第2話 姫様
「申し訳ございません! 申し訳ございません!」
「ハア、ハア、ひ、姫様?」
両手で頭を抱え、床に丸くなって涙を流しながら謝罪するティセに対して、四つん這いの姿勢で全裸のサリサは、エヴェルディーテの異変にいち早く気付いた。
いつもなら、お仕置きはここから更にヒートアップし、レッサーデーモンであるサリサの自然治癒力を以ってしても、血飛沫が舞い、鞭は赤黒く染まるのだ。
「なに……これ……ん゛んん? 声が変」
エヴェルディーテの姿をした玲奈は、喉に手を当て何度か咳払いをするも、その声は紛れもなく幼女チックなアニメ声だった。
そして立て続けに自分がピンクのフリフリのドレスを着ていることに気付き、鞭を持っている事、目の前の2人の女性の体がミミズ腫れだらけな事実に、これが自分のしたことなのではないかと察するまでに、そう時間は掛からなかった。
玲奈は何かと察しが良い方だ。
目の前のティセの背中に悪魔的な翼が生えている事や、尾てい骨あたりから細長い尻尾が生えている事、サリサの頭から角が生えている事も、彼女達が普通の人間ではないと認識するのに十分な光景で、ここから更に、自然と自分の背中や頭を確認するだけの洞察力が、確かに彼女にはあった。
「姫様? どうなされたのですか?」
「え? 姫様?」
ティセも異変に気付き、2人は手錠をかけられた両手で身を起こすと、しきりに自分の可愛い角や背中の凛々しい翼、美しい鱗で覆われた尻尾を手で触るエヴェルディーテが、息を荒くして自分たちを交互に見遣る姿を心から心配した。
「え!? ええ!? 角!? 角生えてっぺよ!」
「ぺよ? 姫様? どこか具合でも――」
「てかアンタらは誰!? ここどこ!?」
サリサはティセと目を見合わせると、神妙な顔付きで答えた。
「姫様、ここは魔王城でございます。お仕置きは一時中断して、少しお休みになられては如何でしょうか」
ここで玲奈は、彼女達が自分を『姫様』と呼ぶことに気付いた。それは、自分が今身に付けているフリフリのドレスからも、高貴な身分であることを確信させるものであり、ここでようやく冷静に事態を把握することを決心したのだった。
「ハア、ハア。……すーーー、はーーー。ふう。冷静に、冷静に。まずは夢かどうかの確認」
玲奈は右手の鞭を軽く振って、左腕を叩いてみた。
ベシッ
「痛った! 痛ってーなこのっ!」
軽く投げ捨てたつもりだったのだが、鞭は勢いよく部屋の隅へ飛んでいった後、壁に突き刺さった。パラパラと破片が床に落ちると共に、またティセが両手で頭を覆って謝罪の言葉を連呼する。
「ひっ! 申し訳ございません! 申し訳ございません!」
「姫様! 一体何を!?」
「夢じゃない……そしたら死後の世界?」
「姫様……ここはグロノア=フィルでございます。死後の世界ではございません」
「まじで? じゃあ異世界? 異世界転生?」
ようやく異世界転生という答えに辿り着いた玲奈は、それならばと、前世で見ていたアニメや小説の記憶を蘇らせ、まずはこの2人に服を着せてやるところから始めることにした。
部屋の片隅の棚に、綺麗に畳まれたメイド服を見つけた玲奈は、2人分の服を持ってティセとサリサに着るよう手渡す。
サリサは、エヴェルディーテが服を着るよう命じるところなど見たことがなかった。
いつもなら血だらけになりながらも、床や絨毯を血で汚すことは許されず、エヴェルディーテが寝床に就くまで服を着ることなどできなかったのだ。
「姫様……まさか、服を着ても……よろしいのですか?」
自然と涙が溢れてきていた。初めて見せる姫の慈悲に、サリサはエヴェルディーテの心の成長を感じたのだ。
「服着なきゃ風邪ひくべよ。早く着てさ、ここ出ようよ。なんかやだよこの部屋」
「うっ……! うぅ……姫様……ありがとう……ございます……!」
涙ながらに感謝するサリサを見て、ティセはこれが異常事態であることを察した。また、自分がこの程度の叱責で済んだことに、心から感謝した。
サリサはレッサーデーモン、ティセはサキュパスの能力により、鞭で打たれた傷は自然治癒していた。
これは魔王から与えられた特殊スキルで、限られた魔族にしか与えられない名誉である。
着替えの様子を眺める玲奈は、2人が見慣れないドロワを穿いているのを見て、ここがファンタジーな世界であることを改めて実感した。
***
玲奈は、サリサからここが魔王城である事、自分が魔王の一人娘『エヴェルディーテ・ザバルフェスト』である事、そしてこれから医務室に向かう事を告げられた。
「お母さんは何て名前なの?」
「王妃殿下はセシリア様でございます。……本当に覚えていらっしゃらないのですか……?」
「あー、うん。これは前世の記憶を思い出したとか、そういうタイプの転生じゃなくて、たぶん魂の上書き? みたいな感じだから、エヴェルディーテはどっか行っちゃったんだと思う」
「なんて事……魔王様になんとお伝えすれば良いか……」
転生には0才からやり直しタイプや、転生先の人物が死亡して入れ替わるなど、様々な形があるが、玲奈にはエヴェルディーテの記憶はなく、元のエヴェルディーテはどこかに消失したのではないかという憶測だけが残った。
しかし、言語を理解できる事、怪力や魔力を感じるといった能力は残っている事が、今回の転生の不可解な事実として玲奈の脳裏に焼き付いたのだった。
コンコンッ
「どうぞお入り下さい」
「失礼します」
医務室と思しき部屋の扉を、サリサが丁寧に開いて玲奈を中に通す。
部屋は広く、診察スペースのような仕切りや、患者を寝かせるベッド、様々な薬品を収納しているであろう棚が目に付いた。
診察スペースのデスクに着席していた男性は、エヴェルディーテが来た事を知って、落ち着いて席を立つと、深々とお辞儀して挨拶を始めた。
「姫様、ご機嫌麗しゅう。本日はどうなされましたか?」
玲奈には誤魔化すとか、エヴェルディーテ本人を装うとか、嘘偽りの類で乗り切るような考えは毛頭なかった。
元々正直な人間であり、腹を割って話すことが好きなのだ。
「あー、と、記憶喪失? 転生したって言ったら信じる?」
医師と思しき男性のメガネがキラリと光る。それは『転生』という単語に反応してのことだった。
医師には、ここ数年、勇者が『転生』により誕生しているという情報が耳に入っていたのである。
眼鏡の奥の鋭い眼差しが語りかける。
「すると、あなた様はエヴェルディーテ姫ではない?」
「そうなるね。あたしは冬月玲奈。地球っていう世界の、日本っていう国で暮らしてた。んで、雷に打たれて死んだ。そしたら姫様になってた」
(嘘……ではない。姫様は無慈悲だが人を騙すような真似はなさらない。それに、一人称が『あたし』とハッキリ発音している。独特の訛りだ。こんな訛りは聞いたことがない。チキュウ……ニホン……)
「少し情報を調査する必要があります。まずは貴方のように転生した者を探し出すところから始めましょう。グレートウォールダンジョンで何人か捕獲するよう、上に伝えておきます」
医師はそう言い終えると、数瞬、サリサの目を見つめてこう言った。
「この事実を知っているのは?」
サリサもまた、エヴェルディーテが本人ではないと認識した上で、こう返した。
「私とティセ、それから……姫様ご本人だけです」
「……なるほど。『姫様』でいきますか……」
それは玲奈の今後の取り扱いについての問答だった。玲奈がエヴェルディーテではない以上、姫と呼ぶのが正しいのか、はたまた重罪人として処罰するのか。
とても難しい判断だったが、医師とサリサは転生の事実を隠して、玲奈をエヴェルディーテとして取り扱う事に決めたのだ。
問題は、近々接触するであろう魔王アーヴァインにも隠し通せるかどうかである。
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