第4話 騎士を目指す覚悟

 定期テストが終わった日の放課後、ディアナはクラリスを連れて帰宅した。ディアナの父で、騎士でもあるバルクレイに会わせるためだ。


 テストの結果はディアナがいつも通り百点、クラリスは八十点だった。約束の九十点には及ばなかったが、普段六十点前後をうろうろしているクラリスにしては努力した方だ。どのみち、本気でお願いしているクラリスを無下にし続けるなんてディアナにはできない。


「は、はじめまして! クラリス・パーシバルと申します!」


「クラリス、いつもディアナがお世話になってるね。ありがとう」


「とんでもないです! 私、ディアナがいなかったら五年生までの進級も危うかったですし……えへへ」


 砕けた態度のバルクレイを前に、クラリスは畏まって何度も頭を下げた。ディアナに耳打ちする。


「騎士様なのにとってもフランク……! 私の緊張をほぐそうとお心遣いして下さってるんだね。さすがディアナのお父様」


 ディアナは苦笑した。バルクレイはいたって普段通りだ。騎士に憧れているクラリスの脳内で、着々と「完璧な騎士の父親」象が組み上がっていく。


「魔法部隊に入りたいんだってね。話は聞いてるよ」


「はい! ぜひ直接お話をお伺いしたいと思い……」


「じゃ、準備できたら庭においで」


「え?」


 バルクレイを追って、ディアナとクラリスが訝しげに庭に出ると、彼は木刀を握って待っていた。


 ひらけた場所。木刀。何をするのかはすぐ理解できた。


「ちょっと、パパ」


「大丈夫、人様の娘さんに怪我なんかさせないさ」


「ってことは……」


「ああ、模擬戦だ。もちろん魔法を使ってもらって構わない」


 バルクレイの表情は変わらず柔らかな笑顔のままだ。


「でも私、模擬戦なんてまともにしたことありません。魔法を人に向けて放ったこともないし……」


「そうは言っても、入団試験には一対一の対人戦が必ずあるよ」


「そんな……心の準備が」


「大丈夫。僕は騎士だ。もう一度言うけど、絶対に怪我はさせない。安心して全力で向かってきておくれ」


 クラリスは、ディアナとバルクレイの間で視線を行ったり来たりさせ、やがて観念したように両手を前に出して構えた。それを確認して、バルクレイも十メートルほど距離を空けて木刀を構える。


 ディアナだけが戸惑ったままだ。


 ――怪我させないって言ってたけど、逆にパパがクラリスの魔法をまともに食らって怪我しちゃうんじゃないの? クラリスの風魔法は、私を除けば神学校でもずば抜けてるんだから。


 いつも家でディアナやゼニアにデレデレしているバルクレイが騎士然として木刀を構える姿は違和感がある。ノタの街は平和だ。騎士にとって、王都からこの街に配属されるのは事実上の左遷と言って差し支えない。


「ディアナ、合図を」


 バルクレイに急かされ、ディアナは仕方なく片腕を前に伸ばす。


 もしかしたらバルクレイは娘に良いところを見せよう、なんてことを考えているのかもしれない。きっとそうだ。本当にどうしようもない父親だ。ディアナはそう納得し、腕を勢いよく頭上まで上げた。


「始め! ……速っ!?」


 ディアナが思わず叫ぶ。開始の合図と共に疾走したバルクレイは、ディアナの目で何とか影を追えるかどうかのスピードだ。立っていた場所は踏み込みの強さのあまり芝生が抉れている。


 面食らったのはクラリスも同様だ。しかし彼女は騎士への憧れが強い分、予想の範疇を大きく外れていなかった。バルクレイが間合いに入る前にはもう詠唱を終えている。


「駆ける天馬のいななききを、風の囁きに重ね奏でよ!〈風刃フウジン〉!」


 クラリスの両手から風の刃が放たれ、地を這うような軌道でバルクレイに向かった。


〈風刃〉はレベル三の風魔法で、射程距離は短いものの、威力が高いのが特徴だ。この魔法を接近されるプレッシャーの中で的確に放てるのは、神学校生の中ではクラリスだけである。


「クラリス、さすがにそれは危な……っ」


 ディアナは叫ぼうとしてやめた。迫りくる風の刃に被弾する直前、バルクレイのスピードがさらに増したからだ。大きく右に飛んで回避したかと思うと、着地した右足で鋭く切り返し、瞬く間にクラリスに肉迫した。


「う、嘘……!」


 困惑するクラリスが慌てて手を向けるが、この距離ではどれだけ素早く詠唱しても間に合わない。


「……!」


 結果、動きを止め、棒立ちで絶句してしまった。それを見たバルクレイは、余裕を持って木刀を振りかぶる。


 彼の表情からは笑みが消え、眉間にシワが刻まれている。凄まじい威圧感だ。


「……怪我させないんじゃなかったの!?」


 ディアナが叫んだ。あの優しい父を疑うほどの殺気が放たれている。クラリスに至っては震え上がり、目を高速で上下させた。


 ディアナは反省した。いくら下っぱと言えどバルクレイも騎士の端くれ。命をかけたやり取りを何度もしてきたであろう戦士なのだ。


「パパ、パパ! ストッ……」


 制止しようとしたディアナを無視し、バルクレイの殺気を込めた木刀の一撃がクラリスの頭上に振り下ろされた。


「きゃっ!」


 クラリスが悲鳴をあげる。しかし、彼女の額の前で木刀はぴたりと止まった。


「勝負あり、だな」


 バルクレイが言った。


「……ふぁあああああ……」


 クラリスは大きく息を吐きながら脱力し、地面に座り込む。


「ごめんごめん、やりすぎたかい!?」


 バルクレイが慌てて手を差し出す。まるで殺気を感じない彼の表情に、クラリスは苦笑しながらその手を取った。


「……いえ、大丈夫です」


 バルクレイに引き起こされながら返事する。


「怖かったかい?」


「とっても。殺されるかと思いました」


「騎士は常に命のやり取りをする仕事だ。勤務地にもよるけど、生涯一度も戦闘、つまり『殺し合い』を経験しないなんてことはまず無い。しかも今は鬼人ヴァンパイアとも微妙な状況だ。騎士学校の生徒ならまだしも、君たちが通う神学校の授業では、せいぜい魔法を動かない的に当てるくらいだろう?」


 バルクレイの言う通りだ。神学校生にとって魔法とは戦うための手段として修得するものではなく、神獣の加護を身近に感じるための儀式に近い。


「神学校生の女の子が騎士を目指すことを否定はしない。でも険しい道であることは覚悟しておいて欲しい。鬼人ヴァンパイアや魔獣に殺気を向けられても、自分の気持ちを貫けるかな?」


 クラリスは黙りこんだあと、汚れたお尻をパンパンと払った。ディアナはもしかしたら諦めてしまうのかと思ったが、クラリスはまっすぐバルクレイの目を見て答えた。


「はい! 騎士になりたいという気持ちがより強くなりました!」


 クラリスの決意に満ちた表情を見て、ディアナは素直に羨ましいと思った。クラリスの騎士になりたいという想いは、ディアナが思っているより遥かに強い。目標も無く流されるままに生きているディアナには、クラリスが眩しく見えた。


「……そうか。じゃあここ数年の試験内容と注意点を教えるよ。ママが紅茶を淹れてくれてるだろうから、中で話そうか」


 クラリスとバルクレイは再度握手を交わした。



 家の中に戻る最中、バルクレイがディアナに声をかけた。


「どうしたんだい、そんな顔して」


「え、私の顔おかしい?」


 ディアナが確認するように自分の頬をぺたぺたと触る。


「眉間にシワが寄ってるよ。まさか……怒ってるのかい!? 友達をいじめたから! 厳しめにしたのにはちゃんと意味があって」


 先程までの凛々しい姿から一転、バルクレイは情けない表情で釈明を始めた。その顔がおかしくて、ディアナはつい笑ってしまう。


「ふふ、そんなこと分かってるよ」


「なんだ、良かった。ディアナに嫌われたくないからね」


 バルクレイが安堵する。ディアナは彼から視線を逸らして、自分の足下を見ながら言った。


「もし、私が神官じゃなくて騎士になりたいって言ったらどうする?」


「ええ!? そうなのかい!?」


「もしもの話。でも私、魔法の成績はずば抜けてるんだし、不思議じゃないでしょ?」


 ディアナが神学校に入学した頃、特にやりたいことがなかったため、両親に将来の夢はアポロン要塞神殿に勤めることだと話した。両親はそれを褒めてくれた。

 しかしディアナの四属性持ちの才能は、騎士団なら喉から手が出るほど欲しい人材だ。もちろん騎士団だけでなく治癒魔法士など、どの職業でも引く手数多だ。


 てっきりバルクレイなら、父親と同じ仕事を娘が選ぶことに喜んでくれるだろうと思ったが、彼は顔の中央にシワが集まったような渋い顔をした。


「……反対するに決まってるだろう。ディアナが戦うなんて考えたくもない。いつまでもママと一緒に家で待っててほしい」


「もう、私だって大人になるんだよ」


「もちろん知ってるさ! でも止めるから! この身に代えてもね!」


 そう言って腕を組むバルクレイ。クラリスと話しているときは頼りがいのある立派な大人だったのに、いつも通りの子煩悩な父に戻っている。


 ディアナはつい、思ったことをそのまま口にしてしまった。


「……パパ、さっきカッコ良かったよ」


「え……? も、もう一度言ってくれないか!」


「ううん、もう言わない」


 ディアナたちが家に入ると、クラリスが背筋を伸ばして椅子に座っていた。ゼニアのおしゃべり相手にされているようだ。


「ママ! ディアナがパパにカッコ良いって!」


 バルクレイがはしゃぎながら二人に駆け寄る。ゼニアが微笑んだ。


「パパったら、いつも世界一だって言ってもらってるじゃない」


「いつものじゃなくて、本気のやつだったんだ!」


「もーうるさい! クラリスもいるんだから!」


 ディアナが声を荒らげた。クラリスは苦笑し、バルクレイは浮かれた調子でゼニアとハイタッチしていた。

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