第8話 隠しごと

 治療院を出たバルクレイは、その足で北の森に訪れた。ディアナのレベル六の火魔法〈華炎弁カエンベン〉によって、広範囲が見晴らしの良い焼け野原となっている。


 バルクレイは二日前を思い出す。炎が木々を巻き込んで燃え盛る光景は、まるで高レベルの魔法が飛び交う戦場のようだった。街中の衛兵をかき集めて消化活動を行い、何とか鎮火することができたが、森の形が大きく変わってしまった。


 バルクレイが焼け焦げた大地を踏みしめながら進んで行くと、焼け野原の中心に王国騎士団長のジェラルドと、その息子マルコがいた。


 もう日が傾き始めていて、西の空が赤く染まっている。


「バルクレイ! お前の娘、随分派手にやっちまったなあ!」


 ジェラルドが豪快に笑った。バルクレイは下唇を噛み締める。長閑さが取り柄のノタの街で、よりにもよって騎士団長の滞在中にディアナが事件を起こしてしまった。バルクレイにはというのに。


「団長、ディアナがやったということは内密にするつもりです」


 そう言うバルクレイを、マルコが鋭く睨みつける。


「こんな大事件の犯人を、自分の娘だからと隠蔽するのですか?」


 非難する言い方だ。後ろめたさでバルクレイの胸が痛む。しかしジェラルドは賛同してくれた。


「それがいいだろう。一学生があの規模の魔法を使ったなんて知られたら混乱するからな。『魔獣被害を抑えるために森の一部を焼き払った』とか、理由の付けようはいくらでもある。幸い目撃者も少ない」


 ジェラルドは辺りを見回して、続けた。


「しかし、レベル六の〈華炎弁〉にしちゃ随分な被害だ。この現場じゃレベル十相当の魔法が使われたと言われても……」


「ディアナが使えるのはレベル六までです」


 バルクレイは強く断言した。


 人類ヒューマニティの魔法は威力によってレベル分けされている。


 レベル六は密集した三人前後を一撃で葬る規模の魔法に設定される。一方、レベル十は地形に大きく影響を与え、地図を書き換える可能性がある災害級の魔法を指す。

 魔法は術者によって使用回数や撃ち出すスピードに差はあるものの、威力に関しては個人差が少ない――というのが常識だった。


「命の危機に瀕することでリミッターが外れたのかもしれません。今回はたまたま、このような結果になりましたが……」


 バルクレイは一刻も早くディアナの話を終わらせたかった。だが、マルコがそれを許さなかった。


「たまたま? 本気で言っているのですか!?」


「…………」


 黙り込むバルクレイ。マルコはさらに声を荒らげる。


「十四歳の少女が、地形を変える大魔法を放ってたまたま!? こんな危険な力を野放しにするなんて! しかも彼女は人類ヒューマニティが使用できる全ての属性魔法をこれと同等のレベルで扱えるそうですね! そうなると……」


「黙れ、マルコ」


「……!」


 ジェラルドが凄んだ。息子に向けるには凶悪すぎる殺気だ。マルコは口をつぐんで後ずさりした。


「そんなことはバルクレイも分かっている。それよりも今は、例の黒いナイフの件が先だ。どうだった?」


「ディアナを見つけてくれた冒険者に話を聞きましたが、彼らに心当たりはないそうです。倒れているディアナとクラリス以外、誰も見なかったとのことでした」


 ディアナが危機を脱する契機となった、柄から刃先まで黒で統一されたナイフ。黒曜石のような素材で造られており、斬れ味はあるが耐久性は低い。武器というより装飾品に近かった。


 ジェラルドとマルコは衛兵が回収したそのナイフを見た途端顔色を変え、バルクレイに調査を指示したのだった。


「本当なんですか? 暗殺者なんて……」


「ここまでの道中もしつこく狙われた。間違いなく鬼人ヴァンパイアの暗殺者だ」


 王国上層部では、まもなく鬼人ヴァンパイアとの全面戦争が始まると予想されている。それを裏付けるように、近頃王国の要人が鬼人の暗殺者に狙われる事件が頻発していた。


 騎士団長のジェラルドもターゲットの一人だ。何人も返り討ちにしてきたが、この黒いナイフの使い手だけはいつまでも尻尾を掴めずに手こずっている。この街に入ってからは敵の動きが無かったが、暗殺対象であるジェラルドから離れたこの場所でナイフが見つかったのは不可解だった。


「このままだとお前の娘に危害が及ぶかもしれん」


 そう言ったジェラルドを、バルクレイが睨む。


 ジェラルドとマルコがノタに来た目的は、『瞬剣』バルクレイを王都の騎士団本隊に連れ戻すことだ。彼らは戦争に備えて、騎士団の戦力増強を計っているのだ。


 一方で、バルクレイの目標はこの平和な田舎街にて家族三人で仲睦まじく暮らすことだ。それ以外に望むものは何一つない。だから駐在所でジェラルドに「本隊に合流して欲しい」と頼まれたときはキッパリと断った。


 バルクレイの目には、ジェラルドは戦争の話を持ってきただけでなく、暗殺者を引き連れてきた災禍そのものに映った。


 バルクレイは無意識に睨んでしまった自分に気付き、すぐに目を伏せる。しかしジェラルドは見逃さなかった。


「バルクレイ、俺も申し訳ないとは思っている。だがお前と共にヴァージニアス家が王都に来れば解決する、とも考えられないか? 王都はこの街と違って騎士が多い。手練の護衛もつけてやれる。いっそディアナを騎士団に入れちまえばいい。訓練を通して自分自身を守る力を身につけてくれたら、お前も安心できる……」


「それだけはダメです! ディアナを守るために軍部に放り込むなんて支離滅裂だ! 無茶苦茶なことを言わないで下さい!」


 バルクレイが遮るように叫んだ。ジェラルドは目を見開き、なるほど、と呟いた。


「お前が七年前、騎士団を辞めようとしたのは娘を戦場から遠ざけるためか」


「…………」


 バルクレイは返事をしなかった。ジェラルドもそれ以上追及しなかった。マルコだけがよく分からずに眉をしかめた。





 翌朝、ディアナはいつも通り家を出た。するとバルクレイが追いかけてきて、送迎すると言ってきた。


 ディアナは最上級生にもなって父親に校門まで付き添われるのは気恥ずかしくて嫌だったが、昨日怒られたこともあって断りきれず、仕方なく父娘で通学路を歩いた。


 北の森の出来事は、大規模な火災として学校でもかなりの騒ぎになっていた。ディアナは相応のペナルティを覚悟していたが、彼女の仕業であったことはバルクレイが騎士の権限で揉み消してくれたようだ。


 ディアナはいくら何でも娘に甘すぎると思ったが、治療院でずっと塞ぎ込んでいたクラリスのことを考えると、これで良かったのかもしれないとも思った。


 授業が始まってもクラリスは登校しなかった。担任のクラウディアが「クラリスさんは風邪をひいているようです」と説明し、授業が始まった。


「それでは、本日は魔法についておさらいです。人類ヒューマニティが使える魔法は全六属性中の四属性、火、地、風、光だけですね。残りの水属性と闇属性を使えないのはなぜですか?」


 クラウディアが教室を見渡す。


「では、よそ見をしているディアナさん」


「あ……、はい」


 ディアナはクラリスの席から視線を外して、立ち上がった。


人類ヒューマニティが水と闇属性魔法を使えないのは、人類の神獣であるアポロン様がそれらを使うことができないからです。水属性を使用できるのは神獣ポセイドンの血を引く水棲人アクアレイスのみ、闇属性を使えるのは神獣アレスの血を引く鬼人ヴァンパイアのみです」


「その通りです。クラリスさんが心配でもちゃんと授業は聞いてるようですね」


「申し訳ありませんでした。集中いたしますわ」


 ディアナは恭しくお辞儀し、腰を下ろした。クラウディアは咳払いして講義を続ける。


「神学生は魔法適性があることが入学条件なので、この教室にいるみなさんは魔法が使えますが、本来は誰でも使えるものではありません。人類ヒューマニティは二人に一人程度の割合が適性を持つとされています。使える者の大半が一属性のみ、二つ以上は稀です。そして現在、人類ヒューマニティの中では水、闇属性の魔法を使える者は確認されておりません」


 ノートを取るまでもない内容だったので、ディアナは羽ペンを置いた。またクラリスの席を見て呟いた。


「心配だな。勉強しないと入団試験にも落ちちゃうよ」


 彼女がいないと、ディアナの学校生活は静かすぎて落ちつかなかった。


 クラリスはそれから三日間欠席した。さらに、なぜかバルクレイの送迎が毎日続いた。まるで要人警護のようなボディガードぶりで、行動報告を逐一求められた。過保護もここに極まれりだ。


 王都から二人の騎士が来ており、うち一人は顔立ちの綺麗な若手エリート騎士らしい――という噂が、神学校の女生徒の間でもちきりだったが、ディアナの頭の中はクラリスへの心配とバルクレイのうっとうしさでいっぱいだった。





 夜半、宿屋の一室にて、マルコは窓の外や廊下を注意深く警戒していた。誰もいないことを確認し、鍵をかける。ジェラルドの向かいのソファーに腰を下ろした。


「いくら戦力増強のためとはいえ、バルクレイ殿に固執し過ぎです。本隊に合流させたとして戦力になるとは思えません。何よりも忠誠心が低い。王国を守るという意識が感じられません」


「忠誠心が低いんじゃない。んだ。奴の態度で何となく合点がいった」


 ジェラルドがため息をついた。バルクレイとのやり取りで、おぼろげながら彼の心の内が見えてきた。ジェラルドの予想はこうだ。


 人類ヒューマニティの各国では、七歳になると『洗礼』が行われる。そこで魔法適性や総量の鑑定がなされる。


 魔法適性の有無は就ける職業にも大きく関わるので重要だ。特に光属性に適性があると生活が一変する。治癒魔法が使えるからだ。


 ディアナもまだ王都に住んでいた七年前、洗礼を受けた。そこで火・地・風・光の四属性、つまり人類ヒューマニティが使える全ての適性を有していることが明らかになった。


 これを騎士団に知られたらどうなるか。強引に引き込まれることは容易に予想できる。この国が洗礼を義務付けているのは、才能を見出すためという理由もあるのだ。


 バルクレイは愛娘を魔法兵器にしたくなかった。戦場から遠ざけるため神官を買収して口止めし、騎士団を辞めるつもりだった。


 だが、彼ほどの戦力を理由も分からず退団させるわけにはいかない。上層部に粘り強く引き止められ、遠く離れたノタの街に異動という形に留まった。騎士が少ない田舎街なら情報統制も容易い。四属性持ちの噂が市井で広まっても「そんな者はいない」とバルクレイが報告してしまえばそれまでだ。


 しかし結局、ジェラルドとマルコに見つかってしまった――。


「……これが大まかな流れだろう」


 ジェラルドの説明はあくまで推測だが、筋は通っている。だからこそ生真面目なマルコに許容できる話ではなかった。


「騎士でありながら洗礼の結果を隠蔽し、七年もの間虚偽の報告をし続けたというのですか。許せません」


「そう悪く言うな。バルクレイもかつては人類ヒューマニティを背負い、命懸けで戦果を上げた男だ。娘のためだけに地位を捨てるのは悩ましい決断だったに違いない」


 マルコは眉をひそめる。ジェラルドは元直属の部下だったバルクレイに情があるのか、どうも庇いたがるきらいがある。


「父上、私はバルクレイ殿が戦力になるとは思えませんが、いっそ彼とディアナを同時に獲得してしまえばいいのでは? もしディアナが入団すれば、彼女を守るためにバルクレイ殿もついてくるでしょう。バルクレイ殿は虚偽報告の処罰対象、ディアナは高レベルの魔法使いとして国家の管理下に置く。どちらも大義名分はあります」


「…………」


 ジェラルドは腕組みし、黙り込んだ。マルコが焦れたように言う。


「彼女がこちらの駒にならないのであれば、騎士団の誇りの下にディアナを始末するしかありません。万が一ディアナが暗殺者を通じて鬼人側に渡ったら、騎士団でも最上位クラスのレベル十の魔法が人類に向けられることになる。どれだけ自らが手を汚してでも、王国を守ることを最優先する。それが騎士道でしょう」


 マルコは自身の提案に一切の後ろめたさは感じていない。正しいことだと心から信じている。それがジェラルドから教わった騎士の矜持だからだ。


 ジェラルドは目を見開いたが、すぐにマルコから視線を外し、天井を見上げた。


「……分かった。ディアナを騎士団に勧誘する」


 そう言ってため息をついた。

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