十人十色
桃福 もも
KAC2024 一話完結の結婚物語
<ブルー>
朝7時32分、春香は、いつものバス停に並んでいた。
はっきりとした理由はないのだが、何気に気持ちがブルーだ。
親友の笹田京子が、結婚すると聞いたからだろうか?それが、本人からではなく、友達の友達から聞いたからなのかもしれない。
バスが到着した。バス停のベンチが何気に邪魔だ。人の波を、わずかだが遮っている。はっきりとはしないストレス。そう言ったものが、心に小さな擦り傷をつけてゆく。
<自然色>
朝7時35分、ホテル王と呼ばれる北条家の長男、北条真一は、黒塗りの車の中にいた。彼は爽やかな朝とは無縁の、白黒の世界にいるようだった。華やかなパーティも、着飾った女も、豪華な食事も、きらびやかであればあるほど、それがかえって無味乾燥なものに感じられる。
車は、赤信号に止まった。
何気なく窓の外を見ていた真一は、息を呑む。
バス停でバスを待つ、一人の女に目が留まったのだ。
それは間違いなく普通の女だった。
肩に付くぐらいの髪、クリーム色のブラウス。化粧もしていないかのように薄い。
少し目の垂れた素直そうな顔立ちも、ごくごく普通そうな女なのだ。
だが、そこだけが自然色を放っているかのような、輝きを持っていた。突然、光が色を映したかのように、世界が色とりどりのカラーであることを思い出させるのだ。
<真っ黒>
朝8時28分、中小企業の社長である桑名徹は、今日、不渡りを出すことが分かっていた。
倒産するのである。
会社は有限会社で、責任は有限なのだが、会社の借金の連帯保証人は、自分になっていた。
桑名の世界は、もはや真っ黒だった。
破産だ。家財道具はもちろん、家も失う。妻とは離婚し、彼女だけでも守らなければ。だが、今まである程度贅沢をさせてきた。離婚しても、妻は生活していけない。
残された手段はただ一つ。
生命保険。
彼女に残せるものがあるとすればこれしかない。
それに、もう債権者集会を行う気力もない。
桑名は、闇に向かって歩いた。
<金>
昼12時28分、北条真一の母、桜子は、息子から結婚したい人がいると聞かされ、驚いていた。手に持っていたフォークをお皿の上に落してしまうほどだった。
40歳、これまでに何度も縁談話が持ち上がり、その度、どの令嬢も気に入らないと断り続けてきた息子だ。それが今になって。
お皿を取り換えようと近づく給仕を、はらうように追い払う。
「そ、それで、どこのお嬢様なの?」
「それが、良く存じ上げないのです。今朝、通勤の途中で見かけただけで。バス停に並んでおられた、クリーム色のブラウスの女性なのですが。」
「そ、それは、結婚したいで、間違いないのね。」
「はい。」
「いいわ、すぐに話しを進めましょう。」
桜子は、部屋の隅に控えていた秘書を、手招きで呼んだ。
「運転手に言って、車載カメラを確認して、そのお嬢さんをすぐに探すのよ。」
息子が結婚する。どんな女だってかまわないわ。花嫁教育は万全に行う。英語もフランス語も一流の家庭教師をつけるの。そうね、留学させて箔をつけるのもいいわね。
いや、ちょっとまって、既婚者ではないわよね。
いいわ、昔から、「金の
<バラ色>
夜7時00分、春香の母である真理子は、一本の電話を取った。
「わたくし、北条グループの北条桜子会長の秘書で深山と申します。」
それは、にわかに降ってわいた、娘、春香への縁談であった。
北条グループと言えば、知らない人はいない、旧華族の元財閥。
その御曹司と娘の結婚。ということは、自分は親戚、義理の母になる。
盛大な結婚披露パーティ、そして、私はお母さま、孫はその後継ぎ。
飛行機は、ファーストクラス!
それはまさにバラ色の人生!
百々鼠色のような人生だと思っていた毎日が、なんてこと!
真理子には、降る雨さえも、バラの花びらに見えていた。
<黄色>
夜7時14分、山上洋子は、50年間連れ添った夫の通夜にいた。
周りの音を聞くでもなく、ただぼんやりと、遺影を眺めている。
儀礼的に焼香客に頭だけは下げていた。
全てを息子に任せているが、もう80歳近い年齢だ。それも許されるだろう。
彼女が、式に対して口を出したのは、ただ一点である。
会場の花は、できる限り「菜の花」を使って、他の花もすべて、黄色にしてほしいと言うことだった。
それは、故人の希望によるものである。
「菜の花のように、明るく元気に生きてくれ。」
生前からよくそんなことを言っていた。
「僕が死んでも、哀しんじゃいけないよ。僕は、ずっとそばにいるんだ。哀しむってことは、僕がいないってことだろ。そしたら、僕が消えてしまうじゃないか。」
黄色い花に囲まれた夫。
「あなた…いるのね。」
<レッド>
夜7時26分、春香の父、哲二が帰宅した。
いつもは、とんと出迎えに来ない真理子が、玄関まで駆け出してくる。
真理子は、娘の縁談話を玄関先でまくし立てた。
北条家の御曹司。北条家と言えば、国際的に、高級ホテルを経営するホテル王。結婚式場やレストランなど、その経営は多岐にわたっている。
家具メーカーの次長である哲二にとっては、この上ない取引先だった。
同期から抜きんでて、取締役になることだって夢ではなくなる。
あの嫌味な上司の上に行けるんだ。皆が一目置き、道を開け、俺に挨拶する。
一生歩くことはないと思っていた、赤いじゅうたんの役員室。レッドカーペット。
秘書付きだ!秘書付きだぞ!
<白>
夜7時32分、春香の弟、隼人が帰宅した。
「わあ、びっくりした!二人して玄関で何やってんだよ!」
母、真理子が隼人にすり寄る。
「はあ、やあ、とお。」
母の猫なで声が気持ち悪い。
「なんだよ!内定ならまだ決まってないよ!」
「内定なんか気にしないでいいのよ。一流企業に就職できることは、決まったようなもんなの! 実はね・・・。」
姉が御曹司と結婚!?
何だよその異世界転生的転回!チートか?チートなのか?
一流のエリートが俺の人生?
キンコンカンコン、キンコンカンコン、ララララーン
無数の白いハトが、大空に向かってはばたいてゆく。白い雲、広がる空。
俺の人生、ちやほやのモテモテじゃねーか!
<ブルー>
夜7時38分、春香が帰宅した。
「なに?何かあったの?」
三人が一斉に春香を見つめた。
「あのね、春香、ちょっと話があるの。着替えたら、すぐリビングまで来てくれる?」
「えー、なにー?こわいこわいこわいこわい。」
母の話しは、にわかには信じがたいものだった。だが、事実なのだと言う。
北条真一さんという方を、春香は知っていた。
もちろん実際の知り合いではない。親友の笹田京子が、ビジネス誌などに載っている写真を見て、推しだと騒いでいたのだ。
「このぐらいのレベルになるとさあ、自分の資産がどれぐらいあるかも分かんないだろうね。こんなイケメンなのに、まだ独身よ。」
女の子なら誰もが憧れる王子様。
シンデレラなの?
ビビデバビデブー!
水色のドレスを身に纏い、私はお城へ向かうのかしら。
「だけど、なんで、私を?」
<茶色>
夜9時33分、笹田京子は、親友、小池春香に電話をするところだった。
結婚することを、親友に言えていないことが気になっていた。たいして親しくない人には、簡単に報告できるのだが、親友となると重みが違う。
京子は、小さくため息をついた。
そんな時、突然電話が鳴る。
画面には『はるか』の文字。
京子は、慌ててスライドした。
「もしもし?」
え?北条真一さんとの結婚話が?
何の冗談なんだろう?エイプリルフールだったっけ?
京子は、「同じ会社の後輩と結婚する」という話しが、余りにもありきたりで、しょぼい人生のように思えて、報告が出来なくなった。
それだけなら良かったのだが、どこからか、やっかみの気持ちまで現れるのだ。
茶色いものが、珈琲のシミのように胸に広がってゆく。
おめでとうの言葉さえ、口から出てこない。
「俊介は?俊介はどうするの?」
「俊介?俊介は、ただの幼馴染だよ。」
「そう思ってるだけよ。春香にとって本当に大切な人は、俊介だと思う。」
「そうかな、ただの、友達よ。」
「じゃあ、考えてみて、俊介のいない人生を。」
やっかみだ。これは、やっかみ。
でも、京子には、もう止められなかった。
<緑>
夜10時、後藤俊介は、春香に電話を掛けた。
「春香?今いい?」
「うん。なに?」
「今日さあ、よつばのクローバー見つけたんだよね。」
「よつば?」
「春香にあげようと思ってさあ。」
「なに?なんでよ。」
「よつば持ってると、幸せになんだぞ。」
「ばか。いい大人が、のっぱらに座ってんじゃないわよ。」
「緑はいいぜ。スカッとしてさ。木陰やら土のにおいやら、サイコー。」
「ばか。」
春香とのどうでもいい会話が、どうでもよすぎて気持ちいい。
どうでもいい時間が、どうでもよく流れる。
一日の終わりに春香がいる。当たり前の日常が好きだ。
芽吹く黄緑の若葉。緑の野原に太陽の光。
俺は、春の香りが好きだ。
<ブルー> ー結婚前、結婚後、死が二人を分かつまでー
次の日の午後だった。
休日だった春香は、いつものバス停にいた。
いつもと違うのは、邪魔に思っていたベンチに、座れていることである。
さすがに、この時間に人は少ない。定刻より、15分も早く着いてしまったから、というのもあるのだろう。
春香は、はっきりとした理由はないのだが、何気に気持ちがブルーだった。
話しを聞いた昨日は、ときめきと興奮に支配されていた気持ちが、どうしてだか、ただブルーだ。
春香は、小さなため息をつく。
「どうなさったの?あなた、浮かない顔ね。」
気が付くと、喪服姿の老婦人が、春香の隣に腰掛けていた。
その横には、中年の男性もいる。
「いえ、なにも、大丈夫です。」
「そおお? 知り合いには話せなくても、通りすがりのおばあさんになら、話せるってこともあるでしょ? 話すだけで、心が晴れるわよ。」
「でも、なぜ気が滅入っているのかも、よくわからなくて。」
「じゃあ、なおさらね。言ってみて。」
春香は、
「玉の輿。私にも覚えがあるわ。」
「おばあさんに?」
「今、こんな、おばあさんに?って思ったでしょう?」
春香は、いえいえと、慌てて両手を振った。
老婦人は、にっこりとほほ笑んだ。
「ちょうど、あなたぐらいの歳だったかしら、それはびっくりするような縁談が来ましてね。老舗の
「ええ、そう、そうです。周りが、私より盛り上がってるような、そんな感じ。」
「ええ、ええ。よくわかります。それで?あなたの気持ちは?」
「私?私の気持ち。それは、もちろん、嬉しいです。」
「そうねえ、お金持ちだし、ステイタスだし。」
「はい。はい、そうなんです。」
「だけど、どちらかと言うと、もう逃げられない。みんな期待してる。」
「逃げられない…?そう!そうです。」
春香は、すがるような目を向けた。
「私が、その時どうしたか、知りたい?」
「ええ、ぜひ。」
「あの時、皆が浮かれ気分の中、ばあ様だけが違ったの。私に、諭すように、こんな話をしてくれました。」
「ワシの村でものう、えらい玉の輿に載った子がおったんよ。」
「その子が、嫁いだ先の街に行く用事があったもんで、久しぶりに会うことになってなあ。」
「まああああ、豪華なレースの日傘を差して、それは見事な
「それがなあ、大きな邸宅を出て、二人で駅までの道、坂を下りとった時や。前から、重そうなリヤカーを引きながら、貧しい夫婦づれが、声を掛け合い掛け合い、上ってくるのが見えたんよ。旦那さんがリヤカーを引いて、奥さんが後ろから押しとったんやわさ。」
「おまえ、おまえ、押さんでええ。ワシが、一人で引くけえの。」
「なんのなんの。構わんけえ、もっと荷をかけてくださいな。」
「後ろは、危ない。のいとれ、のいとれ。」
「横から、押しますで。なあ、おまえさま。」
「そんなやり取りが聞こえたわ。」
「ほんならな、それを見とった御寮さんがなあ、「羨ましい。」ってゆうて、さんざん、泣きなさるんよ。」
春香は、洋子が少し、涙ぐんでいるのを見た。
「そんな話をしてくれました。それでね、ばあ様が、こう言いましたの。」
「洋子、おまえは、玉の輿になんぞ乗る必要はない。お前のことを、自分のこと以上に、大切にしようという人がおったなら、その人と、一緒になりなさい。」
「それで?洋子さんは、どうしたんですか?」
「今の夫と結婚しました。もう、50年になります。だから、こう言い切って、問題ないかと思うんですけど。」
「はい?」
「ばあ様の言うことに、間違いはありませんでした。」
そこに、バスが入ってきた。
立ち上がる洋子は、春香を振り返った。
「乗らないんですか?」
春香は、席を立たなかった。
「はい。もう少し、ここにいます。」
ふたりは、会釈を交わす。
バスが過ぎ去った後、春香は、しばらくその行く先を眺めていた。
彼女はおもむろに立ち上がると、逆の方に歩き始める。
座っていた中年の男性が、春香に声をかけた。
「バスに、乗らないんですか?」
「ええ、私、一緒に探していきたい人がいるんです。よつばのクローバーを。」
男は、しばらく彼女を見ていた。
「お幸せに。」
<色々>
男は、ベンチに一人座り、スマホを取り出した。
電源を落としたままだ。
一日ぶりに起動させてみた。
山のような着信履歴が出てくる。
中でも、数えきれないほど繰り返される名前があった。
「すみれ」
妻である。
画面は突然、着信画面に変わった。
すみれだ。
男は、スライドさせて、ゆっくりと耳に当てる。
「あなた!あなた…。」
電話の声は、泣いていた。
「どこにいるの?早く帰ってきて。」
「すまない。すみれ。何もかも失って。家もなくなる。あるのは、借金だけだ。」
「…私には、あなたがいます。何も失ってないわ。」
「すみれ…。」
「6畳一間のアパートでも、野山に建てた
男は、そのまま泣き崩れた。
「あなた、債権者集会で、一緒に謝りましょう。少しづつでも借金を返して。」
もう、涙で、声にはならない。
「貧しくても、声を掛け合い掛け合い、生きていければ、それでいいじゃないですか。」
「ねえあなた、私たち、夫婦でしょう?」
十人十色 桃福 もも @momochoba
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