3-3

「それにしても住み込みなんて思い切ったな」

 とりあえず龍士との会話が弾み龍介はホッとしている。だんだん龍介の中から龍士の病気の件が薄れていっている。確かに面倒な病気ではあるが、別に龍士が突然変身してしまったなどというわけではない。彼が困った事態に陥って、もし自分がそれを助けることができるなら助けてあげたい、だんだんと、そういう実際的な方向へと思考が進んでいっている。もちろん余計なお世話でなければ——自分は盲目の人間と関わったことがない。だから、下手をすれば余計なお世話になるかもしれない。龍士が自分を頼ってきたら、絶対に助けよう、と、龍介はとりあえずそう思い始めていた。

 龍士のふとした発言に龍介は頷いた。

「まあ、流れっちゃ流れだったんだけどね。どうしても住み込みのバイトがしたかったわけじゃなくて」

「たまたま見つけた、と」

「うん。でも、頭の片隅に、兄貴はもうずっと一人暮らししてたからやっぱり負担かなぁって気持ちがあったのも確かなんだけどね。家族っていっても、相手のペースを乱すわけにはいかないしさ」

 龍士は感嘆した。

「お前はほんといいやつだな」

 ちょっと疑問に思う。

「そうかなぁ。生活するってそういうことだろ」

「まあそうなんだけどね。でも、本当にお兄さんと仲がいいみたいで羨ましいよ」

 “羨ましい”というワードが龍介は少し気になった。

「お前だって、妹さんとメールしてるんだろ」

「まあね。

 どこか含みを持った発言に聞こえ、龍介は怪訝そうな顔をした。

「お前がメールしてるんだろ」

「妹はそれを知らない」

 話がおかしな方向へと進んでいるのを龍介は感じた。それは龍介の心に再び警戒信号を走らせるものだった。

「え?」

 この場合、詳細を聞いてもいいのか、それとも聞いてはいけないのか、よくわからない。確かに龍士から話を始めたように思える。それは彼が自分の話を龍介に聞いてもらいたいからなのかもしれない——が、果たして自分がそれを受け止められるかという不安がふと龍介の心をよぎった。まだ何の詳細もわからないのに。

 それでも——興味が湧いたのも事実だった。

「何の話?」

 だから思い切って聞いてみよう、と、龍介は思った。龍士はその話がしたいのではないか。病気の話と一緒で、自分のことを誰かに聞いてもらいたいと思っているのではないか——それが果たして自分の思い違いでなければ。

「うん、そうだな」

 龍士は話し始める。それが流れに流された結果なのか、それとも彼自身の意思によるものなのか。それは龍介にはわからないけれど。

「妹はずっと付き合ってるやつがいてさ」

「妹さん、いくつ?」

「それが同い年で」

「ということは、妹って双子?」

「イエス」

「へえ。双子って、面白いな」

「面白いかな。確かに珍しがられるけど」

「ああ、ごめん。それで、その双子の妹さんの彼氏がなんだって?」

「どうやら中学に入ってすぐ付き合い始めたみたいなんだよね。そんで去年ぐらいにその彼氏が引っ越して、以降遠距離恋愛」

「ほう」

「俺は妹と接近禁止命令が出てて……」

 またもやハードな話が始まった。

 龍介は緊張しながら、黙って話を聞く。

「まあ、正確に言うと俺に出てるわけじゃないんだけど、俺の父親がね。母親と妹に近づくなっていう裁判所の命令が出てて。詳細はごめん」

「話したくないならそれはいい」

「うん。それでまあ、俺も父親に悪いし、と思って。まあそもそも遠距離に住んでるんだけど。会おうっていってもそうもいかないんだけど」

「……うん」

 話を聞くつもりでいたのに、龍介はどんどん居心地の悪さを感じていた。

 おそらく自分には、この話はだろう、そう思って。

 それでもここで拒絶するわけにはいかない。

「それで?」

「妹の彼氏っていうのが、俺のネット友達でもあって」

 龍介は目を丸くした。

「世間は狭いってことかな。いや、広い?」

「たまたま偶然にも、ってことだけど。それで——そいつが半年前に、死んでしまった」

 やはり自分には手に負えなさそうだと龍介は思った。

 それでも——ここで話を止めるわけにはいかない。

 それは、何のためだろう、と、ふとそんな発想はよぎったものの。

「……それで?」

「妹はそれを知らない」

 ふと龍介は会話の流れを思い出す。

「お前がメールしてるって話は?」

「だから、そいつの名前を騙ってメールしている」

 正直に言えば——夜盲症のことより、こっちの方がよっぽど龍介にとってはインパクトのある話だった。

 具体的なことがまだわかったわけではない。まだ話は始まったばかりだ。それでも龍介は自分の心に、龍士をと思う感情が生まれ始めている。それでも、まだ詳細はわからない。そんなふうに切って捨てるのは早すぎる。もっと龍士の話を聞いてみたい。聞いてみなければ。

「変なことしてるな」精一杯の言葉だった。「なんでそんなことしてるんだよ」

「それはもう、妹と縁ができたわけだし」

「だからって」

「ああごめん」龍士は苦笑した。「ちょっと気持ち悪いかな、俺」

 ちょっとどころではない——それでも、話を。話を。

 いつの間にか龍介にとってこの話が夜盲症の件と被っているのを感じた。しかし病気の件については、自分はこいつが困っているときは助けてあげたい、と、そう純粋に思えていたのに、いまのこの話題はもう関わりたくないと思っている。話を聞きたいというのもシンプルに興味があるからではいまはもうなく、ただ龍士との関係が破綻しないために、ただそれだけだということを龍介は自覚していた。

 そんな様子の龍介を知ってか知らずか、龍士は説明を続ける。

「それでまあ、妹とこの半年ずっとメールしてるんだよね。妹はそれをもちろん知らないし、俺もカミングアウトするつもりはないんだけどさ。そのうち限界が来るだろうな〜とは思ってはいるんだけど、いまは特に問題ないし。妹もすっかり信じ込んじゃってるみたいだしさ。まあ楽しいからいいかなって」

 龍士は自分に、罪の告解でもしているのだろうか——なんとなくそんなふうに龍介は思った。

 およそ他人に話したら、こんな話は引かれるに決まっている。それでも龍士が自分を頼ったのは結局のところ自分が病気の話に理解を示そうとしてくれているから、だからそれならこの話も受け入れてくれるのではないか、そんなふうに彼は思っているのではないか、なんとなくそう龍介は思った。

 だが、自分だって、あらゆる話を受け止められるほどできた人間などではない。

 それでもその真実を龍士に伝えるわけにはいかない。

 なぜ?

 ——友達だから?

「まあ、お前も色々あるんだな」

 結局このようなお座なりな共感をして、向こうからこの話をやめてもらうしかなさそうだと龍介は思った。

「ま、そうだね」龍介の真意を知ったかどうなのか、龍士は大いに頷く。「色々あるのさ」

「色々か」

「色々さ」

 そのとき、公園前に車が止まった。

「あ、お父さんだ」どうやら車の音でわかったのだろう。「じゃ、俺行くね。話聞いてくれてありがとう」

「え。あ。うん」

「じゃ、また明日、学校で。お休み」

 龍介の返事を待たず、龍士は公園の出入り口に向かう。目が見えていないとは思えない足取りと速度で、と、龍介には映った。

 一人残された龍介は、発進し始める古賀家の自動車をぼんやりと眺める。

「お休み」

 ただただ複雑な気持ちがそこにあった。そこに夜盲症の件はほとんどなかった。

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