4-2
「おはよう二人とも」
と、店に冴がやってきていままさに出発しようとしていた二人に声をかけた。
「おはよう冴」
「おはようございまっす」
冴はにっこりと笑う。
「今日もちゃんと起きれたね」
秀明は頭を掻く。
「龍はうまいよ、起こすの」
「よかったね、いい同居人ができて私も一安心」
「じゃあ行こうか」
「そうだね。龍くん大丈夫?」
「大丈夫っす!」と、龍介はリュックサックを背負う。「では行きましょう!」
そして三人は学校へ向かう。
談笑しながら登校する最中、秀明はなんとなく冴の顔が浮かないことに気づいた。
「冴、どうした」
小さい頃から一緒の秀明だし、超能力を使っていなくてもテレパスとしての勘の良さもあるのだろうと冴は思う。そもそも話を聞いてもらいたいと思っていたのだ。
「うん。ちょっとね」
「深刻な話なのかい」
「うーん……私の話じゃなくて……」
冴がそこで困惑した表情になったとき、ふと龍介が、
「あ、じゃ俺、先行ってますんで」
と行って前に出た。
冴は目を丸くした。
「どうしたの?」
「いや、先輩に話がありそうですし。二人きりの方がいいなーって」
「そんな」
ことないよ、と言う前に、龍介は駆け出す姿勢を取った。
「ではっ、また後でお会いしましょう!」
白い歯を見せてニカッと笑い、そして龍介はこの場から離れていった。
龍介の後ろ姿を見ながら冴は困ったような、だがその一方でホッとしたような表情をする。
「気を遣わせちゃったな」
「お前だって俺に話したかったんじゃないのか」
「それはそうなんだけど。でも、ちょっとタイミング悪かったな。気を悪くしてないといいけど」
「それはないな」
「わかるの?」
少し不安げに秀明を見上げる。
秀明はあっけらかんと言った。
「俺じゃなくてもわかるさ。龍はいいやつだからな。お前だって、この二日間でそれはよくわかっただろ?」
ふ、と、冴は微笑む。
「そうだね」
「それで、なにかあったのかい」
「うん、そうだね……」
そして冴は説明を始めた。
「昨日、店を出て、家に帰る途中、文化ホールの近くのことなんだけど」
「お前の帰り道じゃちょっとないな」
「買い物があったから」
「なるほど」
「それでまあ、てくてく歩いてたら、突然背中が濡れて」
「もっと具体的に」
「明日明後日、草加真桜って子のコンサートが文化ホールであるのね」
ここで真桜の名前を聞くとは思わなかった秀明はなかなか驚いた。
「草加真桜って、いろんな賞を取った」
「そう。よく知ってるね」
「龍の中学時代の同級生らしい」
「そうなの?」冴も目を丸くする。「世間は狭いね」
「それで?」
「それで、その真桜のコンサートのストリングスを担当してる、バンド? のメンバーが帰る直前に、メンバーの子がうっかり私の背中にコーラをこぼしちゃったの。ああ、リハーサルだったんだけどね」
「背中にコーラをこぼす?」
「だから、よろけちゃって」
「ああ、なるほど」
「それで、その子、
秀明は怪訝そうな顔をした。
「実可子?」
「え、知り合い?」
「知り合いじゃない」
しかし、昨日チェロを忘れていった少年の想念に(実可子)という名前の人物が出現したことをどうしても考えてしまう。果たしてその阿部実可子が(実可子)なのだろうか。
こういう場合、普段人の話を聞くとき、相手の心をまさぐりながら聞く習慣のある秀明には非常にまどろっこしい。昨日の龍介の話のように、言葉で説明しにくい部分、表現できない部分はイメージで補完することができるため、いまのように言葉だけで全貌を理解することはとても難しいことだった。冴の心が読めたらその少女が(実可子)かどうかなどすぐにわかるのにと思う。
しかし、これは冴との“契約”なので破るわけにはいかない。
「それで、その実可子ちゃんがどうしたんだい」
気を取り直してそう訊ねる秀明に、冴は、うん、と、頷いた。
「私としては、ちょっと洗濯するだけだしいいのって言ったんだけど、実可子ちゃんが、なんていうか、慌てん坊な子というか。テンパる子で。本当にごめんなさいごめんなさいってパニックになっちゃって。メンバーの人たちはいつものことだって呆れた様子だったんだけど」
「その間、メンバーはなにしてたの?」
「もちろん謝ってくれたんだけど、どっちかっていうと実可子ちゃんを宥める方に力を注いでたかな。もちろん私に対しても真摯だったよ」
「それで?」
「それで私もかわいそうになってきちゃって。でもどうすればいいかわからなくて。そしたら実可子ちゃんが、今日は無理だけど今度お詫びするから連絡先教えてくださいってなったの」
「それで?」
「で、連絡先を交換して、その場は別れたんだけど、家に帰ってすぐLINEが来て、さっきは本当にごめんなさいって」
「ふむ」
「それで、電話して、ちょっと落ち着いてもらって」
「落ち着いた?」
「そうだね。少しずつ」
「それで、話が本題に入るのかな」
「うん」と、そこで冴は口元に指をやった。「なんていうか」
「なんだい」
「クラスメイトに、ちょっと、困った男の子がいるんだって」
「世間話をしていたわけだ」
「うん。ストーカーみたいなって」
ふと秀明は、実可子という中学生の少女のクラスメイトの困った男の子、という点から、果たしてそれはチェロの少年なのだろうかと想像する。
「ストーカーなら警察案件だろ。その前に先生に相談だろうが」
「なんだけど、まだそこまで“被害に遭ってる”っていうんじゃないみたいなの。ただ、じっと見てくるとか、やたらと横を通り過ぎてくるとか、とにかく怖いというか、気持ちが悪いって」
「ほう」
「なんだけど、それ以上になにかおかしなことをされてるわけじゃないから、自分としてもどうしたらいいのかわからないらしいの。放っておいてもいいのかもわからないし、そもそも放っておくのも怖いし、かといって先生に相談して面倒なことになるのも怖いしって」
「実可子ちゃん自身が気になってる以上、仕方がないな」
「気にしすぎだよなんて言ってもなにも言ってないのと同じだものね。本人が困ってるって事実は動かないわけだし」
「ある程度様子を見る、っていうのも難しいな。突然爆発するかもしれないし」
「だから私も困っちゃって」
「困ったな」
「そうなの」
そこでしばらく二人は無言になる。
「いまここで解決策を出してくれるとは思ってないよ」
と、冴は口を開いた。
「だろうね」
「長い付き合いだもの。性急じゃないのがあなたのいいところ」
「ただ、話なら聞ける」
秀明は冴の目をまっすぐに見た。
「それぐらいの余裕はある」
冴もその視線を離さない。
「ありがとう」
そう冴はつぶやいて、やがて、二人は微笑み合う。
そしてそのまま二人は登校を続けるのだった。
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