第23話 全てを救いたい

 クラリスは頭が真っ白だった。木の幹を支えにしていないと今にも膝から崩れ落ちてしまう。鳴り響く剣戟の音が片耳から入り、脳を経由せずにもう片方の耳から出て行く。


 ――バルクレイさん、全然動かない。まるで……。


 横たわるバルクレイを見て不幸な現実がクラリスの脳裏をよぎる。血だらけの彼は安らかな表情で眠っているが、胸は一切上下していない。人は寝ているとき、こんなにも微動だにしないものだろうか。


 さらにその横に倒れているジェラルドの巨体に視線を移す。鮮血に染まった蔓が全身に巻き付いている。口を大きく開け、白眼を剥いている。


 ――あの人は、ディアナが騎士団長だと言っていた人だ。


 クラリスから見たら二人とも死んでいるように見える。ぴくりともしないし、血の量が尋常ではなく、バルクレイに至っては片腕が無い。


 ――でも、ディアナがいれば大丈夫でしょ? だってディアナは、治癒魔法士すら匙を投げた治癒を成し遂げたんだから。


 クラリスは動揺する自分を落ち着けるように言い聞かす。結局ディアナが何とかするに違いない。いつもそうだった。


 そして理解しがたいことに、鬼人ヴァンパイアの少女がディアナを守り、マルコと戦っている。


  鬼人ヴァンパイア人類ヒューマニティにとって過去に大きな戦争をした因縁の相手であることは常識だ。つまりこの状況だけを見れば、敵国の者とディアナが繋がっているということになる。


 単純に考えたら騎士であるマルコが正しい。騎士団は国民を守る正義の組織。ということはディアナが悪だ。なぜなら、正義の敵は悪なのだから。


 そう頭では分かっているのに、体は別の反応をする。クラリスはみぞおちをさすった。


 マルコがディアナに体当たりしたとき、クラリスは自分がやられたように痛かった。


 ――私は、ディアナを信じたい。


 ディアナとは四年間共に過ごした。悪いことはできない根っからの優等生だ。腹黒い面はあっても人の道を外れるようなことはしない。もし悪いことをしたとしても事情があるはずだ。


 ――さっき、マルコ様が私に殺意を向けたとき、ディアナが「あの子は関係ない」と言った。あれは私を守るためだ。私だけはディアナを信じなきゃいけない。


 クラリスは足に力を込め、一歩を踏み出した。ディアナと話がしたかった。事情を聞きたい。ディアナが苦渋の決断をするなら、一緒に悩んで手助けをしたい。苦しみを共に分かち合いたい。


 そう思った矢先、ディアナがマルコと鬼人ヴァンパイアの少女に手を向けたのが見えた。


「あれは……!」


 クラリスがディアナの意図を読めたのは、彼女が長い時間を共に過ごした親友であり、がクラリスの得意魔法だったからだ。


「駆ける天馬の嘶きを、風の囁きに重ね奏でよ!〈風刃フウジン〉!」


 ディアナが放った風の刃が、地を這う軌道で向かう。ディアナはついに自国の騎士に向かって攻撃魔法を放ったのだ。


 しかし、ディアナの魔法はマルコの手前で霧散する。


「クラリス……!?」


 ディアナがクラリスを見て目を丸くした。ディアナの〈風刃〉は、彼女より僅かに早く放ったクラリスの〈風刃〉によって、空中で相殺された。


「ごめんディアナ、でも……!」


 クラリスの行動は反射に近かった。たとえどんな事情があったとしても、ディアナが直接マルコを傷つけたらもう取り返しがつかない。気の迷いで済む話ではない。ここは明確な一線だと思った。


 マルコと少女の体の近くで激しい突風が吹き荒れる。マルコは斬り合いの最中、クラリスに叫んだ。


「助かりました!」


 マルコはクラリスが手助けをしてくれたと解釈したようだ。クラリスとしてはむしろディアナを助けたつもりだが、マルコに礼を言われたら、まるでディアナと敵対したように見えてしまう。


「違うのディアナ、私は……」


 クラリスがまた一歩を踏み出した。怪訝な顔をするディアナに説明したかった。


 その瞬間、クラリスの眼前で空間が歪む。目の前に漆黒のナイフが現れた。


 鬼人ヴァンパイアの少女による闇魔法だ。ナイフはクラリスの左頬をかすめ、背後の木に突き刺さった。


「……っ」


 クラリスは少女に睨まれ、足がすくんで動けなくなった。何人も殺めてきたような冷たい視線だった。頬から一筋の血が垂れる。


 ――マルコ様に味方だと思われたせいで、あの子に敵だと判断されたんだ。


 クラリスの意図とは裏腹に、構図は二対二となる。ディアナと鬼人ヴァンパイアの少女、クラリスとマルコだ。


 マルコと少女の剣戟はマルコが優勢だ。少女は右腕が無く、満身創痍で動きに精彩が無い。


 ――どうしよう。マルコ様があの子を倒したら、次はディアナを狙うはず。


 マルコはディアナがジェラルドを殺したと思っているようだった。


 クラリスはディアナがそんなことをするわけがないと確信しているが、ジェラルドに巻き付いている蔓をディアナが操り、マルコも拘束しようとしたのはこの目ではっきりと見た。


 ――万が一ディアナが団長様を殺したとしたら、なんのために? そんなことしたら、ディアナは。


 国家反逆は重罪だ。斬首は免れない。神学校の一年生でも分かることだ。


 ――ディアナが、犯罪者? あの天才で優等生で、私に無いものを全て持ってるディアナが? あり得ない。でも、もしそうだとしたら。


 そう考えたとき、クラリスの中でとある感情が蠢いた。腹の底がチリチリと焦げるような感覚だった。


 ディアナは唯一無二の親友だ。ディアナもそう思っているはずだと確信している。これは二人が共通して感じている想いだ。


 ところがクラリスは抱いていて、ディアナはそうではない、がある。


 ――もし、ディアナが犯罪者となって、今まで築き上げてきた人望も、評価も、輝かしい将来も、全てを失ってしまったら。


 それは、嫉妬だ。


 ――もしディアナがどん底に落ちたら、私を羨ましいと思ってくれるのかな……?

 





 ディアナが放った〈風刃〉がクラリスに撃ち落とされた。ディアナが真っ先に抱いたのは尊敬だ。


 ――やっぱりクラリスの風魔法は一流だ。発動スピードと命中率が優れてないと相殺なんてできない。私には無理だ。


 もしバルクレイとジェラルドの戦いの際、一緒にいたのがクラリスだったら援護できたのかもしれない。そうなっていたら、バルクレイは死ななかった。


 ――強いクラリスが羨ましい。


 ディアナは悔しくて泣きそうになる。眉をしかめて必死にこらえた。


 その直後、決定的な場面が訪れた。


「はああっ!」


 マルコの気迫のこもった鋭い一閃に、鬼人ヴァンパイアの少女が体勢を崩した。少女の左肩から右腰にかけて、袈裟斬りの深い傷を負う。


「……っ!」


 彼女はたまらず後ろに飛んで距離をとった。よろよろと後退し、ディアナの目の前で立ち止まると、がくんと膝の力が抜けたように座り込む。


「大丈夫!?」


 ディアナは彼女に尋ねた。見るからに大丈夫ではない。自分でしておきながら馬鹿な質問だと思った。


「当たり前だ。素人は黙ってろ。……ったく、何であたしがこんなことを」


 少女はおびただしい量の血を流している。目は虚ろだ。隙だらけの彼女に、マルコはすかさず追撃をかける。


「とどめだ!」


 マルコの大剣が少女の胸に突き刺さった。


 背中から噴き出す血が、ディアナの全身に飛び散った。


「……かはっ」


 少女が吐血する。


 ディアナは自分の顔にかかった血を拭うこともせず、放心した。


 自分を守るために戦った人の体に、剣が貫通する姿。バルクレイの死の瞬間と重なる。


 この少女もディアナを守るために死んでしまう。愛する父と同じく、ディアナにはどうすることもできないまま。


 ――また止められなかった。


 ディアナには何もできない。神学校史上最高の才女ともてはやされていながら、無力そのものだ。


 ――……いや、違う!


 しかし、バルクレイのときとは違うことに気付く。


 今のディアナは蔓に拘束されていない。あのときは動けなかったが、今は自由だ。


 正義とは何か。それは分からない。


 けれど、目の前で人を見殺しにしたくない。できない。助けたい。救いたい。


 それは考えて出した結論ではなく、本能に刻まれた感情だった。


 そしてそれこそが、ディアナの芯となり、正義となった。


「もうやめて!」


 ディアナが叫んだ。同時に、地面がぐらりと揺れる。


「きゃっ!」


 クラリスが尻もちをついた。


「何事だ!?」


 マルコは少女の体から剣を引き抜き、腰を落として踏み止まる。


「ぐっ……」


 少女は揺れる大地にうつ伏せに倒れた。地鳴りと共に、立っていられないほど大きな地震が起きている。


 その中心で、ディアナの体がうっすらと光っていた。銀髪を逆立て、地震の影響を受けずに悠然と立っている。


 ――これは、私の魔力?


 ディアナの全身から魔力が溢れるように漏れている。魔法を発動しているような感覚だった。


 周囲の至るところに地割れが起き、裂け目から大きな岩石がいくつも飛び出した。チリチリと空気が焦げる音がした。吹き荒れる風で木の葉が舞う。嵐の中にいるようだ。


「これは一体何の魔法だ!? 属性が無茶苦茶だ! それに、魔力が可視化できるほどの濃度なんて……!」


 マルコは地面に剣を突き立て、何とか立ち続けている。


 ディアナは夢の中にいるような気がした。たまに見る、遠い昔に別人として生きていたような夢。目覚めるとほとんど覚えていない記憶。


「私は……」


 ディアナが呟く。突然、炎の柱が地表から噴き出た。乾いた突風が火の粉の飛沫を舞わせる。焼け野原に草花が生え始めた。


 この世のものとは思えない光景が広がる。


 その中心で、ディアナは叫んだ。


「私は目の前の人、全員を助けたい! 例えそれが敵でも、全てを救いたい!」


 様々な人がいて複雑な事情がある。でも見殺しにはしない。全員漏れなく助ける。その力がないなら、血反吐を吐いてでも身に付ける。


 ディアナは心の真ん中に、彼女なりの正義の在り方を打ち立てた。


 倒れている鬼人ヴァンパイアの少女の体をまばゆい光が包む。すると失われていた右腕が、包帯を突き破って伸びてきた。


「治った……!?」


 少女は上体を起こし、貫通していた胸をさすった。その傷も全て塞がっている。現象の説明はつかないが、類を見ないほど高度な治癒魔法が行使されたようだ。


 その光は気絶しているジェラルドにも灯っている。クラリスの頬のかすり傷も瞬く間に塞がった。


 ディアナは期待してバルクレイを見た。しかし、彼の体が光ることは無かった。

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