第3話 混迷
マンションの駐車場に車を駐めて、しばらくボーっとしていた。
映画でも観てきたような、外国旅行から帰って来たような、そんな余韻に浸っていた。
マンション内の、一階の自室の扉を開けたら、そこからは、もう現実なんだな。
煙草を出し、自分の車の後ろの縁石に座ると、ライターで火をつけた。
煙が少し渦巻くように上り、空気中へ消えていく。
初めて煙草を吸って、むせていた裕子を思い出す。
とっさに触れてしまった、裕子の背中の感触。
俺の帰るとき、車のルームミラーから見えていた。
ずっと見送ってくれていた裕子の姿。
こんな歳になって、切ない気持ちになっている自分自身には、戸惑いを感じる。
こんなふうになる気持ち、思いは、もうずっと忘れていた。
それにしても、あの裕子が、あんな小ざっぱりしたアパートの部屋で、寂しくみえる暮しをしていたとは。
俺が思い出す、中学生時代の裕子は、女友達に囲まれて、いつも笑みを浮かべている女の子だった。
裕子を思いながら、3本目の煙草を吸い終ると、諦めて縁石から立ち上がり、自宅へと足を向けた。
車の鍵と一緒に付けている鍵で、玄関を開けて家に入る。
「ただいま」靴を脱ぎながら、妻に向けて声をかける。
廊下を歩き、リビングへ行くと、妻は茶色い革ソファーに座り、雑誌を見てた。
「遅かったね。もっと早く帰って来てくれるかと思ってたけど」
俺は「疲れた」とだけ、返事を返した。
「今晩は、帰宅時間が分からなかったから、夕飯はカレーなのよ。今温めてくるね」
ソファーの背もたれに乗せてあった、フリルの付いた白いエプロンを身につけ、茶色く染め、毛先がカールされているロングヘアーの髪の毛を、自分の手首に付けていた、有名ブランドの飾りの付いたヘアーゴムで結ぶ。
リビングルームは、妻の好みのインテリア、白を基調とした家具で、お洒落に統一されている。
目の前にある、白いテーブル。
縁は金色で囲まれて、猫脚だ。
それが、今日はやけに華美に見えた。
ほとんど何も置いていない、裕子の部屋に入ったからなのか。
自分の家の家具の類いが、大げさに見えた。
棚に飾られた、調度品の類もなぜか、下品に俺の目に映った。
考えてみると、俺の好みで置いてある物は、少ない。
好きな車や、バイクのプラモデルや、集めたCDの並べられた木製の棚が、1つ置かれている程度だ。
着替えてくるか。
ソファーから立ち上がり、
寝室へ入ると、スーツを脱ぎ、クローゼットを開けて部屋着にしているジャージパンツと半袖Tシャツを着る。
ダブルベッドに横たわり、今日スマホで撮影した画像を、指でスクロールし、何度も見返す。
マイクを持って歌っている、裕子と真子の画像を指先で拡大して、じっとみつめた。
結構会話したと思ってはいたけど、写真としては、これしか撮らなかったんだな。
今になって、少し後悔した。
帰るころに寄った、ゲームセンター。
嬉しそうに、クレーンゲームーで取れたぬいぐるみを、持ち歩く裕子を思い出す。
あんなに喜んでくれて…。
「ご飯の用意、できたわよ」
妻に呼ばれて、テーブルクロスが、かけられている、ダイニングテーブルの椅子に座った。
「どうしたの?なんだか暗い顔してるわよ」
口の中で、とろける肉を味わっていると、向かいでカレーを食べている妻が言う。
「同窓会の出席者が多くてさ、たくさんの人に会ったからね」
レタスのサラダを口に入れ、カットされ薄切りのレモンが浮いている、氷入りの水を飲んだ。
「同窓会って、私の方は、ちっともやらないわ。先に立つ人がいないせいなんだろうなぁ。今日は、どんな感じだったの?」
妻に詳しく話すのは、気が進まなかった。
だいたい、違う中学校、違う高校だし。
説明しても、わかるのだろうか。
妻との共通点は、仕事上の話しからしかない。
お互いの学生時代は、全く別々なのだから。
妻と結婚するきっかけになったのは、仕事上で知り合ったからだった。
3年間の交際期間を経て、プロポーズした。
「どんな感じかー。同窓会の女性たちの厄落としで神社へ行って、Mホテルで宴会してって感じ」
「ふーん。楽しかった?」
「まあね」
「よく聞くけどさぁ、若い頃の同窓会は、結婚のチャンスで、年を取ってからの同窓会は、不倫の温床だって」
妻は眉を上げて、口元はにやけた表情で、俺の顔をじっと見ている。
秘密事は無しねって、妻と交際していた頃には、言われていた。
結婚した今でも、それは同じだ。
でも、正直、言いたくないことだってある。
時間が経てば、話せるのか。
妻と始めた生活の日々の思い出とは違う、それ以前の俺の思い出だ。
少なくとも、今は、夢から覚めたばかりの気持ちでいる。
話す気には、なれない。
食後に、エスプレッソマシンでコーヒーを入れて、ソファーに座っている俺に、手渡してくれる。
「ありがとう」
「ねぇ、写真とか撮らなかったの?今日の様子。みたいなぁ」
そう言われるとも思っていた。
なんでも知りたがりというのか、夫婦間で秘密事は無しってことで、たまに俺のスマホをチェックしたりもするのだ。
妻も、自分のスマホを見て良いと渡してくる。
今日は勘弁してくれないかな。
内心呟いた。
今は、気持ち的には、そっとしておいてほしかったけど、妻には無理な話しだ。
だけど、要求通りに、俺のスマホを渡さない限り、妻は納得しないで、何時までも同じことを言ってくるに違いない。
「はい。見たら」
妻に、自分のスマホを渡して、風呂場へ行った。
浴室の壁に手をあて、強めにしたシャワーを、しばらく、自分の頭に浴びせていた。
これで、頭の中もさっぱりとするなら、ありがたい。
バスタオルで体を拭きながら、キッチンで水を飲んでいたら、リビングのソファーに座っている妻から「ねえ、このラインのゆうこってなに?」
ラインまで見たのか。
「今日の同窓会の流れで、ライン交換した同級生だよ」
「ふーん。なんか気にいらないなぁ。削除してもいいかなぁ」
「好きにすれば」
「だってさぁ、逆の立場だったら、嫌じゃないの?私が同窓会に行って、男性のライン登録して帰ってきたら」
「そうだね」
そう言うしかない。
俺は、既婚者なのだから。
「先に寝るよ」
妻からスマホを受け取ると、スマホのアプリで、朝起きる時間のアラームをセットした。
ラインを開いて見ると、裕子と交換したラインは、削除されていた。
だが、裕子と真子を撮影した写真は、妻は気に触らなかったようで、削除はされていなかった。
裕子の写真を見ながら、俺のことが好きだったと言った、裕子の姿を思い出す。
既婚者というブレーキがなかったら、俺は裕子を抱きしめていたかも知れない。
交換したラインを削除されて、裕子はどう思うのか。
それを想像すると、胸に痛みが走った。
写真画像を何度も見ていると、入浴を終えた妻が、寝室の鏡台に座り、長い髪をブラシでとかしている音が聞こえる。
ダブルベッドへ入って来た。
妻は、背中を向けている俺にぴったりとくっついてきて、豊満な胸を背中に押し付ける。
「ねぇ」
甘えた声で、背後から手をのばし、抱きしめてくる。
共働きの俺たちは、週末は『する』ことに、決められていた。
妻のシャンプーの甘い香りが、背中を向けていても分かる。
寝息をたててみる。
「ねぇったら、もう寝ちゃたの?」
俺は、眠ったふりをした。
今日は、妻を抱く気にも、抱かれる気にも、なれない。
妻は諦めたのか、ベッドのサイドテーブルの上に置いてある、電気を消した。
眠って朝起きたら、通常の自分に戻っているのだろうか。
そうであって欲しいと思う気持ちもある。
妻の寝息を聞きながら、俺も、眠りに落ちた。
コーヒーミルで、コーヒー豆が砕ける音で目が覚めた。
その数分後に、スマホの目覚ましアプリが鳴る。
ダイニングテーブルへ行くと、妻はもうスーツ姿だ。
「もう行くの」入れてもらったコーヒーを飲みながら聞くと「今日はちょっと忙しいからね。月曜日だからゴミ出しお願いね」
頷いた俺の頬に、妻はキスをした。
「じゃぁ、行ってきまーす」
ブランド品のバッグを左手に持ち、妻は出かけた。
見たことのないカバンだな。
また、買ったのか。
自分が働いて得た給料で、何を買おうが自由だが、流行に敏感な妻は、物持ちだ。
最近では、ファンだった野球選手が飼い始めた犬を見て、自分も犬を飼いたいと言い出していた。
飼う前からもう、名前まで決めてしまっている。
たしか『リコピン』にするとか言ってたか。
まだ、子供が授からないせいも、あるのかもしれない。
子供を育て、子供の成長と共に、自分も成長すると聞いたことがある。
自然に任せているが、長い結婚生活なのに、子供は俺たちの元へは、まだ来てくれない。
サラダとクロワッサンで、朝食を済ませると、自分も出社の準備をして、ゴミ袋を持ち家を出た。
会社へ着くと、休み明けの冴えない表情は皆、似たりよったりだ。
デスクワークを進め、営業で来社した人と談笑をする。
「うちの会社は、喫煙ルーム以外では、煙草は吸えないけど、まぁコーヒーをどうぞ」
カップのホットコーヒーを出すと、営業マンは「何度も訪問させて頂いているのでそれは、知ってますよ、森さん。しかし今は、吸えない所が、多いですよね。コンビニでさえも、外に灰皿を設置していない所が多いですからね。高速道路のサービスエリアが、ありがたいですよ。うちの社用車も禁煙車なんですよ。それに、携帯灰皿を持ってても、どこで吸っても良いとは限りませんからね。ヘタすると、補導員に捕まって罰金を取られますからねぇ」
営業マンと2人で、コーヒーを持ち、完全個室の喫煙ルームへ、場所を移した。
「いや、なんかすいませんね。誘ったみたいになっちゃって。森さんが愛煙家で良かったですよぉ」
紙煙草に火をつける。
「こないだは、電子たばこじゃなかった?」
喫煙ルームの天井に付いた換気扇に向かって、煙を吐く。
「あれ吸ってると、自分の場合、気持ち悪くなるんですよね。なんでだろう?」
紙煙草を吸いながら、営業マンが用意したリース機材の見積書にざっと目を通す。
「森さんて、既婚者でしたよね?」
「そうですよ。なんで?」
「いや、書類を持つその手に、いつも通りの指輪がなかったから」
自分の左手をみて、指輪を付けていないことに驚いた。
朝の洗顔中に外したまま、洗面所の鏡の前に、置いたままにしてしまったのだ。
指輪を外して洗顔する日もあれば、指につけたまま顔を洗う朝もあるが、つけ忘れるのは、初めてだった。
「男なのに、指輪とか、きになるの?」
煙草の煙を吐きながら「いやー、指輪とかのアクセサリーなんて、普段は興味ないんですよ。でも、近々結婚することになって、人様の結婚指輪ってのに、目が行くようになっちゃってまして。細いリングがいいのか、太めがいいのか、とかね」ニヤケ顔でいう。
俺の結婚指輪は、妻の好みで、やっぱりブランド品だった。
少し大きめのプラチナだ。つけ始めの頃は、物珍しかったが、慣れてくると、細めのほうが、日常生活においては、良いようにおもえるし、そもそも指輪など、つけたくはなかった。
「それは、おめでとう御座います。指輪の好みは奥さんに選んでもらうと、後々良いと思いますよ」
「そういうものですか?」
「多分。君が、尻に引かれるタイプなら、特に」
「それを言うなら、しりにしかれるでしょ?尻にひかれるのは、男のサガですよ」
2人で笑った。
「森さんは、ボンキュッボンの女性が、タイプですか」
営業マンは、くわえタバコで、両手で、ひょうたんのようなシルエットを描いた。
「俺は、体型がどうとか、あんまりきにしないけどね」
「さすがっすねー。体の部分がどうのこうの言う輩は、相手のことを愛していない証拠ですよ。愛すれば、全てが愛おしくなる。一夫多妻制の国とか、愛はどうなってるんすかね?何人もの女を、真剣に愛せるものかなぁ」
カップのコーヒーを飲みながら「君って、いい奴だな」
営業マンは、コーヒーを飲みほした。
「今ごろ、気がついたんすか?見積書のほうも、勉強させてもらいましたから」
また、煙草に火をつけた。
「でもさ、結婚したら、もう恋愛はできないよ?」
営業マンは、意外そうな顔をする。
「意味深発言っすね。森さん」
俺は、苦笑した。
「自分は、他の女のことなんて、考えられないですね。森さんは、違うんですか?」
結婚を間近に控えたこの男に、何かを言っても無駄だろう。
「うちは、結婚が早かったから、もうお互いに、よく聞く言葉だけど、空気みたいな存在だよ。それに、これから結婚する男が、他の女のこと考えていたら、そいつは、結婚に向かない奴だ。その点においては、君は合格だね」
「ありがとうございまーす」
喫煙ルームを出ると、礼儀正しく挨拶をして、営業マンは去っていった。
妻は、俺が指輪を付けていないことに、気がつくのだろうか、とふと思った。
そして、このM市には、裕子がいて、仕事をしている。
今は、同じ土地にいるのだ。
仕事を早々に片付けて、自分の車に乗った。
行きたかった。
M市にある、総合病院へ。
車を走らせると、病院の外来用の駐車場に車を駐めた。
腕時計を見ると、5時半を過ぎたくらいだ。
もう、裕子は帰路についてしまったのか、それともまだ病院にいるのか。
病院の駐車場も、車が置かれている、台数は少ない。
病院の出入り口を見つめていると、自分の車の右側から救急車が入ってきた。
通常の出入り口とは別の場所に救急車は停止し、開けられたドアから患者が入っていく様子がみえる。
1時間近く車内にいて、もう帰ろうかと考えた。
車のエンジンをかけると、裕子の歩く姿を発見した。病院を取り囲むように植えられている桜の木。
その奥のほうから、歩いてきた。
正面玄関から出てくる訳じゃないことを知った。
裕子は、俺の車の前を通りすがると、おそらく駅へ向うであろう道を、歩いていく。
ここからは、そう遠くもないM市の駅だ。
車で後をつけたら、追い越してしまうだろう。
後をつける?
俺は、ストーカーか。
車のエンジンを切ると、外に出た。
前を歩く裕子とは、かなり距離をあけて。
裕子の側へ行き、話したい気持ちもあったが、そうすることに、迷いもあった。
かなりゆっくり歩かないと、裕子に追いついてしまいそうだ。
後ろを振り返って欲しい。そう願ったが、裕子がそうすることはなかった。
日暮れのM駅。
駅の金網越しに、裕子が電車に乗り、吊革に掴まり立っている姿をみた。
俯いているためなのか 、元気が無いようにみえる。
裕子。
名前を呟いて、胸が苦しくなった。
K市へ向う裕子が乗った電車を見送ると、病院の駐車場へ戻った。
車に乗るころには、雨が降り出していた。
俺は、どうしたいんだ?
車のエンジンをかけると、さっきまで聞いていたFMラジオから、邦楽のバラード曲が流れていた。
煙草を吸うために、車のウィンドウを、雨が入らない程度に細めに開け、昔流行ったバラードの曲に聞き入っていたが、直ぐにラジオのスイッチを切った。
気持ちが痛くなって、聞いていられなかった 。
車内に置いてある、洋楽のロックを、車に付いているCD入れに流しこむ。
再生された音楽を聞き、2本目の煙草を吸うが、直ぐにCDから流れる曲も停止した。
音楽が、聞きたくない。
いや、聞けないのだ。
心が痛い。
本降りとなってきた雨に、ワイパーレバーをいれ、雨音を聞きながら、自宅へ向かった。
「ただいま」
家に帰ると、妻は、まだ帰宅していない。
洗面所へ行き、手を洗うと、朝置き忘れたままになっていた、指輪を左手の薬指につけた。
「ただいまー」玄関で妻の声が聞こえる。
ギクリとした。
「やぁね、雨が降って来ちゃってさ」
洗面所で、手を洗いながら、俺を見て「なんで、髪の毛とか、濡れてんの?車なのに」
「あぁ、コンビニの外で一服したからな」
「わざわざ、雨なのに?」
「外で吸う煙草は、美味いんだよ」
「ふーん」
妻はそのまま、部屋着になるためだろう、寝室へ行った。
俺も続いて、寝室に入る。
「ねぇ、ワンコの件だけど、やっぱりブリーダーさんからのほうがいいかな?」着替え終わった妻が言う。
「本気で飼うのか?」
濡れた髪を、ポケットに入れていたハンカチで拭きながら、いつものTシャツに着替えた。
「本気ってなに?私は、いつも本気でしか、言え本気、本根でしか言ってないけどな」
「そうだな。言葉の選び方をまちがったよ。ごめんな」
妻は俺に近寄り、キスをした。
「あなたの、そういうところって、好きよ」
ベッドに腰掛けた妻に、腕を掴まれて、隣りに座らされると、押し倒された。
妻の結んでいない、長い髪の毛が、俺の顔に触れる。
ロングヘアーを左側に、全て寄せている妻「ワンコを飼って、成犬になったころには、そろそろ赤ちゃんが欲しいわ。この1年間で、妊娠できなかったら、婦人科へ通院してみようと思うの。だから、いろいろと協力してね」そう言い、もう一度キスをしてくる。
子供が授からなければ 、それはそれでいいと思っていたけど、妻の人生設計は違うようだ。
「じゃ、夕飯の支度をしてくるね」
寝室の扉が、閉められた。
朝に観た、テレビの天気予報通りに、夕方に雨が降った。
黒い傘を折りたたみ、アパートの、ドアの横に立てかけた。
部屋に入ると、置いておいたテーブルの上の、ぬいぐるみをみつめる。
同窓会のあった日の夜は、真子にもらったぬいぐるみと、森くんからもらったぬいぐるみで、とても幸せな気持ちでいられたけど、今はもう、押入れにしまってしまおうかと考えるほど、見ることに辛さを感じていた。
風呂場へ行き、シャワーを浴びた。
湯気で曇った、浴室の鏡を手で擦り、自分の顔を見る。
朝よりも、大分ましになったかな。
泣いて泣いて、私の上瞼は赤くなり、腫れていたのだ。
おかげで、今日の仕事中はずっと俯いていた。
昼の食堂で、千代田さんに、私の目の腫れの理由を聞かれたけど、家で観ていた映画で、泣いちゃってとだけ答えた。
千代田さんは、泣く時は、目をこすってはいけないよ。
涙が流れるままにしておけば、そんなに瞼がはれたりしないからと、教えてくれた。
風呂場から出たけど、食欲もわかない。
テレビも観たくなかった。
コンビニへ行こう。
アパートのドアを開けると、雨はさっきよりも強く降っていた。
地面に落ちる雨粒が、あちらこちらに、水の花を咲かせているように見える。
コンビニに入ると、スティックコーヒーの箱入りを持ち、レジ前で適当に煙草を選んで、会計をしようとしたけど、ライターを持っていないことに気がついて、慌ててライターを探し、青い色を選ぶと、会計を済ませた。
煙草って高いんだな。
570円もするのか。
職場の定食が、たべられる金額だ。
台所に立ち、煙草を口に加えて青いライターで火をつけた。
ゆっくりと吸ってみるが、やはり喉に煙を感じると、むせた。
あぁ、灰皿って物がなかったな。
100円ショップで買った、小さな白い器を、灰皿替わりにした。
口の中が乾いて、コーヒーを飲みたくなった。
水の入ったヤカンで、湯をわかすと、スマホのラインの着信音が鳴った。
直ぐにラインを見たが、登録しませんかと誘われた、ショップからの受信だった。
何を期待しているの私は。
森くんとライン交換したはずなのに、翌朝確認したら森くんのラインは消えていた。
そうだよね。
それが正解だよ。
同窓会の、お祭り気分で、ラインの交換をしてしまったけど、夢見心地のお祭り気分が終われば、私のラインなんて、消されても当然だ。
むしろ連絡先の交換をして欲しいと言った、自分を恥じた。
コーヒーを飲みながら、また煙草を吸う。
先端から上へ上がる煙を見て、下に向かわない煙が気にいらない。
煙草の灰を、皿に落とすと、自分の左腕の服を捲り上げて、火のついた煙草を腕の内側に押し付けた。
「つっ」
声が出てしまった。
ヒリヒリとする火傷の痛みに、満足した。
まだ半分残っている煙草は、胸一杯に吸い込んで、ゲホゲホとむせた。
体が、フラフラする。
テーブルの前に、横になる。
風も吹いてきたのか、ドアの外に立てかけた、傘が倒れる音が聞こえた。
立ち上がるのは、面倒に思うが、傘が風で飛ばされるのも困る。
雨で濡れた傘を、ドア外に拾いに行き、傘を触って濡れた手を、数枚のティシュで拭いた。
ティシュは、丸くなる。
また畳に横になると、丸めたティシュを、畳の上で転がした。
なんだか、あれに似ているな。
新たにティシュを2枚と、台所の引き出しから輪ゴムを数個用意すると、丸めた紙の上から、2枚の紙で覆う。
包んだ元を、輪ゴムでとめた。
カバンの中から、ボールペンを出すと、チョンチョンと点を書いた。
小さな目のつもり。
輪ゴムに、さらに輪ゴムをつなげて、カーテンレールにぶら下がるようにした。
「君にいい唄を、聞かせてあげるよ。ちゃんと聞くんだよ。てるてる坊主、てる坊主 あーした天気にしておくれー。それでも曇って泣いてたらー、そなたの首を、チョンと切るぞ」
私は、この3番目の歌が好きだった。
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