第13話 瞬剣のバルクレイ

 ――今日こそはディアナに謝らないと。


 神学校の授業が終わった放課後、クラリスはディアナの数メートル後ろを歩きながら拳を握り締めた。


 ディアナとは、お見舞いに来てくれた日から一度も話していない。クラリスは自分の気持ちの整理がつかず、会話をしたらディアナを傷つけるようなことを言いそうで、つい避けてしまっていた。


 クラリスは母が嫌いだ。母はクラリスに興味がない。森に入ってぶたれたのも、心配で取り乱したからではなく、クラリスが死ぬと貴族の父から養育費を貰えなくなるからだ。


 元娼婦の母は色気がある以外に何の取り柄もない。騎士はそんな母が羨ましがる魔法を活かし、「女」を使わずに実力だけで生きていける職業だ。クラリスが騎士を目指すのは必然だった。


 クラリスは騎士になって具体的にやりたいことがあるわけではなく、母と全く違う生き方がしたかった。


 そのために着々と魔法の修練を積んだ。クラリスなりに精一杯努力したが、ディアナは当然のようにクラリスを上回る。それでも嫉妬したことはない。いや、ないと思っていた。


 クラリスには永遠に手に入らない「理想の父親」であるバルクレイに抱きしめられ、娘として愛されているディアナを目の当たりにし、心底羨ましかった。そのうえ、ディアナが自分の夢に介入してくる未来を想像した。


 クラリスは今まで無意識下で育っていた嫉妬の炎に気付いてしまった。


 ――でも、まだやり直せる。ごめんなさいって謝って仲直りすればいい。私はみっともないあいつとは違う。自覚して行動できるんだ。


 ディアナはクラリスのことを愛してると言ってくれた。いつもの冗談だとしても心から嬉しかった。謝りさえすればディアナは絶対に許してくれるはずだ。


 クラリスは意を決して駆け出した。前を歩くディアナに謝罪するために。


 ところが、クラリスが校門前で見たのは信じられない光景だった。


 王都から若いエリート騎士が街に来ているらしい、という同級生たちの噂は耳にしていた。なんと、その噂の彼がディアナと待ち合わせし、一緒に帰って行くではないか。


 野次馬の学生が言うには二人は付き合っているらしい。クラリスは持っていた鞄を落とした。


「私が一人で落ち込んでいる間、ディアナは騎士と恋愛してたの?」


 きっとディアナも自分と同じように、仲直りしたいと悩んでいるはずだ。そう思っていた。クラリスには騎士と並んで去っていくディアナの背中が、男に媚びて生きる母の面影と重なって見えた。





「こんな多くの方が見学にいらっしゃったのですか?」


 ディアナは目を見張る。マルコと共に修練室に到着すると、三十人ほどの衛兵が円を作っていた。


「この街のほとんどの衛兵が集まっているそうですが……」


 マルコがそう言いかけて、この場の異様な雰囲気を感じ取った。ディアナも同様に違和感を覚えた。騎士同士の決闘は一大イベントだが、もの珍しさで来たという感じじゃない。衛兵たちの顔には妙な高揚感がある。まるで、これから目撃する事件を心待ちにしているような表情だ。


 衛兵が囲む円の中央にいたバルクレイとジェラルドは、ディアナとマルコを確認して構えを解いた。たった今まで打ち合っていたようで、二人とも肩で息をしている。


「……来たか。すまんなマルコ、バルクレイが息を整えるまで少し待ってくれ。お前も休みたいだろう?」


 ジェラルドの休憩の提案を、バルクレイが拒否した。


「いえ、大丈夫です。今すぐやらせて下さい」


 その場で大きく深呼吸して、気合いを入れるように自分の頬を両手で強く叩く。バルクレイの頬に真っ赤な手形がついた。


「そうか。マルコ、お前はすぐに始めても大丈夫か?」


「構いません」


 マルコは訝しげながら、戦闘モードの顔つきに切り替わった。


「甲冑を着たままやるのか? 武器は木刀だ。俺が急所に入ったと判断したら一本とする。重い甲冑は不利なだけだぞ」


「問題ありません。騎士として戦う以上、これを着るのは義務です」


 マルコは毎日欠かさず唐草模様が入った正式な騎士の甲冑を着ている。常に騎士であることを自覚し行動できるようにという彼なりの矜持だが、その返事を聞いたジェラルドは不満そうに舌打ちした。


 バルクレイとマルコが中央で向かい合う。


 衛兵たちは私語を止め、修練室はしんと静まり返った。


 二人とも中段に構えている。ジェラルドがその間で腕を前に伸ばした。


「最後の確認だ。バルクレイが勝ったら俺たちは大人しく帰る。マルコが勝ったらバルクレイとディアナは王都に連れて行く。いいな?」


「分かりました」


「ええ」


 ディアナは唾を飲み込んだ。喉の音が部屋中に響き渡っているような気がした。


「……始め!」


 ジェラルドが腕を振り上げた。それと同時にマルコが動く。


「はああっ!」


 左足の強い踏み込みと共に、真正面から木刀を振り下ろした。風を切り裂く鋭い音がした。当たったら頭が割れてしまいそうな力強い一振りだ。


 バルクレイは片足を引いて半身になり、鼻先にかすめるギリギリで避けた。


「くっ!」


 マルコはすぐさま切り返し、木刀を横薙ぎに振り抜く。バルクレイはそれを屈んで回避した。


 ――屈んで回避した。


 そこまでが、ディアナに目視できた動きだった。


 次の瞬間、バチンッ! とけたたましい衝撃音が鳴る。


 同時に、バルクレイが視界から消えた。


「えっ? パパは?」


 マルコが一人で苦悶の表情を浮かべ、顔の横で木刀を立てている。不自然によろけたので、横から強い衝撃を受けたのだと分かった。


 次にマルコから数メートル離れた何もないところで、急に砂煙があがる。マルコがすかさず木刀の角度を変えた。


 またバチン! という音が響いた。


 マルコが一人で木刀を動かせて、音が鳴る。その度に少しだけよろける。高速で鳴り響くけたたましい音に合わせて動く様は、まるで一人で踊っているかのようだ。


 ディアナが状況を理解したのは、それが数秒ほど続いてからだ。


 この光景はつまり、バルクレイが様々な角度から木刀で攻撃していて、マルコは体勢を崩しながらかろうじて捌いているということ。バルクレイの動きがあまりに速すぎて、ディアナにはマルコ側の動きしか見えないのだ。


 衛兵たちが歓声を上げる。反応は様々だが、とにかく目の前の光景に熱狂している。


 一般人のディアナでは目で追うことすらできない圧倒的なスピード。


 ――これが、パパの。『瞬剣』バルクレイの、本気の動き。


「く……!」


 絶え間なく響く木刀同士がぶつかり合う音に、マルコの唸り声が混じる。


「バカな奴だ。甲冑を脱げばもう少し戦えただろうに」


 ジェラルドが呟いた。


 やがて、マルコが体勢を立て直せないまま手打ちで防ぐシーンが増えてきた。


 音が鳴る間隔はさらに短くなっていく。明確にバルクレイが押している。


「……しまった!」


 そんな中、マルコが自分の汗で滑って片膝と片手を地面についた。


 その瞬間、彼の背後にバルクレイが現れた。


 木刀を振り上げたまま静止している。


「……っ!」


 水を打ったように、ぴたりと歓声が止まった。マルコは膝立ちで、前を向いたまま動かない。ここまでギリギリで防いできたが、もうこの体勢からではどうにもできないことを悟っている。


 観客が黙り、木刀の音も止んだ。布ずれすらない。急に時が止まったかと思うほど静かになった。


 そして。


 カツン、と乾いた音が反響した。


 マルコの頭頂部に、バルクレイの木刀が乗っていた。


 マルコは全身の力が抜けたようにうなだれ、地面に両手をついた。


「――勝負あり! 勝者、バルクレイ!」


 ジェラルドの宣言の後、数秒の沈黙があり、やがて衛兵たちの地鳴りのような歓声が上がった。


 ディアナは様々なことが衝撃的で、全身が熱くて、肌がびりびりと震えているようだった。この瞬間、決闘の結果による自分の身の処遇などはどうでも良かった。心臓の鼓動がひたすら速かった。

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