第22話 ディアナの選択
マルコはジェラルドの土魔法〈
「父上――!」
ジェラルドは真っ赤な血に染まった蔓に全身を締め上げられている。白目を剥き、意識がない。その横でディアナがバルクレイの肩を担ぎ、立ち上がろうとしている。辺りにはいくつもの岩や植物が散乱し、焦げ臭い。火や土魔法によるものだ。
つまりこの三人は、ここで一戦を交えたのだ。この状態を見ればよほどの死闘であったことは想像に難くない。
そして、ディアナのみが立っているという結果がある。
マルコの脳裏に、ジェラルドの書き置きが浮かぶ。
『俺のことは探すな。お前は騎士を辞めろ』
――父上は死ぬ気だったのだ。
倒れているジェラルドに巻きついている
――まさか、〈玉樹牢獄〉を使った父上が殺されたなんて! いやしかし、バルクレイ殿とディアナが連携したのなら……!
実際に自分が体感したバルクレイの強さ、森の形を変えるほどのディアナの凶悪な魔法。それらが揃えばジェラルドを討ち取るのも不可能じゃない。この二人が手を組んだら、鬼人の暗殺者よりよっぽど脅威だ。
「ディアナ――!」
マルコは瞬時に、ディアナとバルクレイによってジェラルドが殺されてしまった、と判断した。ディアナに防御体勢を取る間も与えず、マルコは走る勢いのまま無防備なディアナに体当たりした。
森の茂みから飛び出したマルコを見てディアナが真っ先に考えたのは、「マルコは敵か? それとも味方か?」だった。
「……うっ!」
その答えはマルコの行動によって出された。マルコは猛スピードで突進してきて、彼の肩がディアナのみぞおちに直撃する。
ディアナはバルクレイを手離して十メートル近く後ろに転がった。あまりの痛さにお腹を押さえて悶絶した。
「……うえっ」
思わず嘔吐する。嘔吐自体も、こんなに強い痛みも生まれて初めての経験だった。血に混じって今朝食べたものが半固形となって焦げた大地に散った。
「マルコさ……う……っ」
ディアナは地面にうつ伏せになりながら首だけを上げる。息ができない。視界が揺れている。ダメージで動くこともできない。
――マルコ様も、団長様みたいに私を殺そうとしているんだ。
ディアナはとっさに蔓を操って足止めしようとした。しかし痛みで意識が定まらないため、二、三本の蔓がマルコの足に弱々しく張りついた程度だった。
「これで……これで父上を殺したのか!」
マルコが蔓を蹴り上げる。落ちていたジェラルドの大剣を拾い上げ、べっとりついているバルクレイの血を振って払った。
マルコの手が怒りで震えている。殺気に満ちた表情は、今にもディアナを真っ二つにしようとしている。
――違います。団長様はまだ生きています。それに最初に殺そうとしたのはそちらで、私やパパは正当防衛だったんです。
ディアナはそう言いたいのに、言葉の代わりに出るのは荒い息と胃液だけだ。
マルコは鬼のような形相で一歩、また一歩と近付いてくる。横たわるディアナを見下ろす彼の瞳が、うっすらと涙で濡れていることに気付いた。
勘違いとはいえ、マルコは父の仇討ちという大義を背負っている。自分の正義を信じて疑わない瞳を見ていると、何だかどうでもよくなってくる。
――声が出ないから弁解できない。体が動かないしすごく痛い。パパも治らないし、なんか、もう……。
ディアナは、自分の身体から急速に熱が抜けていくのを感じた。ゴブリンに襲われて死にかけたときを思い出す。あのときはまだクラリスを守るという理由があった。しかし、今のディアナには守るべきものがない。死にたくない以外に、生きる理由がないのだ。
そうして、ディアナが諦めかけた瞬間だった。
マルコに向かってナイフが飛んできた。マルコが剣で弾くと、金属同士がぶつかる高音が鳴り響いた。
ディアナの目の前の地面に、そのナイフが突き刺さる。ゴブリンに殺されかけたときに窮地を救ってくれた、あの漆黒のナイフと瓜二つだ。
「このナイフは! くそっ! こんなときに……!」
マルコが叫ぶ。大剣を中段に構え、機敏に首を動かして周囲を警戒する。
やがてマルコとディアナの間に、全身黒づくめの少女が着地した。
ほつれたローブがバサバサとなびいている。マルコが叫んだ。
「なぜ貴様がディアナを守るのだ!?」
小さな背中だった。
身長は百四十センチほど。真っ先にディアナの目についたのは、
「なぜかって……?」
呼吸が苦しいのか、少女は搾り出すように声を出す。
「……そんなの、あたしが聞きてえんだよ!」
叫ぶと同時に、少女の体の左右の空間が黒く
「え?」
ディアナは自分の目を疑った。ディアナの目の前に突き刺さっているナイフと全く同じ色形のそれらは、二本ともマルコに向かって鋭く飛んで行く。マルコは極めて冷静に大剣で叩き落とした。まるでこの現象を事前に知っていたかのようだ。
――あれは、魔法? 有機物を生み出す
ディアナは魔法そのものにも面食らったが、何より不思議なのは、全く面識のない
それも一度だけじゃない。ゴブリンのときと、今回。どちらもディアナの絶対絶命の瞬間だった。
ディアナは大いに混乱した。ただでさえ分からないことばかりなのに、次から次へといろんなことが起こっていく。
「舐めるな!」
マルコは大剣を巧みに操り、周囲に現れるナイフを漏れなく叩き落とす。その
「父上でなく私になら勝てると思いましたか? みくびらないでもらいたい!」
少女が下がって距離を取る。二人は動きを止め、睨み合いになった。マルコがディアナを一瞥する。
「まさか、ディアナが鬼人の暗殺者と繋がっていたなんて。だから、父上は命がけで挑んで……」
整理するかのように独り言を呟くマルコだが、ディアナには思い当たる節が無さすぎて困惑する。この少女が例の
少女の全身の包帯に血が滲んでいる。満身創痍で、素人目に見ても少女が不利だ。このままでは負けてしまう。
――きっと団長様たちに返り討ちにされたときについた傷だ。鬼人が街の治療院なんか入れるわけないから、応急処置しかしてないんだ。
ディアナは次第に息が整い、声が出せるようになったので、かすれた声で詠唱した。
「真実の法則に基づき、傷を癒したまえ。〈
マルコの体当たりで損傷した胃を治癒する。痛みがおさまり、立ち上がることができた。
今ならジェラルドを殺していないと弁明できるが、鬼人の少女の仲間だと思われている以上、聞く耳を持ってはくれないだろう。
むしろ気絶しているジェラルドを起こされ、マルコとジェラルドの二人がかりで攻められたらひとたまりもない。ジェラルドが生きていることを知られてはいけない。
「はあっ!」
「ちっ!」
そうしている間に、マルコと少女は戦いを再開していた。
少女は闇魔法のおかげで手数だけは上回っているが、マルコの鉄壁の防御の前ではいかんせん決定力不足だ。マルコが攻めに転じれば早々に決着がつく。
マルコが攻めを躊躇している理由はただ一つ。ディアナの存在だ。
マルコはディアナを警戒している。その証拠に、少女の攻撃を捌きながら、度々ディアナと目を合わせている。
マルコはディアナとバルクレイが連携してジェラルドを殺したと思っているようで、ディアナが魔法で遠距離から援護する可能性を念頭に置いているのだ。
一方、少女は無防備に背中を向けている。一対一で劣っているので、マルコに集中せざるを得ないようだ。
つまり、もしディアナが少女に向かって魔法を放てば、いとも簡単に大怪我を負わせられる。瞬く間に決着だ。
彼女はジェラルドとマルコを殺そうとした
しかし、今はこうして身を呈してディアナを守ってくれている。今だけではなく、ゴブリンに囲まれたときも命を救われた。
――頭がこんがらがって爆発しそう。私はどうすればいいの?
そんな中、さらにディアナの状況を複雑化させる要素が増える。剣戟の最中、マルコが茂みに向かって叫んだ。
「……そこの君! 早く逃げるか、衛兵を呼ぶかしてくれませんか!」
その呼びかけに反応したのか、遠くから雑草を踏みしめる靴の音がした。
ディアナと少女がその音の場所に目を向ける。今まで気付かなかったが、数十メートル先の木の幹に寄り添うようにクラリスが立っていた。
「……っ!」
クラリスは返事できずに目を泳がせている。
「クラリス!」
ディアナが呼ぶ。クラリスはびくっと震えて一歩下がった。
「ディアナ……」
クラリスは首を小さく横に振った。ディアナ、マルコ、
「ちっ、ディアナの仲間だったか!」
マルコは失敗したというふうにクラリスを睨みつけた。脳内でクラリスをディアナの陣営に加えたのだ。これでマルコの中では一対三になった。
騎士であるマルコに急に敵として認定され、殺意を向けられたクラリスは立っているのがやっとだ。木を支えにしないと立てないほど足が震えている。
「あの子は関係ない! 知り合いじゃない!」
ディアナが叫んだ。こんな非常事態なのに、クラリスが仲間だと思われたら騎士団に入れなくなる、と彼女の将来を心配した。
「……ふん。真相がどうであろうと、
マルコは少女に向かって突進した。リスクを受容し、ディアナに割いていた意識を最低限まで減らした。
それによってマルコの攻撃の鋭さが増す。少女は何とか決定打を避けているが、今この瞬間、即死の一撃を喰らってもおかしくない。
ディアナは拳を握りしめた。年下の傷だらけの女の子が、自分のために戦ってくれている。
――あの子が私を助けてくれてるのに、私はあの子を助けてあげないの? このまま、あの子が殺されるのを黙って見てるの?
何度も自問する。
――でも、もしあの子を助けたらもう言い訳できない。私は
少女を助けるか、助けないか。目の前にその二択がある。この決定がディアナの立場を左右する。
何が正義かは分からない。それを考え始めたのは最近だ。流されるままに生きてきたディアナには、迷ったときの指針となる芯がまだ無い。
だから彼女は立場や常識、社会通念などではなく、自分の素直な心に従った。
ディアナは斬り合う二人に手を向け、詠唱した。
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