第26話 赤い光
正直何の感慨も湧かなかった。
多分、無意識の内に心をプロテクトしていたんだと思う。
友人が失踪しただけであれだけ憔悴していた私が、できたての死体を見て動揺しないはずないのだ。
「ふむ……」
クリスタルさんは悲しげな眼をしつつも、屍の状態に興味があるようだった。
直接手で触れるのは憚られたが、それでも傷の状態を精査するように灯りで照らしている。
そんなに気になるものだろうか。
アンジェロさんとミルコさん。面識があったわけではなく、挨拶を交わした経験がある程度だが……明日は我が身と考えると、沸々恐怖と震えが奥底の釜の中から湧き上がってくる。
「アルフレーダさん」
「は、はい!」
「大丈夫ですか?」
「何とか……あまり良い気分ではないですけど」
「当然です。ファミリーが傷つけられたのですから、我々は鉄と血によって報いなくては。ただ、これはあまりにも不可解ですね」
「不可解……?」
分からないことが多すぎて、私視点では何が不可解なのか皆目見当もつかない。
木を隠すなら森の中というか、秘密を隠すなら謎の中というか。
どれも等しく同様の木に見えた。
「死因ですよ。このように危険極まりない場所であれば、落盤、床の陥没、滑落、可燃ガス由来の爆発、と様々なパターンが考えられます。ただ……」
膝を突き、無惨にも叩き潰され跡形もなくなったアンジェロの頭部にクリスタルさんは眼を寄せる。
「このような局所的な破壊を齎すものはそう多くない。それこそ落石が挙げられますが、そう解釈するには不自然な点が多すぎますね。これは、ミルコさんも同様です。彼は腹部と右腕に大きな傷を負っていますが、自然発生的なものとは考えにくいでしょう」
「しかし、洞窟の中には我々10人の他に誰も」
「本当にそう断言できますか。探査の目的を思い出してください」
「失踪事件の手がかりを見つけ出すこと……まさか、その犯人が?」
「岩やガスを下手人に仕立て上げるよりは、ずっと現実的な要因に思えますね。つまり、目下の問題は。これ程残酷に人を殺せる存在が金鉱を彷徨っているということです」
ずうん、とより巨大な重圧がのし掛かったように錯覚する。
眼前の道に亀裂は入っていないだろうか。
天井に割れ目は走っていないだろうか。
緊張の糸を張り続けるだけでも精神が擦り減っていくというのに、そのようなシリアルキラーの存在まで考慮しなくてはいけないとは。
「アルフレーダさん。ボスは、安全第一に行動せよと命令されました。このように犠牲者が生まれた以上、生存者の確認を兼ねて合流を試みるのが良策でしょう」
「しかし、それでは調査の効率が……」
「調査ができても、情報を持ち帰らねば意味がありません。10を調べ上げても、そのまま命を落としては0も同じなのですよ」
「……」
正論だ。
反論のしようがなかった。
無力感に苛まれながら、私は首を縦に振るしかない。
「ご理解いただきありがとうございます」
「そう仰らないでください。私はただの下っ端。対してクリスタル様は最高会議の役員です。こうして直接意見できるだけでも……」
「それは違いますよ。死を前にした時、人の命に貴賤などないのですから。等しく我々は……アルフレーダさん!」
嗄れた老人が、精一杯に声を張り上げ私に飛び掛かった。
思考が固まり、身体が動かなくなる。
何だ。何があった?
倒れ行く私の身体の上を、何か熱気を放つ赤い幹のようなものが通り過ぎていく……いや、それは腕?
「……!」
ぼやけていた視界のピントが合い、背後から忍び寄る追跡者の全体像が眼に焼き付く。
8本の視線が、私の眉間に凝集していた。
「こなくそッ!」
歪な腕が私の肩を掴み、今にも握り潰さんと万力のように締め上げられる。
不思議と腰は竦まなかった。
キリキリと力が入っていく怪物の指にナイフを当てると、流れ出す血が一体どちらのものなのか分からなくなっていく。
「眼を瞑ってください!」
その瞬間、夏の太陽のような閃光が炸裂し、一帯を照らし出した。
無論、それに殺傷能力など存在しない。ただ、赤肌の化け物の動きを緩ませ、私の脱出を補助するには充分だった。
晴れて拘束から脱した私は肩を抑えながら距離を取り、膝を突く。
「ぐっ……」
「立てますか?」
「……大丈夫です」
なんて情けない。
私が守るべき人に、守られてしまった。
覚束ない手つきで、私は再び床に落ちたナイフへと手を伸ばす。
「閃光弾……一か八か、ヤツの眉間にぶち当ててみましたが。どうやら効果覿面のようですね」
4対の手で顔を覆い、怪物は地響きのような唸り声を上げる。
怪物が見せる一連の動きはまるで生命体のようだったが、認識を司る脳はその解釈を拒絶していた。
こんなもの、認めてはいけない。
クリスタルさんはランプを持ち上げ、苦悶の雄叫びで巌窟を震わせる巨人を照らし出した。
「私の記憶に、あのような怪物は存在しなかった……この金鉱で何が……?」
「来ます!」
標的すら定まらぬ、猪のような突進。
至近距離で強烈な光を浴びたが為に、怪物の眼はどうやら儚くも潰れてしまったらしい。
半固形の血涙を流しながら、組織をひっくり返すように地肌を掻き毟る姿は見るに耐えないものだった。
衝突した岩壁が崩れ、雪崩のように上層から岩石が降り積もる。
「ふむ。馬鹿力ですね。彼らの命を奪ったのはこの怪物で間違いないでしょう」
「コイツが……!」
恐怖、怒り。こもごもとした感情がマーブル状に混じり合う。
このまま生き埋めになってしまえとさえ願ったが、この程度のことで止まるわけもなく、程なくして巨人は立ち上がった。
耳から入る情報だけで目指すべきものを探り、小石を弾き飛ばしながらそれは前へと進み出る。
「アルフレーダさん!」
「はい!」
「私に策があります。ここに立っていてください」
そうしてクリスタルさん指し示したのは、今にも崩れそうな天井の下だった。
「だ、大丈夫なんですか!?」
「問題ありません。保証しますよ」
赤鬼が地を蹴り、再び走り出した。
無論、その標的は大声を発してデコイとなった私。
逃げ出そうか?いや、立っていろと命令されたのだ。逃げるわけには——
「今です」
「うわっ!?」
クリスタルさんの手から何やらマジックハンドのようなものが伸び、私の腰を強く掴む。されるがままに引き寄せられていくと、眼の見えない怪物はすれ違うように壁へと追突した。
しかも、それは彼の計算通りだったのだろう。
巨人は、勢いそのまま脆くなっていた坑道の鉄柵を突き破り、数十メートル下の層へと落下していった。
通り過ぎる馬車のように、叫び声が痩せ細っていくのが聞こえる。
そうして残ったのは、パラパラと砂が流れ落ちる音。そして砕かれた岩が自重に耐えきれず崩れていく感覚だけだった。
「ふぅ……息の根を止めることはできずとも、なんとかなりましたね」
「クリスタル様。あの、これは」
「あぁ、すぐに外しますね。ギルドの方で作成してあった、足場が崩れた場合の備えですよ。尤も、使い切りですので2度目はありません。それに、本来の用途とは別の使い方をしてしまいました」
「そんな貴重なものを……」
しかし、その貴重なモジュールとクリスタルさんの観察力のお陰で私は九死に一生を得たのだ。
感謝以外に抱くべき思いは何もなかった。
「生命を担保する為のモジュールですから。こうして生き残る為に使われたのであれば本望でしょう」
クリスタルさんは柔和に笑う。
少し安心したのだろうか、私にも自然と笑顔が浮かんでいた。
……だが。
不意に、2人の顔から笑みがスッと消える。
それは、浮遊感だった。
それ以上でもそれ以下でもない。
私たちは突如として、天地のひっくり返った無重力に投げ出されていたのだ。
「!?」
泣きっ面に蜂。
弱り目に祟り目。
一難去ってまた一難。
まぁ、どんな表現でも良いが。災難とは不思議と重なるものだ。
思わず大声が出る。
私とクリスタルさんは、床にぽっかりと空いた正体不明の穴の中に吸い込まれていった。
頭上を見上げれば、真っ黒な真円がみるみる小さくなっていくのが見える。
状況理解が追いつかない。
生き残らなきゃ。生き残らなきゃ。
掻き立てられる生への渇望に、手が伸びていく。
ただ、どうしようもない。
困惑と焦燥感が脳を支配する中、2人は優しくも強烈に床へ叩きつけられた。
*
「黒い靄ねぇ……」
ヴィオラは腰に手を当てながら呆れ返るように呟いた。
教会の中に吸い込まれたくらいから、御伽話のような化け物と出会い過ぎている。
ここまで来ると飽きる飽きない以前に、しつこいという気になってしまうのだった。
「複数の人間から作り上げられたと思しき赤肌の巨人。無数の手足で洞窟を塞ぐ単眼の靄。いずれも事実とすると尋常ではありませんね」
「ま、あの気狂いに誘われた時点で、魔窟になってることくらいは想像ついたろ。とはいえ面倒なもんは面倒だが」
「イブリース、でしたか。お話を伺う限り、これまでの不可解な現象の原因は彼女にあるように思えます」
「同感です。身共がアレと相対した時、感じたのは恐怖よりも畏怖でした。あれは、少なくとも純粋な人間ではないかと……」
感情を表出させること自体珍しい彼女すら畏怖させる存在。
確かにそれは普通じゃない。
とはいえ、そんな単純な話で片付くとも思えなかった。
「確かにアイツの言葉は、私は犯人ですよ〜って自白するようなもんだった。正直過ぎて逆に疑いたくなるぜ」
「ヴィオラさんは臍曲がりですからね」
「誰が右曲がりだって?」
「そこまでは言ってません……というか付いてないでしょう、あなた」
「あの野郎、人から疑われたり攻撃されたりするのに快感を覚える性質だ。私の経験がそう言ってる。深い所で関与してるのはまず間違いねぇんだろうが、首謀者かどうかというとな……」
とはいえ、他の誰がこんな大規模に人を攫えるのか、というと候補がいない。
いや、候補で言えばルネ=マグリットという大本命が存在するのだが、アルカヘストのお墨付きで否定されてしまえば考慮外にするしかないだろう。
それに、少なくともオーラムを攫ったのはイブリース以外の誰でもない。
ヴィオラが捻くれた人間扱いされるのも無理ない話である。
「様々な可能性を考慮する、というのは大事なことですから。私はヴィオラさんの考えを支持しますよ」
「おお。ボス、アンタ分かってんな」
「そもそも、今回の案件はただの失踪事件に収まらないものです。この先には、人智を超えた何かが待っているんですから」
「“四獣の遺物”。いや、本質はそうじゃないんだっけか。結局、よく分からねぇ存在だな……ん?」
「あれは……」
ふと、4人の歩みが止まった。
視線の先には、金鉱に満ちる闇が溢れている……いや。
そこに有るのは果たして闇だけだろうか?
脊髄が震える音がする。
それは、脅威が音を立てて忍び寄っている証左だ。
眼を凝らして先に聳える何かの輪郭を探る。
ぼんやりとしたシルエット。手に取れば蕩けていく綿菓子のような煌めき。
「赤い、光?」
輝く眼は、真っ直ぐこちらを凝視していた。
身体が金縛りを受けたかのように動かなくなる。
その色は滴る血のように鮮やかだ。
溶けた深淵がふわふわと。綿毛が如く。
可愛らしいと言えば可愛らしかった。
飴玉だと言って子供に差し出せば、喜んで口にすることだろう。
溢れ出す甘露。それが、自らの舌が溶け落ちて初めて味わえる禁断の快楽だと気付かぬままに。
「まさか、あの歌にあったのは……」
アレキサンドライトが感嘆の声を上げた瞬間、紅色の光球は急激に膨張し、モーニングスターのような無数の棘を形作った。
ふと、寒気で凝り固まっていた背筋が乱雑に揺さぶられる。
生存本能を掻き乱し、自律神経の歯車を散らすような感覚。
そうか、そういうことか。
これに対処するなど、実に烏滸がましい。
周囲の岩が砕け、霧のような光が金鉱を照らした。
「チッ。逃げるぞ!」
天性の資質故か1人今にも向かっていきそうなサリナの手を強く掴むと、ヴィオラは踵を返して駆け出した。
クリスタルの言葉を思い出す。
赤い光を見つけたら、すぐに逃げろと。
普段の彼女ならば、わざわざサリナを引き留めようとしなかっただろう。
ただ、この瞬間に限って。この場のあらゆる生命体は、心臓が掻き鳴らす警告音に思考をジャックされていた。
正常な判断力を取り戻したいのなら、あの博識な老人が齎した警告に身を委ねるほかなかったのである。
「ヴィオラさん!」
隣を走るアレキサンドライトが、不意に声を掛けた。
どうやら、光が放つ何かによって右腕を負傷したらしい。だらだらと垂れる血液を抑えながら、彼女はこちらを真っ直ぐ見据えている。
傷を案ずる言葉を掛けるべきか否か、ヴィオラはコンマ数秒だけ迷い、それからいつものように無愛想な声を出した。
「あ!?なんだ?」
「以前、聞いたことがあります!金鉱には、赤いお化けが出ると!それは、悪い人間を吸い取って大きくなるのだと!子供を叱る際の常套句ですが……」
「それが現実に現れただって!?メルヘンなこったな!」
「そうではありません!重要なのはその性質です!“悪い人間を吸い取る”が真実に倣ったものであるとすれば、アンドレアさんの言葉が……“四獣の遺物”の本質を欲望の地層と表現した彼の言葉が、いっそう真実味を帯びると思いませんか!」
人間が積み重ねてきた欲望の地層。
確かに、アンドレアはそう言っていた。
あの男がどこまでこの金鉱のことを理解しているのか知る由もない。
ただもし、奥底に潜む脅威についての真に深い知識を彼が持っていたとすれば、表立って解決に動こうとしなかったのは何故だろう?
もしかするとその事実こそが、答えになっているのではないだろうか。
「有用な考察をどうも!だが、生き残らねぇと価値なんてねぇからな!」
前方を、無数の線が塞ぐ。
その中には何か得体の知れない真っ赤な液体が流動しており、微かに脈打ちながら4人を取り囲んでいた。
熱。
否、温。体温。
思考の揺らぎの隙を縫って、汗ばむくらいの風が流れ込んでくる。
正直、気持ち悪かった。
この光はなんだ。
知覚できる気配そのものが、ヴィオラの嫌悪感を逆撫でする。
先刻の巨人が外見によって拒絶感を引き起こすものだとしたら、赤い光はその数段上を行く決定的な齟齬を抱えていた。
「チッ」
一際面倒臭げに舌打ちをすると、ヴィオラは再び背中を返して光球を睨みつけた。
仕方がない。
この先は通れないのだ。
あの血管のような糸に触れたらどうなるか、知りたくもない。
「やるしかねぇな……」
ヴィオラはナイフを構え、脳裏のイメージを整えた。
こんな所で全滅するのだけはごめんだ。
「マーキュリーさん」
「はい。……
「そうです。身共が隙を作れば、可能ですか。4人全員は難しくとも、2人、3人ならば」
3人の視線が、サリナに集まる。
彼女への反論は、マーキュリーに託されていた。
「サリナさん。1つだけ、言わせていただきます。僕にとっての成功は、全員分のテレポートを完遂させることです。出撃した兵の99パーセントが生きて帰れないような戦場を経験したからこそ、僕はそう考えています」
「マーキュリーさん」
「このような無差別攻撃の中、4発とも撃ち落とされずに済む確率は皆無に等しいでしょう。この意味が分かりますね?」
「……」
「それに。隙を作ると言いますが、アレは先程の靄とは訳が違います。失敗した場合、どうされるおつもりなんですか?」
「しかし。ここで全員が命を落としては元も子も——」
ギュッと槍を握り締め、サリナはマーキュリーにくってかかる。
赤い怨嗟が岩壁一面に染み渡り、泥のような瘴気が踊り出した。
冗談も大概にして欲しい。
これ程までに悪辣な光があってたまるか。
災害だ。こんなものが、世界一の治安を誇る都市の地下に跋扈していたとは。
——マーキュリーさんの仰る通りっすよ!!!
その時天から降り注いだ声を聞いて。全員が一瞬、自らの耳を疑った。
いや、疑うどころではない。
とうとう幻聴が聞こえ出したか、と哀れみすら感じていた。
どうやら自分の頭はどうにかなってしまったらしい。
驚きを超え、いっそのこと笑えてくる。
ただ、それは流石に考え過ぎだったようで、続けて流れ込んできた声は自己の正気を確信させた。
「死んでしまったら、守りたいものも守れないっすよ。サリナさん」
「え……」
ポカンとしていたサリナが、眼を丸くしながら口を開く。
その声の主を、この場の皆が知っていた。
「お、オーラムさん!どこに居るんですか!?」
「今それを聞くんすか!?まずは皆さんの安全でしょ!3秒後、そこに穴を開けるんで飛び降りて欲しいっす、良いっすか!」
良いも何も。
首を縦に振る以外の選択肢が、彼女らに残されていただろうか。
溺れる者は藁をも掴むというが、今の彼女らにとってオーラムの声は豪華客船の汽笛に等しかった。
「行くっすよ!3!」
「アレキサンドライト、大丈夫か?」
「2!」
「……はい」
「1!」
「私は私の役目を全うします」
「0!」
刹那、4人を襲ったのは筆舌に尽くし難い浮遊感だった。
胃の中身が浮く。
成る程、穴を開けるとはそういうことか。
まるで罰ゲームのようではないか。
床が抜け、真っ暗な筒の中を落下する。
本日2度目の急降下。アトラクションとして楽しむには、あまりにスリルがありすぎる。
視界を覆う光の束が急激に収束していくのを横目に、ヴィオラは首に下げたロケットを強く握り締めた。
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