第17話 こんなにも違う

 ディアナがマルコの首筋の傷を、両手の親指で引っ張って開いた。粘り気のある黒い蜘蛛の巣のようなものが、筋肉の収縮に合わせてうっすらと伸び縮みしている。


「真実の法則に基づき、あるべき姿に戻し給え。〈恢復ヒール〉」


 ディアナは試しに一般的な治癒魔法で傷口を塞ごうとしたが、治癒魔法士が言った通り、光属性の魔力が蜘蛛の巣状の膜に弾き返されてしまう。


「どうだ!?」


「静かにして下さい!」


 問いかけるジェラルドをディアナが一喝した。普段の彼女なら周囲の目を気にして柔らかい言い方をするが、そんな余裕が無いほど集中していた。


 ――魔力の質が違うから弾かれるんだ。治癒魔法士の先生は、同じ魔法をかけて打ち消さないと解けないと言っていた。つまり、私が闇属性魔法を使わないといけないということ。


 ディアナは邪魔な前髪を耳にかけた。手についていたマルコの血が顔についた。


 彼女は火、地、風、光の四属性の魔法を使用することができる。これは人類ヒューマニティが使える全てだ。属性ごとに粒子の粗さや細かさ、濃淡などが微妙に違い、魔力の質を変えて操らなければならない。もっとも、適性が無いとその違いさえ分からないのだが。


 ディアナが魔力を練っては傷口に当てていく。何度弾かれても、微妙に配分を変えて再挑戦する。


「……違う、これじゃない」


 全く意味の無い作業をしているのかもしれないとも思う。人類ヒューマニティが闇属性を使えないのは、六柱の神獣がそれぞれの人種を生み出してから二千年もの間、一度も覆ったことがない事実だからだ。


 イメージしながら両手を重ねて当てるのは魔力を扱い難いので、傷口全体を囲むように手で覆ってみた。すると左右の手で別々の魔力を操れるので、細かく配分をコントロールできるようになった。


 奇しくもクラリスがよくやる風魔法のトレーニングの手の形だった。


 ディアナの頬を一筋の汗が伝って、ベッドに落ちた。真っ赤に染まったシーツに溶け込んだ。


 試し始めてから十分後、ディアナが調合した魔力と、傷口の蜘蛛の巣の魔力の質が合致する瞬間が訪れた。


「……これだ!」


 ディアナが思わず声をあげる。周囲がざわついたが、集中しているディアナの耳には届かない。


 ディアナの魔力で蜘蛛の巣が相殺される。ぽろぽろと崩れていき、霧散した。あらわになった傷口に、ディアナは再度治癒魔法を行う。


「真実の法則に基づき、あるべき姿に戻し給え。〈恢復ヒール〉」


 すると、先程まで弾かれては消えていった光属性の魔力が、傷口に染み込み、皮膚を作り始めた。


「こ、これは……!」


 治癒魔法士が横から覗き込む。ディアナが彼に尋ねた。


「先生、完全に閉じる前に何かすることはありますか?」


「先に血を生成した方がいいかもしれません。その方が予後が良くなります」


「分かりました。私は治癒魔法はまだ経験不足なので、ここからは先生にお任せしてもよろしいでしょうか?」


「もちろんです」


 ディアナは治癒魔法士に場所を譲った。彼は即座に詠唱を始めた。みるみるマルコの顔色が良くなっていく。何とか峠は越えたようだ。


「ふう」


 ディアナは安堵する。呆気にとられるジェラルドが呟いた。


「ディアナ、お前は……」


 その声を聞いて、ディアナは思い出したように言った。


「団長様の左肩も見せて下さい」


「……あ? ああ」


 ジェラルドは自身の肩を確認し、ディアナの方に向けた。彼の左肩にもナイフで斬られた傷があり、同じように闇魔法の膜が張られている。


 ディアナは先程と同様に魔力を作り、傷口に重ねた。今度は一分とかからず解除できた。


 ジェラルドはいたって平気そうにしているが、出血量は多い。ディアナはまた治癒魔法士に血の生成を任せようと思った。それを察したジェラルドが言う。


「ディアナ、俺は気分も悪くないし大丈夫だ。このまま治してくれ」


「よろしいのですか? ここは先生にお任せした方が……」


「いや、いい。お前に治して欲しいんだ」


「……分かりました」


 ディアナは治癒魔法を使った。傷がみるみる塞がっていく。めったに使わないので精度が低い。うっすらと傷跡が残ってしまった。


「完全には治せませんでした。二、三日は跡が残るかもしれません。申し訳ありません」


 ディアナが額の汗を拭って頭を下げると、ジェラルドは困ったような顔で頭を掻いた。


「いや、謝罪なんて……」


 何と言うべきか迷っているように口元を押さえた。同時に、マルコの治療をしていた治癒魔法士が言った。


「これで彼はもう大丈夫です。今夜中には目を覚ますでしょう。明日の朝には動けますよ」


 ディアナは胸を撫で下ろす。大言壮語にならなくて良かった、と安堵した。安心と共に、周囲の人たちが視界に入る。集中していたときの言動を思い出す。


「……あっ! 私、団長様にずいぶん失礼な言葉遣いを……!」


 ディアナは頬に両手を当てて青ざめた。王国騎士団長相手に「静かにして下さい!」と怒鳴ってしまった。


「そんなことはどうでもいい」


 あたふたするディアナに、ジェラルドが苦笑する。咳払いをし、両足を揃えて背筋を伸ばした。天井に頭頂部が触れそうなほどの巨体を勢いよく折り曲げ、頭を下げた。


「ディアナ。我が息子、マルコの命を救ってくれて心より感謝する」


「え、とんでもございません。私は自分にできることをしただけで」


 急にかしこまった態度を取られ、ディアナは恐縮した。年上で父親の上司であるジェラルドに頭を下げられ、申し訳ない気持ちになる。


「だが、それでも……、いや、ここは目立ち過ぎるな。場所を変えよう。バルクレイにも礼を言いたい。駐在所に行くか」


「はい、分かりました。あ、団長様」


 ディアナはこの機会にジェラルドにクラリスを紹介しようと思った。バルクレイに話を聞くより、騎士団長と話した方がよほどためになるはずだ。


「何だ?」


「……いえ、何でもありません」


 しかし、クラリスはいつのまにか治療院からいなくなっていた。


 ――気分悪くなって帰っちゃったのかな。せっかくクラリスの役に立てると思ったのに。


 ざわつく野次馬を尻目に、ディアナとジェラルドは治療院を出た。


 ディアナの髪や顔に血が付いているので、じろじろ見られて恥ずかしかった。でもそれより遥かに血まみれのジェラルドが堂々としていたので、ディアナもそうした。


 自分の力で他人を助けることができて嬉しかった。確かなやりがいを感じつつも、時と共に頭が冷め、疑問が湧いてくる。


 おそらく、ジェラルドの「バルクレイにも礼を言いたい」というのは口実だ。きっと質問したいんだ。


 ――人類ヒューマニティである私が、なぜ闇属性魔法を使えたのか、を。





 ディアナに代わって治癒魔法士がマルコを治療し始めた頃、クラリスはそっと治療院を抜け出して走った。目的地はない。とにかくディアナから離れたかった。


 クラリスが騎士になりたいと思ったのは、母への復讐のためだ。ディアナに問われ、初めて自覚した。


 ――つまり、自分のため。私はお母さんを見返したいだけで、国を守るとか平和のためになんて意識は全くなかった。


 しかし、同じ平和なノタの街で育ち、同じ神学校で似たような時間を共有していたはずのディアナは、クラリスより精神的に何歩も先に進んでいた。


 マルコの傷口を覗き込むディアナの真剣な眼差しを思い出す。クラリスにはただ顔を青くすることしかできなかった凄惨な現場で、ディアナは髪や手が血に濡れるのもいとわず、出来るかも分からない治癒にあたった。騎士団長に睨みつけられても物怖じせず、話しかけられても一喝して黙らせた。


 ディアナが言った「マルコ様は、この国に必要な人です」という言葉が耳にこびりついて離れない。ただの一学生が、自国の未来に想いを馳せて行動するなんて信じられなかった。そんなこと、クラリスは考えたこともなかった。


 ディアナは本職の治癒魔法士にも出来なかった治癒を成し遂げた。しかしその能力や才能はもはや今さらだ。問題はそこではない。


 クラリスにとってショックだったのは、ディアナと自分の意識があまりに違い過ぎたことだった。


 ――なんで、こんなにも違うんだろう。


 クラリスはディアナが神官になるために騎士団の勧誘を断ったと聞いて心から安心した。また親友に戻れると思った。比べられない別々の世界に行けば、劣等感や嫉妬で苦しまなくて済む。


 しかし、傷口を覗き込みながら試行錯誤するディアナの横顔を見ていると、クラリスは嫌な予感がして胸がざわついた。


 ――ディアナは騎士になりたいんだ。でなければ、あんな言葉は出ない。


 嫉妬に駆られ、幼稚な復讐の為に騎士を目指している自分より、ディアナの方が騎士に相応しいと思った。


 クラリスは走った。何も考えなくて済むように、風になりたかった。制服で全力疾走する彼女を住民が訝しげに眺めるが、気にならなかった。


 ――私って、ディアナに比べて、本当に価値がない。


 ディアナが大好きなのに、一緒にいればいるほど自分が嫌いになる。


 どうすればこのジレンマがなくなるのか、クラリスには分からなかった。

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