第5話 北の森に行く
「ディアナお願い! 一緒に北の森に行ってくれない?」
クラリスが力強く手を合わせる。
「……森?」
「うん。私には足りないから」
ディアナの家でクラリスとバルクレイが模擬戦をしてから一週間。一人で考えこむことが多かった彼女だが、予想外の結論を出していた。
「待って、クラリスの言いたいことはだいたい分かるよ。パパと戦った結果、入団試験に合格するには戦闘経験が足りないと思った。そのために北の森で魔獣と命がけの戦いがしたい、ってことでしょ?」
「さすがディアナ! その通り!」
ノタの街は石壁に囲まれており、外の北側には壁に沿うような形で大きな森がある。魔獣が生息し危険なため、大人でも寄り付かない。ましてやディアナとクラリスのような未成年の女の子が入るなんてまずありえない場所だ。
「北の森はさすがにちょっとなあ……」
ディアナがやんわり拒否すると、クラリスは彼ディアナの手を握り、じっと目を見つめた。
「バルクレイさんが入団試験には毎年対人戦があるって言ってたでしょ? 試験を受けるのってどういう人たちだと思う?」
「ええと……、騎士学校の卒業生や現役の冒険者、田舎の荒くれ者、もしくは家庭教師つきの貴族とか……かな?」
「うん。それはつまり、私の対人戦の相手がそういう人たちになるってことじゃん。きっとほとんどが戦闘訓練を積んでたり喧嘩慣れしてたりして、修羅場をくぐってると思うんだよね」
騎士団に入ると命の危険がある分、高収入と名誉が約束される。男性なら一度は憧れる人気の職業だ。そのため倍率は高く、国中から腕自慢が集まってくる。
「でもクラリスには風魔法があるじゃない。パパがクラリスの〈
「バルクレイさんが!?」
クラリスが目を輝かせた。あの模擬戦以来、寡黙に考え込む彼女が唯一反応するのはバルクレイの話題だけだ。すっかり憧れてしまったらしい。ディアナとしては父が尊敬されて嬉しいような恥ずかしいような、何ともいえない気持ちだ。
「だから無理しなくていいんじゃない? 魔獣と戦うなんて危険だよ」
頬を紅潮させてにやけるクラリスが、真顔に戻って首を振った。
「でも冒険者で試験を受けに来る人は魔獣を狩ったことがあるんだよ。騎士学校にもそういう実習課目があるらしいし」
「それはそうだけど……」
「神学校卒で女の私はきっと舐められると思うの。それに、もし受かったとしても魔獣を見たこともないなんて言ったら馬鹿にされちゃう」
「もう受かったあとのことを考えてるの?」
「自信があるわけじゃないけど一応ね。ほら、魔法部隊って後衛支援が基本じゃん? だから前衛で体を張る剣士と確執が生まれやすいと思うんだよね。試験のときからちゃんと実力があるところを見せておかないと、入団してから不利になるかもしれないし」
「……へえ、そうなんだ」
「あはは、私の勝手な予想だけどね」
クラリスは照れ笑いしながら頭を掻いた。ディアナは素直に感心する。クラリスは先のことを見据えて行動しようとしているのだ。
「あくまで戦うのは私。ちょっとでも危険だったら全力で逃げるからさ。ディアナは万が一のときだけ手を貸して欲しいの。お願いしますディアナ様!」
「むう……」
悩みに悩んだが、結局ディアナは許可してしまった。ディアナはクラリスの頼みを断れない。彼女の困った顔を見ると、つい世話を焼いてしまうのだ。
北の森で魔獣と戦う――危険ではあるが、危険を体験することこそが目的だ。クラリスの将来に必要なことなら一肌脱ぐしかない。線密な準備を怠らなければ問題ないだろう、とディアナは納得した。
当日、ディアナとクラリスは
普通に北門から出ると街の出入りを記録している衛兵にバレてしまう。そうなると騎士である父まで報告がいくかもしれないので、行儀は悪いが壁を乗り越えることにした。過保護なバルクレイに気付かれたらどうなるか、考えるだけで辟易する。
乗り越えた先はすぐ森だった。魔獣はいない。近辺はしんと静まり返っていて、防具が擦れる音や着地する音が響いた。心なしか街の中より気温が低い気がした。
緊張するディアナとは対照的に、クラリスは落ち着いている。短剣を抜き、半身で構えた。
「どう? 冒険者みたいに見えるかな?」
「はいはい、かっこいいよ」
ディアナの褒め言葉に、クラリスは満足そうに笑った。短剣で空中に突きを二、三繰り出しながら尋ねる。
「ねえ、何で殺傷力のある長剣じゃなくて短剣なの?」
「長剣なんて重くてまともに使えないでしょ。私たちの
「確かに。短剣でも出番があるようじゃダメか。魔法の間合いで仕留めなきゃね!」
クラリスは真面目な顔で剣を鞘に戻した。
神学校では武器術の授業として剣や弓なども一通り教わっているが、武器を使いこなして敵を倒す技術を身につけるというよりは、運動して健康的に過ごすことが目的だ。生徒どころか教師にも、剣で魔獣を倒せる者など一人もいない。
「歩くルートは壁沿い。時間は正午まで! で、いいよね?」
事前に決めていた内容をクラリスが確認する。壁沿いに歩くのは、いざとなったら風魔法で壁を飛び越えて街に逃げ込むためだ。その場面を知り合いに見られたらいろいろ厄介だが、命より大事なものはない。
ディアナが頷き、二人は壁沿いを歩き始めた。街を囲む石壁は三メートルほど。壁の近くには餌となる小動物がいないため、魔獣もほとんど出現しない。正午まで遭遇しない可能性もある。準備と覚悟をしてきたのだから残念な気はするが、その場合はすっぱり諦めるというのもすでに二人で話し合い済みだ。
木の根や蔓が絡みついた石壁を左手で触れながら、きょろきょろと首を動かせて索敵する。クラリスが前、ディアナが後ろの縦列陣形だ。壁がある左側は警戒しなくていいというのに、木々が連なって見通しが悪い森は少し進むだけでも神経を消耗する。
ディアナが足場が悪いので足元を見ていると、顔に蜘蛛の巣がかかって悲鳴をあげた。慌てて周囲を見回して魔獣がいないことに安堵した。
しばらくすると地面が土から砂利道に変わった。森から街に向かって流れる小川に出たようだ。
比較的見晴らしがいいので、二人はここで小休憩することにした。
「冒険者って大変なんだねえ〜。一日中これで夜は野宿なんて信じられない」
クラリスは石壁に背もたれて座った。
「だね。髪が汚れちゃった」
自分の髪に絡んだ葉っぱを取りながら、ディアナも横に腰を下ろす。
「本当だ。ディアナ様のお美しい
「えー、とってとって!」
クラリスは蜘蛛の巣をつまみ取り、ディアナの髪をまじまじと見つめた。
「いつ見ても綺麗な銀髪だね。バルクレイさんともディアナのお母様とも違う」
「なんでだろうね。間違いなく二人の子らしいんだけど。昔は捨て子だとかよく言われたな。でも」
ディアナは今でこそ冗談として語れるが、幼い頃はこのことを近所の子にからかわれてとても嫌だった。
「……でも、どうでもいいんだ、そんなことは。パパもママも、私のこと愛してくれてるって感じるから」
「確かに! バルクレイさんなんて、ディアナにかっこいいって言われてすごい喜びようだったなー!」
「もう、やめてよ」
「ふふ。だって私は、騎士になることをお母さんに反対されてるから。ディアナが羨ましいんだ」
クラリスの声のトーンが一段下がった。彼女には父親がいない。物心つく前に滑落事故で亡くなったと教えてもらった。そのため現在は母親と二人暮らしをしているらしい。
「だからその分、バルクレイさんに騎士の夢を応援してもらえて嬉しかった。もし私のお父さんが生きていたら同じように味方してくれて、お母さんを説得してくれたのかも、とか考えちゃった」
「クラリス……」
「でも、私のお父さんはいない。だから魔獣を狩って、お母さんに証明するんだ。私は強いんだから口出ししないで、ってね!」
「クラリス、それは」
「……そろそろ行こうか! あー、早く魔獣出てこないかなー!」
ディアナはクラリスの話を聞いて、もし自分が騎士になりたいと言ったら絶対に止めるとバルクレイに強く言われたことを思い出していた。
――お母さんは否定したいんじゃなくて、大事な自分の娘だから、心配してるんじゃないかな。
ディアナはそう言いたかったが、クラリスの提案に遮られてしまう。
「ていうかさ、短剣で背の高い草や邪魔な枝を払いながら進めばもっと楽なんじゃないかな? 冒険者はそうするって聞いたことある」
「……あ、確かに。これからそうしようか」
二人は買ったばかりでピカピカの短剣を抜いた。再び索敵に集中して歩き始めた。
ディアナとクラリスが森に入った頃、バルクレイは騎士の駐在所で事務仕事を片付けていた。
バルクレイはノタの街に三人しかいない騎士の最年長だ。街は領主が雇った衛兵によって治められており、王に忠誠を誓う騎士は衛兵の監視や育成、サポートなどが役目となる。いわば衛兵は地方公務員、騎士は国家公務員にあたる。
野心や王国への忠誠心が強い騎士なら積極的に街の政治に意見もするが、バルクレイはそうではなかった。毎週「異常無し」と王都の騎士団本隊に報告し、月に一回の定期訓練にも参加はするが、必要以上の口出しはしない。その分の報酬や名誉は求めない。この街に来て七年間、ずっとそうだった。
仕事がひと段落ついた頃、バルクレイに王都から二名の訪問者が来たと知らされた。
「よう、バルクレイ。七年ぶりだな」
部屋に通された一人目の男は、身長二メートルを超える筋骨隆々の丈夫だ。簡素な服装のせいで胸板の分厚さが強調されており、シャツのボタンが今にも弾け飛びそうだ。とても五十代半ばの肉体とは思えない。
「ジェラルド団長!?」
バルクレイは慌てて立ち上がり、敬礼した。彼の名はジェラルド・イークウェス。王国の騎士団長である。
「楽にしてくれて構わんぞ。おい、マルコ!」
続けてもう一人が入室する。二十歳前後の青年だ。バルクレイを含めたノタの街の騎士は滅多に着ない、唐草模様が装飾された王国騎士の甲冑をまとっている。幼さが残るも精悍な顔つきだ。
「あなたがバルクレイ・ヴァージニアスですか」
マルコと呼ばれた男は、バルクレイを品定めするように頭からつま先までをじろじろと見回した。
「おいマルコ、何だその態度は。言っておくがこいつはお前より強いぞ。東側の街では『
ジェラルドが嗜めるように言う。するとマルコは渇いた笑い声をあげた。
「父上、ご冗談を。見るからにトレーニング不足の体に、平和ボケした面構え。とても強そうには見えません。日々の鍛錬を怠るなんて騎士の資格もない。なぜ敬意を払う必要があるのです」
「お前なあ、その口いい加減どうにかしろよ」
「あの……、団長、そちらは?」
頭を抱えるジェラルドにバルクレイが尋ねた。嗤われているのは分かるが、感情としては怒りより動揺の方が強い。
その理由は、バルクレイが騎士団に隠していることがあるからだ。この突然の訪問は、彼の内懐を激しく動揺させた。
「すまんなバルクレイ。こいつは愚息のマルコだ。若手の中じゃそこそこ腕は立つんで、一応部隊長なんかもしてる。まあ有り体に言えば時期団長ってところだが、まだ騎士になったばかりで頭が硬いというか世間知らずというか……まあ、馬鹿なんだ」
「は、はあ」
マルコはすでにバルクレイに興味を失くし、部屋の内装に視線を移している。
「団長、一体ノタの街に何の用があって?」
バルクレイが尋ねると、ジェラルドはずかずかと詰め寄ってきた。帯剣している互いの柄が触れ合いそうなほどの距離で、バルクレイを見下ろす。
「用があるのは街じゃなくお前だ、バルクレイ。単刀直入に言う。『瞬剣』の力が必要だ。王都の騎士団本隊に戻って来い」
ジェラルドの顔にはいくつもの傷痕がある。歴戦の戦士の顔だ。その迫力に、バルクレイは唾を呑んだ。
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