第7話 怒られてない

 目を覚ましたディアナの視界に映ったのは、見知らぬ天井だった。


 なぜか室内のベッドで横になっている。彼女が覚えているのは、北の森でゴブリンの群れを〈華炎弁〉で殲滅し、誰かが助けに来てくれたところまでだ。


「……ディアナ! 気がついたのか!?」


 ベッドの横で椅子に座っていたバルクレイが覗きこんでくる。


「……パパ」


 ディアナが呟くと、バルクレイは思いっきり背もたれに体重を預け、長いため息をついた。


「はああああああぁぁぁ……良かった……!」


 ディアナの隣のベッドで寝ていたクラリスも目を覚ました。


「うーん……、ディアナ……え、バルクレイさん!?」


 バルクレイがいることに驚いている。ディアナは寝たまま首だけを動かした。クラリスは頭に包帯を巻いていた。部屋の内装からして、ここはノタの街の治療院のようだ。


「クラリスも気がついたか。二人とも治癒魔法士のおかげで外傷は無いはずだが、念のため傷の調子を確認してくれ」


 バルクレイの指示通り、ディアナは右手を毛布から出して上に向けた。


「私の右手、直視できないくらいバキバキだったのにすっかり治ってる」


 治癒魔法自体はディアナも適性があるので使うことができるが、大怪我なんてしたことがなかったため、小さな切り傷を塞いだことがある程度だった。


「私も大丈夫です」


 クラリスも頭をさすりながら言った。


 ディアナとクラリスは上体を起こした。怠さもなく、喉が渇いてる以外は至って平常だ。人生初となる命の危機だったが、何とか助かったようだ。


 しかし安堵したのも束の間、ディアナはバルクレイの眉をひそめた真剣な表情に気付き、背筋を伸ばす。


 ディアナたちは二人だけで森に入ってしまった。「北の森に近づくな」は街の鉄則だ。子供の頃から親や周囲の大人に口酸っぱく言い聞かされた。しかも彼女たちは周到に準備し、計画的に実行している。どれだけ怒られるか想像もつかない。


 ディアナは、バルクレイがクラリスに向かって木刀を振り上げたときの鬼気迫る表情を思い出した。甘やかされて育ったので今まで一度もなかったが、ついに叩かれてしまってもおかしくない。


「ていうか、直視できないくらいバキバキって一体何が……」


 クラリスが話しかけようとした瞬間、バルクレイが動いた。


 ディアナは反射的に身震いし、目をつぶった。


 ――頬? それとも頭!? どちらにせよパーなはず。まさかパパに限ってグーは無い。グーは無いでしょ!? お願いします神様!


 ディアナは脳内で祈った。結果として、彼女の予想は何もかも外れた。


 バルクレイはディアナを抱きしめたのだった。



「ディアナ……! 生きててくれてよかった……!」



 ディアナはバルクレイの強すぎる腕の力に驚いて、ただただ身を固めた。クラリスを見ると、彼女も驚いたのか呆然としている。


「苦しいよ、パパ」


 ディアナがかろうじてそう言うと、バルクレイが慌てて体を放した。


「……ごめんディアナ。つい」


 その顔はやつれていて、目の下にくまがある。バルクレイは立ち上がって頬をさすった。何と言おうか考えている顔だ。怒っているようにも、安心しているようにも、泣き出しそうにも見える。


 ――ああ、私、悪いことをしたんだ。


 その顔を見て、ディアナは胸に棘が刺さったような痛みを感じた。それはゴブリンのこん棒をまともに喰らうより、何倍も痛かった。


 扉の向こうで廊下を歩く誰かの足音が聞こえる。それが通り過ぎていくまでの間、三人とも喋らなかった。


「……ごめんなさい、パパ」


 沈黙を破り、口を開いたのはディアナだ。


「ん、あー……」


 バルクレイが歯切れの悪い返事をする。


「私たちには魔法があるからどうにでもなるって、驕ってた。森で魔獣と戦うってことがあんなに危険だなんて知らなかった。ううん、知ってはいたけど、心から理解できていなかった」


 それは決して優等生的な繕った発言ではなく、紛れもない本心だった。


 ディアナは自分の力を過信していた。本当の戦闘を知らなかった。普段着ない装備を身につけて、短剣を持って、一生経験しないであろう冒険者になった気分で、浮かれていた。


 魔獣の巣窟である北の森で、クラリスとジャンケンしたり大声でじゃれあったりしていたなんて、今考えたら正気じゃなかった。こうして生きていただけで奇跡だ。心からそう思う。


「……あ、あの! 誘ったのは私で!」


 クラリスが挙手して言った。


「ディアナはついてきてくれただけなんです。ゴブリンが背後にいたのに私が気付けなくて、気を失っちゃって。ディアナも怪我したみたいだけど、きっとディアナだけだったらこんなことにならなかったんです!」


 ディアナは首を振って否定する。


「そんなことないよ。クラリスのせいじゃない。私もダメだった。あの場面で使い慣れてない短剣でどうにかしようとしたし、詠唱時間の長い魔法を選んじゃったし」


「そんなことないよ! 私でも一匹倒せたんだよ? ディアナならゴブリンなんて、何匹いようと……」


「関係ないよ。それに、問題は魔法力じゃない」


「関係あるよ! 魔法は通じたじゃん!」


「そういう話じゃないの! 私たちに足りないのは強さじゃなくて危機感で……」


「――静かにしなさい! ここは治療院だぞ!」


 言い合うディアナとクラリスを、バルクレイが一喝した。二人は無言でバルクレイを見上げる。


「……クラリス。ディアナの言う通りだよ。二人は魔法力だけで言えば確かに魔獣に通用する。実際にディアナは十匹以上のゴブリンを火魔法で灰塵にした。だ」


「え、十匹以上……?」


 クラリスがディアナに視線を向けた。クラリスは気を失っていたので初めて知る情報だ。


「とはいえ、その魔法が当たったのは運が良かっただけだ。魔法使いの火力は詠唱時間を稼ぐ前衛がいてこそ役に立つ」


 ディアナはあのときのことを思い出す。


 誰かが投擲してくれたであろう、柄から刀身まで全面が黒で覆われたナイフのおかげで間近の一匹が倒れ、群れが混乱し、隙ができた。バルクレイの言う通り、ディアナの魔法がどれだけ優秀だろうと、単独ではあの状況を切り抜けられなかった。


「魔法使いが一人で戦うには、撤退を念頭に置いたうえで距離をとって相応の立ち回りをしなければならない。そもそも一人で囲まれた時点で負けだ。といっても、教わる機会がなかったんだろうけど……違うな、闘い方の話をしたいわけじゃない」


 バルクレイは頭を掻いた。上手く説教できない。ディアナは絵に描いたような優等生だったので、今までまともに叱ったことはなかった。そもそもディアナは、彼が最も伝えたかった「危機感の無さ」をすでに自覚して反省している。バルクレイからすれば、これ以上何かを言うとしたら戦い方の話しかない。


 一方、ディアナとは違って、クラリスはまだ納得していなかった。


「でも、バルクレイさん! 私だって最初の一匹を一撃で倒せましたし……」


「おそらく距離が離れていたんだろう。僕と模擬戦したときのように、その距離を埋める工夫をしないゴブリンだったから、簡単に勝てたと思って油断したんだな」


「……すいません……」


 クラリスが目に見えて肩を落とした。丸めた背中から落胆の度合いがうかがえる。


「とにかく二人は夜まで休んでいなさい。そして二度と無断で森に入らないように」


「うん、分かった」


 ディアナが返事する。クラリスは無言だった。バルクレイは二人の落ち込んだ表情を見て安堵し、部屋を出て行った。



 扉が閉じた後、ディアナとクラリスはしばらく黙り込んだ。二人でいるときに会話しないのは久しぶりだ。


「……怒られた〜!」


 沈黙に耐えられなかったディアナが、勢いよくベッドに倒れこみながら叫んだ。


「え、……?」


 クラリスが驚いた顔をした。ディアナはなぜ疑問系なんだろうと不思議に思った。クラリスだって怒られてしょんぼりしているではないか。


「えーと……、ただ魔法が上手いだけじゃダメなんだね。奥が深いなあ」


「うん……、そうだね」


「下級生に見られなくて良かった。神学校史上最高の才女であるこのディアナ様が、ゴブリンごときにやられそうになったなんて幻滅されちゃう」


 クラリスの顔色を確認しながら、ディアナは冗談の声色を作って言った。


「うん……」


 クラリスの反応が悪い。いつもの彼女なら、てっきり「自分で言うな」とか、「私はそのゴブリンごときに不意打ちでやられたんだけど」なんていうツッコミがくるはずなのに。


 ――よほどショックだったんだな。


 ディアナは再び胸が痛むのを感じた。ディアナとクラリスでは、今回の失敗のダメージが違う。クラリスは魔石の回収もできなかったうえに、憧れているバルクレイに怒られてしまった。落ち込むのは当然だろう。


 少しでも元気になって欲しい。ディアナはどうすれば良いか分からず、空元気で話し続けた。





 クラリスは頭の中が真っ白で、ディアナの声がまるで入ってこなかった。


 怒られた、と。ディアナはそう言った。


 ――怒られた? ディアナは褒められたじゃん。今すぐ騎士団に入ってもエース級だ、って。


 クラリスには物心つく前から父がいない。二人暮らしの母親とは不仲で、会話はほとんどない。そんなクラリスにとって、ディアナの家族は眩しすぎた。


 愛していることを全身で表現してくれる両親。娘も愛されていることを自覚していて、煩わしいときは適度に拒絶もできる。そんな理想のような親子関係。


 クラリスは家族愛、特にに飢えていた。だからこそディアナの家で模擬戦をした際、ずっと思い描いていた強くて優しい理想の父親であるバルクレイに憧れた。


 バルクレイが自分の父親だったらどんな生活になっていただろうか、ディアナのように自分も愛してくれただろうかと、永遠に実現することのない妄想をした。


 先程、バルクレイはディアナを抱きしめた。それを見たクラリスは、自分を抱きしめてくれる人はいないのだという悲しい事実を再認識した。


 ――ディアナは褒めた。それなのに私は褒めてくれなかった。バルクレイさんは、私に対しては厳しいことしか言わなかった。


 クラリスは考えて、すぐに納得する。


 ――そんなの、当たり前だ。バルクレイさんにとってディアナは本当の娘で、私はあくまで娘の友人でしかないから。


 バルクレイからしたら、クラリスは大事な一人娘を自分勝手な事情で巻き込み、危ない目に遭わせた加害者だ。こんなことになるならアドバイスや模擬戦なんかしなければ良かったと思っているかもしれない。クラリスの胸を暗い不安が覆っていく。


 クラリスはベッドに横になって、ディアナに背を向けた。


「クラリス? やっぱりまだ頭が痛い?」


 純粋に心配してくれているディアナのやさしい声を聞くと、自分が惨めで泣きそうになってくる。


 ディアナは美人で要領が良く、才能がある。そして何より、クラリスが最も欲しい親からの愛を持っている。


 大好きな親友に対して、こんな感情を抱くなんて考えたこともなかった。魔法の成績を遥かに上回られても何とも思わなかった。しかし今、クラリスはディアナに抱く気持ちをはっきりと自覚した。



 ――私、ディアナに嫉妬してる。



「……うん、ちょっと痛いかも。もうちょっと寝てるね。そしたらたぶん、大丈夫だから」


 クラリスは声を絞り出すようにそう答えて、毛布を頭の上までかぶった。


「あ、そうなんだ。話しかけてごめんね……」


 ディアナはそれから一言も喋らなかった。クラリスは毛布の中で足を抱え込み、猫のように小さくなった。

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