第5話





 時計の音が響く。


 昨夜の恐怖体験から全然眠れない。それに、やっぱりいる……。人型の伸びる影を見つけて鳥肌がたつ。いつ入ってきたのかわからなかった。もしかして毎日いたのかもしれない。怖い。


 寝たふりを続けて、そっと枕の下にあるナイフの柄を握る。

決心して目をカッと開き、人影へナイフを振りかぶる。


「昨日から、何やってるの?ライオス」

「あれ、びっくりした。起きてたの?」


 ライオスがナイフを握る私の手首を掴んで押し倒し、驚いたような表情をしていた。

構図としては、ライオスが私の上に覆い被さっている感じだ。誰かに見られたら確実に誤解されるだろう。


「あ、手首痛いよね。ごめんね。跡ついてないといいな」


 そう言いながら、ナイフを回収して床に捨て、心配そうな顔で私の手首をさする。

いつも通りの微笑をたたえて私をみつめるライオスに、無性に苛ついた。

力を込めて胸を押す。


「ちょっと、離れてください」

「敬語。戻ってるよ。仕事じゃないんだから、さっきみたいに普通に話して」


 今言うことなのか、呆れ半分で大きなため息をついた。対峙する男のにやけ面に嫌気がさす。


「わかったわ。ところで、なんで私の部屋にいるの?」

「クロエのこと知りたいから」


 間髪入れず、ライオスが答える。


「はぁ?それが部屋に忍び込むことと、どう繋がるのよ」

「クロエのこと、僕なんでも知りたいんだ。何を考えているのか、どんな表情をしているのか、その他もいろいろ」


 高揚した顔で私にいいのける。


「は」

「でも学校や仕事が忙しくてなかなかクロエと会えないだろ?」

「っ……」

「だから今なんだよ。夜なら暇だし、じっくり君のこと観察できる」


(こいつ、イカれてる……)


「いつまでやるつもり?」

「そりゃ、飽きるまでだよ。でも大丈夫。クロエは僕を飽きさせないだろうから、心配いらないよ」


 思わず眉を顰めてしまう。口調がどこまでも上から目線で腹が立ってしょうがない。


 考えている間にも、狂気が滲んだ顔で私との距離を詰めてくる。


「ひっ」


 無意識のうちに口に出していた。慌てて口元を手で覆うも、ライオスはみるみるうちに不機嫌になっていく。


──失敗した。彼は自分に怯えられるのと馬鹿にされることが一番嫌いだったのに。




「クロエ」


 先ほどまでとは打って変わって、彼は何の感情も読み取れない顔で私を見下ろす。

ずっと私の左手を縫い付けていたライオスの右手が、そっと私の頬に触れた。


「クロエ、僕は君のこと気に入ってるし、優しくしてあげたいんだ」


 私の頬を撫でた手を下に滑らせて、両腕で首を絞めるように押さえた。


「でも時々、真逆の感情が支配する。君のこと、めちゃくちゃにしてやりたくなる」


──ゾッとする。


 勘違いならどんなに良かっただろう。

月影に照らされたライオスの顔ははっとするほどに美しく、思わず見惚れてしまいそうだ。そんなこと考えている場合ではないのに。


 頭の中で危険信号が鳴る。この雰囲気は危ない。


「クロエ」


 私の首に置かれた手に力が込められ始める。


「………っ!!」


 やばい。この男は危険だ。なんで忘れていたんだろう。足をジタバタさせて首を絞めているライオスの手を引き離そうと爪を立て、指を引っ張る。


「あぁクロエ。君は本当に美しいね」


 苦しくて歪んだ顔をライオスは恍惚とした表情で見入っている。


「あなたっ、頭イカれてるわ」

「君が言うなら、きっとそうなんだろうね」


──ゴキッ。


 会話で気を逸らしたうちに、ライオスの親指を折る。

間髪いれず、踵を鳩尾に食い込ませた。

首への力が弱まったところで肘の裏を突く。倒れ込んだライオスから逃げるようにしてよける。


「かはっ……!!ゲホゲホゲホ」


 喉をおさえて必死に呼吸をし、ライオスを睨みつける。彼は苦しそうにしながらも、魅惑的に口元に弧を描いている。


「クロエ!やっぱり君は最高の人だよ。絶対に結婚しよう。僕がこの世で一番君のこと愛してる」


 そう言うと私の後頭部に片手を添えて引き寄せ、熱っぽい視線向け、口付けた。


 咄嗟のことでうまく反応できない。美しい顔かんばせが私の至近距離に存在する。


──噛みちぎってやる。必死に顔を引き剥がそうとして、彼の唇に全力で歯を立て、肩を蹴る。


 唇を離したら、ライオスの血を袖で拭って、鋭く睨みつけて凄む。


「死ね!!サイコ野郎!!!」


「一緒に死んでくれるなら喜んで」


 そう言って、肩を蹴った私の足を愛おしそうに、丁寧に持ち、くるぶしにそっと血まみれの唇を押し当てた。




◇◇◇




 ふと、好きだと思った。


 ずっと胸の中で巣食っていた感情に、名前がついていく。

鮮明に、感情が染まっていく。


 僕はクロエのことが好きだ。

僕がクロエに向ける、膨大な執着の裏に隠れていた感情は恋情。

鮮烈に、すっと心にしみるようにそう気付いた。


「死ね!!サイコ野郎!!!」


 クロエのを鋭く睨みつけるような視線を僕の視線と交錯させる。心臓が大きな音を立て、早鐘を打っていく。


 今クロエの頭の中には僕だけが存在している。僕だけが。全身が沸き立つように興奮する。


 知識が豊富で、美しくて、可憐な容姿の下に隠された、凄まじく強気な本性。全てが愛おしい。


 僕をみつめる、いや睨みつけるあの真っ青な瞳は何ものにも変え難いほど、僕を惹きつける。


「愛してるよ、クロエ。誰も邪魔させない。もちろんクロエ自身にも」



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