺の目を見たまま、そのままの意味、と答えた。

 俺は、苛立って少し声を高くした。

 「でも、妊娠してんだろ?」

 外で出してたとか、ゴムしてたとか、そんなことを言うのではないかと半ば身構えていると、兄貴は平然とした態度で言ってのけた。

 「セックスはしてない。」

 「バカじゃねぇの?」

 「バカかな。」

 「処女懐胎かよ。」

 「多分。」

 俺の子だよ、と、兄貴が言った。変に優しい目をしていた。俺はそれを、キチガイの目だと認識して、一発兄貴を殴ろうと思って、兄貴の方へ数歩歩みを進めた。すると、俺が握った拳を兄貴が掴んだ。予備動作もなく、ひどく無造作に。

 俺は、動揺した。兄貴に触られたことに。ファミレスでは肩を掴まれても平気だったけど、二人の部屋で手を掴まれるのは、嫌だった。感覚的に、とにかく嫌だった。

 「離せよ。」

 拳を引いて、そっけなく吐き捨てたつもりが、俺の声はなんでだか兄貴に絡みついた。自分でもそうと分かるくらいに。

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