第12話 正義
――
この平和な街では馴染みのない物騒な言葉だったせいで、ディアナは理解が遅れた。
「おいマルコ、不用心だぞ。それについてはまだ機密事項だ」
「問題ないでしょう。ディアナを除けばこの場にいるのは騎士と衛兵だけです。近く知ることになります」
「……ちっ」
ジェラルドが舌打ちした。ディアナがマルコに尋ねる。
「あの……、どういうことですか?」
「王国は東側の国境が
「パパを? パパ、王都に行っちゃうの?」
ディアナがバルクレイに不安げな視線を送る。
「ディアナ、パパはな……」
「バルクレイ殿にはすでに断られました」
質問に答えたのはマルコだ。
「騎士団の命令を断るなんて、そんなことしたらクビになっちゃうんじゃ……」
「不愉快なことに、バルクレイ殿は騎士に未練はありません。実際に七年前に辞表を出し、父上や上層部に引き止められてこの街の配属に収まったそうです。強引に召集しても辞められるだけなので、わざわざ騎士団長自らが説得に来たのです」
「信じられない。パパはただの下っぱ騎士じゃ……」
ディアナは家にいるときの陽気な父の姿を思い浮かべる。団長自ら迎えに来るほどの人材だなんて想像もしなかった。クラリスとの模擬戦での動きは確かに面食らったが、あれはディアナが素人だからだと思っていた。
マルコは拳を振り上げる。
「王国を守るためには誰かが戦わなければなりません。そしてそれこそが騎士の役目で、力を持つ者は騎士となるべきです。この街は平和なので危機感は薄いでしょうが、東側では毎日兵士が死んでいます。民は恐怖で震える日々を過ごしています。騎士でありながら王国を優先しないバルクレイ殿も、力を持つくせに戦わないあなたも、私は不愉快です!」
「…………!」
ディアナは呆然とするしかなかった。東側で鬼人との小競り合いがあるという話は聞いていたが、深く考えたことはなかった。小競り合いと言うと些細なことに聞こえるが、実際は人種間の牽制し合いだ。毎日死人が出るほど苛烈なものであってもおかしくない。
遠く離れているせいで他人事だった。そんなディアナの態度がマルコには許せなかったのだ。
「私は……」
ディアナは返事に詰まった。空気を読んで猫を被るのは得意だが、この場で何を言うのが正しいのか分からない。本気の情熱をぶつけてくるマルコに、取り繕った言葉を返すのはあまりに不誠実だ。
黙っているとジェラルドが立ち上がった。壁沿いに並んでいる数人の衛兵に言う。
「今の件について、騎士団からの正式な通達はもう少し後になる。こいつが口走ったことはまだ口外禁止だ。開戦したら騎士団と各領地の衛兵が連携することになる。この街の衛兵が戦線に送られる可能性は低いが、全く無いわけじゃない。今まで以上に訓練に励んでくれ」
ざわついていた衛兵は全員敬礼した。まだ学生のディアナには経験したことがないピリついた空気だ。
「何でそんな話をディアナの前でするんですか! 関係ないでしょう!」
バルクレイがテーブルを両手で叩き、立ち上がる。マルコが嗤った。
「関係ない? こんな危険な魔法使いを何も知らずに放置して、鬼人側に利用されたらどうするのですか? 万が一彼女の火魔法で
「ディアナはそんなことしない! 誰よりも賢くて優しい子だ!」
「
「知ったことか! ディアナは僕が守る!」
「ふっ、あなたが?」
「僕は『
「ではそれを証明してもらうため、私と決闘をしましょう。負けたらディアナ共々、騎士団本隊に合流して下さい。そして死ぬまで王国の為に戦うと誓ってもらいます。ふん、もっと早くこうしていれば良かったのです」
「それは……」
バルクレイは言葉に詰まった。マルコが嘲笑する。
「やはり口だけですか。決闘も受けない以上、どうしてもディアナを入団させないと言うのなら、
マルコの目は本気だ。室内は静かで、ディアナは自身の鼓動の音が聞こえた。ジェラルドは静観すると決めたらしく腕を組んで黙っている。バルクレイは目を泳がせていたが、やがてマルコを正面から見据えた。
「……分かった。決闘を受ける」
バルクレイの言葉に、マルコが感心したように頷いた。
決闘は明日の放課後、騎士の駐在所にある修練室で行われることになった。
バルクレイは帰宅するや否や、庭で素振りを始めた。暗くなってもろうそくを立て、鈍った身体を目覚めさせるように、全身汗だくになっても続けた。
ディアナとゼニアは、木刀を振り下ろすバルクレイを縁側から見守った。
「パパ、もうやめなよ」
ディアナが言った。バルクレイはもう何時間も止まらずに素振りを続けている。
「ダメだ。マルコがディアナをどうするか分からない以上、負けるわけにはいかない。僕は絶対にディアナを守る」
一回一回、目の前の敵を斬り殺すような気迫で振り下ろされる素振りは、もはやディアナの目には見えないスピードだ。
――あのパパがこんな顔をするなんて。
ディアナの目には、『瞬剣』という似ても似つかないその二つ名が、素振りをするバルクレイと徐々に重なってくるような気がした。とはいえ相手のマルコもかなりの実力者だ。王都の騎士学校を首席で卒業し、鳴物入りで入団した次期団長候補だという。前線で戦っているマルコに、ブランクのあるバルクレイが勝つなんて可能なのだろうか。
「ちゃんと休まないと明日に響くよ」
心配するディアナの肩を、ゼニアがそっと抱いた。
「ディアナ、パパはこうなったら聞かない人なの。ほっといてあげましょう。それに、どうせ素振りをやめても寝れないだろうしね」
そわそわするディアナに対し、ゼニアはいたっていつも通りだ。明日バルクレイが決闘をすることになったと報告したときも、ちっとも動揺しなかった。
「大丈夫。パパは強いのよ。ディアナに本当のパパを見せることができて嬉しいわ」
その落ち着いた声を聞くと、ディアナの焦りや恐怖が消えていく。
「……私、パパの強い姿、見てみたいな」
ディアナが呟くと、バルクレイは微笑んだ。
「ディアナ、観ていてくれ。絶対に勝つ!」
「ご馳走を用意して待ってるわ。ディアナ、いっぱい応援してあげてね」
「うん。がんばれパパ」
庭から聞こえる風切り音は、朝方近くまで続いた。
翌日の放課後、校門前に人だかりが出来ていた。女学生にマルコが囲まれているようだ。
「ディアナ、迎えに来ましたよ」
遠くからディアナを見つけたマルコが声をかける。周囲が一斉に騒ついた。
「あのディアナ様に騎士様がお声を! まさかお二人はそういった関係で……!?」
「美しき騎士と女神のような神官! なんて尊い組み合わせでしょう!」
「ディアナさんは騎士が好みだったのか……くそ!」
女学生は赤面して顔を手でおおい、男学生は歯ぎしりをして拳を握っている。
「わざわざ迎えに来たのですか?」
ディアナが尋ねると、マルコは微笑みを浮かべた。
「あなたを逃がさないために」
ディアナの身柄を拘束するためだが、事情を知らない生徒たちは恋愛演劇のワンシーンのような甘い台詞に黄色い悲鳴をあげた。ディアナはため息をついて、大勢に見送られながらマルコと修練場に向かった。
その道中、ディアナは考え事をしていた。
昨夜、必死に素振りをするバルクレイを見ていて疑問を抱いた。彼はディアナを守ることに全力だ。その気持ちは素直に嬉しい。親が子の安全のために力を尽くすのは美しくて正しいとも思う。
しかしディアナは、マルコが言ったことも正しいと思ってしまった。
誰かが戦わなければならない。ディアナには戦う力と才能がある。東の地では毎日犠牲者が出ている。それらは全て、まぎれもない事実だ。
それなのに、ずっと父親に守られたままでいいのだろうか。戦場から遠く離れた安全な地で、犠牲者に目を背けたままでいいのだろうか。
その葛藤の答えを出すために、ディアナはクラリスと話したかった。彼女になぜ騎士になりたいと思ったのかを尋ねたかった。動機が分かれば正義のあり方を見つけられるかもしれない。ところが、相変わらずクラリスはディアナと話してくれない。今日は目も合わなかった。
この一件が片付いたらクラリスと仲直りしよう。そう心に決めて、ディアナはマルコの背中を追って歩いた。
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