第12話 正義

 ――鬼人ヴァンパイアとの戦争?


 この平和な街では馴染みのない物騒な言葉だったせいで、ディアナは理解が遅れた。


「おいマルコ、不用心だぞ。それについてはまだ機密事項だ」


「問題ないでしょう。ディアナを除けばこの場にいるのは騎士と衛兵だけです。近く知ることになります」


「……ちっ」


 ジェラルドが舌打ちした。ディアナがマルコに尋ねる。


「あの……、どういうことですか?」


「王国は東側の国境が鬼人ヴァンパイアの領土と接しているのはご存知ですよね。十年前に多くの人類ヒューマニティが命を落とした戦争、鬼人ヴァンパイア戦役がまた始まるのです。私たちは本来、それに備えた戦力強化としてバルクレイ殿を王都の本隊に引き戻すため、この街に来ました」


「パパを? パパ、王都に行っちゃうの?」


 ディアナがバルクレイに不安げな視線を送る。


「ディアナ、パパはな……」


「バルクレイ殿にはすでに断られました」


 質問に答えたのはマルコだ。


「騎士団の命令を断るなんて、そんなことしたらクビになっちゃうんじゃ……」


「不愉快なことに、バルクレイ殿は騎士に未練はありません。実際に七年前に辞表を出し、父上や上層部に引き止められてこの街の配属に収まったそうです。強引に召集しても辞められるだけなので、わざわざ騎士団長自らが説得に来たのです」


「信じられない。パパはただの下っぱ騎士じゃ……」


 ディアナは家にいるときの陽気な父の姿を思い浮かべる。団長自ら迎えに来るほどの人材だなんて想像もしなかった。クラリスとの模擬戦での動きは確かに面食らったが、あれはディアナが素人だからだと思っていた。


 マルコは拳を振り上げる。


「王国を守るためには誰かが戦わなければなりません。そしてそれこそが騎士の役目で、力を持つ者は騎士となるべきです。この街は平和なので危機感は薄いでしょうが、東側では毎日兵士が死んでいます。民は恐怖で震える日々を過ごしています。騎士でありながら王国を優先しないバルクレイ殿も、力を持つくせに戦わないあなたも、私は不愉快です!」


「…………!」


 ディアナは呆然とするしかなかった。東側で鬼人との小競り合いがあるという話は聞いていたが、深く考えたことはなかった。小競り合いと言うと些細なことに聞こえるが、実際は人種間の牽制し合いだ。毎日死人が出るほど苛烈なものであってもおかしくない。


 遠く離れているせいで他人事だった。そんなディアナの態度がマルコには許せなかったのだ。


「私は……」


 ディアナは返事に詰まった。空気を読んで猫を被るのは得意だが、この場で何を言うのが正しいのか分からない。本気の情熱をぶつけてくるマルコに、取り繕った言葉を返すのはあまりに不誠実だ。


 黙っているとジェラルドが立ち上がった。壁沿いに並んでいる数人の衛兵に言う。


「今の件について、騎士団からの正式な通達はもう少し後になる。こいつが口走ったことはまだ口外禁止だ。開戦したら騎士団と各領地の衛兵が連携することになる。この街の衛兵が戦線に送られる可能性は低いが、全く無いわけじゃない。今まで以上に訓練に励んでくれ」


 ざわついていた衛兵は全員敬礼した。まだ学生のディアナには経験したことがないピリついた空気だ。


「何でそんな話をディアナの前でするんですか! 関係ないでしょう!」


 バルクレイがテーブルを両手で叩き、立ち上がる。マルコが嗤った。


「関係ない? こんな危険な魔法使いを何も知らずに放置して、鬼人側に利用されたらどうするのですか? 万が一彼女の火魔法で人類ヒューマニティの街が焼かれてしまったら責任がとれますか?」


「ディアナはそんなことしない! 誰よりも賢くて優しい子だ!」


鬼人ヴァンパイアだけが使える闇属性の魔法は、まだ多くの部分が未知数です。洗脳や操作するような魔法があっても不思議じゃありません」


「知ったことか! ディアナは僕が守る!」


「ふっ、あなたが?」


「僕は『瞬剣しゅんけん』だ!」


「ではそれを証明してもらうため、私と決闘をしましょう。負けたらディアナ共々、騎士団本隊に合流して下さい。そして死ぬまで王国の為に戦うと誓ってもらいます。ふん、もっと早くこうしていれば良かったのです」


「それは……」


 バルクレイは言葉に詰まった。マルコが嘲笑する。


「やはり口だけですか。決闘も受けない以上、どうしてもディアナを入団させないと言うのなら、鬼人ヴァンパイアの手に落ちないように我々が隔離します。私は父上と違って王国のためなら何でもするつもりです。それが騎士としての矜持ですから」


 マルコの目は本気だ。室内は静かで、ディアナは自身の鼓動の音が聞こえた。ジェラルドは静観すると決めたらしく腕を組んで黙っている。バルクレイは目を泳がせていたが、やがてマルコを正面から見据えた。


「……分かった。決闘を受ける」


 バルクレイの言葉に、マルコが感心したように頷いた。





 決闘は明日の放課後、騎士の駐在所にある修練室で行われることになった。


 バルクレイは帰宅するや否や、庭で素振りを始めた。暗くなってもろうそくを立て、鈍った身体を目覚めさせるように、全身汗だくになっても続けた。


 ディアナとゼニアは、木刀を振り下ろすバルクレイを縁側から見守った。


「パパ、もうやめなよ」


 ディアナが言った。バルクレイはもう何時間も止まらずに素振りを続けている。


「ダメだ。マルコがディアナをどうするか分からない以上、負けるわけにはいかない。僕は絶対にディアナを守る」


 一回一回、目の前の敵を斬り殺すような気迫で振り下ろされる素振りは、もはやディアナの目には見えないスピードだ。


 ――あのパパがこんな顔をするなんて。


 ディアナの目には、『瞬剣』という似ても似つかないその二つ名が、素振りをするバルクレイと徐々に重なってくるような気がした。とはいえ相手のマルコもかなりの実力者だ。王都の騎士学校を首席で卒業し、鳴物入りで入団した次期団長候補だという。前線で戦っているマルコに、ブランクのあるバルクレイが勝つなんて可能なのだろうか。


「ちゃんと休まないと明日に響くよ」


 心配するディアナの肩を、ゼニアがそっと抱いた。


「ディアナ、パパはこうなったら聞かない人なの。ほっといてあげましょう。それに、どうせ素振りをやめても寝れないだろうしね」


 そわそわするディアナに対し、ゼニアはいたっていつも通りだ。明日バルクレイが決闘をすることになったと報告したときも、ちっとも動揺しなかった。


「大丈夫。パパは強いのよ。ディアナに本当のパパを見せることができて嬉しいわ」


 その落ち着いた声を聞くと、ディアナの焦りや恐怖が消えていく。


「……私、パパの強い姿、見てみたいな」


 ディアナが呟くと、バルクレイは微笑んだ。


「ディアナ、観ていてくれ。絶対に勝つ!」


「ご馳走を用意して待ってるわ。ディアナ、いっぱい応援してあげてね」


「うん。がんばれパパ」


 庭から聞こえる風切り音は、朝方近くまで続いた。





 翌日の放課後、校門前に人だかりが出来ていた。女学生にマルコが囲まれているようだ。


「ディアナ、迎えに来ましたよ」


 遠くからディアナを見つけたマルコが声をかける。周囲が一斉に騒ついた。


「あのディアナ様に騎士様がお声を! まさかお二人はそういった関係で……!?」


「美しき騎士と女神のような神官! なんて尊い組み合わせでしょう!」


「ディアナさんは騎士が好みだったのか……くそ!」


 女学生は赤面して顔を手でおおい、男学生は歯ぎしりをして拳を握っている。


「わざわざ迎えに来たのですか?」


 ディアナが尋ねると、マルコは微笑みを浮かべた。


「あなたを逃がさないために」


 ディアナの身柄を拘束するためだが、事情を知らない生徒たちは恋愛演劇のワンシーンのような甘い台詞に黄色い悲鳴をあげた。ディアナはため息をついて、大勢に見送られながらマルコと修練場に向かった。



 その道中、ディアナは考え事をしていた。


 昨夜、必死に素振りをするバルクレイを見ていて疑問を抱いた。彼はディアナを守ることに全力だ。その気持ちは素直に嬉しい。親が子の安全のために力を尽くすのは美しくて正しいとも思う。


 しかしディアナは、マルコが言ったことも正しいと思ってしまった。


 誰かが戦わなければならない。ディアナには戦う力と才能がある。東の地では毎日犠牲者が出ている。それらは全て、まぎれもない事実だ。


 それなのに、ずっと父親に守られたままでいいのだろうか。戦場から遠く離れた安全な地で、犠牲者に目を背けたままでいいのだろうか。


 その葛藤の答えを出すために、ディアナはクラリスと話したかった。彼女になぜ騎士になりたいと思ったのかを尋ねたかった。動機が分かれば正義のあり方を見つけられるかもしれない。ところが、相変わらずクラリスはディアナと話してくれない。今日は目も合わなかった。


 この一件が片付いたらクラリスと仲直りしよう。そう心に決めて、ディアナはマルコの背中を追って歩いた。

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