第14話 胸騒ぎ
修練室はバルクレイコールに沸いていた。その場にいる全ての衛兵が拳を振り上げ、バルクレイの名を高らかに叫んでいる。
興奮するのも無理はなかった。衛兵は騎士であるバルクレイに了承を求めたり、指示を伺うことも多い。バルクレイの人柄の良さに好感は持つものの、家族第一で惰性で仕事をしているという印象は拭えなかったが、その正体は桁外れの強さを持つ歴戦の兵だったのだ。
ディアナとマルコが到着する前、バルクレイとジェラルドがウォーミングアップとして軽く打ち合った。その動きでさえノタの街の衛兵が束になっても勝てないほどだったが、本番はその数倍は速かった。強さに憧れるのは男の本能だ。ましてや普段衛兵として鍛錬している者にとってはなおさらだ。
この瞬間、バルクレイは全衛兵の尊敬の的となった。
一方、興奮の坩堝と化した修練室の真ん中で、マルコは四つん這いのまま打ちひしがれていた。
「この私が負けた……」
たとえ甲冑を脱いで身軽になったとしても、バルクレイの猛攻を捌くことは不可能だっただろう。試合時間が多少伸びるだけで、同じ結果になっていたはずだ。
「ディアナ!」
自分を圧倒した男の声に、マルコは顔を上げた。バルクレイが木刀を投げ捨て、ディアナの元へ脇目も振らずに走って行くところだった。飛びつくように抱きつくと、ディアナは「うっ」と唸って後ずさりした。
「勝てて良かった……! これでこれからも一緒にいられるよ!」
「パパ、カッコ良かったよ」
ディアナがバルクレイの背中ぽんぽんと叩く。バルクレイは目を丸くして体を放した。
「ディアナが! パパにカッコ良いって! はやくママに報告しなきゃ!」
先程までの闘志を湛えた戦士の表情とは打って変わって、目尻が下がった締まりのない顔つきだ。ディアナは肯定とも拒絶ともつかない苦笑を浮かべた。
そんな二人を、衛兵が取り囲む。
「バルクレイさん! なぜ今まで実力を隠してたんですか!?」
「月一の定期訓練だけじゃなくて、バルクレイさんの特別指導を週一で行って下さい!」
「目で追うのがやっとでした!」
矢継ぎ早に賞賛され、バルクレイは照れ臭そうに後頭部を掻いている。
マルコは木刀を握り締め、バルクレイをみくびっていたことに反省した。娘のためだけに騎士の責務を放棄した甘い男だと思っていたが、それは間違いだった。もしここが戦場だったら死んでいた。恥ずべき慢心だ。
「完敗だな」
ジェラルドが言った。マルコは舌打ちする。
「父上は私が負けると分かっていたのですね」
「実力差は大きいと思ったが、バルクレイにはブランクがある。あのスピードは長続きしなかった。お前が甲冑を脱ぎ、最初から長期戦のつもりで削りに徹すれば、一割くらいは可能性があっただろうな」
マルコは立ち上がり、手と膝の砂を払った。
「……もう、諦めて帰るしかないんでしょうか」
「そういう約束だからな。さすがにこの証人たちの前で反故にするわけにはいかねえ」
バルクレイは多くの衛兵に囲まれ、質問や指導の依頼に答えている。その間、ディアナの手をがっちり握って放さない。ディアナはうっとうしそうに振り解こうとするが、バルクレイの力が強すぎて離れられないようだ。
ジェラルドは呆れたように腕を組み、それを眺めている。まるでもう全てが解決したような顔だが、マルコは強烈な胸騒ぎに襲われていた。
――あの男は危険だ。
一介の騎士がこれほどの武力を持っているという事実。さらに娘は地形を変えるほどの凶悪な魔法を放った魔法使いで、見た目は王都でも類を見ないほど美しい。
愛する娘を勧誘に来た騎士団を、正々堂々決闘して追い返したというストーリーを得て、より羨望を集めるであろう父娘。
もし彼らが反旗を翻したとして、王都から遠く離れたノタの街で準備されたら気付くことは難しい。騎士団が東側に戦力を集めている間に王宮に攻め込まれる、というのは充分にあり得る。
戦争中に国内でクーデターが起きた場合、その国の結末は予想するまでもない。混乱し、最後は敵国に全てを奪われてしまうだろう。
――バルクレイとディアナ。あの二人は、消すのが王国のためではないか。
マルコはそう思った。
ディアナとバルクレイが帰宅すると、勝利を確信していたゼニアがご馳走を用意して待っていた。
彼女は汗だくのバルクレイを嫌な顔ひとつせず抱きしめた。二人は愛の言葉をささやき合いながらくるくると回った。呆れるディアナも無理やりその輪に入れられた。
「もう、くっつかないでよ。汗くさい。あー、私が水魔法を使えたらお風呂がわりに水球をぶつけてあげるのに」
ディアナが意地悪い表情を作って言うと、バルクレイは顔を強張らせた。
「え、ディアナは水属性は使えないよね?」
「当たり前でしょ?
ディアナが首を傾げる。常識なので冗談だと分からないはずがないのに、バルクレイは動揺し過ぎだと思った。娘に汗くさいと言われたのがよほどショックだったのだろうか。
ディアナが怪訝な顔をしていると、ゼニアが勢いよくバルクレイの腕に抱きついた。
「ディアナ、がんばった男は褒めてあげるのが女の甲斐性よ」
「一応褒めてあげたよ」
「そうだ! ママ、ディアナがカッコ良かったって言ってくれたんだ!」
「あら、さすがディアナ。ちゃんとやってあげたのね」
「ディアナ! もっと褒めておくれ!」
「ダメよ、たまに褒めるから効果的なの。その方が男は褒めてほしくて必死に働くのよ」
「え、ママ、それってどういう……」
「ふふ、冗談よ。ご飯にしましょう」
ゼニアの腹黒い一面に目を泳がせるバルクレイ。三人は食事を始めた。
バルクレイの話によると、ジェラルドとマルコは明朝にノタを発つらしい。一件落着だ。そう思いながらも、ディアナの胸には引っかかるものがあった。それは「正義の在り方」についてだ。
「ディアナ、どうしたの? ママの料理美味しくない?」
考えごとをするディアナの顔を、ゼニアが覗き込む。
「ううん、ママの料理は世界一だよ。そういえば、パパって何で騎士になろうと思ったの?」
マルコはバルクレイに負けてしまったが、ディアナにとって、彼の「王国の為」という動機には納得できる部分もあった。きっと人の数だけ正義の形があるのだろう。バルクレイの正義の根源が気になった。
「急にどうしたんだい?」
「ちょっと気になって……」
「そういえば話したことなかったな。パパはもともと孤児なんだ。故郷が盗賊に襲われて、何とかパパだけ生き延びたんだけど、騎士になるまでの生活は大変だった」
「え……、そうなんだ」
「だから同じような境遇の子どもをなるべく増やさないように、騎士になって王国の治安を守りたいと思ったんだよ」
「へえー……、すごいね」
ディアナは素直に感心した。七年前に辞めるつもりだったと聞いたので、てっきり大した動機は無いのだと思っていた。
ディアナには国を守るために自分の命を懸けるなんて共感できない。けれど一つだけ思い当たる感覚があった。
――ゴブリンに襲われて、クラリスが気絶させられたとき。あのとき私は、絶対にクラリスを守ってみせるって思った。
ディアナはクラリスのためになら命を懸けられる。その延長線上に、マルコやバルクレイが抱くような正義があるのかもしれない。
――やっぱり明日、クラリスと仲直りしなきゃ!
ディアナは胸にそう誓ったのだった。
「言っとくけど、ディアナが生まれてからはディアナが一番大事になったんだよ!」
バルクレイが言った。また始まった、とディアナが適当にあしらう。するとゼニアが目を潤ませた。
「パパ……ディアナが一番なら、ママは二番目なの?」
「そ、そんなことないよ、もちろん同着一位さ! 僕は二人を世界一愛してるよ!」
バルクレイとゼニアが抱き合う。うんざりするやりとりだが、それでも、ディアナは前より家族のことが好きになった。
ディアナが登校すると、すでに学校では昨日の出来事が噂になっていた。同級生がディアナの机に集まり、まくし立てるように尋ねる。
「ディアナさん、騎士団にスカウトされたって本当ですの?」
「しかも『アポロン様をお側でお守りすることが私の使命です』とお断りしたんですって?」
「極めつけには、無理やり迫る騎士団をお父様が決闘に勝利して追い返したんでしょう!?」
「昨日の校門にいらした騎士様は、騎士団長様のご子息なんですって? 団長様とそのご子息、そんな二人がわざわざスカウトに来るなんて、よっぽどのことですわ」
「でもよくよく考えればディアナさんの魔法力なら当然じゃない? 来るのが遅過ぎるとも言えますよ」
「それでも浮かれずにきっちり断るなんてさすがですわ。アポロン様を守る神官としての高い意識、まさに神学生の鑑です」
「それにお父様がそんなにお強いなんて、ご家族にも非の打ち所がないのですね。……でも」
少女たちは目配せし合った。頬を染め、一斉に声を合わせる。
「「「イケメン騎士様に、強引に王都に連れて行かれるのも捨てがたいですわ〜!」」」
「あはは……」
ディアナは力無く笑った。
「ごきげんよう!」
そのタイミングで、クラリスが教室に入ってきた。
「ごきげんよう、クラリスさん。ディアナさんのお話、聞きました?」
無邪気に話しかける同級生。ディアナはまた無視されるに違いない、と緊張しながらクラリスの反応を伺った。
「あー、聞いたよ! ディアナ、バルクレイさんすごいじゃん!」
クラリスは満面の笑みで、着席しているディアナに背後から抱きついた。クラリスの優しい匂いがする。ずいぶん懐かしい気がした。
「……クラリス、怒ってないの?」
「怒る? ああ、騎士団にスカウトされたから?」
「うん? ええと……」
ディアナは言葉に詰まった。
――そういえば、クラリスの家でも怒ってないって言ってたな。でも、それなら何で今まで無視されてたんだろう。
「なぜ騎士団にスカウトされたら怒るんですか?」
同級生が問いかける。クラリスが答えた。
「私、卒業したら騎士団の入団試験を受けるんだ。ディアナにはそのことを相談してたから」
「あら、クラリスさんは騎士志望なのですか」
「うん、だからバルクレイさん……ディアナのお父様と模擬戦したこともあるの。めちゃくちゃ強くて怖かったけど、かっこよかったなー」
「まあ、噂通りお強いのですね」
「ディアナ、私のことは気にしなくていいからね。ディアナの実力なら勧誘されて当たり前だし、来るのが遅いくらいだよ」
クラリスはそう言って、ぐりぐりと頭を擦り付けてきた。髪の毛がくすぐったい。同級生たちもうんうんと頷いている。
「そっか……、うん、分かった。気にしない」
ディアナは想像していたのと違って釈然としないが、一応クラリスと仲直りできたようだ。
――なんだ、クラリスはもともと怒ってなかったんだ。よかった。
変に掘り返すとまた拗れてしまいそうで、ディアナはそう思い込むことにした。
「……ところでディアナ。結局、校門に迎えに来てた騎士様とは付き合ってるの!?」
「それですわ! さすがクラリスさん!」
全員がクラリスの質問に乗っかり、顔を近づけてくる。本当はもっと早くそれを聞きたかったようだ。
「つ、付き合ってないよ。昨日の時点でまだ二回しか会ってなかったし、それにもう今頃街を出ているはずで、二度と会うことはないから……」
全員が残念そうにため息をついた。担任のクラウディアが教室に入ってきたので、各自、席に散って行った。
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