第10話 二人の進路
「私も、騎士になろうかな」
ディアナがそう言った瞬間、クラリスは体を離した。
「……ディアナが、騎士に?」
「それならクラリスとずっと一緒にいられるでしょ?」
「騎士は大変なんだよ? ……でもディアナなら、なれちゃうかも、ね……」
クラリスの言葉尻が小さくなっていく。ディアナは彼女の異変に気付き、後悔した。クラリスにとって騎士という仕事は、親に反対され、魔獣と戦い死にかけて、それでもまだ目指し続けている大切な夢だ。それなのにディアナは何の覚悟もなく「なろうかな」などと軽んじる発言をしてしまった。クラリスが不愉快に思っても仕方ない。
「そ、そっか、大変だよね。……じゃあやめた! 私、軽い気持ちで言っちゃった。ごめん。私なんかじゃ無理だよね」
「ううん……、ディアナならなれるよ!」
クラリスが笑った。ディアナにはすぐに分かった。親友が自分と同じ道に進もうとしているのを喜んでいる、という気持ちを装った笑顔だ。
「違う、違うよクラリス。別に騎士になりたいんじゃないんだ」
「……じゃあ何でなりたいなんて言ったの?」
「騎士になりたいんじゃなくて、クラリスと一緒にいたいって意味なの」
「でもディアナなら簡単になれるよね。だって天才だもん」
クラリスは体を起こした。机に置いてあるグラスを手に取り、お茶をすする。ディアナも上体を起こし、横を向いているクラリスの正面に回り込んだ。
「クラリス、なれるかどうかは関係ないよ。命をかけて戦うんだから、覚悟がある人がなるべきだと思う。だから私じゃ……」
「なれるかどうかは関係ない、か」
クラリスがグラスを置いた。
「怒ってるの? ごめんね。そんなつもりじゃなかったの」
「なんで私が怒るの? ディアナの進路はディアナが決めることじゃん」
「それはそうだけど……」
――め、めんどくさい! どう見ても怒ってるくせに!
ディアナは心の中で叫んだ。たった今クラリスとずっと一緒にいたいと思ったばかりだ。だからこそ腹が立つ。なぜこっちが一方的に気遣わないといけないのだ。
――軽い気持ちで言ったのがそんなに悪いこと? 何でこんなに拗ねるの? 嫌なら嫌って言えばいいのに!
ディアナは立ち上がった。クラリスはこちらを見ない。
「……帰る」
ディアナがそう言うと、クラリスは無言で頷いた。
ディアナがいなくなった部屋で、クラリスはお茶が半分ほど残ったグラスを両手で包んだ。
風魔法でグラスの中のお茶をぐるぐると回転させる。右回り、左回りと切り替えて、お茶がこぼれないギリギリのスピードで器用に風を送り込む。
クラリスが自分で考案した、風魔法の精度をあげるトレーニングだ。地味だが、これが騎士への道に繋がると信じて時間を費やしてきた。今では習慣になっていて、考え事をしていると無意識にしてしまう。
「ディアナは何も悪くないのに」
ぐるぐると回るお茶を見つめながら、クラリスは呟いた。
私も、騎士になろうかな――ディアナのその発言は、クラリスと一緒にいたいと心から願ってのことだ。そんなことはわかっている。
ディアナは自信過剰だが、それ以上に他人を思いやれる優しい子だ。親友の夢や父親の仕事を軽んじたりしない。
「そんなこと、分かってるのに」
その瞬間、グラスからお茶が飛び散り、クラリスの顔にかかった。風の勢いが強すぎたのだ。手首で拭い、そのままディアナが治癒してくれた頬に触れた。
「こんなことができるなんて、やっぱりディアナはすごいなあ」
クラリスはディアナと一緒に騎士になった将来を想像した。
四つの属性魔法をレベル六まで使える天才で、見た目も人当たりも良い。神学校史上最高の才女と言われているように、騎士団でも規格外の結果を出して、要領よく立ち回り、高い評価を得るだろう。バルクレイも自慢の娘としてさぞ鼻が高いはずだ。
それでも、ディアナは変わらずクラリスに親しく話しかけてくれるに違いない。そしてクラリスはそのたびに思うのだ。
私の方が先に騎士になりたいと思ったのに。結局ディアナは、私が欲しいものを全て手に入れてしまった――と。
最悪なのは、ディアナだけが入団試験に受かり、クラリスが落ちてしまうことだ。その後にディアナが辞退なんかしてしまった日には劣等感で気が狂うかもしれない。
パリンッと音がした。風魔法が暴発し、グラスが割れてしまった。お茶がこぼれ、机に浸った。
クラリスは片付ける気力が湧かず、ぼんやりと破片を眺めていた。
やがて、扉が開く音がした。
「……ちょっと、部屋を汚して何してるの? ホント鈍臭い子ね」
冷たい目をした母親がクラリスを見下ろしていた。年甲斐もなく化粧の濃い顔に、胸元が開いた露出の多い格好だ。みっともなくて、クラリスは目を逸らした。
「あら、腫れが引いてるわね。それも魔法で治したの? あんたは魔法が使えていいわね」
「…………」
クラリスは光属性の適性がないので、治癒魔法は使えない。母親なのにそんなことも知らない。それほど彼女はクラリスに興味が無いのだ。
「また無視? つくづく根暗な子ね。誰に似たのかしら。言っておくけど、また森なんかに行かないでよ。あんたが死んだら養育費が貰えないから。手足が千切れても生きてなさい。私のためにね」
母親が吐き捨てるように言った。
クラリスはディアナに「父は物心つく前に滑落事故で亡くなった」と伝えたが、それは嘘だった。本当の父は、貴族として妻子と共に王都で暮らしている。クラリスは娼婦だった母との間にできた、不貞の子だった。
「あんたは黙って神官になればいいのよ。騎士なんていつ死ぬか分からないでしょ? 卒業したら養育費も打ち切られるし、安定してお金をウチに入れてくれないと私が困るの」
「…………」
「首席卒業したら良いとこの神殿に行けるっていうじゃない。あんた可能性ないの?」
「無理。ディアナがいるし」
「あの騎士の娘ね。優秀で美人って噂は聞いたことあるわ。じゃあ教師に色仕掛けでもしたら? せっかく私に似て顔は悪く無いんだから」
「神学校の教師に色仕掛けなんて通用するわけないでしょ」
「あんたには色気が無いし、無理か。はあ、あんたじゃなくて、その優秀なディアナが娘だったら良かったわ」
母と話をしても心が波立つだけだ。クラリスは日頃から無反応と否定で会話をいち早く終わらせようと心がけている。しかしこのタイミングでディアナと比べられるのは辛かった。
「おい、まだかよ!」
玄関から男の声がした。母が猫なで声で返事する。
「はーい、今行くわ〜」
そうして何着かの服を鞄につっこみ、家を出て行った。
クラリスは静かになった部屋で大きく深呼吸をし、散らばったグラスの破片を拾い集めた。
途中、破片のせいで指に小さな切り傷ができた。赤い血がじわりと滲み出てくる。
クラリスは不意に涙が溢れた。ディアナならこの傷も簡単に治せるだろう。いや、きっと怪我なんてしない。クラリスの母親と違って、ディアナの母のゼニアなら、一緒に片付けてくれる。そんなことを考えると、涙が止まらなかった。
翌日、ディアナは教室に入ってきたクラリスに声をかけた。昨日の件を謝りたかった。こんな喧嘩はさっさと終わらせて、また親友同士に戻りたかった。
クラリスの家庭環境や嫉妬されていることなどつゆも知らないディアナには、すぐそうなれると思った。
「おはよ、クラリス」
「…………」
ところが、ディアナが挨拶するとクラリスは無視をした。腹立たしいのは、ディアナ以外とは普通に接していることだ。
放課後も、クラリスは一人でそそくさと帰ってしまった。どうせ校門前ではバルクレイが待っている。ディアナは何もかもが嫌になって、読書でもして気を紛らわせようと図書室に向かった。
「あー、もうっ!」
しかし全く集中できず、読んでいた本を勢いよく閉じたのだった。ページをめくって文字を目で追ってはみても、頭には何も入ってこない状態だ。
「……あ」
はっと我に返り、辺りを見渡す。周囲に何人かいた生徒たちが驚いたようにこちらを見ている。ディアナは取り繕うように口に手を当てて、首を傾げて微笑んだ。
「失礼いたしました。本に虫がついておりましたので」
そう言うや否や、男たちがこぞって群がってきた。
「ディアナ様! 僕が虫を退治して差しあげます!」
「
「もし虫に食われて本が読めなくなっているなら、この本はいかがですか!?」
ここぞとばかりにアピールしてくる彼らに、ディアナはやさしげな笑みを浮かべて答えた。
「結構ですわ。すでに私の魔法で跡形もなく焼き殺しておきました」
「えっ」
男たちが声を漏らす。お淑やかで儚げなディアナのイメージに、焼き殺したという物騒な言葉はあまりに不似合いだ。
「でも今、魔法の詠唱なんて……」
ディアナが人差し指を立てた。
「私、レベル一の魔法なら全て無詠唱で使えますの」
そう言うと同時に、人差し指に小さな火が点いた。ほのかに香る焦げ臭さが鼻につく。
レベル一は火属性だと薪に火種を点けたり、土属性だと土を少し盛り上げたりする程度の簡単な魔法だ。しかし無詠唱で発動できる学生は一人もいない。教師の中でも数名といった程度だ。
男たちが感嘆の声をあげる。そこに司書の女性が怒りの表情で割り込んできた。
「男女の接近は校則で禁じられております、離れて下さい! ディアナさん、あなたが来ると毎回騒ぎが起こるので出禁にします!」
男たちの落胆の声が図書館に響いた。ディアナもさすがに出禁は困る。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。では、償いとして雑用をさせて下さい。私も日頃からみなさんに図書室を快適に利用して頂きたいと考えておりますので、明日から毎日放課後に本の修復作業や整理を致します。お断りされても、自主的に致しますわ」
ディアナはそう言いながら、内心ではそんな面倒なことをしたくないと思った。これは撒き餌だ。
案の定、男たちが一斉に挙手をした。
「ディアナさん! 僕も手伝います! 明日から毎日ですね!」
「いえ、
「僕も毎日来れますよ! もちろん、本が好きだからです!」
司書はうんざりしたように、もう結構です! と叫んだ。ディアナは出禁を回避した。
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