第6話







「クロエ、隈がすごいけど昨日夜遅くまで練習したのかい?」

「あっ、いえ、ははは……」


 昨夜の騒動の後、警戒しまくって全然眠れなかった。


 ワイシャツから覗く首には、絞められた跡が色濃く残っている。そのため今日は太めのチョーカーをつけて、跡を隠す羽目になった。


 あの野郎絶対許さないからな。


 苛々とした気持ちを洗い物にぶつけて、昨日の夜の出来事を思い浮かべる。






◆◆◆






「そろそろお暇しようかな」

「は?」

「レディの寝室に長くいるわけにはいかないからね」 


 今さら何言ってるんだこの男は。


「じゃあね、クロエ」


 ライオスは満面の笑みを私に向けると、そのまま髪に口づけて突然消えてしまった。


「き、消えた!?」


 混乱する。もしかして、これが魔法なのだろうか。しばらく口を開けて呆けているも、まだ部屋の中にライオスが隠れている可能性に気づいた。


「確認するしかないわね」


 ペーパーナイフを抜いて、恐る恐る部屋を徘徊したのだった。






◆◆◆






 そして今に至る。


 結局誰もいなかったが、見られているのかと悶々と考え、全然眠れなかった。


「すみませーん。材料届けにきました!」


 入り口からテオがひょこっと顔を覗かせて、爽やかな笑みを浮かべていた。

そうだった。あの馬鹿のせいで忘れていたけど、今日はテオからの卸がある日だ。


「ごめん! テオ兄。すぐ行く!」

「いいよいいよ。今日はチョーカーつけてるんだね」

「うん。そういう気分だったの」


 卸された材料をチェックしながら会話していると、テオが私の背丈に合わせるように身をかがめた。


「テオ兄?」

「クロエ。急ですまないんだけど、今日の午後ちょっといいかな?」

「うん。大丈夫だけど…………どうかしたの?」

「詳しくは午後話すよ。その、実は、買い物に付き合って欲しいんだ」


 少し頬を赤らめて話すテオがいじらしくて、とても可愛い。


「ふふ、かまわないわ」

「よかった!店長にも伝えといてくれ。じゃ、また」

「また」


 一部始終見ていたのか、店長が頬を染めて「何二人で話してたんだい?」と尋ねてくる。


「今日の午後、休みを取りたいんですが」

「大丈夫だよ。楽しんでおいで」


 変な勘違いをしている店長に訂正するのも面倒くさくて、ニヤつく顔をスルーして仕事の戻る。そのあと、通常業務をこなし、迎えにきてくれたテオ兄と一緒に街へと歩き出した。


「急なお願いなのに、ありがとう」

「いえ、テオ兄にはいつもお世話になっているもの! それで、何を買うつもりなの?」


 テオは後頭部を真っ赤な顔でかきながら、ぽつりとつぶやいた。


「その、幼馴染がもうすぐ誕生日で、プレゼントをあげたいんだ。だけど、何をあげたら喜ぶのかわからなくて」

「もしかして好きな人?」


 テオは恥ずかしそうにこくりと頷く。


「まあ! それは気合を入れないとね。ちなみに何贈ろうと思ってるの?」

「実は指輪を購入していて、あともう一つ何かプレゼントしたいんだ」


 指輪……それって、もしかしなくてもプロポーズじゃない。


「なるほど。指輪メインだったら、アクセサリー類は避けた方が良いと思うわ」


 歩きながらああでもない、こうでもないと意見を出しながら相談する。


「確かに。クロエに頼んでよかったよ」

「いえいえ。あっ、そうだ! 花束はどう?」


 視線の先にある花屋を指差して提案する。


「花か……うん、すごく良いと思う。ありがとう!」

「お役に立てて良かったわ」


 テオは、妹に向けるような親愛の情が溢れる瞳を細めて、私の頭を撫でた。

 

 花屋でなるべく明るくて華やかな色の花を選んで、別れた。


 夕陽に照らされる街の風景を眺めながら、帰路についた。テオはきっと、いい旦那さんになるだろうな。






◇◇◇






 学園帰り。


 屋敷へ向かう馬車の中で外を眺めていた。普段はなんとも思わないようなアクセサリーショップに目がついた。アクセサリーか、無自覚にクロエの顔を思い浮かべる。


「ちょっと止めてくれ」


 御者に声をかけて、馬車から出る。

店内には多くの令嬢が来店していた。ショーケースに並ぶアクセサリーを物色していく。


 彼女に似合うものを贈りたい。真剣に吟味していく。

ネックレスやピアスは被ってしまうから駄目だ。指輪は……今の僕からは受け取ってもらえないだろう。


 金属のアクセサリー売り場から離れて、豊富な種類のリボンが置かれた場所へと足を運ぶ。


 多くの鮮やかな色のリボンが並ぶ中、少し逡巡して、黒のレースのリボンを手に取った。少し透けて見えるそのリボンが、僕の黒髪のようで、クロエの輝くような金髪や白い肌に侵食するようで好ましい。


 まるで純度の高い水に一滴のインクを垂らしたような、そんな醜い気分だ。


 余裕のない自分に自嘲するも、気がつくとリボンを購入していた。


 店を出て御者を待っていると、仲睦まじそうに歩くクロエと男を見つけた。あの男は、確かテオと呼ばれていた男だったな。


 気分が悪い。クロエは僕のものなのに。


 不快な気分を隠さず、男と別れたクロエの方に足が動いていく。


「クロエ。こっちにおいで」

「え、ライオス。なぜここに?」

「来ないなら僕から行こう」


 目を見開いて、呆けている彼女の肩を抱いて、ギルドの執務室へ瞬間移動する。一日一回しか使えないけれど、まぁいいだろう。


──クロエ、この感情をどうすればいいんだ。教えてくれ。






◇◇◇






 テオ兄の買い物に付き合ったあと、家に帰ろうとしていたところ、突然やってきたライオスに誘拐されました、クロエです。そんなこと考えている暇はないけれど、現実逃避しないと現実を受け止められない。


「クロエ」


 いつもよりずっとライオスの声音は低く、身体が震える。ライオスを窺うと、その目は酷く虚ろで光がなかった。


 手を引かれ、ライオスの自室へ引きずり込まれる。扉が閉まった瞬間、両腕を掴まれてそのまま扉に押し付けられた。


 薄暗い室内でも、窓からの月明かりが青白くこぼれ落ちて、ライオスの美しい顔をしらじらと照らしている。


「痛いわ、ライオス。離してちょうだい」

「つくづく君は僕の感情を逆撫でするなぁ」


 くつくつと笑うライオスは、さらに力を込めて私を押さえつけた。


 この言動、私への異常とも見える執着心。そんな、まさか、あり得ない。

目を見開いて、震える唇で言葉を紡ぐ。


「ライオス…………まるでテオに嫉妬しているように見えるわよ?」


 ライオスが黙り込んで、場を沈黙が支配した。


「あぁ、そうかもしれない。きっとそうだ。考えたこともなかった」


 私を抑えていた左手を離して髪をかき上げて、真っ赤な瞳が私を射抜き、だんだんと顔を近づけてくる。


「え」

「嫉妬で気が狂いそうだ」


 見たことがないくらい翳りを含んだ瞳のライオスと、ほぼゼロ距離で視線が絡む。

いつも微笑を張りつけている彼の、らしくない姿に戸惑う。どうしてそんな悲痛そうな表情をするのだろう。


「僕には君しかいないのに」


 余裕のない表情を浮かべたライオスと再び視線が交錯した。こんな彼の顔は、初めて見た気がする。


「クロエ。僕がいなきゃ生きていけなくなってくれ」


 私に歪んだ笑みを浮かべるライオスに体の力が抜けていった。月光に反射したのか、赤い瞳が強く瞬く。


「ライオス、やっぱりあなた、どうかしてるわ」


 ライオスの頬に手を伸ばしたあと、そのまま近づいた彼の口づけを受け入れた。なんでかはわからない。


 きっと、彼から逃れることなどできないのだと、本能で理解してしまったのだ。







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