第2話 出会う

 タクシーから降りると、目の前にピンク色の花びらが1枚空中に舞っていた。

 花びらを数歩歩いて追い、両手で掴まえる。

 湿った花びらを指先で摘み、匂いを嗅いでみるが、辺りにほのかに匂うお線香の香りしかしない。

 まだ色鮮やかな、桜の花びらが、歩道隅に可愛く纏まっている。

 桜の木を見上げると、散らない花が、ちらほらと残っている。

 かわいく纏まっているのは、桜の花びらだけじゃなくて、神社の境内にも和やかに笑い声を上げている、女性の集団がいた。

 私は、神社隣りにある、幼稚園側からゆっくりと歩いいた。

 松の木に囲まれた、神社の池には、鯉がゆらゆらと水面に模様を描き、それに添えるように、落ちた桜の花が水の上で動いている。

 久しぶりだ。

 地域の氏神様に、お参りするのは。

 快晴の午前中は、空気もひんやりしていて、杉の木が生い茂る道は陽射しと木陰の陰影が、目にも体にも心地よい。


 阿吽の狛犬様も、桃色の花びらをあちこちに付けていて、今日はなんだか可愛らしく見える。

 神社の鳥居からは、神域だ。

 K市に長く住んでしまってからは、かなりご無沙汰していた。

 ちゃんとお参りしなくては。

 私にはみえないけど、結界があると聞く。

 神様のお家を訪問させて頂くという気持ちが、大切だという。

 鳥居の隅で一礼。

 今日着てきた、大昔に購入した、古い紺色のスーツのポケットからハンカチを取り出した。

 浅く一礼をして、右手でひしゃくの柄を持ち、水をすくい左手を洗った。柄を左手に持ち替え、右手を洗いもう一度、柄を右手で持ち、左手に水をためて、その水で口をすすぐ。

 左手を洗い、ひしゃくを両手で静かに立てて柄の部分を水で流し、ひしゃくを元の位置に戻した。

 ハンカチで口と手をふいて、最後に浅く一礼して手水を終え、本殿へ向かった。

 本殿に立ち、お賽銭箱に静かに小銭を入れる。

 投げ入れるのは、失礼なことって知っていたから、本当にそっと滑らせるようにお賽銭を入れた。

 姿勢を正す。

 背中を平らにして、2回深いお辞儀をさせて頂く。

 胸の高さで両手を合わせ、右指先を少し下にずらし、

 肩幅程度に両手を開き、2回拍手を打った。

 指先を元に戻してから、もう1回深いお辞儀をした。

「参拝させて頂き、ありがとうございます。私の名前は高橋裕子です」その後に自分の住んでいるアパートの住所を言った。

 小声でいいから、神様には口を開いて、挨拶やお願い事をすれば、聞いてもらえるという話しを信じていた。

 参道の中央を避けて戻ったが、池の鯉をもっと近くで見てみたくなった。

 参道の中央を横切ってしまうので、神前に向き直って一礼してから、小走りで横切った。

 池の側には、数人がしゃがんで、泳ぐ鯉を見ながら談笑していた。

 皆んな、同級生の男性たちだ。

「久しぶりだねぇ」

 男性集団に声をかける。

 心の底から嬉しさが持ち上がり、顔が満面の笑みになるのがわかる。

「裕子、お前全然変わってないなぁ」

 私の手前にいた、クラスメイトが言う。

「まさかぁ、中学卒業して数十年たつのに、それはナイナイ」

 社務所前に居た女性達に呼ばれる。

「ゆうこー!もう、こっち来なよぉ。そろそろ時間だよぉ」

 私は立ち上がって「はーい!」と大声で言って手を降った。

「じゃあ、また後でね」

 池の脇にいる男性集団に、手を振る。

 参拝を終え、境内を出る際に社殿の方に向き直って一礼し出た。

 ぐるりと周り、車道の方から、社務所前にいる女性集団と合流した。

「池からここまで直ぐに来れるのに、なんでわざわざまわり道するかなぁ」

 真子がいう。

「うん、一応ね」

 ざわざわと話しながら、神社の社務所前を通り、奥の部屋へ入った。

 祀られている祭壇の向かえにあるパイプ椅子に、女性人が座る。

「裕子のことだから、1番に、ここに来てるかなぁと思ってたけど、1番最後にきたねぇ」

 久しぶりに会った真子は、すっかり垢抜けて、ますます美人になっていた。

「タクシー会社に電話をかけたら、出払っている車が多いとかで、タクシー待ちで時間を取られちゃったの」

「今、地元に住んでないんだっけ?」

「うん」

 話しの途中で、神主が姿を現した。

「真子!前列の真ん中、開けといたよ」

 クラスメイトの女性が言う。

「うん、今行く!」

 私は、後ろの席に腰掛けた。

 前に座った真子が、振り返る。

「裕子、隣りにおいでよ」

 え、とおどおどしてたら、隣りに座っていた百合に「レズっ子軍団、ナンバー4なんだから、前の席に行っといでよ」

 懐かしい思い出は、百合も忘れていないのだ。

 どの席に座ろうが、大差はないだろうに。

 この席で良かったのに、2人に言われて、前列の真子の隣りに座った。

 神妙な厄落としの、儀式がはじまる。

 神主さんの読み上げる祝詞文言に、椅子に座っている女性全員が静かに聞き入っていた。


 境内へ出ると、様々な場所に散らばっていた男性人を真子が呼び寄せた。

 鶴の一声のようだ。

「記念撮影したいから、皆んな並んでよ」

 真子に言われて、全員が並ぼうとしていたとき、端に立っていた私は、ある絵馬に目が釘付けになった。

 上紐にはたくさんの絵馬が結ばれていて、1番下の紐は絵馬は少なかった。その下紐に結ばれている絵馬には『ここに書かれている全ての願い事が叶いませんように S』と太文字マジックで書かれていたのだ。

「なにボッとしてんのよ、裕子」

 隣りにきた真子に、絵馬のほうへ指を指す。

「やだ、悪質ね」

「社務所のおばさんに言ってくる」

 外に出てきたおばさんは「まぁ、これは縁起でもない…」

 おばさんは、絵馬を取り外し、社務所へ戻った。

 あの絵馬を見て、裕子の心の中にあるものが浮かんで落ちた。

 おばさんの後を、真子がついて行った。

 社務所の事務員のおばさんに、スマホの写真撮影をお願いしたのだ。

「念のために、もう1度撮影しますね」

 おばさんから真子がスマホを受け取ると、その場にいた全員がお礼をいった。

「それじゃぁ、11時に南中学校同窓会という名で、宴会の用意をしているMホテルへ移動します。各自でホテルへ向かってください」

 神社の駐車場へ向かう人がほとんどだった。

「裕子は、私の車で行こうね」真子がいう。

「ありがとう。スクーターで来てもよかったけど、まぁ実家も近いしね」

 今日、自分の実家へ寄るつもりは、更々無かったけど。

「それにしても、裕子、全然変わってないね?どうしたら、そうでいられるわけ?」

 真子が笑う。

「そうかなぁ。そんなに?」

 内心では、過去に比重を置く現在の自分のせいなのかとも思う。

「そうだ!ちょっと家によってから、Mホテルへ行こうよ」

 真子に言われるまま、真子の青い軽自動車の助手席に乗った。

 神社からほんの数分の真子の家。

 久しぶりだ。

 何度このお家に、入れてもらっただろうか。

 門から敷石を歩き、左右に咲く花を眺めながら歩く。

 玄関に入り「おじゃまします」脱いだ靴を、かがんで揃えた。

「今日、誰もいないんだ。ま、2階の私の部屋へ上がってよ」

 玄関前にある、2階へと続く階段を真子の後に続く。

「あれ、こっちの部屋になったの?」

 2階には2部屋あったが、昔の真子の部屋とは別だった。

「兄ちゃんが結婚して、別でアパート借りて住んでるからね。こっちの部屋の方が広いからさ」

 部屋へ入ると、ぬいぐるみが壁面収納に、たくさん置かれている。

「かわいいな」

「でしょ。その子たちにハマってるんだ。全部クレーンゲームで取ったんだよ。市販品より、ゲームセンターのぬいぐるみの方がなんか、かわいいんだよねぇ」

 普段、ゲームセンターには行かない私には、違いが分からないけど、可愛くインテリアとして並べられている、真子のセンスの良さを感じる。

 洋服箪笥の脇に置かれていた収納ケースから、ハンガーとビニールが付いたままの服を取り出した。

「ねぇ、コレ着てみてよ」

 真子がニヤリと笑う。

 懐かしの、南中学校の白いスカーフの付いたセーラー服だ。

「え!なんで」

「今日の余興とでもいいますか、これ着た裕子をみたら盛り上がるよ」

「真子が着ればいいじゃない!」

「年齢相応の私じゃぁ、映えないよ。男性人に、よからぬ妄想力をいだかせるためってなら話しは別だけど。まぁ、いいからさ、早く着てみてよぉ」

 真子に強く言われて、着ていた紺色のスーツを脱いだ。

 脱ぐそばから、真子が私のスーツを空き袋にたたみ、しまう。

 セーラー服を着た私を見て

「裕子だ!あの当時の裕子のままだ!」

 真子は、目を輝かせている。

 あの当時って、そんな馬鹿な。

「しっかし、凄いな。ヨコもタテも前も成長しなかったんか?」

「ひっどーい!気にしてる部分の1つだよ、真子」

 私はお尻も小さくて、胸も貧乳。

 だからといって、普段の生活に、困ることは何もないけど。

 それに比べて、真子は女性らしい、まあるい魅力的な体だ。

 相変わらず魅力的な顔に、ぴったりの体だと思った。

「じゃぁ、Mホテルにレッツゴー」

 真子は、私のスーツを入れた紙袋を持ち、玄関に立った。

 きちんと揃えてある、私の靴を見て「そんなことする子だっけ?」

「人格者が凶だから、せめて、できるだけ礼儀正しくしてるの」

「人格者が凶ってなに?」

「姓名判断よ」

「くだらないとは言わないけど、女性は結婚すると名字だってかわったりするじゃない。占いは、良い事だけ見ていればいいのよ。良い事を、引き寄せるためにもね」

 真子の言葉に、なるほどと思った。

 軽自動車へ乗り込んだ。

 その前に、真子は車のトランクに、紙袋を入れていた。

 もう、着替えさせまいとしてるんだから。

 私も諦めて、助手席に乗った。

 大好きな皆んなの、余興に今日はなってやるわよ。

 唇に塗っていた、ピンク色の口紅も、車内にあったボックスティシュッでぬぐい取った。

 その様子を、ハンドルを握る真子はニヤニヤしながら横目で見ていた。

「ダッシュボードに、メイク落としシートが入っているよ」

「そこまでするの?」

「お願〜い」

 真子は甘えた声でいう。

 車のルームミラーに、真子の部屋に飾られていた、ぬいぐるみの、ちいさい物が車の走行と同時に揺れている。

「この子をくれるなら、ファンデーションとるよ」

「そうきたか。気にいってて車に飾ってたけど、しょうがないね。それで、交渉成立だ。日除け下げると、裏面に鏡がついているよ」

 真子にいわれるがままに、メイクを落とした。

 Mホテルの駐車場に車を駐めると、真子は小さなぬいぐるみをミラーから外し、渡してくれた。

 そして自分の髪の毛から、黒いピンドメを取ると、私の耳上の髪の毛にとめた。

「昔は、そうしていた時もあったよね」

「よく覚えてるね」

「だってさ、裕子はよく家に来てたじゃない。それも遅い時間まで。まるで家の家族だったよね」

 真子は、エクボの出る可愛い笑みをみせた。

「これから宴会場へいくけど、私が入ってと言ってから、宴会場に入室してよね」

 真子からもらった、真っ白で長めの耳が下がっている小さなぬいぐるみを見つめながら「はいはい」と答えた。

「念のために、5分後くらいに、車から出てきてちょうだい」

 真子に車の鍵を渡されて、ここを押すと、車に鍵がかかるからと説明を受ける。


 真子は宴会場に入ると、上座に立った。

「えー皆様本日はお忙しい中、女性陣の前厄のお祓いをかねた同窓会にご出席頂き、まことにありがとうございます」

 円卓の椅子に着席している男子から「挨拶は、短めでたのむぞ!真子」と声が上り会場に笑いが起きる。

「と、定番発言がありましたので、挨拶代わりに、私の美声をさっそくですが、披露したいとおもいます。その間飲食は、ご自由にどうぞ」

「乾杯は?」

 さっきの男性がいう。

「乾杯は、私が歌っている時に各々で行ってね」

「適当だなぁ」

 またあちこちから、笑い声が上がる。

 真子は隅に置かれていた、カラオケ機材を操作すると曲が流れた。

 松任谷由実の『あの日に帰りたい』が流れる。

「〜青春の後ろ姿を

 人はみな 忘れてしまう

 あの頃のわたしに戻って

 あなたに会いたい」

 真子は歌っている途中で

「どうぞ!」と言った。

 宴会場のドア前に待機していた私は、中に入った。

 場内から、どよめき声が上がる。

 真子に手招きされて、カラオケ機の隣りに立った。

 真子に手を繋がれる。

 もう1本のマイクを渡されて、私も小声で真子と歌った。

「暮れかかる 都会の空を

 想い出は さすらってゆくの

 光る風 草の波間を

 かけぬける わたしが見える」

 なんだか、涙が滲む。

 歌い終えると、拍手喝采だった 。

「さて、全員が揃ったところで、改めて乾杯といきますよ!」

 真子の音頭で、手に持つグラスが掲げられる。

「乾杯!」

 皆んな嬉しそうに、グラスを近辺の者と鳴らしあう。

「もう、着替えてもいい?」

 真子に聞いたつもりだったのに、聞こえたらしい周辺のクラスメイトに「ダメー」と真子と同じことをいう。

「裕子の姿見てると、楽しかったあの頃が蘇るよ。テストがなければ、あんな、いい時代はなかったよねー」

 百合がいう。

 宴会場の天井についているシャンデリアと、テーブルに並べられたお酒類に、全くそぐわない私の姿だったけど、我慢することにした。

 ビールを飲む人、喫煙するために、宴会場から出る人、カラオケをする人で、テーブルに座っている人はまばらだった。

 窓際に近い席に、森くんがいるのをみつけた。

 手近にあったビール瓶を持って、森くんに近づいた。

「久しぶり、森くん。何を飲んでたの?」

 スーツ姿の森くんは当然のことながら、少年らしさは消えていて、顎から耳のラインは引き締まったステキな男性になっていた。

「あ、俺酒は呑めない口なんだよ」

「私と一緒ね」

 森くんのテーブルに置かれていた、瓶のコーラに持ち変えて、グラスに注いだ。

「しっかし、裕子、昔のまんまだね」

 注いだコーラを飲みながら森くんはいう。

「皆んながそういうから、もう聞き飽きちゃった」

 2人で笑う。

「ここに来る途中の、車の中で、真子に化粧を落とすように、いわれたんだよ」

「素顔で充分じゃん。陽に焼けることもないの?顔も手も色白だね」

 そういう森くんは、陽に焼けていた。

「森くんは、今なにをしているの?」

「工業高校卒業後、地元の電気関係の会社に就職したんだ」

 社名を聞けば、地元では有名な会社だった。

「裕子は?」

「私は、O市の総合病院で医療事務してる」

「え、なに?」

 周囲のざわつきと、カラオケの熱唱で、私の声が聞こえず、森くんが椅子を引きずり私の直ぐ側にきた。

 もう一度同じ事を話したけど、私は森くんの左手の薬指に付けられた指輪をはっきりと確認した。

「森くん、結婚したんだ」

 明るい声で言ってはいたが、心はチクリと痛んだ。

「うん。結婚は早かったよ。もう10年前くらいかな。子供は、まだなんだけどね」

 30歳を過ぎれば、当たり前過ぎる話しだ。

「裕子は?」

「私は、縁がないみたい。職場も医療事務で女性ばかりだし、休日は趣味の映画館通いで終わるし」

「あれ、地元に住んでないんだ。なんで?実家からの方が職場にも近いだろうに」

 この質問も、今日は何度目だろうか 。

 返答も、同じ繰り返しだ。

「映画館が恋人なのよ。だから、近い場所に住んでいるの」

 森くんは使っていないグラスを持つと「オレンジジュースとコーラどっちがいい?」

「じゃあ、オレンジジュースで」

「裕子って、学年でも人気があったのに、独身とか信じられない」

 注ぎながら、そう言われた。

「人気があった?私なんかが?」

 ハハっと森くんが笑う。

「知らなかったの?男子生徒の中では、人気ナンバーツーだったよ」

 根暗なこの私が、ありえない話しだ。

 きっといつも真子にくっついていた影響だろう。

「ナンバーワンは、だれだったの?」

「冴実だよ」

 冴実ちゃんとは。

 意外な人物だった。

 彼女はテニス部で、でも途中で体を悪くして、長期入院をしていた美人だ。

 入院を終えて登校した時には、ガリガリに痩せてしまっていた。

 男性人の人気の好みとは、分からないものだ。

「おい森、裕子と密談は許さんぞ」

 森くんと学校で、つるんでいた、巧が話しかけてきた。

「密談って、こんなに人がうようよしているのに、当て嵌まらないよ」

 巧くんは、相当お酒を飲んだ様子だ。

 森くんと私の間に椅子を持ってくると座って「裕子、俺と結婚を前提として付き合ってくれ」

 酒臭い息で、詰め寄ってきた。

「おいおい巧、酔っぱらいすぎだろ」

「うるせぃ、既婚者の森には裕子と密談する資格はないぞ」

 私は笑っていたが、森くんは頭を掻いていた。

「皆さん、たくさん飲みましたか!後30分で、このホテルの貸し切り時間は終わります」

 マイクを持った真子が、カラオケ機の脇に立ち、話しだした。

 真子も、相当にお酒を飲んだ様子だ。

 首筋まで、ほのかに赤みが出ている。

「また来年度も、同窓会を開催したいと思いますが、次の幹事を、この場で決めたいのと、男性人が女性人にライン交換の申し出が多く見られましたので、私からの取り決めで、ライン交換は女性から男性人へだけの取り決めとします」

 えーなんだよぉーそれー。

 テーブル席から声が上がる。

「はい、立候補ありがとうございます。今、発言した巧!あなたに、次の幹事を私から指名します!」

 真子が巧を見ている。

「真子が幹事だったから、こんなに人が集まったとおもうぜ」巧がいう。

「クラスの詳細情報は、帰りに巧に渡すので、後で私のところにくるように」

 クスクスとテーブル席から笑い声が聞こえる。

 森くんと私の間にいた巧は「真子って女王様だよなぁ」とボヤいていた。

「お前が幹事になっても、俺はちゃんと参加するぜ」

 巧の肩を叩く森くん。

「裕子も来てくれるよな?」巧に聞かれた。

「うーん、多分ね」

「多分ってなんだよぉ」

「だって、来年のことなんて、分からないじゃない」

「ちぇっ」

 またマイクを持った真子が話す。

「ここで、中締めを行います。全員起立してください。私が、よーおって言ったら、両手でパンと手を打ってくださいね。では、よーお」

 パンっと両手を叩く音が響く。

 続いて、小さくパンと2回めを鳴らした人がいた。

「こらー!巧ー!」

 場内に、笑いが起きる。

 真子の元には、ライン交換の男性女性が、多く来たようだった。

 私は、誰にも聞かれず、そして聞かずじまいだったけど。

 そろそろMホテルから出ようかとクラスメイトが動き出したころに、宴会場のドア前で、百合に会った。

「裕子、タクシーで来たんだよね?森に送ってもらったら?」

 百合は、神社での私の様子を見ていたのか。

 私と並んで歩いていた 、森くんの顔が、ぱっと赤らんだ。

 私も、顔が赤くなるのを感じた。

 森くんが顔を赤らめる理由は、知っていたけど 、私が顔を赤らめる理由は、森くんには分からないはずだ。

「裕子がそれで良ければ、俺の車で送るけど?」

 百合はニヤニヤ笑って、反応を楽しんでいるかのようだ。

「K市で遠いけど、いいのかなぁ」

「かまわないよ」

「それじゃぁ、スーツに着替えてくるから、駐車場で待っててもらってもいい?」

「うん、わかった」

 外へ出ようとする森くんに百合が「森、送り狼になるなよ」からかっている。

「じゃあね、裕子。また来年に会おうね」

 手を振り百合も外へ行く。

 私は、真子の姿を探した。

 真子は完全に酔っぱらっていて、椅子に座ったまま飲み残しのビールを片手に煙草を吸っている。

「真子、この場所は禁煙だよ」

「あれ〜そうだっけ?どうりで、灰皿がないと思った」

 テーブルの上に乗っているカニ料理の甲羅で、煙草を消している。

「私のスーツ、頂戴?」

「ん」真子が座っている椅子の足元に、紙袋があった。

「あたし、代行運転呼んで帰るけど、裕子、今日家に泊まっていかない?」

 その選択も、魅力的だ。

 でも真子の泥酔状態をみると、寝かせてあげたほうが良いような気もする。

「森くんが送ってくれるっていうから、そのまま帰るよ。今、トイレで着替えてセーラー服を返すから待っててね」

「いい、いい。裕子に青春の制服あげるよ。来年の同窓会にも着てもらいたいしさぁ。あたしが着れるサイズでもないし、着る機会も裕子みたいにないしさ」

「もう!真子のせいだからね」

 膨れ顔を作ってみせた。

「なんで?良かったよ。ウルウルしていた人もいたよ。皆んな、楽しかったあの頃を少しでも思いだせて良かったんじゃないかな?」

 立ち上がった真子が、抱きしめてくれた。

「そのうち、また会おうね。んじゃ、代行が来る時間だから行くわ」

 真子と一緒に宴会場のドアへ行き、外に向かう真子に手を振った。

 私は、ホテルのトイレ内で、セーラー服を脱ぎ、古びれた紺色のスーツに着替えた。

 ホテルの駐車場へ行くと、森くんが車の側に立って、煙草を吸っていた。

 私が近寄ると、地面で煙草を消して、小さい携帯灰皿に煙草の吸い殻を入れ、スーツのポケットへしまった。

「ごめんね、送らせて」

 助手席のドアを開けてくれる森くん。

「全然OKだから、気にするなよ」

 森くんの車に乗るのは、ちょっとだけ大変だった。

 車高が高いというのか、助手席に乗り込むための足の置き場からして、地面から高い位置にある。

 ドアを掴んで、助手席になんとか座る。

「タイトスカートが、破けるかと思った。パンツ見えてたんじゃない?」

 運転席にいる森くんが笑う。

「それが、狙いだったりしてさ」

「こんな大きい車に乗るのって初めて」

「そうなんだ?俺、ダートとか走るのも好きでさ。で、こんな車なんだ」

 車のことは、よく分からないけど、車高が高い分目線の景色が楽しかった。

「裕子のアパートはどの辺?」

「K市にある、映画館で下ろしてくれたら助かる」

「ここからだと、国道で30分くらいかな」

 森くんと、30分のドライブか。

 心の中では、嬉しかった。

 した事もない、デートでもしている気持ちになれる。

 今日の同窓会の話しをあれこれしているうちに、映画館前には直ぐに到着してしまった。

 車から下りるのが、寂しかった。

「森くん、良かったら家でコーヒーでも飲まない?」

 森くんは、少し驚いた表情をしたが「寄らせてもらうよ」と笑顔でいった。

「ここから真っ直ぐに行って、すぐ左側にあるアパートなの。私のスクーター、駐めてある隣りに、車駐車して大丈夫だから」

「わかった」

 アパートに入った森くんが「引っ越したばっかりなの?」

 私の部屋を見て言った。

「ううん、長く住んでるよ」

「シンプルな部屋だな」

 そう言われたように、折りたたみ式のテーブルと、テレビしか置いていない。

 服や布団類は全て、押入れだ。

「ごめんね、座布団やクッションもないけど、適当に座ってね。今、コーヒー入れるから」

「その前に、換気扇の下で煙草を吸ってもいい?」

「もちろん、どうぞ。あ、灰皿になる物あったかな」

 数えられるくらいしかない、100円ショップで買った食器を眺める。

「大丈夫、俺、携帯灰皿持ちあるいているから」

 換気扇の下で、煙草を吸う森くんの側で、水を入れたやかんにガスコンロの火をつけた。

「冷蔵庫も、置いてないんだ」

「近くにコンビニがあるし、洗濯はコインランドリーだよ」

 煙草を吸いながら、森くんは頷いた。

「甘いスティックコーヒーで、ごめんね」

 煙草の白い煙を吐きながら

「ありがとう。頂くよ」

 瓶に入ったインスタントコーヒーだと、飲みきらないうちに、コーヒーが固くなっていることがある。スティックコーヒーだと、職場へも持っていけるから便利なのだ。

「煙草っておいしいの?」

「吸ってみる?」

 試してみたかった。

 森くんから1本貰うと、ライターで火をつけてもらう。

 吸ったとたんに、むせて咳き込んだ。

「初めて吸うのに、思いっきり吸っちゃだめだよ」

 咳き込む私の背中をさする森くんの手があたる。

 私はびくっとして、森くんから少し離れてしまった。

「ごめん、反射的に触って」

「違うの、そういうのじゃないの」

 私は、学生時代に阿木から受けた、性的行為で男性に触られるのが苦手になってしまった。

 そんな理由を、森くんに話して弁解したい気持ちも出たけど、暗い話しなど、言えるはずもない。

 テーブルでコーヒーを飲んだ。

 カーテンも付けていない部屋だけど、100円ショップで買った、窓ガラスに貼るステンドガラス模様のシートが、西陽を受けてテーブルに映っていた。

 セーラー服が入っていた紙袋から、耳のたれたぬいぐるみを出した。

「今日ね、真子からこれもらったんだぁ。真子の部屋にも寄ったけど、このぬいぐるみだらけだったよ」

 ポールチェーンの先を摘み、ぬいぐるみを揺らす。

「そのキャラクター知ってるよ。流行ってるよね」

「そうなの?真子は、クレーンゲームで取ったと言ってたけど」

「クレーンゲームかぁ。久しく行ってないな。今から行ってみるか?俺、結構上手いんだぜ」

 2人で映画館の入っている百貨店のゲームセンターへ歩いて行った。

 真子が好きだと言っていたぬいぐるみは、たくさんクレーンゲームのガラスの中にいた。

 森くんは、両替機で小銭を用意すると、ぬいぐるみを取るための黒いレバーと赤いボタンを操作する。

 ぬいぐるみを掴んでは、あと少しというところで、ぬいぐるみは落ちる。

「あー!」

 2人で興奮して騒いだ。

 途中で森くんは店員を呼ぶと、クレーンゲームの蓋を開けてもらい、ぬいぐるみの位置を直してもらった。

 数度めのチャレンジで、狙ったぬいぐるみが、ゲーム機の下の出口から出てきた。

「はい、どうぞ」

 手渡たされた。

「ありがとう!すごくすごく嬉しい」

 抱きしめられるくらいの、大きいぬいぐるみ。

「ぬいぐるみを買えるくらいゲーム機に小銭を使った気もするけど」森くんは笑う。

 その後、また歩いてアパートへ戻った。

 行きはよいよい、帰りは怖いだ。

 もう陽が、落ちかけていた。

 駐めてある自分の車の横で「俺、裕子のこと好きだったんだよ」微笑みながら森くんが言った。

「知ってた」

「え、どういうこと」

「中学校の卒業式のときに、百合に告白されたでしょ?」

「確か、そんなこともあったっけ」

「百合が、私のところに来て言ったのよ。森に、告白したら、好きな人がいるって。誰って聞いたら、裕子だって」

 森くんは、黙っていた。

「私も、森くんのことが好きだったけど、教えてくれた百合の手前、森くんに告白なんて出来る状況じゃなかったし」

「俺、勇気出せば良かったなぁ。でも、裕子はいつも女性人と群れていて、なんかチャンスが無い感じだったんだ。だけど、貸したことのあるバラード曲ばかりのCDと、表紙にLOVEって書いてたのは、ある種の告白のつもりだったんだけどね」

 遠回りすぎるなって、内心思った。

 それとも、自分が鈍いのか。

「じゃあ、そろそろ帰るね」

 森くんがスーツのポケットから、車の鍵を出した。

「ねぇ森くん、良かったらラインの交換しない?」

「俺も裕子のライン知りたいと思ってたんだ。でも、俺の立場ではね、なんだか言いだせなくて」

 ついつい忘れがちになるけど、森くんは既婚者だった。

 結婚している男性と、ラインで繋がることは、多分良くないことだろう。

 でも、見知らぬ森くんの奥さん。

 私には、全然関係ないことに思えた。

 それは、今日の同窓会で会った、同級生たちとは分類の違う人。

 多くの友人たちが、連絡先を交換した流れの1つにしか感じない。

 その場で、お互いのスマホを出した。

 M市に戻る、森くんの車を見送った。

 ライン交換をためらったのは、車が向かう先であろう家、待っている奥さんを、愛している証拠だったのだろう。


 抱えていたぬいぐるみに、顔を埋めた。

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