第25話 良い人

 ディアナは街道を疾走する鬼人ヴァンパイアの少女の肩に担がれていた。少女の細く骨ばった肩が、走る振動でお腹に食い込んで痛かった。


 マルコが追走を諦めてから数十分が経つ。北の森は見えなくなったが、その方向から幾筋もの煙が上がっている。ディアナが〈華炎弁カエンベン〉で一帯を焼け野原にしたとき以上に大きな被害になるだろう。


「いい加減降ろしてよ」


 ディアナが弱々しく手足を動かすも、あえなく少女に抑え込まれてしまう。


「うるせえな。もう少し離れたら降ろしてやるから我慢しろ!」


「ねえ、クラリスはちゃんと逃げられたかな? パパのこと、ママに何て言えばいいの? 私、どうなっちゃうの……?」


 ディアナの視界が滲んでいく。いろんなことが起きて頭がついていかない。とにかく今までの日常が大きく変わってしまったことだけは分かる。あの幸せな家庭も、穏やかな学校生活も、もう二度と帰って来ない。


「……ちっ」


 ディアナの鼻をすする声を聞いて、少女は足を止める。無言でディアナを放り投げた。


「きゃっ」


 ディアナは尻もちをつく。街道から横に逸れた、木が生い茂る林の中だった。


「めそめそうるせえーんだよ! あたしは泣く女が嫌いなんだ!」


 少女がディアナを見下ろした。ディアナは初めて正面から彼女の姿を見た。くりくりのくせっ毛から、人差し指程度の大きさの角が飛び出している。眉を釣り上げた険しい顔つきだが、顔の造形自体は幼い。


「あなた、女の子なのに口が悪いよ」


「そりゃそうだ。あたしはお前みたいに育ちが良くないからな」


 少女がディアナを睨みつける。その眼光は鋭く、ディアナは彼女が暗殺者であることを思い出した。可愛らしい見た目に騙されそうになるが、何人もの人を殺めてきた犯罪者なのだ。


「……ふん、ひと睨みしただけで怯えすぎだ。これだから人類ヒューマニティのお嬢様育ちは」


 黙るディアナを見て、少女は肩をすくめて嗤った。


 ――怖い。確かに怖い……でも、何でこんな子供に馬鹿にされなきゃいけないの? 分からないことばかりでムカついてきた。


 ディアナは立ち上がった。少女の身長はディアナの胸あたりだ。この身長差はちょうど神学校の一年生くらいである。そう認識すると怖さが薄まった。ディアナは胸を張り、少女に詰め寄った。


「あ? 何だよ」


 少女を上から見下ろす。急に強気な態度をとるディアナに、少女は一瞬目を泳がせた。ほんの数秒、二人は睨み合った。


「助けてくれてありがとう」


 そうして張り詰めた空気の中、ディアナが頭を下げた。


「あ? お、おう」


 反抗的な態度から一転して感謝された少女は、肩透かししたように戸惑う。


「ふん、分かればいいんだ。その感謝の気持ちを忘れるな。あたしは泣く女は嫌いだが、感謝できないのは人として最低だ。あたしはお前の命の恩人だ。せいぜい敬っとけ」


 そう言って照れくさそうに鼻を擦った。ディアナはすぐに頭を上げて、また見下ろした。


「次はあなたの番だよ」


「……は?」


「私もあなたを助けたでしょ。その右腕が生えたのも、マルコ様に貫かれた傷が治ったのも、私の治癒魔法のおかげ。つまり私もあなたの命の恩人でしょ?」


「なっ、てめえ」


「私は助けられたら感謝するよ。あなたはしないの? さあ早く頭を下げて。見下ろしてあげるから。感謝できないのは人として最低なんでしょ?」


 ディアナが腕を組む。


「ふざけ……! なんで……! は!?」


 ――真っ赤にして怒った顔がかわいい……!


 怖い顔で見上げる少女を見て、ディアナは主導権を握れたことに満足した。そして本題に入る。


「じゃあお礼はいいから教えて。なぜあなたは一度だけじゃなく二度も私を助けてくれたの? 顔見知りってわけでもないのに。あなたは団長様とマルコ様の命を狙ってた暗殺者なんでしょ? 私を助けることが、鬼人ヴァンパイアのあなたにとってどんなメリットがあるの?」


 ディアナは尋ねながら、答えて欲しくないとも思った。ディアナを助けるメリットを知ることはつまり、鬼人ヴァンパイアによる使を知るも同然だからだ。


 ディアナは自分自身でさえ知らなかった規格外の力を持っている。鬼人ヴァンパイア側がそれを利用するために、ディアナの人権を奪い、教育という名の残酷な拷問をしたとしてもおかしくない。


 想像して顔を青くするディアナだが、少女から返ってきた答えは意外なものだった。


「助けた理由はあたしも分からねえ。勝手に体が動いたんだ」


「えっ……何それ。あなた、怪我だらけで片腕もなかったじゃん。それなのに無意識で、命がけで私を助けてくれたって……それって」


 ディアナの頭に浮かんだのは、暗殺者を形容するにはひどく不似合いな言葉だ。


「……あなた、良い人なの?」


 少女は呆気にとられた。自分が何を言われているか分からないような顔だが、次第に意味を呑み込み、頬が赤く染まっていく。


「……良い人だあ? あたしは何十人も殺してきた暗殺者だぞ!」


 そう怒鳴るものの、ディアナにはそうとしか考えられない。もしくはだ。


「じゃあもしかして……私のことが好きなの?」


 ディアナは生粋の自信過剰だ。神学校の男子生徒も女子生徒も大半がディアナのことが好きだったし、両親から惜しみなく愛情を注がれていたので、そう思ってしまうのも仕方なかった。


「バカ! どういう思考回路してんだよ……!」


 ディアナが少女の顔を覗き込んだ。少女は後ずさりする。肌が青白いので、頬が紅潮しているのが分かりやすい。ぱっちり開いたまん丸の目が可愛いらしい。睨む顔が先程とはまるで違って見えた。


「何で照れてるの?」


「な、照れ、……照れてねえ! 自惚れるなバカ女が! ただ、あたしは任務でジェラルドを追ってこの街に来て、初めてお前を見たときに……」


「見たときに?」


 ディアナが追求する。少女はディアナを突き飛ばした。


「きゃ!」


「うるせえな! どうでもいいだろうが!」


 そう叫んだあと、思い付いたように言う。


「……そうだ! お前があたしのナイフに付与していた〈不染の嘆きイグノアグリーフ〉の効果を解除したから気になったんだ。人類ヒューマニティには解けないはずだからな。その理由が明らかになるまで、死なせたくなかった。そういうことだ!」


 ――それって、一回目のゴブリンから助けてくれたときは理由がなかったってことだよね。


 ディアナはそう思いつつも、本当に理由がなさそうなのでこれ以上は聞くのをやめた。


「イグノアなんとかって、マルコ様や団長様の傷口に施されていた、治癒魔法が効かなくなる闇属性魔法のことだよね?」


闇属性魔法それ人類ヒューマニティの分類の仕方だ。あたしら鬼人ヴァンパイアは、この能力を『鬼道きどう』と呼んでいる。あたしのナイフを生み出す〈志士爪牙パトリオット〉もその一つだ」


「鬼道……確かに、火や風魔法とあなたの魔法は全然違うもんね。その二つの能力は、一つの魔法属性として括るには幅が広すぎる。でも、なぜ私に鬼道が使えたの?」


「自分で分からないのか?」


「うん」


 少女がため息をつく。


「あたしの神出鬼没のナイフ、そして治癒不可能の毒。この二つの能力で、依頼された仕事は百発百中だった。お前のせいであたしの名に傷がついたぜ」


「あなた、名前は何て言うの? 教えて」


 ディアナの質問に、少女が鼻で笑った。


「バカ、暗殺者が名乗るわけないだろ」


「名前くらいいいでしょ。私がかわいそうだと思わないの? パパを失って、鬼人ヴァンパイアを通じて騎士団長殺人の疑いをかけられてるんだよ」


「知るか。自分の不幸な運命を呪うんだな」


 少女はそう吐き捨てた後、自身の胸に手を当てた。そして何を考えたのか、不思議そうな顔をしながら呟いた。


「……アリス。あたしの名は、アリスだ」


「えっ」


 ディアナは驚きのあまり声をあげる。自分で聞いたものの、まさか本当に教えてもらえるとは思わなかった。どんな心境の変化なのだろうか。


「そう、アリス……かわいい名前。改めて、助けてくれてありがとう。私はディアナだよ」


「……ああ」


 アリスはぶっきらぼうに頷く。気まずそうな表情だ。

 ディアナは何だかおかしくなって、つい笑ってしまった。人種も境遇も違うのに妙に親近感が湧くのが不思議だった。落ち込んでいた気分が、アリスのおかげでだいぶ晴れてきた。


「あーあ、私、これからどうなるんだろう」


「まず間違いなく騎士団に追われるな。疑いが晴れるまで、人類ヒューマニティの各国では顔を出して歩けないだろう」


「こんなに美しいディアナ様のお顔を見られないなんて、不幸な人たち」


「自分で言うなよ」


「でも一人じゃないからまだマシかも。アリスがいるから」


「は?」


 ディアナはアリスの手を握った。


「どうすれば私の疑いが晴れるのか一緒に考えてよ。私が犯罪者のままじゃママが泣いちゃうもん。パパが亡くなったうえ、娘はお尋ね者だなんて最悪でしょ」


 ディアナの上目遣いに、アリスは口を開けて呆れた。


「何度も言うが、あたしは暗殺者だぞ。なんで当たり前みたいに助けてもらえると思ってるんだ」


「だって命がけで私を助けてくれたから。アリスは良い人でしょ?」


「一時の気の迷いだ。あたしはもう行くぜ」


「待ってよ。一人になったら捕まっちゃうじゃん」


「お前がどうなろうと知ったことじゃない」


「じゃあ騎士団にアリスの名前と能力、教えちゃおうかなあ……」


 アリスの顔色が変わる。ディアナはにんまりと笑った。


「くそ女め……疑いを晴らす必要なんて無いだろ。お前の力で騎士団をぶっ潰せばいい」


「ダメだよ。全員が救われる結果にならないと。それにクラリスの就職先が無くなっちゃう」


「全員が救われることなんてない。いつだって犠牲は出る」


「私は全てを救うって決めたの。それが私の正義。私ならできる」


 ディアナは胸を張った。堂々と言い放つ姿に、アリスは本日何度目かのため息をついた。


「……ったく、困った女神様だ」


「ふふっ、アリスにも私が女神様に見えるの?」


 ディアナが聞き返すと、アリスははっとして自分の口を押さえた。


 ディアナは神学校で「まるで女神様のようだ」と耳にタコができるほど言われた。言われ慣れていたので何とも思わなかったが、アリスの方は自分がなぜそんな発言をしたのか分からず、不思議そうにしていた。


 二人は口論しながら、街とは反対の方向に歩き出した。




 ほどなくして、騎士団により、ディアナとアリスの人相書きが人類ヒューマニティの各国に出回った。二人の情報に多額の懸賞金が掛けられた。


 ところが、ノタの街の住人がそれを知ることはなかった。その頃にはもうノタの街は地図から消えていたからだ。

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