第21話 名前を呼ぶ

 クラリスはディアナに言われた通り北門に来てみたものの、付近には誰もいない。静かさの中、自身の荒い息遣いだけが聞こえる。


「……ディアナー?」


 うろうろしながら小声で呼んでみた。返事は無い。来いと言ったディアナがいないのもおかしいが、門が開放されているのに門番がいないことも不自然だ。


 クラリスは門の外の街道に出た。すると一頭引きの馬車あった。馬のすぐ横には、地面から森に向かって斜め上に伸びる鋭利な木の根のようなものが生えている。


「な、何これ」


 舗装された石畳を突き破って地中から飛び出た不自然な根は、一目で魔法によるものだと分かった。それが指し示す北の森を見ると、木々が連なる森の上に、緑色の何かが突き出ている。上空でアーチ状に繋がり、まるで巨大な鳥かごのように見えた。


 クラリスとディアナがゴブリンに襲われ、ディアナの魔法で焼け野原となった辺りだった。


 見たことのない光景にクラリスは後ずさりした。やがて街の方から足音が迫ってきた。振り向くと、マルコが立ち止まったところだった。


 クラリスと直接の面識は無いが、昨日ディアナが治癒を手伝った騎士なので顔は知っている。起きたばかりのような格好だった。


 マルコはクラリスの顔を確認した直後、すぐに森の木々より上に突き出ている鳥かごに目を移した。


「あれは父上の……」


 そう呟いた瞬間、鳥かごが火を上げて燃え始めた。


「火魔法! まさか、ディアナか!」


 紅の炎とは対照的に、マルコは顔を真っ青にして叫ぶ。森に向かって走り出した。


 クラリスは何が何だか分からなかったが、とにかく森を進むマルコを追った。





「きゃっ!」


 ディアナが悲鳴をあげた。レベル六の火魔法〈華炎弁カエンベン〉で蔓の牢に穴を開けた。それまでは良かった。


 その穴を潜ろうとしたら、急に地中から生えた根がディアナの両足に絡みついたのだ。さらに燃える蔓が一斉にディアナに巻きつき、身体を拘束された。


「あ、熱っ!」


 ディアナの火魔法のせいで熱を持った蔓。結果的にはそのおかげで瞬時に締め殺されずに済んだのだが、ディアナはそのことを知らない。


「……うえっ」


 ディアナは地面に倒れ込む。じわじわと締め上げられ、呼吸できない。肩から足までぐるぐる巻きの姿は蓑虫のようだ。


「ディアナ!」


 気を失いそうな中、バルクレイの声が聞こえた。ディアナは目の前に現れた彼を見て、驚きのあまり叫びそうになる。バルクレイは左肘から先が無く、血がどろどろと垂れていた。


「……パ……パパ」


 早く治癒魔法で治さないと。そう思いながらも体は動かない。バルクレイは右手だけでディアナに巻き付く蔓をむしり取ろうとするが、うまくいかない。

 そして、ディアナの視界にバルクレイの背後に迫るジェラルドが映った。


「う……、後……ろ」


 バルクレイはディアナを見下ろしたまま微笑んだ。


 次の瞬間、彼の背中から大剣の剣先が胸を貫いた。


「……かはっ」


 バルクレイが吐血した。おびただしい量の血が、ディアナを締め上げている蔓に降りかかる。


 バルクレイは刺されてもなお右手を動かし続ける。しかし、もはや一本の蔓も掴めていない。


 背後に立つジェラルドは無表情で、弱々しく動くバルクレイの後頭部を見下ろしている。最期の瞬間を看取るかのように。


 ディアナは目の前が真っ暗になった。


 ――パパ……、パパが、嘘。……嘘だよね?


 バルクレイは心臓を貫かれている。間違いなく致命傷だ。そして次はディアナだ。バルクレイと同じように、大剣で胸を貫かれるだろう。なぜ殺されるのかも分からないまま。





 ――これはさすがに死んだな。


 バルクレイそう思いながら、目の前で顔を真っ青にしながら蔓に締め付けられるディアナを見下ろした。


 愛する娘の苦痛に歪む顔は見るに耐えない。早く全ての蔓を剥ぎ取らなくては、という強い使命感とは裏腹に、手に力が入らない。


 ――僕がディアナを守る。


 騎士団を辞めると決めたとき、そう誓った。今でもそれはバルクレイを動かす原動力だ。


 バルクレイは自身の体温が急速に冷えていくのを感じていた。死が駆け足で近付いてくる。



 バルクレイは十年前の家族旅行を思い出していた。


 騎士として戦いに明け暮れていた中、鬼人ヴァンパイアとの戦争がひと段落し、珍しく休みが取れた、ディアナ五歳の誕生日だった。


 ゼニアを含めた三人で湖が有名な観光街に訪れたとき、ふと目を離した隙にディアナが湖に落ちてしまった。


 バルクレイは急いで助けようとしたが、その必要はなかった。ディアナは自分で湖の水を操作し、岸まで辿り着いた。


 ディアナは本来人類ヒューマニティには使えないはずの水魔法を無意識に使ったのだ。もっとも、彼女はそのことを覚えていない。


 その後洗礼にて、六属性全ての魔法適性を持つことが発覚した。


 バルクレイは神官を脅し、買収し、王都を離れた。西の果ての田舎街にて、自分でもやり過ぎだと思うほどディアナを過保護に育てた。


 もし事実が明るみに出れば、ディアナはどれほどの災禍に巻き込まれるか分からない。その判断は間違っていなかった。現にこうして、騎士団長に命を狙われてしまっているのだから。


 バルクレイは騎士としての矜持を捨て、ディアナとノタの街で過ごしていくうちに気付いた。


 確かに世界中の子供たちを助けたいと思う。孤児だった自分が体験したような辛い目に、誰一人として陥って欲しくない。


 しかし、その誰よりもディアナただ一人がかわいいのだ。ディアナを助けるためなら、全ての見知らぬ子供を殺して回ったって構わない。本気でそう思っている。


 意識朦朧とする真っ白な世界で、ディアナの荒い息遣いだけが聞こえる。


 ――かわいそうに。蔓が苦しくて声も出せないんだ。早く解放してあげないと。


 全身の感覚がない。自分が今どんな体勢をしているのかも分からない。


 ――僕は、ディアナさえ生きてくれれば、いつ死んでもいい。ディアナが元気でいるだけで、世界一幸せなんだ。


 やがてバルクレイは音すら聞こえなくなり、全ての五感が閉ざされた。


 ――ディアナ、ディアナ。


 命が消えるその瞬間まで、娘の名前を呼んだ。





 ディアナは頭を振った。蔓に締め付けられて息ができない。全身は軽い火傷状態だ。


 ――嫌だ! このまま終わっちゃうなんて!


 それでも、完全に静止してしまったバルクレイを見ると力が湧いてくる。一刻も早く蔓を振り解いて、彼に治癒魔法を使わなければならない。


 もしかしたら、もうバルクレイは死んでいるかもしれない。そんな後ろ向きな予感を頭の片隅に押し込み、ディアナは地属性の魔力を練った。


 マルコやジェラルドの傷口の闇魔法を打ち消したように、全く同質の魔力を蔓に送り込めば、ジェラルドの地属性魔法であるこの蔓の命令権を奪えるのではないかと考えた。


 ――そんなこと、できるわけがない。でも闇魔法さえ再現できた私ならできるはず……!


 ディアナは全身から魔力を放った。十四年の生涯で最も意識を集中した。


 幸運だったのは、蔓が〈華炎弁〉で焼かれていたことだ。ディアナの魔力で生まれた炎を媒介とし、ジェラルドの魔力が流れる蔓に干渉することができた。ディアナの魔力が入り込み、蔓一本一本の動きが変わった。


「な……何だこれは!?」


 ディアナに巻きついていた蔓は拘束を弱め、集結しようとしていた残りの蔓たちも反旗を翻したようにジェラルドに巻き付いた。ディアナの体の蔓も続々とジェラルドへ飛び移っていく。


「ありえない……!」


 ジェラルドが締め付けられながら言った。


「ごほっ、ごほっ」


 ディアナは拘束がとけた途端、全身に血が巡るのを感じた。咳き込みながら素早く体を起こし、バルクレイに触れる。


「……っ!」


 そして、すぐに気付く。


 バルクレイはすでに死んでいた。


「真実の法則に基づき、あるべき姿に戻し給え!〈恢復ヒール〉! ……真実の法則に基づき、あるべき姿に戻し給え!〈恢復ヒール〉!」


 何度も何度も繰り返し治癒魔法を使う。


 しかしバルクレイの体に変化はない。むりやり瞼をつまんでこじ開けるが、目は光を失っている。


「ぐっ……」


 視界の外で、ジェラルドが膝をついた。蔓に絞め上げられ、先程のディアナのように顔面蒼白し、気を失った。


「パパ、パパ!」


 ディアナは何度も呼びかける。一向に反応はない。


「パパが死ぬわけない! パパは世界一強いんだから!」


 ディアナはバルクレイの胸に手をあて、魔力を送り込んだ。


「血を作って風魔法で巡らせて、熱で心臓を温めて、それからそれから……っ!」


 試行錯誤を繰り返す。そのうちのどれも蘇生には繋がらない。死人の体をいたずらにいじっているだけだ。


 バルクレイの胸に触れるディアナの手の甲に、涙の雫が溢れた。手が離せないディアナは、荒々しく頭を振って目にたまる涙を飛ばした。


 今すぐ頭を空っぽにして横になりたい。何も考えたくないし何もしたくない。でも、諦められない。


 ――絶対にパパを助ける。ここで諦めたら、私は一生後悔する!


 ディアナはバルクレイの右腕を肩に回し、担いだ。治療院に運んで本職の治癒魔法士の力を借りよう。そう考えて立ちあがろうとした瞬間、街の方から雄叫びのような声が聞こえてくる。茂みから人影が飛び出した。


「父上――! ディアナ――!!」


 マルコがディアナに向かって突進してきた。

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