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 そんなわけで、現在、龍介がカレーライスを作っている。冷蔵庫の中はなかなか食材が揃っており、おそらくこれまでは冴が秀明の食事の世話をしていたのであろうことを龍介は推測した。

(藤原さんは家事が得意)(もしくは柾屋さんが料理ダメだから上手くなったとか)(食べ物でいっぱいの冷蔵庫)(この人だけだったらどうなってたんだろう)「すぐできますからね〜」

「ありがとう。頼むよ」

「好き嫌いとかありますか。サラダも作ろうと思うんですけど」

「特にないよ。サラダもありがたい」

(よかった。俺がサラダ食べたかったから)「はい。座っててくださいね〜」(迂闊なことはさせられないかも)

 母屋の居間から秀明は龍介の様子を伺う。なかなか手際がいい、と思った。

「そういえば柾屋さんはおいくつですか」

 やや気になり続けていたようで、龍介のその質問に秀明は応答する。

「今年で十七だよ」

(一個上か)「俺が十六だから、一個上っすね。となると高校生っすよね」

「そうだね。高校二年生だね」

「高校生で店長なんて仕事、やってもいいんすか?」(労働基準法)「いくら代理とはいえ」

「単なる肩書きだよ。税金がどうとか確定申告がどうとかは爺さんがやってくれるし。俺だって龍と同じただのアルバイトさ」

「なるほど」(よくわかんない)「よくわかんないけど、そうなんすね。で、高校ってどこっすか」

 秀明が自分の通っている高校の名前を出すと龍介は大いに驚いた。

「俺もそこなんすよ!」

「へえ、そうなんだ」秀明は大して驚かなかった。「奇遇だね」

「えっ、じゃあ柾屋さん、ガチで俺の先輩なんだ……。じゃ見かけたことぐらいあるのかなー」

「龍は高一ってことは、数週間前に入学したばっかりだろ。なくてもおかしくないんじゃないか」

「ああ、そうか。へえ、柾屋さんも同じ学校かぁ」(うーん? 思い出せないが)「あれ、でもなんか柾屋さんの顔、どっかで見たことあるような気もしてきたなあ」(あるようなないような)

 そこで龍は秀明の方をちょっと振り向いて、真っ白な歯を見せてニカッと笑った。

「じゃあ、これからは柾屋さんのことを先輩と呼ぶようにしよう」

 秀明はくすっと微笑む。「お好きなように」

(先輩と呼べる人がいてよかった)(いい人だし)「あ、そうだ。そういえば、他の従業員さんは」

「ずっと俺と冴だけでやってるよ」

「ふむふむ」(あんまり儲からないのかな)「失礼ですけどこのお店あんまり儲かってないんですかね」

「そこそこ、だね。まあ爺さんが仕送りしてくれるから生活は問題ない。龍の給料も問題ない」

(いくらぐらいの稼ぎなんだろう)(いやそれは失礼)「うっす」

「龍が来てくれたからあの貼り紙も剥がしたしね」

「そっすね」

 そんな調子で、二人で取り止めのない会話をしている中、遂にポークカレーとトマトサラダが完成した。龍介が居間に運び、やがて二人きりの夕食が始まる。

「じゃあ、いただきます。本当にありがたいよ」

「いえいえこれぐらい。要は俺の仕事っすからね!」(仕事ができてよかった)

 ふふ、と秀明は微笑む。「いただきます」

「いただきます!」

 カレーを一口食べ、秀明はなかなか感嘆した。

「美味いよこれ」

「あざっす!」(マジ嬉しい)(ただのカレーだけど)(ニンニクとコーヒー)「ニンニクとコーヒーを入れましたよ」

「へえ。そんな隠し味でこんな美味くなるんだね」

「あざっす!」(マジ嬉しい)(いい人だ)

 夕食を食べながら二人は談笑する。

 その間にも秀明は龍介を観察し続ける。

(そういえば)「そういえばなんすけど」

「なんだい」

(俺の寝床は?)「俺は今日、どこで寝ればいいんすかね」

「すまないけど今日はここで寝てくれるかい。明日、二階の部屋を片付けるから」

「あ、わかりましたぁ」

「すまないね。なるべく早く済ますから」

「わかりましたぁ」(ありがたい)(俺も手伝わなきゃ)

「それで、あのう」と、秀明はまたも言いにくそうに言った。「朝、俺を起こしてくれるかい。寝起きが悪くてね……目覚ましだけじゃ起きられないんだ」

(困った人なんだなぁ)(家事ができないって言ってるけど)(生活能力がないのかも)「了解ですぅ」

 やがて食事を終える。二人でご馳走様と言って、龍介が皿洗いをしている最中に秀明が二階から布団一式とパジャマを持ってきて、居間で寝床を作った。

「あざっす!」

「じゃあ俺は部屋に戻ってもいいかな。シャワーは好きに使ってくれていいから」

(ちょっと寂しい)(先輩はシャワー入らないのかな)(生活能力)「いっすよ!」

「すまないね一人にさせて」

「全然っすぅ」(ちょっと寂しい)「また明日起こしに行くんで!」

「ありがとう。それじゃあ、お休みなさい」

「お休みなさい」

 そして秀明は階段を上っていく。

(うーん)と、龍介は皿洗いをしながら考える。(いいバイトには違いないんだろうけど)(住み込みのバイトっていうのはこういうものなのかしらん)(家事要員)(それについて不満があるわけではない)(古本屋の仕事もだよね)(うーんちゃんとできるかな)(やらなきゃ)(なせばなる。なさねばならぬ、何事も)(あ、そういや明日一緒に学校行くのかな)(藤原さんもかな?)(あれ、そういえば藤原さんは帰ってこないな)(もう帰ってこないのかな)(寂しい)(いや俺には七瀬が!)(お給料は現金払いかな)(振込かな)(まあそれはまた今度)(いやぁ、それにしても変な店だなぁ)(なにがどう変かはわかんないんだけど)(いい人だけど)(それにしても一旦荷物を持ちに帰った方がよかったかなぁ)(なんか流れでいまここにいるけど)(明日一旦家に帰って、準備して)(早めにここを出た方がいいか)(今日帰ったら兄貴がなぁ)(それにつけてもやっぱ即日採用は不思議)「そんなに俺が魅力的だったのかな?」そのとき龍介の頭の中に浮かんだのは実際の自分よりもなかなかに美化された紳士的な格好をした自分だった。龍介はへらへらと笑う。(ま、何事も、インスピレーションは大切だよね)

「やれやれ。やっぱり即日採用っていうのは気が早かったか」

 もちろん二人それぞれの独り言はお互いには聞こえないはずだった。

 自室に入り、秀明は椅子に座って読みかけのドン・キホーテのページを開く。

「給料は現金払いの方がいいだろう」

 そこで秀明は、龍介の「そんなに俺が魅力的だったのかな?」という発声と共に頭に浮かんだ紳士的な格好の龍介を思い返し、くすくす笑った。

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