魔王女転生〜魔族領開拓史〜

あんぽんタソ

第一章 農家、転生。魔族と勇者

第1話 天雷



パリーーーン



 気品溢れる美しい模様が描かれたティーカップは、新人メイド『ティセ』の震える手からこぼれ落ち、高価な絨毯に紅茶を撒き散らして真っ二つに割れた。


 その音は部屋の空気を真っ青に凍りつかせ、部屋の隅で控える新人教育係のサリサは、これから始まる惨事を想像して膝から崩れ落ちた。


「まあ! なんて事! わたくしのお気に入りのティーカップが割れてしまったわ!」


 ケーキやクッキーが用意されたティーテーブルに、お子様用の椅子で腰掛ける幼女が金切り声を上げる。


「あなた! なんて事をしてくれたのかしら! これはお仕置きが必要ね! サリサ! あなたも同罪よ!」

「姫様! ティセは私の教育不足でした! お仕置きなら私が受けますので、どうかティセはご勘弁を!」


 ティセは嗚咽を漏らしてしゃがみ込み、震える声で謝罪の言葉を連発している。

 サリサはそんなティセを庇って、全ての責任を引き受ける覚悟だった。


 そんなサリサの必死な顔を見て、幼女がニタリと笑みを浮かべ、こう告げる。


「うふ。だめ。2人ともお仕置き部屋へいらっしゃい。うふふ」




――ここは魔王城。




 グロノア=フィル大陸の北端に位置し、夏は白夜で陽が沈むことはなく、冬は極夜で陽が昇ることがない。


 年中薄暗く、平均気温はマイナス20度。


 魔王アーヴァイン・ザバルフェストが治める領地で、3000年近い歴史を有する。

 およそ200年前までは一つの国『ザバルフェスト王国』として栄えていたが、アーヴァインが魔王と認定されてからは大陸の北端に追いやられ、各国の勇者から攻めいられる悪者とされた。


 領土の大半が荒野や岩山であり、毒沼や呪われた木が点在し、モンスターが徘徊する薄暗い土地。


 ゴブリンやオークなどの村も存在し、食糧としてのモンスターを飼育したり、魔石の採掘も行われている。


 どこを掘っても魔石が潤沢に採取でき、燃料や食糧、ポーションの材料や魔道具のエネルギー源など、幅広く利用価値がある。

 各国が勇者を派遣して魔王討伐に尽力するのは、この魔石の採掘権を狙っての、言わば侵略である。


 南端の国境には、東西の全域に跨るグレートウォールダンジョンがあり、侵略者の侵入を防いでいる。




「この! 鈍臭いメス豚め!」


バチーーーン!


「ああ! 姫様! お許し下さい!」


 魔王の一人娘『エヴェルディーテ・ザバルフェスト』は、齢9才にしてドSの才覚を示し、頬を赤く染めながら、ティーカップを割ったティセの背中を鞭で叩く。

 そこに慈悲はなく、ティセの背中には何本ものミミズ腫れが浮き上がった。


 エヴェルディーテにとって、このお仕置き部屋はお気に入りの場所であり、執事やメイド達が何かミスをする度に、何時間にも渡って彼らを痛ぶるのが日課となっていた。


 彼女はこう考えた。


 なぜこうも毎日のようにミスを犯すのか。ミスがない日などない。これはわたくしのお仕置きを欲しているのではないだろうか。鞭で叩かれるのを内心喜んでいるのだ。


「うふふ。さあ、今度はその醜い尻を突き出しなさい! ウフフフフ! あーっはっはっはっは!」


バチーーーン! バチーーーン!


「あ゛あ゛! あ゛ーーー!」



 お仕置き部屋には、鞭の音と悲鳴がこだましていた。




***




――現代日本。栃木県某所。




「ふいー、あちちー」


 炎天下の元、軽トラックの荷台に置かれたスポーツドリンクを手に取り、吹き出す汗とは裏腹にカラカラに乾いた喉を潤す。


 気温は37度。普通なら畑仕事などしていたら熱中症で倒れるところだが、彼女はそんな中でも野菜の手入れをするのが好きだった。


 雑草を抜き、虫や病気に侵されていないか目で確認し、わき芽を摘み取り養分の分散を防ぐ。


 そうやって手塩にかけた大玉トマトは、大きく、甘く成長するのだ。


 彼女は一通りの作業を終えると、自分へのご褒美に、よく出来た実を一つ収穫してかじり付いた。


「むふふふふ。うっまーーー! ウチのトマト最高すぎる!」


 そこへ一台の軽トラックがやってきて、若い男性が汗を拭きながら降りてきた。


「社長ー、草刈り終わりましたーって、またトマトつまみ食いしてるし……少し涼みませんか? 熱中症になっちまいますよ」

「野間っちお疲れ。こっちも終わったから皆んなでスイカ食べよ」

「あれ? なんだあれ。社長、めっちゃ黒いっす」


 野間が指差した方向には、黒い積乱雲が急速に立ち上り、風に乗って徐々にこちらへ向かってくるのが見てとれた。


「ゲリラ豪雨の予感……野間っち、みんなに事務所に戻るように連絡して? あたしは桜ちゃん拾って戻るね」

「了解っす。俺、ビニールハウスの天窓閉めてきます」

「オッケー。早く戻ろ」


 冬月ファーミング有限会社は、創業2年の近代農家だ。社長の冬月玲奈ふゆつきれなは、茨城県で15年間、農業に従事し、独立の為の資金を貯めていた。


 15年間で彼女が学んだことは、雨風対策の重要さだった。安物のビニールハウスは使わない、排水溝や防風ネットの設置など、大事な作物を守る農業を心掛けている。


 彼女は小野桜を迎えに行く軽トラックの中で独りごちる。


「頼むよー、まだ降ってくるなよー」


 小野桜は中学校に通っていれば2年生だったはずの、13歳の女の子だ。いじめが原因で学校に行けなくなった彼女は、冬月ファーミングに住み込みで療養生活を送っている。


 今は玲奈の愛猫『てとら』と一緒に川沿いを散歩しているはずだ。


「あ! いたいた!」


 玲奈はクラクションを軽く鳴らして桜の横に停めると、雨が降ってきそうだから車に乗るよう促した。


 猫のてとらは3歳ながら人の心がよくわかっていて、リードなしでも人と散歩が出来たり、桜が心の傷を負っていることも理解していて、彼女の側を離れようとしない。


「間に合ってよかったー。さ、帰ろう」

「雨降ったら涼しくなるかな?」

「なるなる。ついでに畑の心配で寒気がするよフフフ」


ピカッ! ゴゴーーーーーン!


「あー! ついに来た! 降ってくるぞこれ!」


 玲奈の言った通り、雷の振動で降り出した雨粒は大きく、ボタッ! ボタッ! と音を立ててフロントガラスに打ち付けられた。


 その数秒後。


ドガーーーーーー!


「うわ! うわわわ! 玲奈ちゃんメッチャ降ってきた!」

「あははは! 前見えねーよ! ワイパーをハイパーモードにしねーと! ハッ! ワイパーがハイパー!」

「あはははは! ハイパーって何ー!?」

「ええ!? 10代はハイパー通じねーの!?」


 そんな賑やかな車内に負けじと、周囲は土砂降り、雷の光があちこちで、まるで花火のように轟いていた。




――冬月ファーミング事務所。




 事務所は玲奈の自宅を兼ねており、この日は16名の従業員が出勤していた。


 玲奈は軽トラックを車庫に入れると、てとらを抱っこした桜と、土砂降りの庭を挟んだ事務所を見据えた。


 車庫の出口では、車から降りたはいいが、事務所に入れない従業員が数名いて、皆、顔を見合わせて「やれやれ」と相槌する。


「うひゃー、こんじゃ走ったって事務所に着く頃にはズブ濡れだっぺよ」

「んだ。社長、トップバッターお願いします」

「いやいや、もうちょっと待てば、気を利かせた玉置さんあたりが傘を持ってきてくれる。はず」


 玲奈の予測通り、従業員の中で1番気が利く玉置が、人数分の傘を抱えてやってきた。


 幸い風は弱く、横殴りのような雨ではなかったので、傘にすっぽり収まっていれば、あまり濡れなくて済みそうだった。


 が、玉置が庭の中央に差し掛かった時。


カッ! ズガーーーーーーーン!


「うお!」

「きゃーー!」


 強烈なフラッシュライトを浴びられたかと思うほど、庭全体は光に包まれ、それと同時に轟音が鳴り響いた。


 事務所からは「停電!」の声が聞こえてきて、皆、落雷がすぐ近くだったことを悟った。


「佐久ちゃーーーん! テレビとか冷蔵庫とか煙出てないか確認してーーー!」


 玲奈は落雷の経験があった。実家で暮らしていた頃、自宅近くの電柱に落雷し、テレビや電話から煙が上がるという、ちょっとしたボヤ騒ぎがあったのだ。


「はいはい、傘持ってきたよー」

「ありがてー」

「早く事務所さ上がってスイカよばれっぺよ」


 皆、一様に傘を開き、土砂降りの中を急ぎ足で進んで行く。桜は器用に片手で猫を抱っこすると、皆に見守られながら事務所へと入って行った。


 玲奈は残された人がいないことを確認し、車庫のシャッターを閉めて事務所の方へと振り返った。


「ふいー、ちょっとした惨事だなこりゃ」



 そして庭の中央に差し掛かった時。



 音は聞こえなかった。



 景色が白黒になった事はわかった。



 強烈な光のせいで、影が濃くなってる。



 その景色が斜めになって、次第に地面がすぐ真横に迫ってくる様も。



 顔が水たまりに半分浸かっている感覚も。



 皆んな血相を変えて走ってくる。



 1番乗りは野間っちだ。



 たぶん「社長!」って叫んでる。



 傘、さしてない。ズブ濡れだっぺよ。



 何も聞こえない。



 焦げ臭い。そうか。雷だな。しかも直撃。



 皆んながあたしを抱えて事務所へと運んでいるのが見えた。



 上から見てる。



 ああ、あたし、死んだんだ。



――――――


――――


――めさま!


「姫様! ご勘弁を!」


「へ?」



 あたしは鞭を持って裸の女性の前に立っていた。

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