第2話 非の打ち所がない優等生
――鶏の鳴き声で目を覚ます。開いた窓の外から、馬の蹄鉄が石畳を蹴る音がした。
「……長い夢を見ていた気がするのに、何も覚えてない」
ディアナが呟いた。まるで違う人間として生きていたような感覚だった。幼い頃から、そういう朝を何度か経験している。
ベッドから立ち上がり、姿見の前で身だしなみを整える。純白の学生服に袖を通した。
「おはよー」
ディアナがあくびをしながら食卓に入ると、父のバルクレイが騎士の制服を着てテーブルに座っていた。彼は満面の笑みで振り向いた。
「おはよう愛しのディアナ! 今日も世界一かわいいよ!」
「はいはい、パパも世界一だよ」
大げさに褒める毎朝のやりとりだ。ディアナも律儀にお馴染みの返しをする。いい加減飽きないのかと思いながら食事が用意されているテーブルに腰かけた。できたての野菜スープから美味しそうな匂いがした。
「ディアナ、髪が乱れてるわよ」
「ありがとうママ」
エプロン姿のゼニアがディアナの髪をやさしく手櫛する。
「相変わらず綺麗な髪ね。羨ましいわ。私もパパの家系も、銀髪なんて一人もいなかったのに」
「そのせいでママが浮気してできた子なんじゃないかって、パパが発狂したんでしょ?」
「そうそう。あのときは困ったわねえ」
ディアナは真後ろに立つ茶髪のゼニアを見上げた。彼女は頬に手を当て、目を細めている。バルクレイが椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「ママ! あのときは疑ってしまってごめんよ!」
そう言ってゼニアの元に駆け寄り、華奢な手首を力強く掴む。バルクレイに熱のこもった目で見つめられ、彼女もまんざらじゃない様子で頬を染めた。
「ううん、いいの。でもパパ、これだけは信じて。私が愛しているのはパパとディアナだけよ」
「信じて……いいのかい?」
「もちろん。
「あーあまた始まった。いただきます」
年甲斐もなくいちゃいちゃする中年二人組から目を逸らし、ディアナは目の前のスープをすくった。
「僕にも誓わせてくれ! ゼニアは世界一の妻だ! 世界一愛しい妻と世界一かわいい娘! ああ、僕は世界一の幸せ者だ!」
「パパ、早く食べないと世界一美味しいスープが冷めちゃうよ」
「おっとその通りだな!」
「もう、パパもディアナちゃんも褒め上手なんだから」
二人はテーブルに腰かけ、食事を始めた。毎朝恒例のやりとりが一通り終わった。
家を出たディアナは、自らが通う神学校に向かった。
「ディアナさん、ごきげんよう」
「ええ、ごきげんよう」
通学路で出会う女生徒とにこやかに挨拶を交わす。騒がしい両親とは対照的な、神官候補生たちのお淑やかな所作が心地良い。
下っぱ騎士である父、バルクレイは作法に疎く、貴族との付き合いも一切ない。そんな家庭で育ったディアナだが、五年目の最上級生ともなると、すっかり所作が染み付いていた。
校門をくぐると、遠巻きに見ている下級生とおぼしき二人組がひそひそと話す声が聞こえてきた。見た目からして一年生だろう。
「ねえねえ、ディアナ様よ。あの笑顔、まるで女神様のようですわ」
「お顔が小さくてお人形さんみたい! 有名な人なの? ……なのですか?」
片方はまだ言葉遣いがおぼつかないようだ。
「知りませんの? ディアナ・ヴァージニアス様よ。四つの魔法属性を全てレベル六まで使用できる神学校史上最高の才女で、首席卒業間違いなしですのよ」
「四つの属性をレベル六まで!? 私なんて、唯一使える火属性さえもまだ失敗しがちなのに。そんなの、ずるい……」
「しっ! 声が大きい!」
ディアナは二人に穏やかな足取りで近づき、柔らかい笑顔で会釈した。
「ごきげんよう」
「え……、は、はい。あ、ごきげんよう」
噂していたことに気付かれてばつが悪そうな二人の少女。うつむき、体の前でもじもじと手を組み替え、見るからに怯えている。
そんな彼女たちに、ディアナは微笑みを崩さずに語りかけた。
「魔法って難しいよね。火魔法を使いこなすには、火はなぜ燃えるのかを考えないといけないよ。魔法はイメージだけじゃなくて、理論的な理解が重要だからね」
てっきりお叱りや嫌味を言われるのかと思っていた少女たちは、ディアナの唐突なアドバイスにぱっと顔を上げた。
「あとは、火をよく観察することかな。あ、でも近づき過ぎはダメだよ。私、火に顔を近づけすぎて前髪燃やしちゃったことがあるの。あはは」
ディアナは大きく口を開けて笑った。下級生二人も釣られて口角が上がる。
ディアナは最後にダメ押しとして、髪を耳にかけて微笑んだ。親しみやすい屈託のない笑顔から、まるで人が変わったかのような大人びた表情へと変化させ、小首を傾げる。
「まだ魔法にも学校にも慣れないうちは大変でしょう。でも、努力は決して裏切りませんわ。困ったことがあれば何でも尋ねてくださいまし。共に、精進いたしましょう」
神々しさすら感じる可憐な笑顔を見て、少女たちは胸の前で手をがっちりと組み、頬を真っ赤に染めた。
「……は、はい、ディアナ様! ありがとうございます……!」
「私も髪が燃えてなくなるまでがんばります……!」
大げさに腰を曲げてお辞儀する一年生たちに手を振り、ディアナは教室に向かった。
少し歩いて、眼鏡をかけた呆れ顔の女性に声をかけられた。
「また年下の女の子たちを虜にして……、これ以上ファンを増やしてどうするおつもりですか?」
彼女の名はクラウディアだ。ディアナのクラスの担任教師である。眉尻が下がった表情が親しみやすく、規律に厳しい神学校では人気がある。
「ごきげんよう、ミス・クラウディア。私、年下の女の子を見るとなぜか助けてあげなきゃいけない気持ちになるんです。それに、先輩が後輩にアドバイスするのは何らおかしいことではないでしょう?」
「そうですね。憧れの先輩であるディアナ様から失敗談を交えた親身なアドバイスを頂いたあの子たちは、よりいっそう魔法の練習に精を出すのでしょうね。そして急成長を果たし、周囲に喧伝するのです。ディアナ様のおかげですのよ、と」
「ふふ、そんな都合よくいくかしら」
「よく言いますね。そうやってこれまで多くの女の子たちをたぶらかし、自身の名声に変えてきたでしょう」
「人聞きが悪いですわ。成長できるなら良いことではありませんか。ここは学び舎なのですから」
「しかしあなたは生徒で、私は教師です。私のお仕事を取らないでください」
「ミス・クラウディアは仕事熱心な方なのですね。私の父に見習わせたいですわ。今日も母にべったりで、私の方が先に家を出ましたのよ。このご時世の騎士とは思えません。いつクビになるか、毎日ハラハラしておりますの」
ディアナが困ったように微笑む。クラウディアは呆れながら眼鏡の位置を直した。
「そうやって自分の弱みをためらいなく見せる。美人で優秀、鼻持ちならない要素しかないのに、これだから憎めないんですよね」
「ありがとうございます。ミス・クラウディアはいつも褒めてくださいますね」
「本当だ……また褒めてしまいました……」
ディアナと肩を落とすクラウディアが一緒に教室に入ると、いくつかのグループになっておしゃべりをしていた生徒たちが着席した。ディアナも挨拶を交わしながら席に着く。
ディアナは神学校が好きだった。周囲からも好かれているという実感があった。
この学校で、ディアナは史上最高の才女として讃えられている。容姿端麗で人当たりも良い。さらには座学、運動、芸術、作法などの全ての科目で校内トップを独走しているので当然だ。特に魔法の成績は圧倒的に抜きん出ていた。
「……では、まずはおさらいです。この世界に存在する、知性を持つ六つの人種。それらを全て答えて下さい」
授業が始まり、クラウディアが前列の女生徒を指名する。彼女はすらすらと淀みなく答えた。
「
「正解です。我々は
クラウディアは板書しながら返事した。それらの上に『神獣』と書き足して説明を続ける。
「この世界は二千年前、六柱の神獣が地上に降り立ったことから始まりました。神獣は各地に散り、それぞれの人種を生み出して、今の世界が形作られたのです。我々
「ミス・クラウディア。アポロン様はどのようなお姿をされていらっしゃるんですか?」
ある生徒からの質問に、クラウディアは首を横に振った。
「申し訳ありません。私も見たことはありませんが、それはそれは凛々しく逞しく、神に相応しいお姿だと言われていますね」
二千年もの間生きている
ディアナは神学校に通っているものの、他の生徒たちほど信仰心はない。入学した動機も両親に勧められたからだ。
それなのに、類まれな才能のせいで嫌でも評価されてしまう。いつのまにか周囲から勤勉で優秀な、非の打ち所がない優等生として模範になることを求められ、自分自身もそう振る舞うことが快感となっていた。
そのため、目標を聞かれたら優等生らしく「アポロン要塞神殿にて、アポロン様にお仕えすることです」と答える。数ある教会や神殿の中でもアポロン要塞神殿に配属されるのは、神官として誰もが思い描くエリートコースだからだ。ディアナの成績なら間違いなく現実のものとなるだろう。
両親に愛され、学校でもてはやされ、将来も安泰。神獣が存在するかどうかなんて小さな疑問はどうでも良くなるくらい順調だ。
「何か忘れてる気がする……けどいっか。私って天才だし、何とかなるでしょ」
ディアナは平穏な授業風景を眺めながら、銀色の髪を指にくるくると巻きつけた。
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