第20話 父親

 ディアナはバルクレイの背中にしがみついた。三十メートル先には強烈な殺気を放つジェラルドがいて、三人をつるの鳥籠が取り囲んでいる。


「いいかディアナ。僕が時間を稼ぐから、蔓を魔法で焼き払って、街で助けを呼んで来てくれ」


 バルクレイが前を向いたまま言った。ディアナの足なら、実際に助けになるような人が到着するまで十分近くかかるだろう。


「そんな……時間を稼ぐって、戦うってこと?」


 ディアナの不安は、果たしてそれまでバルクレイがのかだ。相手は王国の騎士団長で、この国最強の騎士。ディアナの頭にはどうしてもバルクレイの敗北、つまり死がよぎってしまう。


「パパの心配はいらない。パパは『瞬剣』だぞ」


 しかしバルクレイの表情を見て、ディアナは愚かな質問だったと後悔した。


「パパは世界一強いもんね……分かった。すぐ戻ってくるから!」


 ディアナは震える足に力を込め、つまずきながらも走り出した。そのときディアナの頭には二つの選択肢が浮かんでいた。一つは逃げて助けを呼ぶこと。もう一つはディアナが魔法で支援しながらジェラルドと戦うことだ。


 ――でも、今の私じゃ足手まといにしかならない。それが、すごく悔しい。


 ディアナにバルクレイとの連携は不可能だ。目で追うことすらできないのでサポートのしようがない。そうでなくても、ディアナはあまりに実戦経験がなさすぎる。足が震えてまともに走ることすらできない始末だ。


 ――私は、この惨めな気持ちを絶対に忘れない。いつか、パパと共に戦えるくらい強くなってみせる。


 ディアナはそう決意して、走った。





 マルコが目覚めたのは、水平線から朝日が顔を出し始めた頃だ。小鳥のさえずりが聞こえる。鶏はまだ鳴いていないようだ。


 昨晩感じた気怠さはもう無いが、出発は夕方なので、もう一眠りしようと寝返りをうった。

 そこで、隣のベッドで寝ているはずのジェラルドがいないことに気付いた。


 ――そういえば昨晩、父上は剣の手入れをしながらやけに神妙な顔をしていた。


 思い出しながら上体を起こす。暗殺者の心配はないと言っていた。重症を負ったそうだし、敵の能力はすでに知っている。気が抜けないことには変わりないが、百戦錬磨の騎士団長があの顔をするのは不自然だ。


 マルコは立ち上がり、窓の外を見る。街はまだ眠っているかのように静かだ。部屋をぐるりと眺め、机上に置かれた一枚の紙が目に入った。


 目をこすりながらそれを見る。とたんに、一瞬で眠気が吹き飛んだ。


 慌ててジェラルドの荷物を確認した。大剣が無い。それどころか、王都を発つ際に無理やり持たせた、「どうせ着ないし荷物になるから」と嫌がっていた唐草模様の正式な騎士の甲冑も無い。


 マルコは紙を拾い上げ、もう一度書かれている文字を追う。くしゃくしゃに握りしめ、そのままの格好で宿を飛び出した。


 その紙には「俺のことは探すな。お前は騎士を辞めろ」と、ジェラルドの筆跡で書いてあった。





 バルクレイは走り出したディアナを見て、内心ほっとした。


 ――良かった。さすがディアナ、頭の切り替えが早い。


 もしディアナが一緒に戦うと言い出したら厄介だった。実戦経験の少ないディアナはバルクレイにとって足手まといにしかならない。意識を割く対象が増えるだけだ。


「バルクレイ、お前はお守りに集中してもらう。〈石弾セキダン〉!」


 その意見はジェラルドも同じだった。ジェラルドはディアナ目掛けて無詠唱で三発の石の弾を放った。同時に、巨体には似つかわしくない俊敏な動きで突進する。


 直径一メートルほどの岩の弾がディアナに向かった。


「ちっ!」


 巨大な岩はバルクレイの剣では防げない。受けようものなら真っ二つに折れてしまう。

 ディアナは飛んでくる岩に気付いておらず、背中を向けて走っている。一切警戒していないその姿は、バルクレイを信頼している証だ。


 ――僕がディアナを守る!


 次の瞬間、バルクレイが魔法を発動させた。バルクレイは目にも止まらぬ身のこなしで、空中で三つの岩にそれぞれ体当たりし、軌道を逸らした。


 走るディアナの左右に、立て続けに三つの岩が落ちる。ディアナは小さく悲鳴をあげたが、後ろを確認するそぶりなく走り続ける。その姿にバルクレイは安堵した。


 風属性の適性を持つバルクレイは、自身の高い身体能力に加えて、レベル四の風魔法〈恵風ケイフウ〉を無詠唱で小刻みに発動し追い風に乗ることで、『瞬剣』のスピードを得ている。バルクレイの運動センスと血の滲むような鍛錬を要するこの戦い方は連携こそ難しいが、その欠点を補って余りあるほどの戦果をあげた。


「俺はマルコと違って正々堂々やるつもりなんてさらさらないぜ」


 バルクレイが石弾の処理に苦慮する隙に、ジェラルドはすでに接近している。大剣を振り下ろした。


 バルクレイは辛うじてかわす。剣の風圧だけで体が裂けそうな迫力だ。


「関係ありません。娘を守るときの僕は世界一強い……!」


 ジェラルドの剣が地面に突き刺さる。バルクレイは飛び上がり、回転しながらジェラルドの無防備な頭に斬り込んだ。


「〈木緘キガラミ〉」


 ところが、剣が届く前にジェラルドの背中から無数に伸びた植物の根が、バルクレイの左腕に巻き付いた。


「ちっ!」


 バルクレイが舌打ちする。ジェラルドが剣を下から斬り上げてくる。避けられない。


 ディアナには強がったがこの結果は必然だ。〈玉樹牢獄ギョクジュノロウゴク〉内で、ジェラルドに勝てるわけがない。


 ――でも、ここで僕が負けたら団長はディアナを追う。勝てないとしても、ディアナが逃げる時間だけは稼ぐ!


 空中で左腕を拘束されて動けないバルクレイは、とっさに左腕を自分で斬り落とした。


「……ぐっ!」


 バルクレイの鮮血が飛び散る。ジェラルドは驚いたものの、迷いなく剣を振り抜いた。バルクレイから斬り離された左腕が真っ二つになる。


 左肘から先がないバルクレイは、苦悶の表情で着地するや否や無防備なジェラルドを攻撃した。


「はあっ!」


 ジェラルドの防御は間に合わず、バルクレイの右腕一本による横薙ぎの一撃をまともに受けた。


 刃が甲冑の小さな隙間をくぐり抜け、右肩に入った。


「……ちっ!」


 しかし片腕の力では致命傷には至らない。バルクレイの顔が歪む。


 両者の動きが止まった。


 ジェラルドの右肩から剣を伝って血が滴る。バルクレイの肘から先の無い左腕からも血が吹き出している。


 この一合での軍配は圧倒的にジェラルドだ。しかしバルクレイの目的は勝つことではなく、ディアナの逃げる時間の確保である。


 ディアナは蔓まで辿り着き、詠唱を始めている。バルクレイが言った。


「団長。僕とディアナが反乱を起こす危険性があると考えているなら、そんなことはしないと誓います」


 見え見えの時間稼ぎだ。きっと応じないだろうと思ったが、意外にもジェラルドは返事した。


「それもある」


「それだけじゃないと?」


「ディアナが昨日、治療院で闇属性魔法を使った」


「闇属性……ですか」


 バルクレイは呟いた。驚きは無かった。ジェラルドが鼻で笑う。


「その反応、お前は知っていたんだな。思えばたかだか四属性使える程度で騎士団を辞めてまでディアナを隠すなんておかしい。それくらいなら数年に一人くらいはいる」


「……」


 内心、その通りだと思った。バルクレイはディアナの才能が「人類ヒューマニティが使える火・風・地・光の四つの魔法適性がある」だけではないことを知っている。


「なあバルクレイ、魔法は全六属性だ。人類ヒューマニティの四つに加えて、さらに闇属性と水属性がある。ディアナはその全てを使えるんじゃないか? ディアナは幼い頃、湖に溺れたところをお前に助けられたことがあると言っていた。そのとき、ディアナは水属性の魔法を使ったんじゃないか?」


「……」


「質問しておいて自分はだんまりか」


 答えようが答えまいが、ジェラルドは確信を持って殺しに来ている。バルクレイとしては一秒でも時間を稼ぎたい状況なので、返事を焦らした。


 逆に、なぜジェラルドがこんなに余裕なのかが疑問だった。ディアナは森の形を変えるほどの火魔法が使えることを知っているのだから、〈玉樹牢獄〉は破られてもおかしくないと考えるはずだ。もっと時間を惜しむべきではないのか。


「もしディアナが使使なら危険だ。戦争を控えたこのタイミングで、常識を覆すようなイレギュラーは混乱を引き起こす」


「それならディアナを生かして利用するべきだとは思わないんですか?」


「自分の娘の体を、研究と称していじくられるのが見たいのか?」


「では、黙っておくことは……」


「できんな。俺とマルコが生きている。暗殺者の闇魔法が解除されたことは、治療院に目撃者が大勢いる以上、すぐに鬼人ヴァンパイア側にバレるだろう。人類ヒューマニティにいじくられるより、向こうに利用される方が遥かに不幸だ。あいつらは俺らを同じ人間だと思ってないからな」


「せめて殺すのが優しさ、ですか。……マルコ殿が聞いたら甘いと言われるんじゃないですか?」


「あいつには騎士を辞めさせる。部下バルクレイ命の恩人ディアナを殺さないといけないような仕事なんて、さっさと辞めた方がいい」


 そう言ったと同時に、バルクレイの背後から熱風が吹いた。ディアナがレベル六の火魔法〈華炎弁カエンベン〉を使ったのだ。


 ごおっ、と唸るような音がした。何重にも絡まった格子状の蔓が燃え上がり、朝焼けはまるで真昼かと思うほど明るくなった。


 大量の煙が立ち上り、蔓が爛れ落ちる。


 すでに人一人分が通れるような隙間が開いていて、さらに延焼していく。放置していたら〈玉樹牢獄〉を焼け落とした後、焼け野原の面積を広げてしまうだろう。


 ――これでディアナは逃げられる。あとは助けが来るまで時間を稼ぐだけだ。


 バルクレイは安堵した。片腕一本では勝つのはまず不可能だが、時間稼ぎに専念して逃げ回ることはできそうだ。


「バルクレイ、安心しているのか?」


 弛緩したバルクレイは、ジェラルドの気迫を感じて再び気を引き締める。ジェラルドが魔法を使った。


「〈木緘キガラミ〉」


 先程バルクレイの左腕を捕らえた魔法だ。今度はバルクレイの足下から根が生え、両足に絡みついた。


「うっ」


 この魔法は対象を拘束した後、硬直する。片腕のバルクレイが処理に手間取った刹那、ジェラルドが言った。


「本当はひと思いに殺してやりたかったが、お前のせいでディアナは苦しむことになる」


 バルクレイが根から脱出し、ジェラルドの次の魔法発動前に叩こうと距離を詰めた。


「〈木緘〉」


 しかし間に合わず、急ブレーキをかける。生える根に備えた。


 バルクレイはどの方向から出現しても回避できるように構えているが、地面からもジェラルドからも何も放たれていない。


「きゃっ!」


 次の瞬間、バルクレイの背後遠くから悲鳴が聞こえた。魔法の狙いはディアナだった。バルクレイは振り向くより速く後ろに飛んだ。


 追い風を発生させ、全速でディアナの元に向かう。


 視界に映ったのは、足に根が絡みつき、燃える〈玉樹牢獄〉の蔓がディアナに向かって集束している光景だ。


 大量の蔓がディアナに絡みついていく。身動きが取れず締め付けられ、ディアナは苦悶の表情だ。


「熱い……っ」


「ディアナ!!!!」


 バルクレイが叫んだ。風を追い抜く音と自分の叫び声でうるさい。それなのに、ディアナの苦しみ悶える声だけはやけにはっきり聞こえた。

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