第23話 出航
その船は、一見すると木製の貨物船で、風の力で推進する帆船だった。
全長は30メートルはありそうな大型船で、近くでよく見ると、船体の側面にパカッと開きそうな、そこから大砲が出てきそうなハッチが幾つも設けられている。
乗り込んで分かったことは、この船が表面だけ木製であることで、内部に入ると黒寄りのグレーがかった金属が至る所に使われており、マダラの話では、『ケネル』という軽い希少金属で出来ているとのことだった。
上部に設けられた帆はダミーで、推進力は水魔法が付与された魔道具で水流を生み出している。
貨物船を装う理由は、これから南へ向かうに当たって、カルディナン帝国やセントウルグ聖王国の領海を通過する。その際、各国の貨物船や漁船と行き違うこともあり、そこで戦艦などが姿を表したら大騒ぎになるからだそうだ。
「おおー、船なんてフェリー以来だなー」
「姫様、船旅したことあんの?」
昼食を食いっぱぐれた日坂が問いかける。彼は船に乗ったことがなかった。初めての船の揺れに少し動揺している。
「あるよー。エリーゼちゃんと一緒に北海道行ったんだー」
「エリーゼ?」
「おや、博識な日坂もクルマには詳しくない?」
「うん、俺免許持ってないもん」
「そっかあ、都民だもんねー。エリーゼって言うのは2人乗りのスポーツカーで、運転席の背中にエンジン積んであるの」
「へー、普通は前だよね」
玲奈はクルマが好きだった。初めて買ったクルマは4WDのスポーツカーで、余りにも乗りやすくてつまらなかった。その3年後、ローンの支払いが終わった玲奈は、とにかくクセのあるクルマが欲しくて、『ロータス エリーゼ』を購入した。
音はうるさいわ雨漏りするわで欠点だらけのクルマだったが、玲奈はこれを可愛がっていた。
冬月ファーミングの開業資金のために売ってしまったが、いつかまたスポーツカーに乗るならエリーゼがいいと思っていた。
「何日ぐらい掛かるの?」
玲奈はマダラに航海予定を確認する。
「通常なら30日掛かる。それを10日で走破する。その為の準備をしてきた」
「了解。無理しないでね」
玲奈は南門の畑を心配していた。サリサに水やりと雑草の処理はお願いしてきたが、わき芽の摘み取りや支柱への誘引など、説明の難しいことは教えていない。
クロノスは、その苗の成長速度は遅いので、帰ってから面倒を見ても遅くはないだろうとのことだった。
「何なら僕が様子を見てきてもいいよ?」
「マジで? あたしから離れても平気なの?」
「うん。僕に出来ないことなんてないからね」
「じゃあ、お願いしようかしら」
「フフフ、任せておいてよ」
すごい自信だ。玲奈は改めて神なのだなーと感じた。しかし、この移動の制限がないことが、後にクロノスを暴走させる引き金になるとは思っていなかった。
***
船はルーカス達に見守られながら出航した。船の操縦はマダラをはじめ、マルダやミリアムなど、複数人で交代して行う。操縦者が船長で、万が一の時は船長の指示で対応する。
船は沖に出ると、進路を南に向けて急加速した。およそ大型船とは思えない推進力で進む船体は、まるで競技用のボートのように船首を浮かせて全速前進を始めた。
「ちょ! すっげースピード! すっげースピード!」
「わはは! これは凄いのう!」
「はわわ! 転覆する! こえー! こえーよ!」
甲板に出ていた西明寺は、片足を手すりに掛け、ハットを手で押さえながら風を楽しんだ。
日坂は、初めての船があり得ないスピードで進んでいることに恐怖し、手すりにしがみついた。
玲奈は怖がって無言になるピノの手を掴んで、客室に戻るよう連れて行った。
「ちょ待って! 俺も連れてって! うわーーー! いま飛んだーーー!」
――船内。談話室。
「ふう、死ぬかと思った」
船内は大きく上下に揺れているが、外と比べれば天国だった。時折りジャンプしたであろう振動が伝わり、その度に日坂がビクッとなるのが面白くて、玲奈とピノは日坂のリアクションに注目した。
談話室には、ウォーターサーバーがあり、入れ物として、蓋付きの水筒が用意されている。その水筒も大きな揺れで床に落ちることがないように紐で固定されていた。
おそらく普通の航行ならコップが用意されているのだろう。無造作に紐で固定された水筒を見て、誰もがこの大きな揺れに対する応急処置なのだと悟った。
「ねーねー、暇。誰か何か面白い事して」
「おいおい、急にワガママ姫みたいになったぜ」
「この船の中を見て回らんか? デカい船じゃし食堂なんかもあるかもしれんぞい」
マダラを含めた12人の遊撃隊は、それぞれ持ち場があり、交代で休憩しながら役目を全うしている。
玲奈達はレヴィンも含めて『お客様』なので、特にこれといってやる事がなかった。
揺れる船内を、玲奈達は自由に見て回った。最初に訪れたのは各員の客室だ。
船長室に入ると、マダラが透明なボードに表示された複数の赤い点と地図を眺めていた。
それは近未来的なモニターであり、赤い点は海獣の位置を表している。よく見ると、中央に緑の点があり、この船が進む方向と速度が表示されていた。
「うわー、凄い。あ、手遅れだけど入っていい?」
「…………。構わん。邪魔はするな」
船長室は広く、シャワールームやトイレも専用装備、ベッドも広く、小さいがテーブルとソファも完備していた。
「ここから指示を出しているのか?」
日坂がモニターを見ながら、船が赤い点を避けて上手く操縦されていることに感心した。
「いや、ブリッジにも同じものがある。今は隊員たちがそれを見て操縦している」
それを聞いて玲奈がピンときた。
「あれ? ごめん、もしかして休憩中だった?」
「気にするな。俺は10日寝なくても仕事に支障はない」
「だーめーだーよー。はい寝て。今すぐ寝て」
玲奈はベッドをバフバフしてマダラに寝るよう促す。仕事熱心なマダラは危険な海獣が生息するエリアを抜けるまでは寝るつもりなどなかった。
海獣の中で特に厄介なのが人魚だ。グロノア=フィルの人魚は群れで行動し、縄張りに入った人間の船を集団で狩る。
その手法は精神攻撃を主軸とし、その攻撃を受けた者は幻覚、麻痺に侵され、自ら命を絶ったり、仲間を攻撃し出す。
マダラとマルダには精神攻撃耐性があるが、そのような耐性を持っている者は稀で、ほとんどの隊員は人魚の攻撃に対して無防備だった。
それらの説明を受けた玲奈達は、人魚の生息地を抜けるまで気が抜けないのだと知った。
「まったく。誰かさんのお陰で海を渡る事になった。久しぶりに仲間の命の危険を感じる旅になったぞ」
「それは済まんかったのう。ワシらが飛べればよかったんじゃがな」
「飛竜に乗って行くんじゃダメだったのか?」
ピノが1人責任を感じてしまっている中、西明寺と日坂は堂々と意見した。
「カルディナンの防空意識は異常だ。我々の空からの攻撃を過剰に恐れている。未確認の飛竜など、まして個人が空を飛んでいたら大騒ぎだ」
その時、部屋のスピーカーからマルダの危機迫る声とサイレンが響き渡る。
「組長! デカいのが一匹追いかけて来てます! この動き、たぶんチャーキーテーラーです!」
モニターには、中央の緑の点に追従するようにジグザグに動く赤い点が表示されていた。
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