第15話 鬼人の暗殺者

 マルコとジェラルドを乗せた馬車は王都を目指し、まばらに木々が乱立する荒野を走っていた。早朝にノタの街を発って五時間余りが経過している。つい先程昼食を取ったばかりだ。見通しが良い景色が続いている。


 二人が乗っているのは荷台だけの馬車だ。騎士団長と次期団長という王国の要人が乗るにはひどく簡素で安上がりな馬車だった。


 マルコはぴんと背筋を伸ばして座り、ゆるやかに流れる雲を眺めていた。王都に戻れば戦争の準備に追われる日々になる。開戦はまだ先だが、上層部はすでにピリついている。今この瞬間が最後の平穏かもしれないと思った。


「バルクレイとディアナを獲得できなかったのは惜しかったが、『人は見た目によらない』ってことを学べて良かったな」


 ジェラルドは煙草を口にくわえた。マッチを擦って火を点けると、進行方向の反対側に煙が流れていった。


「あの親子を野放しにして良いのでしょうか」


 マルコはマメだらけの自身の両手を見つめながら呟いた。物心ついた頃から剣を振り続けた手だ。王都の騎士団本隊の中でも上位の腕を持つマルコが、バルクレイにまるで歯が立たなかった。


「あいつらが戦争中に反乱でも起こしたらと考えてるだろ」


「はい。騎士団に引き入れられないなら、何らかの対策を取るべきだと思います」


「安心しろ、それは無い。バルクレイは野心が無い男だ。ディアナのことしか頭に無い。当のディアナも四属性使える天才の割には、だ。本人の要望通り、卒業後にアポロン要塞神殿に配属されればそんな危険は起こりえない」


「神官になれば世俗とは切り離された生活になるから、ですか?」


「『各神獣を祀る要塞神殿には不可侵』。これは全人種が二千年もの間不変だった絶対のルールだ。反乱や戦争とは無関係になる。それがバルクレイの望みなんだろう」


「確かにそれはそうですが……」


「だが、もし」


「もし?」


「もし、ディアナが変に正義について考え始めて、確固たる意志を持ってしまったら要注意だ。本当に危険なのは力そのものではなく、意志を持った力だからな。まあ、このまま卒業までの一年をこの田舎で平和に暮らしてくれれば、そんな思考には至らないだろうが」


 ジェラルドは煙草の煙を吐き出しながら言った。


 マルコから見ても、ディアナは周囲の空気を読み、常識に則った言動をする枠から外れない優等生タイプだ。いわゆる世間を動かすような人間とは真逆の、大多数の平凡な性質だ。ジェラルドの言うことには納得できる。


「それに、お前はそんなこと考えなくていい。裏で手を汚すのは俺たち大人の役目だ」


 ジェラルドが小さな声で付け加えた。


「……父上、私を子ども扱いしないで頂きたい。子煩悩なバルクレイ殿に影響されましたか?」


「かもな」


 ジェラルドが笑う。マルコは咳払いをした。


「……では、ディアナが卒業して神官になるまでの間は定期的に騎士をノタまで派遣させましょう。バルクレイ殿の報告は信用できませんからね」


「つくづくお前は真面目だな」


「父上が楽観的すぎるのです」


 マルコとジェラルドが言い合っていると、急に馬車が大きく揺れた。


「うおっ」


 ジェラルドが御者に声をかける。


「おい、大丈夫……」


 しかし、途中で言葉を止めた。


 御者の頭にが刺さっていたからだ。


「マルコ! 飛び降りろ!」


 二人は荷台から飛び降りて、地面で受け身を取った。剣を抜き、中腰で背中合わせに立つ。全方位を警戒して構える。


 馬車は数メートル走り、死んでいる御者は御台から崩れ落ちて地面に転がった。馬は動揺して前足を上げて大きく吠え、無人になった荷台と共に急停止した。


 車輪の音が止み、辺りは静寂に包まれる。砂煙が漂っている。


「ついに来たか。鬼人ヴァンパイアの暗殺者が」


 ジェラルドの呟きに、マルコが同意する。


「ノタでは無干渉だったのに、こんな見通しが良い場所で急に来るとは意外ですね」


「瞬きもするなよ。こいつのナイフは神出鬼没だ」


「ええ。分かっています」


 この黒のナイフ使いの特徴は、どこからともなくナイフがあらわれ、気がつくと襲撃を受けていることだ。


 ナイフが飛んでくるスピード自体は普通なので、二人の腕なら直撃する前に叩き落とせる。しかしよほど高速で移動しているのか、出どころが分からないので尻尾が掴めなかった。王都からノタまで三人の暗殺者を返り討ちにしたが、この四人目はそれらとは格が違う。


 しばらく膠着した状態が続いた。マルコとジェラルドは唾を飲む音すら立てずに、敵を感知することに神経を注いだ。


「……!?」


 そんな中、突然マルコの鼻先の空間が歪む。そこからナイフの切先が現れた。


 マルコは反射的に顔を傾けたものの、ギリギリかわしきれず首筋を掠めた。勢いよく血が噴き出す。ジェラルドも同じような攻撃を受けたが、彼は無傷で防いだ。


 続けて、同じように何もない空間が歪む。五本のナイフが空中に立て続けに現れ、マルコに向かって擊ち出された。


「うおおおおっ!」


 マルコは不安定な体勢ながら、今度は五本のナイフを全て叩き落とした。


「ちっ! このナイフは闇魔法の一種だったか! マルコ、出所は空間全部だ!」


 ジェラルドが叫んだ。マルコは首筋の出血を手で押さえながら、その言葉を理解した。


 これまでの襲撃では遠距離からの投擲を装っていたが、このナイフは空中で精製される性質の「魔法」なのだ。警戒すれば防げると思わせたのは、この好機を作り出すためだ。


 マルコとジェラルドを囲むように、無数のナイフが全方位から飛んできた。


「しゃらくせえ!」


 ジェラルドが力強く大剣を振る。何十ものナイフを同時に叩き落とした。


「マルコ! お前はじっとしてろ!」


 そう言うとジェラルドはしゃがみ込んだ。左手で地面に触れる。


「大地を揺るがす理たらん、〈烈震レッシン〉!」


 略式詠唱で魔法を行使した。地震を起こすレベル五の地属性魔法〈烈震〉によって、地面がぐらりと揺れる。馬が驚いて鳴き声をあげた。


「そこか!」


 ジェラルドは揺れに反応した木の枝にいる何者かに向かって、地属性魔法〈石弾セキダン〉を放った。それと同時に走り出す。


 ジェラルドは剣士としても一流だが、魔法使いとしても優秀だ。クラリスの〈風刃〉と同じレベル三の地魔法〈石弾〉を、無詠唱で放つことができる。


「……っ!」


 直径二十センチほどの石の弾が木の枝を幹ごと粉々にする。その裏から人影が現れた。


 背は低く、細身だ。身長はジェラルドの腰まであるかどうか。人類の常識で考えれば十歳前後といったところだ。全身を黒の布で覆っている。


 ――あれが暗殺者? 子供ではないか。


 マルコは首筋の出血を押さえながら内心驚いたが、すぐに考え直す。敵を見た目で判断して侮ってはいけないということをバルクレイ戦で学んだばかりだ。


 距離を詰めたジェラルドが剣を振り抜いた。


「おらあっ!」


 暗殺者は着地と共にバックステップして避けた。その拍子に黒い布がめくれ、顔が露わになる。額に鬼人ヴァンパイア特有の小さな角があった。


「女か!」


 ジェラルドが叫んだ。暗殺者は少女だったのだ。


「だったら何だ? 油断してくれるのか? そういう趣味ならこっちも楽なんだが」


 少女が歪んだ笑みを浮かべて言う。


「馬鹿言うな。こんな魔法を持ってる相手に油断するほど耄碌しちゃいねえ!」


 ジェラルドは一切攻撃の手を緩めない。大剣ながら剣速は鋭い。少女はナイフを撃ち出しつつも防戦一方だ。


「このまま押し切れば、父上なら仕留められる……!」


 マルコは確信した。あの魔法は脅威だが、間合いさえ詰めればそれほどではない。発生させる場所をある程度選べるようだが、基本的には〈風刃〉や〈石弾〉のような射程のあるレベル三相当の魔法と同じだ。初撃で仕留められなかったのは、彼女にとって誤算だったはずだ。


 そう思った瞬間、マルコの視界に光の粒が飛んだ。血を流しすぎたがそれだけじゃない。体に異変がある。


「くっ……、毒か」


 マルコは剣を落とし、地面に倒れ込んだ。ガシャン、と甲冑がぶつかる音がした。


「マルコ!」


 ジェラルドが叫んだ。少女が笑う。


「さあ、早くあの足手まといを連れて治療院に急ぎな。あたしの攻撃に怯えながらな」


 そう言ってマルコを指差した。ジェラルドは彼女に剣を向けたまま、視界の端でマルコの様子を伺う。


「……父上、私のことは気にせず……その敵を討ってください」


 マルコがうつ伏せのまま言った。今すぐノタの街の治療院に戻ったとしても、一命を取り留める可能性は低い。しかも暗殺者が付きまとう中なら尚更だ。最悪なのは、マルコに意識を割いたせいでジェラルドが死んでしまうことだ。


「私は騎士です……。死ぬ覚悟はできています……!」


 ジェラルドは逡巡したのち、マルコを視界から外し、暗殺者に集中した。マルコは安心して胸を撫で下ろす。


「……当たり前だ。お前がそういう奴だってことは知ってる」


 そう言って、ジェラルドが少女に向かって走り出した。


「おらあああっ!」


 一気に間合いを詰め、豪快に剣を振り払った。当てが外れた少女は、ジェラルドと自分の間に無数のナイフを出した。三十は超える数だが、ジェラルドはたった一振りで、それらを全て叩き壊した。


「……ちっ! 化け物め!」


「騎士を甘く見たな。それがお前の敗因だ」


 懐に入ったジェラルドの一振りは、少女の右腕を斬り飛ばした。


「……よかった」


 薄れる意識の中、マルコが呟いた。やはり接近戦ではジェラルドが圧倒している。


「うらあっ!」


 ジェラルドが追い打ちをかける。今度は左の脇腹に深い斬り傷をつけた。明らかに勝敗を決する致命傷だ。


 少女は右肘と脇腹から血を撒き散らせながら、視界一面のナイフを出現させた。一本一本が隙間無く密集し、ジェラルドを取り囲む。


「くそジジイがあっ!」


「厄介な能力だ!」


 二人が同時に叫んだ。ジェラルドにとって正面に現れるナイフなら何本あろうと簡単に防げるが、背後や頭上など、角度がつくと手数が必要になる。ジェラルドは迫り来る大量のナイフを、肩にかすり傷を負いながらも防ぎきった。


 しかし、最後の一本を叩き落とした頃にはもう少女の姿は消えていた。ジェラルドはしばらく構えたまま周囲を睨んだが、気配は完全に無い。血痕も残っていなかった。


「……マルコ!」


 やがてジェラルドは振り返り、倒れているマルコの元へ駆け寄った。マルコの首筋からは大量の血が流れ、鮮血の水たまりが出来ている。


 ジェラルドは慣れた手つきで自身の服の袖を引き千切り、首に巻いて止血した。残りの服でマルコを背中でおぶるように括り付けると、馬に乗ってノタに引き返し始めた。


「ち、父上……、申し訳……ありません……」


 マルコがかろうじて口を動かす。ジェラルドが怒鳴った。


「敵の初撃は周到に準備されていた。相手が一枚上手だった! お前のミスじゃない! それより、ノタの治療院に着くまで黙ってろ! 暗殺者は仕留めきれなかったが深手を負わせたから追撃はないはずだ。最速で行くからしっかり掴まれ!」


「父上……私に……」


「おいマルコ、喋るな! じっとしてろ! 毒が回るだろうが!」


 マルコはこのまま死ぬかもしれないと思った。だから、伝えておきたかった。


「父上……、私に構わず戦ってくれて……ありがとうございました……」


「……! そんなの、当たり前だ!」


 マルコは薄れゆく意識の中、触れている父の背中がやたら熱く感じられた。

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