第55話 判定試験3

 顔面を殴られた痛みは、殴られた瞬間よりもずっと後に訪れた。


「馬鹿野郎が、ギルドの規定を破ってやった事がこれか」

「神竜との義理を果たすなら、この選択は絶対だった」


 俺を殴った相手――スオウは、俺を見下ろしながらため息をつく。


 筋骨隆々の体躯に、たてがみのような灰色の髪と一体化した髭、どこからどう見ても荒くれのような風貌の彼は、一応は冒険者ギルドの最高責任者――ギルドマスターだ。


「はぁ……悪びれもしねえとは」

「神竜がうちの陣営として協力してくれるのは、良かっただろう?」


 鼻から垂れてきた血を拭って立ち上がると、俺は転がっているソファを直して座りなおした。


「そういう問題じゃねえ、白金等級がギルドの規定を違反してたら示しがつかねえだろ」

「だから殴られてやった」

「そういう事じゃねえんだよ……」


 鼻の奥がはれている感じがする。恐らく折れているだろうから、後で回復魔法を使う必要がありそうだ。


 スオウは俺に倣ってソファに腰掛ける。二人掛けのソファのはずだが、彼が座ると一人分のように見えた。


「魔物に対する悪感情はうちの中でも少なくない。実際問題として被害が出ているからな」


 俺達が暮らしている大陸は、実は半分程度しか人類圏が存在しない。大陸北部は魔物が支配する領域で、その境は辺境(フロンティア)だとか防衛線(マジノライン)と呼ばれている。


 冒険者の役割は人々の生活を魔物から守ることが主軸ではあるが、人類圏の拡大――辺境開拓も、依頼として出されることがある。それらはもちろん魔物との戦いがメインとなるので「魔物に対して悪感情を持っている冒険者は少なくない」というのは、当然の帰結だった。


「しかし、シエルは神竜だ。理性の無い魔物ではない」

「だからといって、周囲の冒険者がそれを納得するか? 暴走の危険は?」


 そこまで言われて、俺は考える。


 確かに、納得させるにはある程度の担保が必要になる。だが、その場合は彼女の身元を保証する人間が社会的に認められている必要があった。俺はそれをスオウ――ギルドマスターに頼むつもりだったが、彼が受けてくれなければそこまでである。


「どうすればいい?」

「そんなん決まってるだろ」


 そう言ってスオウは拳を胸の前で突き合わせる。


「ついでにキサラの奴も、昇級試験をやってやる」



――



「待たせたな……どうした? 二人とも」

「いえ、別に」

「何でもないでぇーす」


 スオウの部屋から戻ると、何故かキサラとレンの様子がおかしかった。恥ずかしがっているのか、あるいはお互いを牽制しているのか、今ひとつよくわからない。


 もしかすると、同じ金等級として張り合ったりしていたのかもしれない。と勝手に納得して、話を続ける。


「お疲れ様です白閃。どうでした?」

「とりあえずヴァレリィは銀等級からだそうだ」


 そう言って、俺はヴァレリィに銀色の識別章を投げてよこす。戦闘能力のみを評価すれば金等級の上位にも食い込める実力だったが、彼にとってネックとなったのは、旅をする技術、つまり体力だった。


「なるほど、確かに今まで一緒に旅をしてきましたが、総合力が必要そうですもんね」

「そういう事だ。それとシエルとキサラは、ギルドマスター直々に能力を見るらしい」

「わかった。がんばるね、とうさま」

「ええぇー……白金等級になれるんじゃないんですかぁ?」


 対照的な反応に息が漏れる。


「白金等級になるための判定試験だ。それと一緒にシエルの危険性も見たいらしい」


 少なくとも、シエルの戦闘面は心配していない。問題は、キサラがスオウのしごきに耐えられるかどうかだ。


「まあ、面倒ならシエルだけに受けさせることもできる。昇級試験自体はいつでも行えるから、気が向いた時に――」

「絶対今やりますからね」


 こいつの事だから、面倒な試験をやるくらいなら金等級で、と言い出すかと思ったが、そうではないらしい。妙にやる気があるようだし、すぐに予定を組むことにしよう。


「わかった、取れる限り早い段階で試験ができるように掛け合っておく。それにしても、お前がこういう面倒な事に乗り気なのは意外だな」

「えぇー、そうですかぁ? 凄腕の盗賊キサラちゃんはそろそろ白金等級になっておこうかなぁって思っただけですよぉ。別にお兄さんと一緒の等級になっておきたいとかそういう訳じゃないですからね?」


 妙に口数が多くなったのが気になるが、本人がそう言うのなら、それ以上追求するのはやめておこう。


「そうか、とりあえず俺はお前が金等級のままでも気にしない。自然体で受けてこい」


 とはいえ、肩に力が入り過ぎても失敗するだろう。リラックスさせるために、俺は落ちても良いようにフォローを入れた。


「えっ……つまり、ワタシが白金等級に上がっても上がらなくても興味が無いって事ですか?」

「いや、そうは言ってないだろ。落ち着け」


 これは必要以上に神経質になってるな、悪い方向に作用しなければいいが。


「白閃!」


 様子のおかしいキサラの心配をしていると、レンが大声を上げた。何事かと思って顔を向けると、彼女は椅子から立ち上がっていた。


「一生を誰か一人と共にするなら、対等な関係で居たいって五年前言っていたが、それは未だに変わらないのか!?」

「あ、ああ」


 この仕事をする以上、バディを一人しか選べないとすれば、俺と同程度の実力が欲しい。それはそうだろう。


「えぇっ!? じゃあワタシ白金等級にならないと捨てられるって事ですか!?」

「いや、そういう訳じゃ――」

「うわぁ酷い、お兄さんにとってワタシってそういう存在だったんで――」


 彼女の額を弾く。とてもいい音が鳴った。


「ぎゃあああああああああ!!!! 薄情! 鬼畜!!! ロリコン!」

「いや、落ち着いてほしかったから」

「デコピンされて落ち着く女の子っています!???!!?!?」


 なんにしても、お前は焦る必要はないぞ。とは言わないでおいた。



――



『蘇芳殿 貴方を第八七代ギルドマスターに任命する』


 そう書かれている賞状が、ギルドマスター室の一番目立つ場所に掛けられていた。


 蘇芳とは、スオウの事であり、少数民族同盟の一部で使われている独自の文字だった。この文字は「スオウ」という音のほかに、倭独自の赤黒い色――血色を示す言葉でもあった。四大国家ではこの表現を再現できない為、白閃たちは発音のみを理解している。


――俺に机仕事は似合わねえんだよ。


 蘇芳(スオウ)はその賞状が飾られた部屋で、机にうずたかく積まれた書類の山と格闘しつつ、そんな事を考える。


 そもそも、彼がこのギルドマスターの仕事を引き受けたのは、周囲の推薦以上に、補助をする人員を増やすという約束の下、前任のギルドマスターから引き継いだ部分が大きい。


 書類仕事を手伝う人員がいるなら、この書類の山も幾分かやりやすくなる。もしダメだと言われようとも、ギルドマスターは最高権力者だ。他の役員からの苦言も握りつぶしてしまえばいい。


 そう考えていたのだが、現在蘇芳は書類の山を一人でこなしている。


「ちっ、騙しやがって……」


 誰に言う訳でもなく、愚痴をこぼす。書類の内容は、ほとんどがギルドマスターと当事者以外には、開示してはいけない内容であり、開示可能な内容は、既にギルド職員たちで分担して整理をしていた。


 つまり、業務を補助する人間をどれだけ増やしても、この仕事量は減らないのだ。これを騙されたと言わずに何と言うのか、前マスターが退任直前に見せた微笑みが今更ながら腹立たしく思えてきた。


 加えて今日は、白閃と会うために仕事を後回しにしていた。恐らくいつも通り、ギルドマスター室で眠る事になるだろう。


「あの、父上……夜分遅くにすみません」


 控えめなノックの後、長く切りそろえられた黒髪の少女が顔を出す。


「おお、どうした恋(レン)。お前がここまで来るのは久々だな」


 ギルドマスターの表情から父親の表情になる。彼は資料をめくる手を止め、彼女の方へ視線を向けた。


「ええと、白金等級の昇級試験はいつ頃してくれるのかなって」

「ふむ……」


 蘇芳は少し考える。実績としては昇級試験を行ってもいいのだが、白金等級になるという事は、依頼の危険度も上がるという事だ。親として、それはなかなか受け入れがたいものがある。


「まずは、手続きを踏むことからだな、ギルドマスターに直談判しろとは規定には書かれていないぞ」

「それはっ! 父上がいつまでたっても書類を受理しないせいではありませんか!」


 そう言われて、蘇芳は言葉に詰まる。確かに彼の独断で恋の昇級試験は先延ばしになっていた。


「そもそもだ、白金等級になるって事は、一人の人間としての幸せを諦める事と同義だ。父親として、お前には普通に恋愛して、普通に結婚してほしい」

「ならばっ!!」


 恋が机にまで近づいて、両手を叩きつける。


「私の恋路を邪魔しないでください。父上!」

「うん? ちょっと待て、どういう事だ?」

「あっ……」


 蘇芳が状況を読み込めず聞き返すと、恋はしまったと言うように両手で口を塞いだ。


「まさか、白金等級にお前の――」


 そこまで考えて、白金等級冒険者の目録の中で、彼女と関わりのある冒険者のリストアップが蘇芳の脳内で行われる。女性の冒険者と、個人として白金等級を拘る事が無い、旅団としての白金等級は除外して、その中の冒険者というと、彼の中で一つの答えが浮かび上がる。


「いや、いやいやいや」


 浮かび上がったが、蘇芳にとってそれは到底受け入れがたいものだった。

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