第18話 銀の聖女

 ディアナとジェラルドは、バルクレイがいる駐在所に向かって街を歩いていた。美しいディアナと二メートルを超える巨体を持つジェラルドの組み合わせは、大いに注目を浴びている。しかもお互い衣服に血が付いているのでなおさらだ。


「ディアナ、ここだけの話だ」


 ジェラルドが前を向いたまま言った。ディアナが返事する。


「……はい。何でしょう」


「察してると思うが、俺とマルコの傷は鬼人ヴァンパイアの暗殺者につけられたものだ。つまり治癒魔法士の治療を阻害していた付与魔法は、十中八九、闇属性の魔法だ。治癒無効……、あるいは魔法そのものが無効だとか、そういう類のものだ」


 ジェラルドはディアナを一瞥し、横に並んだ。声のトーンを一段落として続ける。


「だが、お前はそれを解除できた。闇属性魔法を使えたということだ。そして、さっきの様子はどう見ても最初から使えたんじゃなく、試行錯誤した結果初めてできた、という感じだった」


「おっしゃる通りです」


「闇属性魔法が使える理由は分かるか?」


 ディアナには思い当たる理由なんてなかった。考えられるのは、ディアナが実は人類ヒューマニティではなく鬼人ヴァンパイアである可能性だが、逆に人類ヒューマニティしか使えない四属性の魔法が使える以上、それはあり得ない。


「いえ、分かりません」


 鬼人ヴァンパイアは頭に角があり、犬歯が鋭いという特徴がある。ディアナにそれらは見られず、当然バルクレイとゼニアにもない。他人種とは生殖ができないため、混血が生まれることもない。


 不自然な点をあげるなら、ディアナは両親のどちらとも違う銀髪だ。とはいえその程度なら、取り立てて騒ぐほどのことではない。


「何かバルクレイから聞いてないか? もしくは急に態度が変わった時期なんかは無かったか?」


「いえ、特には……。あ、そういえば私が五歳の頃、湖で溺れかけたことがあったんです。その辺りからパパが異常に過保護になった気が……」


 まだ王都に住んでいた頃、ディアナの五歳の誕生日に家族旅行をした。バルクレイも参加した鬼人ヴァンパイア戦役が終わり、後始末がひと段落した頃だ。

 湖が綺麗な避暑地だった。ディアナはそこで溺れてしまって、バルクレイがすかさず助けてくれたという懐かしい思い出だ。その辺りからバルクレイは今のような鹿になった。


 ジェラルドが神妙な顔つきなので、すれ違う人々が怯えながら道を開けていく。ディアナは自分も怖がられているような気がして申し訳ない気持ちになった。





 二人が駐在所に到着すると、バルクレイがディアナの服や髪についた血を見て大騒ぎした。服を着替えて、やっと落ち着いて話せるようになり、ジェラルドが暗殺者に襲撃を受け、治療院でディアナに治癒してもらったという流れをざっくり説明した。


「まず、ディアナに命を救ってもらったこと、マルコに代わって感謝させてくれ」


 三人はソファーに腰掛けている。ジェラルドが恭しく頭を下げた。


「何でディアナが? 常駐する治癒魔法士では治癒できなかったのですか?」


 バルクレイが訝しげに尋ねる。ディアナが答えようとした。


「それが、傷口に……」


「バルクレイ、治癒魔法士は魔力が足りなかった。そこで偶然近くに居合わせたディアナが助けてくれたんだ」


「え」


 ディアナはとっさに黙り込んだ。ジェラルドがディアナの説明を遮り、しかも闇属性魔法のことを隠したからだ。


「珍しいですね、治療院がそんな初歩的なミスをするなんて。急患に備えて常に魔力を残しておくようにしているはずなのに」


「それだけ俺たちが重傷だったんだ」


「暗殺者はどうなったんですか?」


「何とか片腕を斬り落として致命傷を与えた。取り逃しはしたが、満身創痍だ。しばらくまともに動けないだろう」


 ディアナは頭の中で暗殺者を思い浮かべた。ジェラルドやマルコに深手を負わせて逃げきったくらいなのだから、きっと屈強でいかつい男に違いない。


「そうですか……では、次は安全に帰れそうですね」


「一応の警戒として、王都に近い東門からじゃなく北門から出て迂回しようと思う」


「いつ発つんですか?」


「明日のだ。申し訳ないが、また馬車の手配だけ頼んでもいいか? 一番安いやつでいい。御者はいらん」


「分かりました」


「あと、もう一つ頼みがあるんだが」


 終始バルクレイを観察するように見ていたジェラルドが、ディアナに視線をやった。


「出発の際に、北門にディアナも連れてきて欲しい」


「ディアナを? まさか……」


 バルクレイの顔つきが変わる。眉間に皺が刻まれた。それを見たジェラルドが笑う。


「落ち着け、ディアナを連れて行こうとしてるんじゃない。決闘で決めたことを覆すような恥知らずな真似はしない」


「じゃあ、何で……」


「マルコがかなりの重傷だったからな。最後に治癒魔法をもう一回だけ使って欲しいだけだ。タダでとは言わん。今日の治癒分も含めて馬車の料金に上乗せしておく」


「そうですか……いいか? ディアナ」


 バルクレイがディアナに尋ねる。


「もちろんです。お代も結構です」


 ディアナは了承しつつも、内心では、本職の治癒魔法士ではなく、なぜ未熟な自分に頼る必要があるのだろう、と疑問に思った。


「それにしても暗殺者は余程の手練れだったんですね。団長やマルコ殿がそこまでの傷を負うなんて」


「初見だとかなり厄介な魔法を使っていたな。戦い方が分かった以上、警戒さえしていればもう負けることはないが」


 ジェラルドの声色には、終わったことを話しているような雰囲気があった。もう暗殺者の襲撃は無いと思っているようだ。


 ――なぜ私が闇属性魔法を使ったことを言わないんだろう。


 ディアナは疑問に思いながらも、ジェラルドが一切話す気が無い様子なので、空気を読んで黙っておいた。


 混乱するだけだし、広まってしまったら変に周囲の状況が変わってしまうと判断したのかもしれない。傷口にかけられていた魔法が鬼人の仕業だと知っているのはジェラルドとディアナだけだ。二人が黙っていれば「人類ヒューマニティであるディアナが闇属性魔法を使った」という前代未聞の出来事が広まることはない。


 ――隠したことが団長様の配慮なのかな。もしくは、混乱を招くから黙っていろ、ってことなのかも。


 気にはなったものの、ディアナはこの一件を自分の胸にしまっておくことにした。





「ここは……」


 マルコは目を覚ました。見覚えのある天井だ。少し考えて、今朝出払ったノタの宿屋だと分かった。


「起きたか」


 横に座るジェラルドが呟いた。愛剣の手入れをしているようだ。時刻は夜更けで、部屋は薄暗い。


「私は生き延びたのですね……。父上、暗殺者の少女は? あれからどうなったのですか?」


 マルコは上体を起こし、血が噴き出ていた首筋をさする。傷跡もなく完治している。


「致命傷を負わせ、ノタまで引き返した」


 ジェラルドは簡潔に言った。


「そうですか。……申し訳ありませんでした」


 マルコは拳を握りしめる。騎士としての矜持をジェラルドやバルクレイに説く割には、この街に来てから足を引っ張ってばかりの自分が不甲斐なかった。


 ――意識や責任感は大事だが、騎士として事を成すにはやはり強さが不可欠なのだ。


 マルコが考える理想の騎士像に、ジェラルドの人格は程遠い。思慮深さはあるが、どうしても軽薄でだらしない印象がある。普段から騎士の甲冑を常備していないのも気に食わない。


 とはいえ、ジェラルドは国内でトップクラスの武力を持ち、それを根拠として騎士団を率いているのは事実だ。マルコは彼の息子として次期団長と目されてはいるものの、ジェラルドのような明確な力がない。過度な正義感はそのコンプレックスの裏返しでもあった。


「気にするな。むしろ、これで良かったかもしれん」


 ジェラルドは大剣の刀身を見つめながら言った。


「慰めなんて……」


 必要ありませんと続けようとして、やめた。ジェラルドの刀身を見つめる眼光があまりに鋭すぎて、マルコは思わず鳥肌が立った。


 ――まるで、戦場に赴く兵士のような目だ。


「マルコ。お前、『銀の聖女』の話を聞いたことはあるか?」


 ジェラルドが言った。


「いえ、初耳です。御伽話か何かですか?」


 マルコが答えると、ジェラルドは彼の顔をちらりと見た。真偽を図るような目だが、すぐにため息をついた。


「そうだよな。ただの騎士が知るはずがない。当然、バルクレイも知らないはずなんだ」


「一体、何の話ですか?」


「マルコ、明日ここを出るぞ。ゆっくり寝てろ」


「……分かりました」


 有無を言わせぬ迫力に、マルコはただ頷いた。


「明日の


 ジェラルドが言った。マルコは再び横になる。傷は完治しているが体調は万全ではない。


 普通、遠出するときは日の出と共に発つものだが、夕方に出るなら昼過ぎまで寝れる。おそらくジェラルドはマルコの病み上がりの体調を考慮したのだ。これ以上足を引っ張らないように回復に徹しなければ。


 マルコはそう考えて、目を閉じた。

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