第19回 ひたすら楽してメデューサヘッド
推しは推せるときに推せ。誰が言った言葉なのかは知らないが、非常にいい言葉であると思う。推しも親も、人である以上、永遠ではない。なにより、推しは親よりもあっさりいなくなってしまうのだ。それが、インターネット配信者であればなおさらである。いつか来るかもしれないその時に笑顔で送り出すために、推せるときに推していくものなのだ。無論、推し活ばかりに目を向けて、現実に目を向けられなくなってしまうのは言語道断であるが。
そんなことを思いながら片手間に本業の面倒なアレコレをやっているところに配信開始の通知が届く。当然、仕事は一時中断。どうせ在宅勤務中だし、別段誰かにうるさく文句を言われることもなく、そもそも特にやることもなかったので面倒ごとをさっさと済ませてしまおうと残業をしていたところだったのだ。区切るにはちょうどいいだろう。
リンクをクリックして配信画面を開くと同時に、在宅勤務用のパソコンの電源を落とす。業務をやっていないのに仕事用のPCをつけたままにしていると、色々と文句を言われる時代なのだ。私も仕事なんてそれほど好きでやっているわけでもない。他にやりたいことがあれば、そっちを優先するのがモットーである。運のいいことに、それほど薄給というわけでもない。なにしろ、推し活の一環で行っている切り抜き動画作成でも副業としてはそれなりの金額が入ってきている。別段、無理して残業などする必要性はゼロだ。仕事なんて、片手間でやるほうがいいって上司も言ってたしね。嘘だけど。
配信画面に映るのはパン1頭陀袋の男。個人のダンジョン配信者ではかなり有名となり、上から数えたほうが早いくらいになったが――一体、リアルでどれくらい彼のことを知っているのだろう。堂島ムザンの一件はSNSのトレンドになったくらいだが、意外と世間というものは狭いようで広い。自分が有名であったことがとてつもなくマイナーでローカルであることも、自分がまったく知らなかったことがとてつもなくメジャーであったりするものなのだ。
『ウィィィィス。トリヲです。今日も配信をやっていきます』
パン1の変態に脳を焼かれてしまった筋金入りの変態どものコメントが滝のように流れていく。
冷静に考えて、こいつが老若男女に認知されるようになったらまずいよなと思ったが、推し活なんてものは冷静になってできるものではない。いかに正気を保ったまま狂気を見出して突き進めるか? 正気には戻ってはいけないし、かといって完全に狂ってもいけない。そういうものなのだ。正気を維持して狂えない人間など推し活などやらないほうがいい。推し活はチキンレースなのだ。
『相変わらず、親の顔より見た頭陀袋と裸で助かる』
『もっと親の頭陀袋と裸を見ろ』
『もしかして、お前は俺の親だったのか……?』
無法地帯のようなコメントがひっきりなしに流れていくが、これもまた平常通りである。ここに集まっている変態紳士淑女たちは他の配信でここのノリを持ち出すような無粋な真似などしない。それが最低限のマナーであることは変態どもにはよくわかっているのだ。社会性のない変態などただの変質者である。変態でも社会性は大事だ。でなければ、変態などやっていられるはずもない。
『最近、また寒くなってきたみたいですね。まあ俺はいつも通り元気ですが、健康はなによりも大事ですから大切にしてくださいね』
『おまいう』
『それは自分の姿を見てから言うんだな』
『これはきれいなブーメランですね』
自覚してやっているのか、本当にそのつもりがないのかはわからないが、コメント欄の変態どもが言ってるのは至極もっともであった。
真冬にダンジョンの中とはいえパン1で配信している異常者が視聴者の健康など心配することではない。ここの変態どもは、救いようのない変態ではあるが、人の心は失っていないらしい。そりゃあ、人の心を失って変態などできるわけないよな。人は人であるからこそ変態なのだ。たぶんね。
『みんな元気みたいなのでよかったですね。まあ、元気じゃなかったら配信なんて見てないか。というわけで今日の武器はコレです。この間手に入れたメデューサの素材を使ってオーダーメイドした、メデューサヘッドです』
そう言って出てきたのは、メデューサの頭部がついた彼自身の身長を超える大きさの大槌である。
メデューサというのはファンタジーでおなじみの、髪が蛇みたいになっている石化の魔眼の怪物だ。この東京ダンジョンでもかなり危険なモンスターである。魔眼による石化は極めて高い魔法抵抗力を持つ防具と盾で固めても完全に防ぐのは不可能という強力なものだ。なによりも恐ろしいのは行動不能になってしまうこと、そして石化した状態でモンスターに殴られると即死するということであろう。
無論、石化を解除するアイテムはあり、メデューサが出現するようなフロアにまで到達しているのであれば入手自体は難しくないが、目まぐるしく状況が変化するもんスターとの戦闘で完全に行動不能になるということ自体がどれほど危険であるかは言うまでもない。思っていた以上に解除する暇はなく、思っていた以上に敵に砕かれる。当然、石化して砕かれたら二度と戻らない。解除するアイテムがあるから大丈夫というものではないのだ。
さらに言えば、全身が石化していなくとも、足が石化してしまったら行動不能になっている等しい状況である。その状態で砕かれれば、当然そのまま足を失う。それでダンジョン探索から足を洗わざるを得なくなった者も少なくないし、一人で生活することもままならなくなった者もかなりいる。ちょっとした油断が取り返しのつかないことになるのはダンジョンでは珍しくないが、それがより先鋭化したのがメデューサというモンスターだ。
そんなモンスターの素材を使ってオーダーメイドした武器とは相当なものであると言える。こいつのことだからきっと、メデューサもソロで倒したのだろう。他にヘイトが向かないソロでメデューサと戦うのがとてつもなく危険であることは言うまでもない。
それしていも、メデューサの頭がそのままついたようなそのフォルムはどう考えても悪役が使う武器のビジュアルである。それも、極悪なボスみたいなヤツ。まあ、この美的感覚に異常をきたしているこの男がまともに格好いい武器を使うはずもないので、これも正常であろう。平日のランチタイムみたいなものだ。
『なかなかキツい見た目してて草』
『なんだろう……急にホラーになるの、やめてもらってもいいですか?』
『それってあなたの感想ですよね?』
好き放題なコメントが流れているが、あのドギツイビジュアルを褒める者は皆無だった。
オーダーメイド武器というのは、当然普通に武器を購入するよりもお高くつく。なにより難しいのは、オーダーメイドで質のいい武器を作ってくれる職人の数はとても少なく、頼んだからはいそうですかと作ってくれるものではないということだ。素材を自分で用意すれば多少は安くできるが、それでも武器制作というのは金がかかる。なにより、強力なモンスターの素材であれば、手に入る機会も少ないため、加工も難しくなることが多い。
なにより、メデューサは石化の魔眼という特殊なものを持っているモンスターだ。モンスターが倒され、残った素材であっても、そこに宿る特殊な力は結構な時間残っている。扱いを間違えば石化してもおかしくない素材だ。無論、戦闘中でなければそれほど急を要さないといっても、探索者以外にしてみれば石化なんて滅多にならないから、治すだけでもかなりかかる。
『ほらどうですかコレ。すごく格好いいでしょう? 当然、メデューサの頭を模しているので、石化効果もあります。魔力スキルで起動できますね。ついでに、蛇みたいな髪も操作可能です。ホントいいですね。高い金出して長い間待って作ってもらった甲斐がありました。最高ですね』
いつになってもこいつの美的感覚は理解に苦しむが、当人が幸せならオッケーだろう。そういう無粋なことを言わないのも推し活をやっていくにあたって重要なことである。基本的に余計な口を挟むことなく、後ろでベガ立ちして見守っているべきなのだ。余計なことをぐだぐだほざいている輩というのは見苦しいニュービーである。そんなヤツはこの配信にはついてこれない。諦めてかわいいアイドル配信者でも見てればいいのである。
『せっかくの石化効果があるので、石化が有効なの戦っていこうと思います。今日の相手はあそこにいるブラッドトロルくんです』
そう言って配信画面に映ったのは全身が血のような赤黒い毛におおわれた巨人である。その巨体に相応なサイズの棘付き棍棒を持ち、画面越しからも血の匂いを感じさせる存在であった。
ブラッドトロルは下層階ではそれほど珍しくない相手である。だが、珍しくないからとって、楽な相手でもなければましてや雑魚というわけでもない。
その巨体の通り圧倒的なパワーを持っているだけでも人間にとっては脅威であるし、下層階に出現するトロル種はそのパワーだけで攻めてくる相手ではなく、個体に応じた特殊なことを行ってくる個体もいる。
ブラッドトロルもそういった種の一つで、血を吸った体毛を自在に操作し、巨体のパワーに任せているだけではできない行動をとってくる相手だ。巨大な存在というのは小回りが利かないというのが一般的な弱点であるが、このブラッドトロルにおいては己の体毛を操作することによってその弱点をカバーしていると言っていい。
体毛を操作することで小回りを利かせつつ、その圧倒的パワーで押しつぶしてくるという一筋縄ではいかない相手だ。
体毛操作は攻撃だけでなく防御も一体となっているため、簡単には崩せない。それにも関わらず、ブラッドトロルはその圧倒的巨体から放たれる攻撃で容易に叩き潰してくる。
一応、トロル種は状態異常などに対する抵抗力がそれほど強くなく、石化も有効であるが――ブラッドトロルはトロル種の中ではかなり耐性が高い存在だ。状態異常があるから簡単に倒せるという相手でもない。腐っても下層階に出る大型モンスターである。
『体毛操作がなかなか厄介ですが、まあこちらはこれだけ格好いい武器があるのでなんとかなるでしょう。弱い相手じゃ性能を適切に測れませんからね。それではやっていきましょう。オッスお願いしまーす』
トリヲはメデューサヘッドを担いでブラッドトロルへと接近していく。
少し進んだところで、接近してくるトリヲにブラッドトロルも気づいた。うなり声を上げ、血のような長い体毛を揺らしながら自ら接近。
動き自体はトリヲのほうが早いが、圧倒的な巨体であるブラッドトロルのほうが優位であることに間違いなかった。
ブラッドトロルは器用に低く構えて、巨大な棘付き棍棒を薙ぎ払ってくる。
巨人から放たれるそれは、人間が真正面から受け止めることはどうあっても不可能な一撃。電柱や重機が飛んできたに等しいものであろう。
だが、トリヲはそれを恐れることなく容易く飛び越えた。巨体である以上、次の動き出しは必然的に遅くなるが――
それを許さないのがブラッドトロルの体毛操作だ。己の体毛を操作して針のように突き出すことによって、飛び込んでくるトリヲを迎撃。そのまま突っ込めば、間違いなく針ような体毛に串刺しにされることになるが――
ブラッドトロルが体毛操作で己の隙をカバーしてくることなど、わかりきっている。迫りくる無数の針ような体毛を紙一重のタイミングで空を蹴って軌道変化してそれを回避。
体毛操作で隙をカバーできるといっても、それは無制限ではない。操作する体毛が有限である以上、カバーできる範囲も有限になるのは必然であった。前から飛び込んできたトリヲを迎撃するために体毛を変化させてそこにリソースを割いた以上、他が一時的に薄くなるのは避けられない。
その隙をトリヲが逃すはずもなかった。魔力スキルで蛇のような髪を操作し、ブラッドトロルの身体に巻き付かせる。
一時的に防御が薄くなっていた部分にかみつかれ、ブラッドトロルの動きは一瞬だけ遅れた。
そこに、さらに魔力スキルを使用することにって魔眼を起動。身体に巻き付いている蛇と、本体の頭部から石化の魔眼の力を注ぎ込まれ――
蛇にかみつかれていた部分の周囲と、本体の視線を受けた部分から石化が急速に広がっていく。
石化が広がりつつある状況では、暴れれば暴れるほど己の身が砕ける可能性が高くなる。それがより強い力となればより高くなり、石化の進行は力の強さで解除されることはない。
石化が広がっていくと同時に、暴れたことによって石化した部分に亀裂が走る。もう、完全に詰みの状態といっていい状況であった。
伸ばしていた蛇を引っ込め、大槌を石化した部分に叩きつけるトリヲ。石化したことで脆弱になった部分に強い衝撃が加えられたことで無残に叩き割られ――
急速に広がっていく石化と同時に身体を真っ二つに砕かれる。今回もどう見ても完全勝利というより他にないものであった。
『さすが、メデューサの石化は強力ですね。ブラッドトロルもこんなに容易く倒せてしまうとは。というわけで今日の配信はこの辺で。それでは、チャンネル登録と高評価お願いします』
いつもの口上とともに配信は終了。今日も見事すぎる勝利であった。コメントもいつも通りしばらく盛り上がっていた。
そんな光景を眺めつつ、私はそろそろ彼に直接接触するのはできないだろうかと考えていた。
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