第24話 かわいそうなディアナ
ディアナは目にたまる涙を指先で荒々しく拭った。
目を疑うような奇跡が次々と起こったが、それでもなおバルクレイが生き返ることはなかった。
やがて、ディアナの全身に灯っていた光が消えた。それと同時に地震が止む。宙に浮いていた岩が一斉に落下した。いたる方向から吹いていた突風も、そよ風に変わった。
火柱も消えたが、森の木々に延焼してしまったので、火だけは残っている。
ディアナは虚脱感に襲われ、膝をついた。焼け野原だった大地はいつのまにか色とりどりの花が咲き誇る美しい花畑になっているが、やがて燃え広がる火に焼かれるだろう。
「化け物め……!」
マルコが剣を構えた。彼は激しい揺れの中、一度も体勢を崩さなかった。先程までのディアナが憎くて仕方ないという視線に畏怖の色が混じっている。
ディアナは何の反論もできなかった。確かに魔法を使った感覚がある。現在進行形で襲われている虚脱感も魔力切れしたときと全く同じだ。立て続けに起きた数々の事象はディアナ自身が起こした。それは間違いない。これを化け物と言わず何と言うのだ。
「私は……」
ディアナが口を開いて、閉じた。ただみんなを救いたいだけなのに、化け物と罵られているのが辛かった。何か否定の言葉を続けたかったが、その間もなく強い力に拘束された。
「逃げるぞ!」
鬼人の少女の肩に担ぎ上げられていた。満身創痍だった彼女は、ディアナの治癒魔法によって万全の状態まで回復している。
少女は街の北門に向かって、燃える木々の合間を縫って走り出した。
「逃がすか!」
すかさずマルコが追う。ディアナに逃げるつもりはなく、すぐ弁解しようとした。
「ち、違います。私は……」
そうしてマルコに右手を向けた。するとマルコは過剰に反応し、大きく飛び退いた。まるで獣と遭遇してしまった狩人のようにディアナを警戒している。先程の光景を見たなら無理もない。
ディアナは口をつぐんだ。何と言えばいいか分からない。
暗殺者である少女を治癒してしまったし、マルコには騎士団長殺しの疑いもかけられている。ディアナは間違いなく重い罪に問われるだろう。
追い縋るマルコに向かって、少女が数十本のナイフを撃ち出した。
「くっ!」
それらは叩き落とされるも、みるみる二人とマルコの距離が離れていく。少女の魔法はナイフを出す位置と撃ち出す方向が自由自在だ。攻撃のために後ろを振り向く必要がないので、追ってくる敵を追い払うのに向いている。
「ねえ待って! どこに行くつもり?」
少女の肩の上でディアナが暴れた。しかし魔力切れで全身脱力状態なので、弱々しい抵抗しかできない。少女はディアナを強く押さえ込み、声を張り上げた。
「うるせえ! 動くんじゃねえ!」
およそ十分後、ディアナと少女は森を抜け、北門に出た。街には入らずに街道を突っ走る。
マルコはそこで追走をやめた。逃げに徹する少女相手に、ディアナを警戒しながらでは追いつくのは難しいと判断したようだ。
「……くそっ!」
マルコの叫び声が響いた。
森に残されたクラリスは、足がすくんで身動きが取れずにいた。目の前の木が燃えていて、焼け落ちた枝がクラリスのすぐ横に落ちた。まもなく大規模な森火事になるだろう。その前に逃げなければいけない。
神学校史上最高の才女、ディアナ・ヴァージニアスはとんだ化物だった。
その力は、先程までの鬼人の少女とマルコの戦いがお遊びに見えてしまうほどだ。こんな力、騎士団でも抗えない。
ディアナさえいれば戦場に騎士も魔法使いも必要ない。天変地異を引き起こして、全部消してしまえばいいのだから。
辺り一帯に煙が漂っている。肌が焼けるように熱い。クラリスは震える足に力を込め、森から出るために立ち上がった。
念のためバルクレイの元に向かった。遠目から薄々気付いていたが、やはり彼は息絶えていた。
「バルクレイさん……」
クラリスは込み上げる涙を拭う。接した時間はごく僅かだが、彼のことは一生忘れないだろう。理想の父親だった。彼が愛した家族へ届ける遺品として、バルクレイのシャツ襟にある騎士のバッチを外し、ポケットにしまう。胸の前で十字を切って祈った。
次にジェラルドの確認に向かった。ディアナが宙に浮かせた大岩のひとつが、不運にも彼の足の上に落下している。バルクレイと同じく血だらけだったので、ジェラルドも死んでいると思った。
「わっ! 生きて……いや、気がついていたんですか?」
顔を覗き込んだクラリスが、驚きのあまり大声で言った。ジェラルドは何事もないような真顔で返事した。
「意識はかなり前から戻ってた。死にかけていたが驚くほど元気だ。どうやらディアナの魔法で治癒されたらしい。……信じられないことだが」
クラリスはジェラルドの足の上に乗る岩をどかそうと肩で押した。びくともしない。
「ま、待っててください。急いで人を呼んで来ます!」
クラリスがそう言って走り出そうとする。ジェラルドは落ち着いた声で止めた。
「いや、いい。これくらいの岩、どかそうと思えばいつでもどかせる。それよりお前、治療院にいたディアナの友達だよな?」
「え……はい、そうです」
「ちょっと話せるか? すぐ終わる」
クラリスは周囲を見た。もうかなり燃え広がっている。一刻も早く脱出しなければならない。しかし、ジェラルドの表情があまりに切実だった。
「はい、分かりました」
クラリスはジェラルドの横に膝をつく。
「助かるぜ」
ジェラルドはそう言うと、両手を地面につけて詠唱した。木々が道を作るように左右に割れていった。百メートルほど先に街の防壁が見える。少し先には北門があるはずの場所だ。逃げるルートを確保したのだ。
「これでいいな。……俺はジェラルドだ。騎士団長をしている」
「私はクラリス・パーシバルと申します」
「クラリス、まず〈風刃〉でマルコの援護をしてくれたな。感謝する」
「いえ、私は別に……」
平時なら騎士団長に名前を覚えられ、感謝されるなんて身に余る光栄だが、クラリスは不可解でそれどころじゃなかった。なぜこんな話を今するのだろう。さっさと岩をどうにかして、安全な場所ですればいいのに。
「マルコに伝えてほしい。騎士団はディアナに手を出すな。あれは人の手には負えない。無理に捕まえようとすれば大きな被害を出すだろう」
ジェラルドは上体を起こす。自身の足に乗った岩に触れがら、続けた。
「そして、マルコに『騎士を辞めろ』と伝えてくれ。俺の遺言だ」
「え? それってどういう……?」
クラリスは狼狽えた。すぐに理解ができなかった。
「俺はもう、このまま死ぬ。最初からそのつもりだった。……以上だ。もう良いぜ、クラリス。早く一人で逃げてくれ」
クラリスは何度も瞬きした。周囲が熱過ぎて、目が乾いている。喉もカラカラだ。
「そんな、団長様を残して逃げるなんてできません」
「俺は生きるのに疲れた。長年戦場で肩を並べて戦ったバルクレイをこの手で殺した。もうこんなこと、やめたいんだ。でも俺だけのうのうと生きるわけにはいかないだろ。だからこうするしかない」
クラリスは振り返ってバルクレイの亡骸を見た。すぐに視線を戻す。
――やっぱりバルクレイさんを殺したのは、団長様だったんだ。
十中八九そうだろうとは思っていたが、真実を知ると途端に怒りが込み上げてくる。クラリスは思わず尋ねた。
「あの、何で二人を殺そうとしたんですか?」
「ディアナが危険な力を持っているからだ。お前もその目で見ただろう。そしてディアナを殺せば間違いなくバルクレイは仇討ちをする。だから二人まとめて殺したかった」
ジェラルドは淡々と言った。彼の言動から、今まで同じようなことを何度も繰り返しているのが分かった。
ジェラルドは大きくため息をつくと、再び横になった。空を見上げて言った。
「何も解決してねえが、もう
そうして目を閉じる。クラリスは立ち上がった。
「……分かりました。マルコ様にお伝えします」
「頼んだぜ」
クラリスは振り返ることなく走った。その何十数秒かの間に、さまざまなことを考えた。
クラリスが森を出ると、すぐそこにマルコが立っていた。街道の先を睨みつけている。ディアナと
「君は……」
マルコがクラリスに気付く。クラリスは頭を下げた。
「マルコ様、私はクラリス・パーシバルと申します」
「そうですか。先程は魔法で助けて頂いてありがとうございます」
「いえ。お礼の言葉は、すでに団長様からいただきました」
そう言ったクラリスを見るマルコの顔が、みるみる変わっていく。
「つまり……父上は生きていたのですか!?」
「はい」
マルコが燃え盛る森に飛び込もうとした。それをクラリスが制する。
「お待ちください! 団長様は瀕死の状態でかろうじて生きておりましたが、もう亡くなってしまわれました! 私が遺言を預かっております」
「なんてことだ……! 私が早くディアナたちを仕留めて、確認できていれば……!」
マルコは眉間に深いシワを作り、歯を食いしばった。しばらく森を睨みつけ、深く息を吐いた。
「……クラリス、遺言の内容を教えてください」
――さすが騎士様だ。父親の死から、すぐに切り替えた。
クラリスは感心しながら、唾をのんだ。
足が震えている。
それをマルコに悟られないように、クラリスは落ち着いた声色で、穏やかな表情を作って伝えた。
「団長様の最期のお言葉、それは……『騎士団の総力を上げてディアナを討ち取れ。それができるのは我が息子マルコ、お前しかいない』。とのことでした」
「……っ!」
マルコは強く拳を握り締めた。そのまま自身の両拳を体の前でぶつけ合う。ゴツッ、という鈍い音が響いた。唇を噛み締めすぎて血が垂れている。
「あの父上が……。いつまでも私を認めてくれなかった父上が」
うつむきながら呟いた後、大きく息を吸い込んで、燃え盛る炎に向かって声を張り上げた。
「父上――っ!! あなたの無念はこの私が晴らしてみせます! 騎士の誇りにかけて! 遺言通り、絶対にディアナを捕まえ、その首を討ち取ってみせます!!」
マルコの決意の叫びは、火に包まれる森から噴き上げた煙と熱風にかき消されたものの、クラリスの心には強く残った。
息を荒らげるマルコに、クラリスが言った。
「マルコ様。私を騎士団に入れてくれませんか?」
「騎士団に……あなたが?」
「私、ディアナの友人なんです。彼女の行動や考え方はよく知っています。ディアナを探し出すのに助けになると思います。それに、鬼人と手を組んで団長様の命を奪ったディアナを許せません。マルコ様と、同じように」
クラリスはまっすぐマルコの目を見据えた。マルコはしばし逡巡したが、やがて目頭を押さえて言った。
「あなたの決意は伝わりました。ディアナの魔法を〈
マルコが手を差し出す。クラリスはその手を握り返した。
――ディアナは全てを救いたいんだよね。やっぱりディアナは私とは違う。私が救いたいのはディアナだけ。たった一人だけだから。
クラリスは先程の光景を思い出す。森を火の渦に包み、地震を引き起こし、岩を浮かすほどの風を生み出して、欠損を瞬く間に治癒した。四属性の大魔法を無詠唱で、全て同時に行使した。ディアナの力は異常だ。
だから鬼人に利用されて、あの悍ましい力をこの国に向けて罪を重ねる前に、クラリスの手でディアナを見つけ出し、楽にしてあげたい。
そのためなら、ジェラルドの遺言を捻じ曲げて、マルコの純粋な想いすらも利用する。
クラリスの中で燃え盛っていた嫉妬の炎。身を焦すほど苦しかったあの感情は、今はもう綺麗さっぱり無くなっている。なぜなら、ディアナが賞賛されることはもう二度と無いからだ。
全てを持っていたディアナは父を失い、犯罪者となった。一方で、クラリスは騎士団に入り、次期団長のマルコに取り入った。クラリスは入学以来からの夢だった母親への復讐を達成したが、そんなことはどうでも良かった。新たに目標ができたからだ。
それは
――私の手でかわいそうなディアナを殺して、救ってあげる。
穏やかなクラリスの心の内とは対照的に、彼女の横で、現実の炎が雄叫びをあげながら森を焼いていた。
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