第3話 クラリス
授業が終わると、ディアナの席に一人の同級生が駆け寄ってきた。毛先が跳ねたショートカットで、空色のぱっちりした目が印象的だ。彼女はディアナの目前で急ブレーキをかけ、勢いよく両手を合わせた。
「ディアナっ! お願い!」
「クラリス、どうしたの? あーそういえばもう定期テストの時期か」
彼女の名前はクラリス。ディアナと一年生から同じクラスで、学校では常に優等生の皮を被るディアナが唯一くだけて話せる存在だ。
「そーなんだよう! 今回もよろしくお願いします!」
「別に勉強くらい教えてあげるけど、普段から習慣づけなきゃだめだよ」
「座学は苦手なんだよね〜。座って頭だけを動かすってのがどうも性に合わないというか。風魔法に関する勉強ならずっと続けられるんだけど」
「確かに、クラリスの風魔法は学校でも一、二を争うもんね」
「争った結果いつもディアナに負けて二番になるんだけど。ていうかディアナはどの魔法でも一番じゃん! 魔法でも勉強でも芸術でも武器術でも! こっちは騎士団に入るためにめちゃくちゃ練習してるのに!」
微笑みながら「たまたまだよー」と言うディアナの肩を、クラリスが前後に大きく揺らす。銀髪が動きに沿ってなびいた。
「……そうだ、ディアナのお父様に言ってくれた?」
「ん? ああー……」
クラリスがぴたりと動きを止める。ディアナは渋い表情をした。
「私のパパに会いたいっていう件だよね」
クラリスの夢は騎士団の魔法部隊に入ることだ。神学校に通う者は卒業後、各地の神殿に従事するのが基本なので彼女のようなケースは珍しい。
卒業まであと一年となったこの時期、クラリスは騎士であるバルクレイに入団試験対策として話を聞きたい、とディアナに頼んでいたのだ。
「騎士なんて危ないんじゃない? 東側では
ディアナが伏し目がちに言う。クラリスはふっと鼻で笑った。
「また戦争が起きるかもって?」
「うん。私、クラリスが戦場送りにされたら泣いちゃうよ」
ディアナが暮らすガーネット王国は、
人類と鬼人は十年前に大きな戦争をしており、決着はまだついていない。今は冷戦状態で、東側の国境に面した街では度々、騎士団と
と言っても、ディアナたちが住むこのノタの街は正反対の西の果てにあるので、それを実感することはまずない。
「私のために泣いてくれるんだ?」
「もちろん。親友だもん」
ディアナは人差し指で目尻をこするようなしぐさをした。クラリスが呆れたように目を細める。
「わざとらしい……」
「ホントホント。それに、パパは王都の本隊から左遷されて地方勤務になっちゃったくらい下っぱの下っぱだから、あまり話しても意味ないし……」
バルクレイがこの街の勤務になり、家族三人で王都から引っ越してきたのはディアナが七歳の頃だ。ノタの街は治安が良く、騎士が活躍する機会はほとんど無い。実績が低い者が配置されるのは事実だ。
とはいえ、ディアナが返事を渋っている本当の理由は、娘大好きの父を親友に会わせるのが恥ずかしいからだった。
「階級が低くても入団試験に合格してるんだから充分だよ! ねっ、お願いディアナ様!」
都合が良いときだけ様付けする親友に、ディアナはため息をつく。
「仕方ないなあ。じゃあクラリスが次のテストで九十点以上とれたら会わせてあげる」
「えっ! 無理じゃん!」
「だって騎士団に入るには頭も良くないといけないんだよ? 筆記試験だってあるんだから」
クラリスは虚ろな瞳で「が、がんばる……」と呟いた。
放課後、ディアナとクラリスは誰もいない教室に残って勉強していた。ディアナは頬杖をつき、向かいの席でノートを睨みつけながら唸るクラリスを見つめた。
クラリスは考えるより先に体が動くタイプだ。入学当初から抜群の成績を叩き出していたディアナに興味を持ち、あれこれ話しかけてきた。
特に魔法に関して貪欲だった。ディアナが魔法を放つたびにクラリスが「すごいすごい! コツ教えてよ!」と屈託なく声をかけ、他の生徒がディアナに話しかけるきっかけとなった。
もしクラリスがいなかったら、神学校の女生徒から嫉妬され、虐められていたかもしれない。ディアナはふと、そう思った。
「クラリスが必死に風魔法を練習したのって、もしかして私を孤立させないため?」
ディアナが尋ねた。突出した能力は孤立を生む。唯一ディアナに魔法力で追随しているのがクラリスだ。もしかしたらクラリスはディアナが学校で浮かないように、努力してくれたのかもしれない。
問題を解いていたクラリスが顔を上げた。一瞬眉を顰めたが、質問の意図を汲み取ると呆れたように肩をすくめた。
「……はあ、ディアナってホント自信過剰だよね。私の努力は私のため。その自分中心の考え方、やめた方がいいよ」
「なーんだ。でも私、謙虚だってよく言われるけど」
「謙虚な人は自分を謙虚だって言わないから」
「……ってことは、謙虚な証明を自分でする方法は無いってこと?」
「そうかも?」
「ひどい。そんなの先に言ったもん勝ちじゃん! じゃあクラリスだって謙虚じゃないよねはい否定できませーん」
クラリスは羽ペンを置いて笑った。
「はは、子どもみたいだなー。ディアナのためなんて少しも考えてなかったけど、ディアナにいろいろ教えてもらえたから、今の私の風魔法があると思ってる。仲良くなれて良かった。ありがとう、ディアナ」
「……そう。うん、私もありがと」
ディアナはそっけなく返事して立ち上がった。顔が熱を帯びている。他の生徒や教師や両親に、どれだけベタ褒めされても何とも思わないのに、クラリスに真面目に感謝されただけでこんなにも照れてしまう。
「どこか行くの?」
「図書館。資料を取りに行ってくるね」
「えー、一人だと寝ちゃうかも!」
唇を尖らせるクラリスを尻目に、ディアナは赤面した顔を手でパタパタとあおぎながら、逃げるように教室を出た。
ノタの街の神学校は、男学部と女学部で校舎が分かれている。むやみな男女の接触は校則で禁じられており、話すどころか近くに寄るだけで教師から引き離されてしまう。全ての授業は男女別々なので、ディアナが男子と接触することはほとんど無い。
とはいえ貴重な書物が保管されている図書室だけは、それぞれの校舎の中間地点にあり、唯一男女共同で使用する施設だ。
ディアナは本が好きなのでよく利用するのだが、見目麗しくお淑やかな学校史上最高の才女となれば、多くの男子からアプローチを受けてしまうのは必然だ。
今日もディアナが図書室に入ると、十人余りの男子生徒たちがおしかけてきた。
「ディアナ様! ぜひこの手紙を読んで下さい!」
「いえ! こちらを!」
「ディアナさん、僕は貴族の次男なんですが……」
「私は直近の魔法試験で上位五名に入りまして……」
ディアナは毎日来るわけでもないのに、待っていたかのように早口でアピールする名も知らぬ男子たち。
ディアナは困ったような顔で眉尻を下げた。その慎ましい表情に、男子学生の声のボリュームが増す。
見かねた司書が小声で詠唱しながら立ち上がった。喧騒がぴたりと止んだ。
ディアナの目の前の生徒たちはぱくぱくと口を動かせているが、声は出ていない。
司書が壁を大げさに叩く。その音もしなかった。壁には「図書室は静かにご利用下さい」という貼り紙があった。
風魔法の一種で、空気の振動を止めて音が発生しないようにしたらしい。再び指を鳴らして解除すると、男子たちは黙って散って行った。ディアナが全ての手紙を受け取ってくれたことで満足したようだ。
――こんなの、どうせ読まないんだけど。
ディアナは手に持った恋文の束を、冷ややかに見下ろした。
ディアナは恋愛に一切興味がない。男子と話すよりクラリスとふざけ合ったり、年下の女の子たちにアドバイスしたりする方が何倍も楽しい。
ディアナはクラリスのためにテストの参考になりそうな文献をいくつかメモした。
「おかえりー。お、相変わらずモテモテなご様子ですねえ〜」
教室に戻ると、ディアナが持つ手紙の束を見たクラリスがひやかした。
「どうせ読まずに捨てるよ」
「そうなの? もったいない」
「本当、もったいないよね。高価な紙じゃなくて羊皮紙にでも書いてくれたら、気兼ねなく捨てられるのに」
「いやいや紙質の問題じゃなくて
「あ、そうそう。そっち」
「女神様みたいな見た目してるくせに黒いんだよなあ」
クラリスはため息をついた後、上半身を前のめりにして尋ねる。
「その中で好きになれそうな人、ホントにいないの?」
「好きになれそうな人かー」
「ディアナなら選び放題でしょ」
「そりゃそうだけど……あ、違う違う。私なんかを好きになる人なんていないよ」
「いまさら謙虚アピールやめなよ! 恋文を束でもらっておきながら!」
「クラリス、この問題間違えてる」
「あっはい」
クラリスがさっと姿勢を直した。その素直な態度に笑ってしまう。
クラリスはディアナと仲良くなれてよかったと言ってくれたが、ディアナも同じ気持ちだ。
入学当初から外面を飾って優等生ぶってしまうくせがあった。自分自身が嫌いなわけじゃないが、性格が悪い自覚はある。
そんなディアナが素のままで話せる友達はクラリスだけだった。裏表なく接してくれる彼女に何度も救われた。
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