第9話 実験台

 小鳥のさえずりが聞こえる朝、ディアナは目覚めと共に憂鬱に苛まれた。おそらく今日もバルクレイが送迎をしてくるからだ。


 ディアナは父を尊敬しているし、同級生のどの父娘関係よりも良好だと自負しているが、毎日監視のように付きまとわれるのはさすがに苦痛だった。


 ――勝手に北の森に入ったから、信頼をなくしたんだ。


 ディアナはため息をつく。そもそも騎士の仕事に支障は出ないのだろうか。いくらやる気の無い下っぱ騎士だとしても、娘の送迎に時間を割くのは問題だ。もうすぐ学生も終わりの年齢なのに、さすがに親馬鹿が過ぎる。


「クラリス、今日は登校できるかな」


 寝ぐせを整え、制服に着替えながら呟いた。バルクレイの過保護に加えて、クラリスに会えないことも憂鬱の原因の一つだ。


 北の森での出来事から四日が経った。クラリスはその間学校を休んでいる。同じように怪我をしたディアナが翌日には全快したのだから、クラリスだけまだ体調が悪いというのは変だ。


 ディアナは放課後にクラリスのお見舞いをすることにした。


「おはよー」


「おはようディアナ! 今日も世界一かわいいよ!」


 食卓に行くと、バルクレイがこちらの気も知らずに陽気な挨拶をした。ディアナは普段なら「パパも世界一だよ」と返すところだが、軽い意地悪のつもりで無視をしてやった。すぐに「ディアナが冷たい!」と大騒ぎするはずだと思った。


 しかしバルクレイは多少気にするような表情をしたものの、何も言わなかった。ディアナはそれが妙に気まずくて、重い気持ちで朝食を取る羽目になった。


「あら、ちょっと顔色が悪いんじゃない?」


 ゼニアがディアナの顔を覗き込む。


「うーん、何か気が晴れなくて……」


「昨日クラウディア先生とたまたま会って話したんだけど、クラリスちゃんはまだ休んでるらしいわね。あんなことがあったんだから仕方ないわよね」


「うん……うん! そうだよな、怖かったよなあ! 戦うのは怖い! だからディアナはこのまま神官になれば大丈夫だからね」


 バルクレイが握り拳を作って言った。


「……パパ、何の話?」


「いや、ディアナは僕が守るっていう……」


 話の持っていき方に違和感を覚えつつ、ディアナはついでに送迎の話をすることにした。


「守ってくれるのはわかったけど、いい加減送り迎えはやめてほしい。っていうかやめて」


「いや! 絶対に送るよ! ディアナの身に何かあったら大変だからね!」


「危険なことなんてあるわけないじゃん。平和だけが取り柄の田舎街だよ」


「もしかしたら今日に限って危ないことが起こるかも……」


「じゃあ送るのは許すけど迎えはいらない。もし今日もクラリスが学校を休んだら、帰りはクラリスの家にお見舞いに行きたいから」


「じゃあパパも一緒に……」


「だめ! 年頃の女の子の家におじさんがついてくるなんて犯罪だよ!」


 ディアナが一喝した。バルクレイは驚いたように口を開けている。


「ディアナもパパもケンカはだめよ。はい、あーん」


 するとゼニアが、にこやかにバルクレイの口に熱々のスープをすくったスプーンを放り込んだ。


「熱つ! ちょ、まマ、ごほっ」


 舌を出し咳き込むバルクレイを見て、ゼニアが微笑む。次はディアナだ。


「ほらディアナちゃんも。あーん」


「わ、私は大丈夫。自分の分でお腹いっぱいになっちゃうから……」


「そう? 残念。久しぶりにあーんしたいのに〜」


 ゼニアは頬をさすった。ディアナは舌を火傷して悶えるバルクレイを見て、少しだけ優しくしようと思った。





 クラリスは今日も学校を休んだ。ディアナは放課後、校門で待っていたバルクレイを強引に追い払い、クラリスの家に向かった。


 クラリスは母と二人暮らしだが、ディアナが訪問するたびに家を空けているので、ディアナはクラリスの母親と一度も会ったことが無い。


「……来てくれたんだ」


 ディアナが到着すると、クラリスが扉を開けた。


「どうしたのその顔!?」


 ディアナは彼女の顔を見るや否や思わず大声で叫んだ。クラリスの頬が大きく腫れている。


 クラリスはとりあえず部屋に上がるよう促した。ディアナがクラリスの部屋で腰を下ろし、ひと段落した頃、クラリスが呟いた。


「これ、母さんにやられたんだ」


「……え?」


 ディアナが眉をしかめる。母親が子供に手をあげるなんて、ゼニアだったら絶対にあり得ない。飲み込めずうろたえるディアナを見て、クラリスは苦笑した。


「魔獣とも戦えるってことを証明したかったのに、真逆の結果になっちゃったじゃん? 騎士になるのはやめろって言われてさ。でも諦めたくないから精一杯抵抗したの。そしたら、ばしーん、って」


 ディアナは何も言えず黙り込んだ。クラリスの柔らかいほっぺが痛々しく腫れていて、自分のことのように辛い。


「ディアナ、ありがとう」


 クラリスが言った。ディアナは首を傾げる。


「……何が?」


「ゴブリンに襲われたとき、私は気絶したじゃん。私が助かったのはディアナのおかげだから。治療院ではそのお礼を言えてなかったし、今日だって心配して来てくれたんだろうし」


「そんなのいいよ。治療院でパパが言ってた通り、私も一人じゃ助からなかったんだから」


 ディアナの「パパ」という言葉にクラリスの肩が微かに震えた。


「……そうだよね。バルクレイさんが言うことは正しいもんね……」


「過保護で口うるさくて、嫌になるときもあるけどね」


 ディアナは肩をすくめる。今だってまさにそれで迷惑している。

 けれど、それだけ彼がディアナを想ってくれているということで、それが分かってしまうから嫌いになれないのだ。


「そっか」


 クラリスが小さな声で呟いた。ディアナは胸がチクリと痛んだ。いつも元気で明るいクラリスが、目に見えて落ち込んでいる。


 ――クラリスの笑顔がみたい。


 ディアナは意を決して、クラリスの腫れた頬に触れた。


「……え? 何?」


 突然の行動に、クラリスが目を丸くする。


「いざというときのために治癒魔法をもっと練習したいと思ってたの。実験台になってくれない?」


「実験台?」


「うん。この頬、治させて」


 治癒魔法は、緊急時以外は治癒魔法士の資格を持つ者でないと施術してはいけない決まりになっている。知識や技術がないのにむやみに使用すると間違った治り方をして、結果的に悪化してしまうからだ。その場合、腕利きの治癒魔法士でも治せなくなることもある。


 ディアナが訪問してから常にうつむいていたクラリスが、目を丸くしてディアナを見つめている。


 ディアナはやっとクラリスと真正面から目が合ったので嬉しかった。けれどその目はどこか怯えているように見えて、そんな顔をしているのが許せなかった。


「もし失敗して間違った治り方をしたら、私が責任とってあげる」


「責任?」


「だって顔の治療じゃん? 最悪お嫁に行けないかも」


「じゃあディアナがもらってくれるってこと?」


「うん」


「……女同士なのに?」


「関係ないよ。クラリスのことは愛してるもん。毎朝おはようのキスをしてあげる」


「……ふふっ」


 ディアナの大真面目な顔を見て、クラリスが噴き出した。


「してあげるって、なんでディアナにキスされて私が喜ぶ前提なの?」


「当たり前じゃん。この私のキスだよ? あ、もしかしてその程度じゃ満足できなくて、もっと先までさせろってこと? どうしてもって言うならいいけど、さすがに毎朝はちょっと……」


 ディアナが困ったような顔をすると、クラリスは我慢できずに腹を抱えて笑った。


「ぷっ……くはは。私そこまで変態じゃないから! ていうか自信過剰すぎでしょ! さすがディアナ様だなあ」


 ディアナの胸に、温かい気持ちが込み上げてくる。クラリスが笑ってくれた。お見舞いに来てよかったと心から思った。


「じゃあいい? 行くよ」


 ディアナがクラリスの腫れた頬に手をあてる。


「うん。ついでに顎をシャープにして欲しいんだけど」


「クラリス、そんなの狙ってできないから」


「なーんだ。役に立たないな」


「なんかムカつく。手元が狂いそう」


 ディアナがそう言った後、またお互い笑い合った。口を開けば冗談ばかりの、いつもの二人のやり取りだ。そのせいで魔法を発動できるほど集中するまでに時間がかかった。


 やがて落ち着いたディアナは、クラリスに治癒を施した。少なくともあと二日は残ったであろう腫れが完治した。


 クラリスが鏡を見ながら言う。


「あれ、私もっとかわいかったはずなのに。ディアナ、約束通り責任とってよ」


「いや、元通りだから。クラリスの顔は昔からその程度だから」


「その程度って何!?」


 クラリスがディアナに組みつき、二人で床を転げ回った。ひとしきりじゃれ合って、二人は密着したまま荒くなった息を落ち着けた。


 ディアナは久し振りに腹の底から笑った気がした。心が軽い。クラリスに笑って欲しくて始めた治癒魔法のくだりも、結局自分のためだった。クラリスが楽しいとディアナも楽しいのだ。


「ディアナ、ごめんね。私、ディアナに嫉妬してた」


 クラリスが唐突に言った。


「嫉妬?」


「うん。ディアナは何でも持ってるじゃん。羨ましくて、今日もずっとディアナの顔がまともに見れなかった。でも、何だか馬鹿馬鹿しくなっちゃった。だってディアナってこんなに馬鹿なんだもん」


「馬鹿!? 私はテストじゃ百点しか取ったことないのに!」


「そんな話じゃないのに」


「あはは、もちろん分かってる」


 クラリスがディアナをぎゅっと抱きしめた。ディアナも同じ力で返した。


 ――クラリスと一緒にいたいな。いつまでも。


 ディアナは心からそう思った。


 しかし、二人はあと一年足らずで神学校を卒業してしまう。そうなるとお互い神官と騎士で離ればなれだ。同じ街に配属されたら頻繁に会えるかもしれないが、可能性は限りなく低い。


 ディアナにとって、クラリスはかけがえのない存在だ。そう強く意識するほど、いずれ来る別れを想像して悲しくなってしまう。


 それならお互いが同じ道に進めば、まだ一緒にいられるかもしれない。


 そう考えた結果、ディアナは大した決意も覚悟もなく呟いた。


「……私も、騎士になろうかな」


 ディアナは腕の中で、クラリスの体に力が入るのを感じた。

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