第16話 必要な人

 ジェラルドとマルコが鬼人ヴァンパイアの暗殺者による襲撃を受けた日の放課後、ディアナはクラリスと一緒に帰り道を歩いていた。


 バルクレイの送迎が無くなり、クラリスとの仲直りもでき、ディアナは晴れ晴れした気持ちだった。


「ディアナ、そういえばバルクレイさんって魔法使えるの?」


 クラリスが尋ねた。ディアナは人差し指で顎に触れながら答える。


「確か……、風属性の魔法が使えるって言ってたかも。見たことはないけど」


「え、私と一緒じゃん! アドバイスしてくれないかなー! 今からディアナの家に行っていい?」


「いいけど、パパはまだ帰ってないよ」


「やっぱり騎士って忙しいんだ」


「今まではそうじゃなかったんだけど、今日は衛兵隊との訓練なんだって。帰りが遅くなるって言ってた」


 マルコとの決闘のせいで、バルクレイは衛兵たちから引っ張りだこだ。クラリスはため息をついた。


「じゃあそれはまた今度だね。今日はディアナで我慢してあげる。二人で練習しよ!」


「ちょっと、私で我慢って何?」


 ディアナが唇を尖らせる。クラリスは「冗談だよ」と笑い、両手で輪っかを作った。手の中で魔法の風を作り出し、ぐるぐると回転させる。


 ――クラリスってば、またやってる。


 これは彼女が自分で考えた風魔法のトレーニングだ。グラスに入った水を風で回転させているのも見たことがある。


 ディアナはクラリスがこれをする姿が好きだった。歩きながらするのはさすがにどうかと思うが、一瞬で集中できる切り替えの早さと繊細なコントロールはさすがだ。魔法の成績こそディアナが上だが、より実戦的なのはクラリスだ。


「……クラリスはどうして騎士になろうと思ったの?」


 ディアナが問いかける。クラリスは手の中の風を解き、顔を上げた。


「騎士になろうと思った理由?」


「うん。入学した頃から言ってたよね」


「どうしたの、急に」


「ちょっと気になってさ」


 軽いノリで答えてくれるかと思ったが、クラリスは真面目な表情のままだ。デリケートな理由なのかな、と少しだけ聞いたことを後悔した。


 クラリスはしばらく無言で歩いて、言葉を搾り出すように答えた。


「……復讐、なのかな」


 ディアナには意外な答えだった。元気で明るいクラリスのイメージに似合わない言葉だった。


「復讐って……誰に対して?」


 ディアナが再度問いかける。二人は足を止めた。


 クラリスは無表情で口を開いては閉じ、それを二、三回繰り返す。ディアナはそんなクラリスをじっと見つめた。


「……なーんてね!」


「わっ」


 クラリスは力が抜けたように笑い、ディアナに抱きついてきた。


「騎士ってかっこ良いじゃん? 私、ディアナと違って神官って感じじゃないし、騎士になりたいと思ったから、なる! それだけ!」


 クラリスは腕を組んで歩き出した。引っ張られるようにディアナもついていく。ディアナは釈然としないが、確かに『復讐』よりは『かっこ良いから』の方がクラリスらしいと思った。


「もう、何その理由。そんなんじゃ王国の平和を守れないよ」


 ディアナが掴まれた腕に寄りかかる。すると同じ強さでクラリスも寄りかかってきた。


「ディアナは何で神官になりたいの?」


「私? 私は……」


 ――神官になりたいなんて、本当は思ってない。


 ディアナは答えに迷って、ジェラルドたちの勧誘を断ったときのように、取り繕って答えた。


「私は四つも魔法適性があって、アポロン様の加護を多く承っているんだから、神官になるのは当然でしょ?」


 クラリスは真面目な顔のまま頷く。


「その通りですディアナ様。あなた様は神に愛された選ばれし御子なのですから」


 恭しい声色で言い、祈るように両手を組んだ。


「うむ。妾を崇めるがよい」


「わらわ……ぷっ」


 胸を張るディアナを見て、クラリスが吹き出した。


「笑いすぎだから。不敬だぞ」


 ディアナはクラリスとふざけ合いながらも、内心では自分の感情に気付いていた。


 ――私が本当にしたいことは、パパみたいに自分の力を使って誰かを守ることだ。


 ディアナは誰からも賞賛され、何でもできると過信していた。それなのに自分一人の力だけではゴブリンの群れからクラリスを守り切れなかった。その苦い経験が、何をしていても頭から離れない。


 黒いナイフの助けがなかったら、ディアナとクラリスの命はなかった。あの絶望感は忘れられない。さらにジェラルドやマルコなど、平和のために真剣に考え、行動している人たちと出会った。


 ここ最近の出来事を経て、ディアナの考え方は変わった。力を持つ意味や使い方について考えれば考えるほど、自分の力と才能は、騎士となり民のために使うべきだという気がしていた。


 ――でも、そうなるとクラリスとは……。


 ディアナから見て、クラリスはディアナに騎士団に入って欲しくないと思っている。こうして一緒にいると嫌われているようには感じないが、なぜかそう考えている。


 ――とにかく、私が騎士になりたいと思ってることはまだクラリスには話せないな。卒業まであと一年しかない。近いうちに話さないと。


 ディアナとクラリスが雑談しながら歩いていると、東門の方が騒がしくなった。馬の蹄鉄の音や、街の人の悲鳴などが聞こえた。


「どうしたのかな?」


 クラリスが背伸びする。ディアナも目を凝らすと、遠くの方からジェラルドが馬に乗って走ってきているのが分かった。


「え、団長様!?」


 上半身裸で、襷のように布を巻いている。人混みが慌ただしく割れ、彼に道を開けた。


 ジェラルドは険しい顔つきで周囲を見渡す。ディアナに気付き、叫んだ。


「ディアナ! この街の治療院はどこだ!」


「このまままっすぐ、突き当たりです!」


「分かった! 助かる!」


 ジェラルドがディアナとクラリスの方向に馬を走らせる。すれ違って初めて、血だらけのマルコを背負っていることに気付いた。彼の甲冑は左半身を血の池に浸したように真っ赤に染まっていた。


 住人たちは大いに混乱している。あまりに凄惨な光景に、気分を悪くして倒れる人もいた。


「ディアナ、今のは……!?」


「今朝街を出たはずの騎士団長様とその息子のマルコ様だよ!」


 ディアナはクラリスに早口で説明した。ジェラルドとマルコが乗る馬はみるみる離れて行く。


「……私、行ってくる!」


 ディアナはクラリスの返事を待たずに走り出した。クラリスは驚いて言葉が出ないようだったが、すぐにディアナを追いかけてきた。


 ――私に出来ることなんてないけど……でも、行かなきゃ。


 治療院には本職の治癒魔法士がいる。ディアナの出る幕ではないことは分かっている。でも、考えるより先に体が動いた。





 治療院の入り口には野次馬が集まっていた。それらをかき分け、ディアナが扉を開けると、ジェラルドが治癒魔法士の男性の胸ぐらを掴んでいるところだった。


「……治せないってどういうことだよ?」


 腹の底に響くような重々しい声で、ジェラルドが言った。


「で、ですから……」


 小柄な治癒魔法士は、二メートルを超える巨体を持つジェラルドに持ち上げられ、宙で足をバタつかせている。ジェラルドの腕をパンパンと叩きながら、苦しそうに言葉を搾り出す。ベッドには横たわるマルコがいて、他の魔法士や患者たちが遠巻きに震えていた。


「団長様、落ち着いて下さい!」


 ディアナが駆け出し、ジェラルドの腕を掴んだ。マルコが重体すぎて霞むが、彼の左肩からも常人だったら取り乱してしまう量の血が流れている。


「先生が死んじゃいますし、その左肩も止血しないと!」


「……くそっ!」


 ジェラルドが荒々しく胸ぐらを離した。治癒魔法士は尻もちをつき、咳き込んだ。ディアナが彼の横にしゃがみこむ。


「先生、治せないってどういうことですか? まさか、もう……」


「いえ、彼はまだ生きております。ですが団長様にはすでに申し上げた通り、傷口に特殊な魔力が付与されており、私の治癒魔法が遮られてしまいます。そのせいで魔力が体内に入りません。結論として、治癒魔法が効かないのです」


「特殊な魔力?」


「はい。こんなことは初めてです。付与魔法の一種だと思われますが、解除するには全く同じ魔法をかけて打ち消さなければなりません」


 ディアナは立ち上がり、横たわるマルコを見た。首に木綿が当てられているが、大量の血を吸って真っ赤に染まっている。


「ディ、ディアナ……」


 クラリスがディアナの袖口を摘む。顔が青白い。今まさに人が死のうとしている瞬間だ。こんな現場を一般人が見たら顔面蒼白して、何も考えられなくなるのが普通だ。


 しかし、ディアナは違った。


 ディアナはクラリスの手を袖からそっと外し、マルコが眠るベッドの横に立った。木綿を外し、ぱっくり裂けた傷口をまじまじと見つめた。鮮血に染まった肉の色。初めて見た。


「……ディアナ、何をするつもりだ?」


 ジェラルドが訝しげに言った。ディアナは返事の代わりに呟いた。


「何か、黒いもやみたいなものが見えます」


 ディアナの目には、傷口にうっすら黒い靄のようなものが見えた。


「お嬢さん、魔力が目視できるのですか?」


 腰が抜けて立てない治癒魔法士が言った。ジェラルドが少しの間考えて、まさかという表情で叫んだ。


「……治せるのか!?」


「これを取り除けばいいんですよね」


 ディアナがそう言った後、治療院は騒然とした。にわかに期待が高まるのを感じる。ディアナ自身、まるで解除できるかのような言い方をしていることに驚いた。もちろんやったことはない。この靄が何かもわからない。


 でも、しなければならない。そんな気がした。


「できるのか!? おそらくその魔法は、闇……」


 ジェラルドは言葉を止めたが、その一言でディアナは察した。


 きっとジェラルドとマルコは、以前話していた鬼人ヴァンパイアの暗殺者に襲撃されたのだろう。それを一般人の前で言うわけにはいかない。


 つまりこの黒い靄は、闇属性魔法による効果だ。人類ヒューマニティには使うことができず、詳細も明らかになっていない敵国の魔法である。


「できるかどうかは分かりません。でもマルコ様は次期団長候補なんですよね。なら、絶対に助けないと。こんなところで死なせちゃダメです」


 ディアナは傷口を見ながら言った。背中でジェラルドが驚いているのを感じる。


「マルコ様は、この国に必要な人です」


 ジェラルドは腕を組んだ。治癒魔法士も息を呑む。マルコの命はディアナに託された。

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