第22話 言訳

「全てを……懸ける……ですか」

「うん。全てを」

「……」


 全て……か。それはつまり真桜と東京に住み、真桜のためにマネージャーとして働き、そして彼氏として真桜を幸せにすること……。

 彼氏として当然の事だ。何を悩む必要がある? なのに俺は返事を即答出来なかった。

 俺の脳裏に一瞬映った切なく儚げな表情をした彼女の存在が……幼馴染としての域を超えた成瀬麗奈との過ちが俺に大きくのしかかっていた。


「楓君……?」

「っ! ……真桜」


 真桜が隣で不安そうな顔をしている。それをみて俺はハッとなる。

 そうだ。……真桜は何も知らないんだ。俺が麗奈と寝たことを。


「……ごめん、急な話だったからビックリして。もちろん真桜のために頑張る覚悟はあるけど、俺はまだ大学生だし……すぐにってのは、その……大丈夫なのかなって……」

「そ、それはそうだよね……、せっかく大学入ったのに辞めるのは勿体無いもんね……」


 そう言って真桜は申し訳なさそうな表情をする。それを見ると、逆に俺の方が適当なことを話して誤魔化している事を申し訳なく思う。


「……まぁ確かに急な話過ぎたかもしれないね。そうだ、せっかくだから明日二人でコレでも行ってきたらどうかな?」


 そう言って黒木レンは二枚のチケットを取り出した。


「わぁ! これって最近できた水族館!」

「フフ、知り合いにチケット貰っちゃってね。よかったら君たちにと」

「ありがとうございます! 楓君、一緒に行こうね!」


 真桜はさっきまでの不安げな表情から嬉しそうな笑顔に変わっていた。


「すみません、ありがとうございます」

「気にすることはないよ。君達にはもっと二人でいる時間が必要だ。一週間待つ。……いい返答、待ってるよ」

「……は、はい」

「じゃあ今日はこの辺でお開きにしようか。僕はタクシーで帰るから小宮山君、彼らを送ってあげて」


 こうして今日は解散となった。

 俺達は小宮山さんに行きと同じコンビニまで送ってもらい、そこから歩いて真桜の部屋まで帰ってきた。


「ふー疲れたー。黒木さんといるとなんか緊張しちゃうよね〜」


 真桜は靴を脱いで部屋に入ると、すぐにべちゃーっとクッションに覆い被さるように倒れ込む。


「外から帰ったら手洗いはしろよー? まぁ確かに凄い雰囲気のある人だったけど……」


 話すと独特の世界感? というかなんというか、ちょっと変わった人って感じだったけど。言葉遣いや表情は穏やかなのにどこか威圧感のようなものを放っていた。アレがトップアーティストのオーラなのだろうか。


「ごめんね楓君、勝手に話進めちゃってて」

「いや、真桜が決めた事なら応援するし、力になれるなら頑張るよ。でも今のところ辞めちゃっていいのか?」


 今の事務所の社長に見つけてもらったのが真桜がアイドルになったキッカケでもあるし、恩人のようなもの。それに真桜は電話でもメンバーのみんなと頑張ってトップアイドルを目指すんだとよく言っていた。


「んー、もういいのかなって」

「真桜?」


 てっきりみんなとの別れは寂しいのかと思っていたのだが、どうやらそうでは無さそうだ。


「……実はメンバーのみんなに楓君と付き合ってるのバレちゃって。そのせいでちょっと喧嘩しちゃって……」

「そ、そうだったのか……」

「でも黒木さんは彼氏がいてもいいって言ってくれて。むしろ彼氏がいたら怒るようなファンは逆に必要ないって」

「だから……」


 確かに真桜のいるマリンチェリーはもちろん、事務所のアイドルは全員恋愛禁止を謳っている。真桜は社長達には特別に許されていたけど、他のメンバーにはもちろんそんな権利はない。だから彼氏がいる事がバレた真桜がグループに居づらくなるのはもっともだ。


「それより……明日! 楽しみだな〜。楓君とゆっくりデートするのなんて久しぶりだし!」


 真桜は嬉しそうに黒木レンからもらったチケットを取り出す。


「……そうだな。半年ぶりくらいか?」


 半年前にも俺が東京にきて色々二人で観光しに行ったりした。でもそれ以降真桜の仕事がさらに忙しくなってなかなか一緒に遊べなくなっていた。


「かーえで君!」

「うわっ?」


 手を洗っていると後ろから真桜が抱きついてくる。


「洗いにくいだろ。なにやってんだ?」

「なんか〜背中見たらギュってしたくなって……ダメだった?」

「……いや、全然」

「ふふ、なんかこういうの本当に久しぶり。家に帰るといつも一人だったから……。この前はバタバタしてて楓君とゆっくり過ごせなかったし」


 腰に回された真桜の手に力がこもる。そして俺の背中にもたれるように頭をよりかける。より密着して真桜の暖かい体温を感じた。



 その夜、俺は真桜のベッドで一緒に寝た。俺が来ても一緒に寝れるようにと少し大きめのを買ってくれていたらしい。それでも大人二人で寝るには少し狭かったが……。


 真桜の寝顔を見ていると色々と思うことはある。麗奈との事、言った方がいいのだろうか? でもそれを聞いた真桜はどう思うだろうか。

 自分勝手なのはわかっているが、真桜に嫌われるの想像すると苦しくなる。


 そして結局、今は何も考えないことにした。

 そうやって後回しにすればするほど、いずれ取り返しのつかない事になるとも知らずに。

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