禁忌を犯して人間に転生させられた元女神、驕る

藍色

第1話 女神の罪

 転生女神のディアナは、壁、天井、床に映し出されたいくつもの映像を観ながら、刻々と増え続ける死人に来世の転生先を振り分けていた。空中をタップする両手の指は、早すぎて残像すら見えない。


「もう少し……! もう少しで今日の業務が終わる……!」


 彼女はまさに女神と呼ぶに相応しい奇跡の美貌を持っている。光沢のある美しい銀髪は絹糸よりも滑らかだ。しかし、寝不足で荒れた肌や深いくまが、この仕事がいかに激務であるかを物語っていた。


「最後の彼は……地球で!」


 徐々に画面の数は減り、やがて最後の画面も消えた。ディアナは右手を振り抜いたポーズのまま静止した。


「……はあああああ――! 終わったあ――!!」


 そして叫ぶと同時に、糸の切れた人形のように床に倒れ込んだ。今にも寝てしまいそうだが、自身に意識覚醒の魔法をかけて起き上がる。


「せっかくの休みなんだから楽しまないとね。寝ちゃうなんてもったいない」


 仕事中の一人言とは違い、楽しげな声色だ。ディアナがその場で右手の指を鳴らすと、目の前に純白のテーブルと椅子が現れた。次に左手の指を弾くと、紅茶が注がれたティーカップ、焼き菓子が盛られた皿が机上に用意された。


 ディアナは体を投げ出すように腰かける。思いっきり背もたれに背中を預け、紅茶をすすった。正面にウインクすると、先程処理していたような画面が一つだけ現れた。


 ディアナの趣味は、お気に入りの紅茶とお菓子を楽しみながら人間を観察することだ。


「さてさて、今日は誰を覗こっかなー」


 引き継いだ先輩女神に紹介された遊びだ。最初は悪趣味だと非難したが、すっかりハマってしまった。様々な人間模様が興味深く、自分も遠い昔は人間だったことを思い出させてくれる。そうして初心に帰ることで激務を乗り切る活力を得ているのだ。


 何種類もの世界へと画面が切り替わる。ふと、ある少女にカメラが寄った。七、八歳ほどで、もこもこのくせ毛が愛らしい。人懐っこい笑顔が魅力的だ。ディアナが目を凝らすと、神だけがアクセスできる集積情報データベースの知識が流れこんでくる。


 少女は三年前に母親を亡くし、狩人の父と山奥で二人暮らし。昨年、初めて一人で野ウサギを仕留めたお祝いに父から短剣をプレゼントされた。嬉しさのあまり一ヶ月間抱きしめて寝たという。


 少女は寝ぼけ眼をこすりながら身支度を整える。愛剣を腰に差し、子ども用の弓を背負った。


「か、かわいい……! 寝ぐせが似合う!」


 映し出された少女に悶えながら、ディアナは紅茶を喉に流し込む。バンバンとテーブルを叩いて興奮する姿に女神としての威厳はまるでない。


 家を出た少女は、周囲を気にしながら森に入って行った。


「……あれ、一人で森に行くんだ。パパに怒られちゃうぞー」


 集積情報データベースによると、彼女は単独で森に入ることを父に禁止されている。先日それでこっぴどく怒られて涙目になった映像が頭の中に流れ、ディアナも悲しくなった。


 少女は警戒しながらけもの道を進んで行く。いたいけな少女が野生の獣に喰われる映像なんて絶対に観たくないが、もし襲われてもディアナに助けることはできない。神界には『下界不介入』のルールがある。神が少しでも下界に手を加えると、世界のバランスが崩れてしまうのだ。


「真面目な子のはずなのに、なんで言いつけを破ったんだろう」


 そう呟き、過去の出来事や直近の行動を解析した。どうやら父親の誕生日が近く、プレゼントを買う軍資金のために単独で狩りをしようとしている、ということが分かった。ディアナはその純粋な気持ちに心打たれながらも、ただただ心配で、時間を忘れて画面に釘付けになった。


 少女はつまずき転んでも、大好きな父のために立ち上がって前に進んだ。狼の群れを木の上でやり過ごし、工夫して野ウサギを罠にはめ、崖の上の薬草を採取し、泥だらけになりながら成果をあげていく。


 そうしてもうすぐ正午になるという辺りで満足して帰宅した。ディアナは少女の手に汗握る大冒険にすっかり憔悴していた。


「ふう、良かった良かった。でもパパには怒られちゃうよね。上手くごまかせるかなあ……」


 まるで自分のことのように呟き、渇いた喉を潤そうとティーカップを持ち上げる。


 しかしカップは口まで運ばれることなく、途中でディアナの指からこぼれ落ちた。音を立てて割れ、破片と共に透き通った真紅の液体が足下に広がる。ディアナはそれらに一切目を向けず、大きな瞳で画面を凝視していた。そこには自宅の開いた扉の前で呆然と立ち尽くす少女の姿があった。


 彼女の家は荒れていた。家具が破壊され、棚という棚はひっくり返っている。奥で父親が地に伏しており、それを取り囲む三人の中年男性。つまり盗賊に襲われたのだ。


 三人とも湾曲した剣を持っていて、うち一人の剣にはべったりと血がいている。ポタポタと真っ赤な雫が垂れるのを見て、少女は尻もちをついた。全身の毛穴から汗を吹き出し、ブルブルと震えている。


 少女に気付いた男たちは下卑た笑みを浮かべた。談笑する。逃げ出せない少女を誰がのかを決めているようだ。


 その瞬間、ディアナの頭から女神としての立場や責任は全て消えた。ただ我慢できなかった。


 ――気がつくと、映像ではなく実物の盗賊たちが目の前にいた。


「……うおっ! 何だてめえ!」


 そのうちの一人が、突然現れたディアナに気づき、慌てて剣を向ける。


「女? どこから現れたんだ」


「おい、この女……とんでもねえ上玉だぜ。売ったらどれほどの値がつくか想像できねえ」


 残りの二人も構えた。彼らの向こう側では腰を抜かした少女が涙を溜めた虚ろな目でディアナを見つめている。


 ディアナは死んだ父親に蘇生魔法を施した。彼の体が鈍く光った。


「何だ今の光は――ひいっ!」


 にやけながら近付いてきた男をディアナが睨みつける。すると男の足から頭にかけて、みるみる石に変わっていった。


「いたいけな少女を怖がらせた罪、万死に値するよ」


「うわあっ! 何だ!?」


「ひいっ! ば、ばけ……」


 ディアナは逃げ惑う二人の盗賊を蟻に変えた。それらを踏み潰しながら、少女に微笑む。


「怖かったよね。もう大丈夫だよ」


 困惑する少女が尋ねた。


「お、お姉さんは、誰なの……?」


「私はディアナ。女神様でーす! 誕生日プレゼント、喜んでもらえるといいね。じゃ!」


 そう言い残し、神界に帰って行った。






「大っ変申し訳ございませんでしたー!!」


 ディアナが地面に額をこすりつける様を立って見下ろしながら、老人はため息をついた。


「反省しているのは充分伝わったが、ルールじゃからなあ」


 彼は全宇宙を司る最高神、クロノスである。転生女神ディアナの遥か上位の存在だ。


「女神の立場にありながら『下界不介入』の掟を破るとはのう。挙句、三人もの命を奪ってしまうなど前代未聞じゃ」


「ですがクロノス様、あのままではあの子が……」


「馬鹿者! 例えそうなってもそれが寿命じゃ! マニュアルを読み直すがよい」


「ははー!」


「しかし、気持ちは分からんでもない」


 ディアナは上体を機敏に起こす。


「ですよね!?」


「普段のお主の真面目な勤務態度を評価し、挽回の機会をやろう。本来なら一万年の投獄に処すところじゃが、今回限り、特別任務を達成できれば許してやる」


「さすが最高神様。寛大な御心に感謝いたします」


 クロノスは咳払いをした。


「今から二千年前、一柱の神が神界から地上に逃げ堕ちた」


「堕落ですか」


「左様。その神は、とある一つの世界に強力な結界を張り、儂らが管理している宇宙とは別の、独立した異世界にしてしまった。これは宇宙の理を変える重罪じゃ。そこでディアナ。お主にはその神を倒し、異世界を再び宇宙へ組み込み直して欲しいのじゃ」


「なるほど……分かりました。問題はどうやって結界の内側に入るか、ですよね」


「結界は極めて強力で、外からは破ることができぬ。よって方法はたった一つだけじゃ」


「何ですか?」


「新しい命として、その世界の人間に転生することじゃ。その際、今世の記憶は無くしてもらう。相手は神じゃ。お主に女神としての記憶があると読み取られ、生まれた瞬間に殺される可能性があるからのう」


 ディアナの長いまつ毛が揺れる。慌てて立ち上がった。


「つまり人間になって、何も知らない状態で神を倒せということですか!?」


「いかにも」


「お断りします。瞬く間に殺されてしまいますよ。一万年投獄の方がマシです」


 ディアナはため息をつき、体の前で両手首の内側を合わせた。手枷をかけて下さいというジェスチャーだ。


「話は最後まで聞くものじゃ。儂らの仕事は宇宙を正しく管理することじゃな? そして、お主が助けた少女とその父親は本来ならあそこで死んでいた。ということは、今から正来の流れに戻さねばならん」


「は? まさか……」


「しかしお主がこの任務を受けるなら彼らは生かしてやろう。断れば、残念じゃが天寿を全うしてもらう」


「なっ、悪魔! 堕神! それって人質ですよね! 私がやると言わないとあの子とお父さんを殺すってことでしょ!」


「言い方を悪くするとそうじゃな」


「ぐぬぬ……、とても神のやり方とは思えない」


「贖罪の機会を与えておるのじゃぞ。数いる神の中でも優しい方じゃろう」


「というか、最高神クロノス様なら普通に結界を破れるのでは?」


「時間と人手さえかければ可能じゃが、その間の業務が滞ってしまうからの。お主が抜けた分も補充せねばならんし」


「私が神を倒せずに私が死んだらどうするんですか?」


「そのときは他の生物と同じく、輪廻に還るだけじゃ。再び虫からじゃな。女神に戻れるのは何億年後かのう」


「えーっ! また虫から!?」


 ディアナはしばらくうろうろと歩きながら悩んだあと、


「……分かりました! 人間に生まれ変わって神を倒す。やってみせましょう!」


 やけくそ気味に宣言し、胸をどんと叩いた。


「助かるぞい。結界のせいでその異世界の現状は見えぬが、人間は繁栄しておるらしい。お主の能力は怪しまれぬよう、『人間を逸脱しない範囲で高め』に設定する。人間にできることはたいていできる。だが、。当然神には程遠い。仲間を集めて策を練るのじゃ」


「簡単に言いますねえ」


「お主には最高神である儂の力で、『複雑に絡み合った数奇な運命』を授ける。様々な形で導かれ、神の下にたどり着くじゃろう」


「ついでに勝つ運命に……」


「人間が神を倒す定めなどあり得ぬ。己の心と体で闇に光を灯し、奇跡を掴むのじゃ」


「それって無理難題だと認めてますよね」


「うるさいのう。もう質問はないな」


 クロノスはやさぐれるディアナに転生魔法を施す。ディアナの体はまばゆい光となって、やがて消えた。


「どうも心配じゃな……まあ、駄目なら仕方あるまい」


 そう呟くと同時に、具象化していたクロノスの体も霧散し、白の空間だけが残った。




 ――人間を助けるという罪を犯してしまった一柱の女神。


 これは、天才魔法使いとなった彼女が神に挑む物語である。

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