第47話 聖女奪還4

――巡礼の聖女


 風のうわさで聞いたことがある。護衛もつけず、教会内でも最高峰の回復魔法と支援魔法を無料で施して回る聖職者がいるらしい。


 援助と寄付による対価で運営している教会にとって、彼女の存在は鬱陶しいものだった。彼女が行うのは、金持ちや権力者ではなく、浮浪者や誰も立ち寄る人のいない田舎の村が殆どであった。


 彼女の行動は教義としては正しい事だったが、その正しさは現在の教会にとって毒だった。彼女を支援し、肯定すれば現在の体制を批判する形になり、彼女を否定すれば教義そのものを否定することとなる。


 結果として、教会は彼女に触ることができない。下手に刺激すれば、教会の体制批判につながるため、黙って彼女の行動を見ているしかないのだ。


「ついてきているか?」

「う、うん……」


 野盗の喉に突き刺した片手剣を引き抜いて、後ろからついてきているティルシアを気にかける。相手が殺すつもりで来るのなら、ましてや今が緊急事態であるなら、相手の命を慮る必要はない。人を殺すのはなるべく避けたいが、避ける事に執着するつもりは全く無かった。


 赤黒い血糊を外套で拭うと、片手剣は再び松明の光を反射して揺らめくように煌めく。


 それにしても、存外洞窟は深く、大きかった。背にある両手剣も、左腕が万全であれば遠慮なく振り回せそうだった。


「な、何だお前は!?」

「くそっ、聖女の護衛か!?」

「早くボスに――ぐあああああああああっ!!」


 騒ぐ野盗たちを無造作に切り捨てつつ、洞窟の奥へと俺は足を進めていく。


 内部へ進むほどに違和感が増す。野盗のアジトにしては整い過ぎている。ハヴェルと名乗った枢機卿が助けを求める様子には、演技らしさを感じなかった。ということは、少なくとも聖女とその付き添いにとっては想定外の事なのだろう。


 偶然教会の聖堂で、俺がこの街に居ると知っていて、助けを求めに来た。昨日あんな形で交渉を決裂させたのだ、枢機卿間どころか教会内部では、当然情報共有しているだろう。


「……ん?」


 状況を考えつつ奥へと急いでいると、殺した野盗の胸元に、違和感のあるタトゥーを見つけた。教会の十字架のようにも見えるが、一本線が多い。


「ティルシア」

「……え、なに?」


 こういうことは本職に聞いた方がいいだろう。後ろからついてきている彼女に、死体のタトゥーを見せる。


「この紋章に見覚えは」

「え……これは、深淵院(ダアト)の紋章だよ」

「深淵院?」

「うん、君が見覚えないのは当然だと思う。これは教会内部の人しか関わらない部署だから」


 異端審問や宗教裁判などを行う教会の自浄作用、それが深淵院という事だった。


「でも、なんでここで深淵院の人が……?」

「後であの枢機卿に聞けば分かる事だ」


 聞くまでもないことかもしれないがな。とは言わなかった。


 教会の腐敗は既にかなり進んでいる。巡礼の聖女が「野盗に攫われ、殺された」という事実が欲しいのだろう。そうすれば彼女は殉教者となり、教会が好きに扱えるし、それを前提に「聖女が巡礼をするのは危険である」と言い出す事もできる。さらに言えば死人に口は無いのだから、教会の不正を糾弾しようなどと言い始める危険もなくなる。まさに得しかしないという訳だ。


「ブオオオオオオオオオオオオッ!!!!」


 気分の悪い想像をしていると、奥から魔物の咆哮が聞こえてくる。洞窟全体を揺るがすような音に、ティルシアは思わず耳を塞いでいた。


 あまりの大きさに一瞬聴覚が消失する。俺はティルシアの服を引っ張ってついてくるようジェスチャーすると、洞窟の奥へと足を速めた。



――



 ついた先で見たのは、甲殻を持つ巨大な魔物だった。昆虫や爬虫類的な造形ではなく鼠が鎧をまとったような、奇妙な姿だった。ティルシアはまだ追いついていないが、それを待ってくれるほど相手も悠長ではなかった。


「行け! ぶっ殺せ!」


 野盗……のふりをした男が、魔物に向けて叫び、その場所をあとにする。そのそばでは純白の衣装を身につけた女性が倒れていた。この場で魔物を暴れさせて、聖女ごと殺すつもりなのだろう。人一人背負って逃げる余裕はない。ということなのだろうが、俺としてはありがたい判断だった。


「ブオオオオオオオッッ!!!」


 魔物は再び咆哮し、明らかな敵意を向けている自分へと向き直る。それを確認して、俺は地面を蹴った。


――鉱石喰い(クリスタルイーター)

 主に地中に生息し、鉱石を主食とする魔物だ。あまり凶暴な性格ではないため、銀等級に分類される魔物だが、侮れない存在だ。


 というのも、鉱石喰いは食べた鉱石を外殻の形成に使っている。その構造は複雑に絡み合っており、簡単に切り裂ける物ではなかった。


 口を大きく開き、岩を砕く強靱な牙をこちらへ向けて突進してくるのを紙一重で躱し、柔らかい口内へ向けて片手剣を突き出す。しかし咬合力はすさまじく、そして岩をも砕く口内は傷をつけられることもなく、片手剣を易々とかみ砕いてしまう。


「ちっ……」


 ほとんど柄だけになったそれを投げ捨てると、突進の勢いで距離の開いた魔物に向き直る。相手は俺を見逃す気は無いし、ましてや聖女を連れて返す気も無いようだった。


 だとすれば、俺が取る手段は一つだった。背に担いでいた両手剣を右手だけで抜き、左手でバンデージの留め金を外す。


 金属が爆ぜる音が響いて、波紋状の酸化被膜をもつ刀身があらわになる。片手でこの剣を扱うのは不安が残るが、丸腰で戦うわけにも行かない。


「ブルルルッ……!」


 威嚇するように鼻を鳴らし突進してきたときとは違い、にじり寄るように距離を詰めてくる。


「ハァアアアッ……」


 息がかかるような距離まで詰めて、鉱石喰いは身体を起こす。鎧のような口角の隙間には、薄桃色をした表皮が見えていた。


「ブオオオオオッッ!!」


 雄叫びと共に、魔物が爪を振りかぶり連撃を放つ。俺は右手に力を込め、左手をかばいつつ両手剣で攻撃を受け、攻撃をいなしていく。


 刀身と爪がぶつかる度、金属同士がぶつかり、火花が散るような音が連続する。軋むように左肩が痛み、傷口が開いたのか、温かい感触が皮下でじわりと広がる。


「ごめん、遅れた!!」

「ブォッ!!」


 ティルシアの声が聞こえたので、俺は遠心力を利用し鉱石喰いに重い一撃を当てて距離を取る。


「ティルシア! 痛覚遮断を頼む!」


 そして声を上げ、支援を頼んだ。


「えっ……」


 痛みというのは、一種の防衛反応であり、これ以上傷を悪化させないためだったり、身の危険を知らせるものだったり、生きていく上で必須のものだ。


 だが、リミッターであるからこそ、手負いの状態では一〇〇%の力を発揮できない。自分自身の我慢では限界があるのだ。鉱石喰いと打ち合って分かったが、こいつは全力で打ち込まなくては装甲を破壊できない。


「……っ!!! わかった!!」


 その言葉と共に、身体に白い光がまとわりついて、徐々に体の痛覚が消失していく。俺は両手で剣を力強く握りなおし、燐光を迸らせる。


「っ!!」

「ブオオオオオオッ!! ブオオオオオオッ!!!!」


 体勢を立て直し、こちらへ向かってくる鉱石喰いへ向けて、俺は青い燐光を叩き込んだ。

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