届かない声
kao
第1話
︎︎――いつだったか、こんな会話をしたことがあった。
「ねぇ、もしもあたしが死んだら
思ったことをそのまま口に出したような気軽さで彼女――
私達は放課後になっても帰ることもなく、使われていない空き教室にいる。私達がいるのは二階の一番奥の空き教室。物置場になっていて誰もこないため、ここは私達のたまり場だった。
私は窓際に置いてある椅子に座り、千夏は行儀悪く机に座っていた。
私は千夏の顔をじっと見て先程の問いを真面目に考える。悩むことなくすぐに答えが出てきた。
「……私も死ぬ」
「おぉ……重いなぁ」
「だってずっと一緒にいるって約束したでしょ? 私は千夏がいなくなったら生きていけないよ」
「そこまで愛されてるなんて! 嬉しいけど重い、重すぎる! だけど安心しなさい!あたしはそんな玲の愛を全て受け止めるから!!」
千夏は芝居がかった口調で言う。
「私は真面目に言ってるんだけど」
なんだか茶化されたみたいでムッとする。
これじゃあ私だけが千夏のことが好きみたいじゃん。
「ごめんごめんって、愛されてるって思えてすごく嬉しいよ! ただあまりにも真っ直ぐに好意を向けてくるんだもん、真面目に返すのは照れるじゃん」
千夏は申し訳なさそうな顔で苦笑いすると、私の頭を優しく撫でる。千夏はよく私の頭を撫でる。千夏曰く、私の髪はさらさらで撫で心地が良いらしい。ショートヘアに慣れているせいか髪が長いと鬱陶しいと思ってすぐに短くしていたけど、千夏にそう言われると髪を伸ばしてみようかなって思うようになった。
さっきまでのモヤモヤした気持ちは千夏のなでなで一つで吹き飛んでしまう。
「もう……仕方ないなぁ」
我ながらちょろい。
「千夏はどうなの?」
「んー?」
千夏は頭なでなでに夢中のようで、聞いてるんだか聞いてないんだか曖昧な返事をする。そんな千夏を見て、私は分かりやすいように言葉を付け足してもう一度言った。
「私が死んだらどうする?」
その言葉を聞いて千夏の手がピタリと止まる。なでなでする手が止まってしまい、少しだけ残念に思う。だけど聞いてみたい気持ちの方が強かった。
千夏は考える様子もなく、あっさりと答える。
「え? 無理無理考えられないもん。玲がいない世界なんて想像したことないね!」
「じゃあなんで私には聞いたの……」
「なんとなく? 昨日恋人が死んじゃうドラマ見てさ。その回想シーンが泣けるんだけど、ちょうどこんな感じに夕方で思い出したからかなー」
『恋人』という単語が出てきてドキリとする。
私と千夏の関係はその恋人と呼ばれるようなものだ。しかしつい二週間前までは友達だったわけで、私は未だにこの関係に慣れずにいた。千夏の口から『恋人』という言葉がでただけでも動揺してしまう。
私はよく無表情で分かりにくいと言われるけれど、千夏の前では冷静さなんて保っていられない。
「な、なるほどドラマかぁ……」
私は懸命に平常心を装った。声が上ずってしまったけど、セーフだと思いたい。
そんな私の動揺を知ってか知らずか、千夏は気にした様子もなく話を続ける。
「ま、でも玲は死なないから安心だね」
「私は不死身なの……?」
千夏のテンションがいつも通りだったため、私も普通に会話できるくらいに落ち着いた。それにしても私ばかり動揺してる気がしてモヤモヤする。
「そう! 玲もあたしも不死身ですよ!」
「ふふっ、なにそれ」
千夏いつも楽しそうだ。そんな千夏を見ていると悩むのが馬鹿らしくなってくる。まぁ……私が悩むのは主に千夏が原因なんだけど。
「玲、ずっと一緒にいてね」
「それはこっちのセリフだよ」
――これは『もしも』の話。
『死』は誰にだって訪れる。だけど今の私達にとって『死』は現実味のない話で、だからこの話はここで終わった。
千夏は私の顔をじっと見つめ、右手ですっと私の頬に触れる。
「玲……」
千夏の熱っぽい視線を受けて、私は動けなくなる。私が固まっていると、千夏の顔が徐々に近づいてきた。
「ちょ、誰か来たらどうするの! ここ学校だよ!?」
唇が触れる寸前、思わずストップをかける。
「大丈夫、大丈夫! 来ないって! いつも来ないでしょ?」
「そうだけど……」
「玲はあたしとキスするのイヤ?」
「そんなわけないじゃん……」
そんな悲しそうな顔されたら断れるわけない……違う、私だって本当はキスしたい。ただ恥ずかしいから素直に言えないだけ。
「じゃあ……キスしていい?」
これ以上、千夏を見つめていたらどうにかなってしまいそうなほど、顔が熱い。私は千夏の熱っぽい視線に耐えられなくなって目をつぶる。
「んっ……」
唇に柔らかい感触が伝わり、千夏とキスをしたのだという事実を意識する。千夏とキスは何度もした。だけどふわふわと宙を漂うような感覚は何度しても慣れない。
恥ずかしい、けれどそれ以上に心地良い。
私は大好きな人といられるこの時間が大好きだ。ずっと……少なくともあと一年はこうしていられると思っていた。だからそんな日々が終わってしまうなんて考えもしなかったんだ。
――それは不幸な事故だった。
運が悪く交通事故に巻き込まれただけ。だけど私は割り切れなくて、いつまでも千夏といた日々に縋っていた。でも千夏といた日々を思い出すたびに苦しくなる。
だから私はもう一度、もう一度だけでいいから千夏に会いたいと願った。また会えたらこの胸の痛みが和らぐと思ったから。
その想いが届いたのか、今、私の前には千夏がいる。だけど――
「ずっと一緒にいるって言ったよね?」
そう私に問いかける千夏は虚ろな目をしている。
千夏はよく笑う子で、明るい性格だった。だから表情のない彼女はまるで別人のように見える。
「あたしを独りにしないでよ」
千夏の言葉が私の心を突き刺す。千夏から逃れるように私は目を逸らした。向き合うべきと分かっていても、逃げ出したくなってしまう。
「なんでいないの? 玲……れいれいれいれいぃ!!」
もう一度会いたいと願ったのは、私。もう一度会えたのだから喜ぶべきなのだろう。だけど胸の痛みは癒えるどころか、痛みが増していく。
また千夏と会いたいなんて願わなければ良かったと思ってしまうほどに痛い、痛い、痛い。
「千夏、私は――」
「れいれいれいれいレイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!」
私の声は千夏の狂ったように私の名を呼ぶ声にかき消された。耳を塞ぎたくなるような絶叫を聞いて私の心が壊れそうになる。
千夏は私を見ていない。千夏は一ヶ月これをずっと繰り返している。虚空を見つめてブツブツとつぶやき、そして今のように金切り声を上げる。
『ねぇ、もしもあたしが死んだら玲はどうする?』
あのときのやり取りが脳裏を過ぎた。
私は『千夏がいないと生きていけない』と言った。千夏は『玲がいなくなる状況なんて考えられるわけない』と言った。だったら私はどうすればいい?
私は覚悟を決め、右手で持っていた包丁を両手で握りしめた。『お前にできるのか?』と心の中の自分が問いかける。
「でもやらないと……だって私のせいで千夏がこうなってしまったから」
揺れそうな心をなんとか振るい立たせて、千夏の前に立つ。
「レイ……ズット、イッショ」
やっぱり千夏私のことが分からないようで、虚ろな目で私の名を呼ぶ。
「ごめん千夏……やっぱり私は……」
覚悟を決めたはずだった。もう時間がないのに、私の体は動いてくれない。包丁を持つ手が震える。
――怖い怖い怖い……嫌だ……こんなことしくない……! だって私は千夏が好きで。好きだから笑ってほしくて、ただそれだけだったんだっ……!
「やっぱり無理だよ……千夏ぁ……」
包丁が私の手から滑り落ちる。包丁がカランと音を立てて床に落ちた。私は力が抜けたように、その場にしゃがみこむ。
こんなことをしたところで、私と千夏が一緒にいられるようになるとは限らないじゃないか。千夏が幸せになれるのなら離れ離れになったとしても私はそれを受け入れて地獄に落ちよう。だけどそんな確証なんてないんだ。
私はこれ以上、千夏を苦しめたくない。
「やめてよ、千夏。もうやめて……」
ただ、会いたかった。もう一度会えたら諦められるって思ったから。過去と決別し、あなたの未来の幸せを願えると思ったら、会いたいと願ったんだ。
それなのにどうして?
私はこんな千夏、見たくなかった。こんな方法でしか千夏を救えないなんて思いたくなかった。私はっ……!
「千夏を殺したく、ない……」
――私が事故で死んでから千夏はずっとこうだ。精気を失ったような瞳でずっと私を呼んでいる。
千夏は一度、死を選ぼうとした。けれど私が止めた……止めてしまった。
私はただ、千夏に生きてほしかった。千夏なら私がいなくても大丈夫だと思っていたから、いつも人の中心にいる千夏なら私と違って独りじゃなかったから。きっと生きてくれるって思ってたんだ。
だから私はあの日、血塗れで倒れていた千夏を見て、急いで千夏のスマホを使って救急車に連絡した。私は幽霊だから数分だけしか物に干渉することしかできない。だから『助けて』という私の声は相手には届かなかった。だけど無言電話でも救急車がすぐに来てくれたおかげで千夏は一命を取り留めた。
しかしあの日から千夏は壊れてしまった。千夏はもう自分が生きているのか死んでいるのかすら分からないのだろう。ただ千夏はずっと私を探し続ける。私が視えないから、そばにいることが分からずにずっと探し続けている。
私のせいだ。あのまま何もしなければよかったのか? そしたら千夏は壊れずにすんだのだろうか? 私が余計なことをしなければっ……!
そこまで考えて唇を噛み締める。後悔をしても今更もう遅い。
「私はここにいるよっ……だから」
千夏に私の声は届かない。
「ねぇ千夏、一緒にいられなくてもいいから……私のこと忘れてもいいから……」
届かない。
「私は大好きな人に苦しんでほしくない……だから幸せになってよっ……!」
届けよぉっ……!!
千夏は私とは反対の方向を見て、私の名を呼び続けている。
どうして死んでるのに感情があるのだろう?体なんてもうないのに、どうしてこんなに胸が苦しいのだろう?
私は縋るように千夏の体に手を伸ばした。
千夏の温かい手に触れて、また涙がこぼれる。私からは触れられるのに千夏は私に気づかない。
「お願いだから、届いてよっ……」
――今日も私の声は届かない。
届かない声 kao @kao1423
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