4-3

「龍介、遅いなぁ」

 中庭で秀明たち三人は膝にそれぞれの昼食を置いて龍介を待っていた。昼休みが始まって十分ほど経つが龍介がまだ来ないのだ。

「中庭で飯にしようって言ったんだろう」

 と秀明が訊ねると、七瀬は、うん、と頷いた。

「なにやってんのかしら」

「トイレでも行ってるんじゃないのかい」

「にしても遅い。来るっていうから待ってるのにお腹減っちゃった」

「先に食べたら?」

「それはいい」

「腹が減ってるんだろ」

「あのさ柾屋くん」

 ぎろりと自分を見つめる七瀬に、秀明はくすくす笑った。

「別に他意はないよ」

「食い意地の張った女だとか思ってるんでしょ」

「別に他意はないよ」

「あのさ柾屋くん!」

「まあまあ七瀬」と、笑いながら冴は七瀬を宥めた。「秀明は七瀬をからかうのが趣味になっちゃっただけだよ」

「冴、それ何のフォローにもなってないよ」

 すると冴は意外そうな顔をした。

「そうだった? 謝るべき?」

「いやそこまでじゃないけど……あー、遅いな龍介のやつ」

 と、そこで七瀬が空を見上げたタイミングで龍介が走ってやってきた。

「すんません、遅れました」

「遅い!」

「ご、ごめん七瀬。龍士と話してて……」

 昨日の今日で十分も話すようななにかといえば、昨夜龍介が相談してきた内容と関係があるのだろうか、と、秀明は気になった。

「龍士って昨日話してた子だよね」と、秀明。「なにかあったのかい」

 七瀬の横に、うーん、と唸りながら座り、どうしたもんかと悩む。その様子を見て冴は秀明に、

「私たち、いない方がいいかな」

 と訊ねると龍介がびっくりした。

「いや! 冴さんと七瀬のアドバイスも聞きたいっす!」

「そう?」

「そんなに気を遣わないでください」

 今朝の龍介の行動と特に変わらないように秀明には思えたが、龍介としては相手にそうされるのは気になるようだった。

「じゃ、俺たちでよければ」と、秀明は改めて龍介に向き合う。「とにかく昼飯にしながら」

「あ、はい」

 と、龍介は今朝作った弁当箱を広げ、箸を手に取った。他の三人もそれぞれ食事を取り始める。

「あのですね」

「うん」

 と、龍介はウインナーを一つ口に運び、咀嚼したのち説明を始める。

「と言っても、なにを話せばいいのやら……とにかく龍士のやつ、朝から重苦しい感じで……」

「お前のことが気に入らないとかそういうんじゃないんだな」

「でも、昨日、俺がしつこかったのかもしれないっすし」

 冴と七瀬は昨日なにがあったのかを気にはなったが、ここは黙っていた方がいいだろうと判断した。

「だから、古賀くんの真意は要するにわからないわけだろ。お前になにか言ってきたのかい」

「いいえ、なにも。ていうか、挨拶のときからヘヴィな感じで、返事はしてくれたんだけどあんまり会話が続かなくて……それで俺、そういや明日、真桜のコンサートがあるから一緒に行かないかって訊いてみたらなんだか不機嫌っていうか、なんとも言えない微妙な感じになって……」

 黙って話を聞いていた七瀬は真桜のコンサートの件でじろりと龍介を睨んだが龍介はそれに気づかない。秀明は、やはり七瀬は龍介と二人きりで草加真桜のコンサートにデートに行くつもりだったようだ、と考えた。この場合、自分も龍介に誘われていることはとりあえず一通り話が終わったらした方がいいのだろうかとふと逡巡する。

「それで?」

「それでっていうか、なーんかヘヴィでダークな雰囲気で」

「じゃ、あんたが原因かどうか、やっぱりわかんないわけじゃない」と、七瀬はやや不機嫌になりながら言う。「古賀くんって子の家でなにかあっただけかもしれないし」

「そ、そうだけど七瀬、なんでそんなに怒ってるの?」

「だって真桜のコンサートって」

「あ、それなんだけど先輩も誘ったよ。冴さんもどうすか、一緒に行きませんか」

 いま冴がいなければ秀明は七瀬の心に色々なものが湧き起こっていることを読み取っていただろうし、別に精神感応能力を持つ秀明でなくともそれは読み取れることだろうなとも思った。だが七瀬は冴の手前わかりやすくイライラするわけにもいかず、黙って昼食を取り続ける。

「まあ、そういう感じで」

 そこで龍介の話は終わるようだったので、秀明は、うん、と頷いた。

「わけがわからないだけだな」

「そんなぁ」

「お前が原因なのかもしれないし、そうじゃないのかもしれないし。とにかく古賀くんの真意は結局わからなかったわけだろ」

「そうなんすけどねぇ。でも昨日の今日だし」

「とりあえず会話はできてるみたいだし、向こうだってお前の対応が気に入らなければもっと険悪な雰囲気になってるんじゃないのか」

「そうかなぁ」

「わからんがね。俺は古賀くんじゃないから」

 とはいえ自分がテレパシーを使って龍士の心を読み取れば大体のことはわかるのだろうが、と思う。

 しかしここで自分が出しゃばって、龍士の話を聞こうか、ということはちょっとできない。余計なことをして二人の関係に亀裂が入ってはいけないし、迂闊な読心で彼らに自分が超能力者であることを悟られるわけにはいかないからだ。もし自分が人の心を読めるという超現実的な特殊能力を持っていることを知られたら、そこに待っているのは、まずは拒絶であり、それから“魔女狩り”が始まるかもしれない。

 異形の存在を目にしたとき、人は、変わる。

 だから迂闊なことはできない。それが秀明の超能力者として生まれついたときからの人生なのだから。

 もちろん一個人として気になることは気になる。龍介の悩みを解決してやりたいという気持ちは芽生えている。ただ、それをどのようにすればいいのかがちょっとよくわからない。なまじ人の心が読めるからこそ対応の仕方が難しいのである。

 秀明が黙り込んでしまったため、龍介は慌てた。

「いや、ま、龍士に直接聞いてみるってのもありなんすけど。先輩を悩ませるつもりじゃなくて、昨日先輩が言ったように、結局は悩んでる俺の問題なんだろうし」

「いやいや」

 例えば自分が後で冴のいないときに龍介たちの教室に行き、龍士の心をさらっと一瞥するなり深く読み込むなりすれば、少なくとも龍士の原因が龍介であるかどうかはわかるのだろうが、と、ふと思う。

 超能力を持った者としての高い意識が秀明にはある。それは要するに、能力のある者はその能力を効果的に使わなければならないのではないかという正義感そして使命感だった。だがしかし、なんと言っても秀明もまだ高校二年生の子どもだ。うまくセルフコントロールし切れる自信自体はあるのだが、それは果たして楽観視し過ぎているのではないかとも思うし、自分を過信しているのではないかとも思う。

 ただもちろん、いずれにせよ、それはあくまでも自分を守った上で行うべき救済であることは確かだった。秀明は冴以外の人間に自分が精神感応能力者テレパスであることを暴かれるわけにはいかないのだから。

「とにかく、そうだな」と、秀明は頷く。「お前の気持ちはわかるよ」

「わかりますか」

 共感されたことで少しだけ龍介の表情が明るくなった。

「友達が急に態度を変えたんだから、そりゃ気になるよな」

「そうっすよね」

「俺だって冴が突然ヘヴィになったら気になるよ」

「そういうときはどうしますか」

「ケースバイケースだけどね、わかりやすいところではしつこくしないってところかね」

「そうだね」と、冴は首肯する。「その人が原因であってもなくても、悩んでる最中にあんまり距離を詰められたら嫌かな」

「おそらく俺が原因じゃなかった場合は放っておいても元に戻るだろうし、あるいは話をしてくれるかもしれない」

「……もし、俺が原因だったら?」

 恐る恐るそう訊ねる龍介に、秀明は残念そうに言った。

「そういうときはやっぱり、ずっとヘヴィな関係性が続くんだろうな」

「そんなぁ」

「だからとりあえず、お前は真桜のコンサートに古賀くんを誘ったわけで、とにかく彼のことを気にしていることは伝わっているだろうから、あとは様子を見て、彼のパーソナルスペースを侵さないように気をつけていればそれでいいんじゃないのかい」

「はぁ、そんなもんっすかねぇ。俺は友達が悩んでるときは助けてあげたいんすけど」

 いいやつではあるし、ただのいいやつでないのも確かだが、やはりまだまだ子どもだな、と秀明は思う。

「いつでも話を聞いてあげられるよ、って態度でいればいいんだよ」

 少し龍介の心が動く。

「あ、そっか」

「受け入れてもらえそうだと思ったら話してくれるだろ」

 とは言え、夜盲症の件を聞いてくれたから偽装メールの件も聞いてくれるだろうと思ってしまったのであろう龍士のことを思うと、そこで発言を止めるわけには行かない。

「お前の無理のない範囲でな。大切な友達だからこそ、無理をしてはいけない」

 龍介は、はい、と頷く。

「そうっすね。わかりますよ、先輩の言ってること」

「じゃあ後は、いつも通りでいな」

「はーい」

 この“納得力”も龍介の武器の一つなのであろう、と秀明は微笑ましい気持ちになった。

 と、そこで龍介は話題を変えた。

「それはそれとして、どうっすか二人とも、みんなで明日コンサート行きません?」

 という龍介の提案に、七瀬はもうすっかり諦めた様子で、

「行こうよせっかくだし」

「行ってもいいなら行きたいかな」と、冴。「行ってもいいなら」

「ああうん、行こう行こう。みんなで行きましょう。その方がきっと楽しいわよ」

 半ばやけになっている七瀬に気づかず、龍介は言った。

「そうだよ七瀬、せっかくの無料コンサートなんだからみんなで楽しまなきゃ」

 わくわくしながら笑う龍介に、七瀬はもう彼氏を睨みつける覇気もないようだった。

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