五〜十四本目〜長い頼子の今までと理由 前編

 目が座っている、結婚を約束した男性の罵倒。

 私は泣きすぎて目を腫らしながら震えるだけ。


『言ってる意味が全然分からないし!元カレに愛してるって言ってたクセに俺に今でも愛してるってよ!そういうのが一番信用出来ねぇんだよクソがっ!ピル飲んでても出来る時は出来んだよ!元カレと元カレの精子と一緒にテメェも◯ねよッ!カスッ!』


 カズちゃん…和樹先輩はいつも優しかった。

 こんなに怒鳴る…和樹先輩は初めてだった。

 カズちゃんって呼べる様になるまで築き上げた、憧れだった人への信頼は…私が全部ぶち壊してしまった…

 私は謝り続けるだけ…


―――――――――――――――――――――――


 小学校、中学校、ずっと陸上に打ち込んでいた。

 来る日も来る日もタイムとの睨み合い、そしてライバルとの争い。

 私はきっと馬鹿だから、走る事しか出来ないから、辛くても陸上にしがみついていた。


 全国大会に出たものの、馬鹿な上に心が弱かったから…延々と走り続ける事に…このまま陸上を続ける事に自信を無くしていた。

 一人で戦い続ける競技に向いてないのかも知れない。


 ある日、部活帰りに近隣の高校生を見かけた。帰宅部だろうか?

 皆、キラキラ輝いていて、テレビや雑誌のモデルみたいな格好をして、同じ様に格好良い男子と歩いていて…羨ましい…


 私は何で走り続けているのか、分からなくなっていた。

 このままでは身体は疎か、心まで壊れる…そんな気がした。

 もう走るのをやめよう、中学で陸上をやめよう。

 推薦を取らず、普通受験して、普通の高校に行こう…

 私は泣きながら親に言った『もう走れない』と。


 一度あきらめが着くと、気持が楽になった。

 高校に入るまでの間、憧れだった今まで見れなかった雑誌や漫画、映画をダラダラ見ていた。

 

 そこで運命の出会いをした。

 白黒で、ただカップルがローマで過ごす休日。

 しかし私の憧れの全てが詰まっている気がした。

 心が踊った、初めてのドキドキ、私は同じドキドキを味わいたくて映画を貪る様に見た。


 高校入学、部活は映画研究会に入った。

 と言っても、ただ皆で映画を見て感想を言い合うだけ。私は良く、恋愛物の映画を推した。


 学校の帰りには同級生とファーストフード店に行き、帰ってから映画を見る。


 休日は洋服を友達と見に行き、好きな読モや推しのタレントについて語り合う。


 その繰り返しの毎日、だけどあの肉体を酷使して何秒という数字を争う世界に比べれば、それだけでとっても楽しかった。

 

 ある日、同級生男の子が、バンドをやってるから見に来て欲しいと言う。

 高校生バンド、ライブハウスを借りるのにもお金がかかり、ファンもいなければ同級生にチケットを売るしかないから買って欲しいと頭を下げられた。


 だけど私には、同級生や先輩が思い思いのファッションをして音楽を聞きながら語り合う大人のパーティの様に見えた。

 

 月に一回程度、チケットはソフトドリンク込みで三千円…洋服を買う為、近所のスーパーでバイトを始めた私からすれば安いものだった。


 同級生がギターを弾いていた。同じ学校の男の子が別人の様だった。

 音楽を聞きながらリズムに合わせて踊る…

 私はまるで、別の何者か…そう、それこそ映画の役者の様な気分になった気がした。


 そして…それより目を引いたのは…


『イエーアっ!サンキューッ!ファッキューメーン!?』

 

 四本弦で魔法のように音楽を奏でる、そこから【四次元王子】と呼ばれる先輩…桐山和樹先輩。


 改造した制服、太いチェーンを首から下げて耳と鼻が繋がったピアス。

 頭を振りながら長いモヒカンをたなびかせ暴れまわる姿。

 先輩の周りには常に女の人がいて、口移しで飲み物を飲んでいた。


 私は小さくなりながら端っこで見ていた。

 桐山和樹先輩はまさに王子だった。


 先輩の周りには常に女の人がいたから…ギターやってる同級生に話しかけるフリして近付いた。


『先輩格好良かったです!サイコーでした!』


『え?俺!?おぉ…ありがとう…君、名前は?へぇ、頼子って言うんだ…とっても素敵な名前だね』


 ステージではあんなに派手なのに、降りるととても優しい紳士…私の扱いはまるでアン王女にするようだった。


 私はもうメロメロメロン


 そんな先輩の推し活をしながら、映画研究会で映画を見て過ごした毎日。

 刺激的な毎日は…自分も何か…と貪欲な野望が溢れ出し…いつかは…という気持ちにさせた。


『私は映画を撮りたいんです、私にしか出来ない!先輩の音楽に負けない映画を作ります!』


 それから映画の撮影について学ぼうと本を読んで見たりしたが…私自身、才能は無いのか、やはり学校に行かないと基本的な事も何も分からなかった。


 そうこうしてるうちに先輩が卒業する…

 私は…映画も作れず…だけどどうしても憧れの先輩と関わりが欲しかったから告白した。


『好きです!遠距離でも良いので付き合って下さい!』


『俺の羽には悲しみで誰も乗れねぇんだ、自由である為に…そう、クライング・フリーマンって奴だ…東京に行ってきます』


 何を言ってるか分からなかったが、とにかく凄い事を言われ、先輩にフラレたのは分かった…悔しくて泣いた…いつか…


『いつか振り向いて貰いますから!私は先輩一筋ですから!』

 

 こうして先輩とは一度離れてしまったが憧れは失う事は無かった。

 1年遅れてだけど先輩と同じ東京へ行くんだ、何処かで偶然先輩の会う筈だ。


 私は映画の専門学校に行きたい、一人暮らしがしたいと親にゴネた。


 一人娘の私の我儘、一人暮らしは2年間だけの約束で、映画の専門学校は2年でちゃんと卒業する様に言われた。

 

『個人制作のミニ映画ぐらいは作れる様にならなきゃね!』


 そしてあの、凄い先輩…和樹先輩に見てもらうんだ。そして、頼子という存在を認めてもらうんだ。


 私が住んでるのは東京の隣、だけど山が近い場所。

 東京に馴染めるように洋服もお洒落に、流行に敏感にならなければと思った。


 私の…高みに行く為の勉強が、始まった。



 東京の映画の専門学校は、高校生活と全く違った。

 映画の研究会の時とは違う、高次元の討論。

 お酒も入り、議論は夜中まで白熱した。

 中には違法の煙草を吸っている人もいた。

 カルチャーはいつか退廃する、我々はアンチカルチャーであるべきだと。

 公共ではない、反逆する事がデカルチャーだと言う。

 なに言っているか分からない内容をどんどん吸収

した。


 撮影に関してはハンディカメラ一本で良い、ただ自分を表現すべきだと言われた。


 ある日、講師の先生に四島由紀夫先生の『愛の疼き』という映画を見せてもらった。

 浮気だらけの夫を持つ女・悦実、その夫が死に身を寄せた先で年寄りの舅と肉体関係に…そのテクニックが凄まじくとも、彼女は若い同じ勤めている男に恋をする。

 更にその男には想い人が…そしてその嫉妬心がより欲情を…という話だったが、40代のカイゼル髭の良く似合う講師が言った。


『君に悦実の気持ちが分かるか?欲情に燃やされ、嫉妬心に苛まれ、純情が心を殺すこの精神性が…』


『分かりません…私はまだ…その…』


『君はまさか恋をした事がないのか?欲情は?』


 そう言いながら手を伸ばし胸を鷲掴みにしようとしていて…手を払いながら言った。


『やめて下さい!私には…好きな人が…初めてだし…』


『(ゴクリ)ほう、好きな人が…それに初めてか…聞こう…とりあえず飲み給え』


 私はこの時まだ…自分がアルコールを飲むとどうなるか知らなかった。

 プライベートな講義を部室で2人で行った。名誉な事だ。

 聞きながら視界がまどろむ、講師の手が伸びる。

 最初は撮影の仕方、手取り足取り、どこに視点を置くか、何がどう見えるのか。

 触られていくうちに警戒心が緩む。


 そして徐々に私の身体のあらゆる所に…しかし、これは講義なのだと講師は言う。


『それで?どのような男性なのかな?君の想い人は…』


 カイゼル髭が揺れる、まるで全て曝け出せという様に…視界が歪む、頭がクラつく。


『先輩は…まるで王子様のようで…初めては王子様で…アレ?さきっちょ☆が…』


 カイゼル髭が伸びて…先っちょがぐるぐる回る…先っちょが…


『そう、先っちょだけ、先っちょだけから生まれる、情欲が…』


 夢を見た…先輩に、優しくキスされる夢…まるでローマの…休日を…でも、その後に、先輩以外の人ともキスをした。別に不快ではなかった。

 ただ体、女の部分が反応し、何とも言われぬ快感に…気持ち良かった、まるで私の周りに薄い膜があり、その膜が蕩けていく様な感覚…そこで目が覚めた。


 講師の横で裸になっている私がいた。しかし、別に不快ではなかった。

 何故なら思考がクリアに、人間はこうあるべきだと自覚したからだ。

 そして、身体が蕩けていく感覚を思いだし、下腹部が熱くなった。

 私はこの時…罠に…過ちに気付けなかった。


 映画学校での生活では、しばしその様な事が起きた。その時は大体、お酒を飲んで、飲んでは議論た。

 講師は粛々と言った。


『程々に、しかし芸術は得てして秘すもの。このレッスンは人に言ってはいけない。貴女だけのレッスンだ。』 


 1年が過ぎる頃には3人程の男性…先輩と、そしてカイゼル髭の講師とは何度もその様な講義を受けた。

 貞操観念と聞かれるが、先輩や、同級生、卒業生がしている違法な何かに比べれば…

 それでいてあの、高みに逝く様な、飛ぶような感覚を忘れられず何度も…


 そんな事を思いながら、今日も映画について熱い議論を交わす為に懇親会に行く。

 学校に行って無くても同好の士というのは居るのだなと思った。


 そこで会ったのが同じ年の新沼健吾、ケンゴ君だった。

 ケンゴ君はハンディカメラ一個でスクープを撮る戦場カメラマン志望の男の子だった。

 

 生命を切り取る仕事、映像を見せて貰った。

 タイのスラム街を撮ったもの…子供達の笑顔が美しかった。

 

『こういう世界もあるんだよ、知ってた?』


 正直、王子先輩とか推し活とか言ってるのが恥ずかしくなった。

 それから…ケンゴ君は国内のあらゆる美しい場所、そして貧困のある地域で写真を撮っていた。

 いつしか私は…ケンゴ君に惹かれていた。


 ケンゴ君に言われた。


『もう、講師の所には行かないで欲しい。僕だけの君でいて欲しい』


『分かった、その代わり…レンズ越し以外で私以外の人を見ないでね?』


 最後の1年、卒業制作をすれば卒業出来ると聞きケンゴ君が撮影の旅に出る時は付いて行った。

 海外は流石に難しいけど…国内は一緒に撮影の旅に出た。

 勿論、付き合っている2人だ。夜はケンゴ君との情欲に燃えた。

 

 ある時、ケンゴ君は言った。


『君を撮りたい。君の心が剥き出しの姿を…駄目かな?』


 私は…正直浮かれていたのもある。

 彼を愛していた。そしてアルコールも入っていた。


『良いよ…だけど…私が消してって言ったら絶対消してね?』


『分かった、約束する』

 

 その日の夜、彼はカメラを手にした。


『お待たせしました、お待たせし過ぎたかも知れませんな』


『はい♥』『ナイスですね』『ハァ♥あハァ♥』


 私はいつしか撮られる事に歓びを覚えてしまっていた…

 そしてそんな専門学校2年、卒業前の冬。

 例の講師が逮捕された。

 主な罪状は淫行…後は未成年への飲酒強要…被害者も探していた。私はもし親にこの事がバレたら…自分から講義を受けに行っていたと、発覚したらと…怖くなって口をつぐんだ。

 結局、探していた被害者というのは私の事で別件で講師は逮捕された。


 ただ、逮捕されたと聞いて、それから行為中の撮影に疑問を感じたが彼を信じていたので甘んじていた。


 卒業後は彼と各国を旅する約束をし、お互いの地元の成人式に出る為に帰省した時の事だった。

 成人式は母が気合を入れて美しく飾ってくれた。

 慣れしたんだ、地元の空気、友達。

 何人も結婚して、普通の道を教えてくれた。


 たから正直、ここに居ると、東京にいた時の私が汚れている様な気がして落ち込む。


 そんな時にあの人がいた。


 あの人がいた、昔と違ってジーパンに白いTシャツ、ボサボサのロン毛…だけど全然変わってなくて…私は…吸い込まれる様に話しかけてしまっていた。



 汚れた私はこれ以上関わってイケナイと思いながら、まるで救いを求めるように彼に近付いた。

 


 

 

 

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