第48話 聖女奪還5

 一刀両断された鉱石喰いの身体から、鮮血が溢れ出し、周囲を汚している。刀身にある燐光は徐々に勢いを失い、それと連動するように左手がどす黒く変色していく。


「助かった。まだ痛覚遮断は解くなよ」


 俺の呼びかけに、ティルシアは無言でうなずく。今、間違いなく左腕は凄まじい痛みを発している筈だった。さすがにこの痛みを痛覚遮断なしで味わうのは気が引ける。


「ごめん……ボクが筋力増強を実戦レベルで使えれば」

「無いものを嘆いたところで仕方ないだろう」


 筋力増強は初歩的な支援魔法だが、効果は使用者の練度に大きく左右される。ティルシアは対不死系魔物の魔法は強力だったが、支援魔法の習熟は初歩段階で止まっていた。


 その点、痛覚遮断は支援魔法の中で初歩的な物で、効力も一定のものだった。何かを強化するのではなく、ただ痛覚を感じなくするだけなので、難度自体は高くないのだ。


「それに――何のあてもなくこれを使った訳じゃない」


 左腕をあげようとしても力が入らない。恐らく今、左腕は肩の腱が傷ついており、回復魔法無しでは後遺症が残るような怪我になっているはずだ。


 俺は痛覚の無い身体に気を付けつつ、倒れている女性に近づく。近くで見ると、蜂蜜のような深い金色をした髪が印象的な女性だった。年齢は丁度俺と同じくらいか。


「ん……」


 俺が近づくと、彼女は小さく呻いて体を起こした。あれだけ戦って目が覚めないとは、教会の方針に真っ向から反対するだけあって、なかなか胆力がある人のようだった。


「あなたたちは……」

「ハヴェル枢機卿から依頼を受けた冒険者だ。巡礼の聖女・セラを野盗から助けに来た」


 俺は依頼を受けた経緯と今までの事をかいつまんで説明する。


「そうですか……ありがとうございます。ところで、その傷は――」


 彼女は深々と頭を下げ、俺の左肩に視線を移した。


「回復阻害の付与が付いている。解呪と治療を頼みたい。報酬はそれで構わない」


 そう言って、俺は左肩を差し出す。


「分かりました。ですが人の治療をするのは当然の事です。報酬は別で用意させてください」


 巡礼の聖女――セラはそう言うと俺の左肩に触れ、短く解呪とだけ呟く。鎖が千切れるような音と共に、付与が解除され、左肩に燃えるような痛みが沸き上がる。回復阻害の付与と一緒に、痛覚遮断も解除されたのだ。


 セラはすぐに高位治癒を唱える。鮮緑色の光が身体を包み、傷と赤黒く変色した腕を治していく。


「ありがとう、助かる」

「後の話はここから出てからにしましょう……どうやらあの子も元気がないようですし」


 左手を動かして不調が無いことを確認しつつ、ティルシアの方を見ると、彼女は俯いて押し黙っていた。


「分かった。先導は任せてくれ、まだ残党がいる可能性もある」



――



 薪木が弾けて崩れ、火の粉が茜色の空へ混ざって溶けていく。もうすぐ二人が返ってくるはずで、俺は膝の上で寝息を立てているシエルの頭を撫でていた。


「感謝します。白閃殿」

「こちらこそ、助かった」


 ハヴェルの感謝を素直に受け取りつつ、俺も感謝を述べる。解呪を使える支援魔法の使い手は本当に少ない。今回なんとかなったのは、僥倖としか言えなかった。


 彼と巡礼の聖女――セラは、教会に事件を報告することなく、俺と一緒に宿へついて来ている。


「しかし依頼をした時にも思いましたが、白金等級の冒険者がなぜこんな廃墟で?」


 今日の宿も昨日と同じく壁街の廃墟だ。住めば都とはよく言ったもので、案外悪いものでもなかった。


「少しな、教会の人間に目を付けられたくない事情がある」


 教会中枢の方針と対立する二人なら、シエルの事を話してもいいかと思ったが、ギルド本部の後ろ盾なしに彼女の素性を話すのは憚られた。


「……分かりました」


 その返答で、彼がある程度の事情を察してくれたことが分かった。


「それで、報酬の話だが、情報が欲しい」

「と、言いますと」

「深淵院についてだ」


 ハヴェルの身体が揺れる。あの組織の存在は、ティルシア―ー教会関係者しか知らなかった。俺としては、どうにもそれがきな臭いように感じてしまうのだ。


「深淵院は――教会内の不正を暴く自浄機関、そういう事になっています」

「聖女を攫うのが自浄作用か?」


 その事はティルシアに聞いている。だが、俺が欲しいのはそこではない。俺の予想と事実のすり合わせがしたいのだ。


 ハヴェルは大きくため息をつくと、観念したように全身の力を抜いて俯いた。金色の髪がしなだれて、顔を覆い隠す。


「あなたの予想通りですよ……すでに深淵院は、教会の暗部、実行部隊と成り果てています」

「そうか」

「私自身、セラと巡礼の旅をしなければ気付く事は無かったと思います……ですが、確実に今の教会はおかしい。私と彼女は何とか逃げ回りつつ活動を続けていましたが……」


 そこまで聞けて、情報は十分だった。こういった事は、今役に立たないとしても、いつかは役に立つ。長い冒険者生活で、俺はそれを良く知っていた。


「とにかく、今回は助かりました」

「まだ聖女として旅を続けるつもりか?」


 言外にそれ以外の道を進めてみる。別にアルカンヘイムで腰を落ち着けろという話ではなく、冒険者として登録して、教会権力から距離を置く、という選択肢もあるはずだ。


「勿論、セラ――巡礼の聖女が望んでいる事ですから」


 しかし、ハヴェルの返答は変わらず、ある意味で予想通りだった。


「私達はすべての人を救う事は出来ません。だからこそ、すべての人を救うために行動するのです――彼女の受け売りですがね」

「綺麗事だな」

「聖職者が綺麗事を言わなくて、誰が言うのです?」


 俺の揶揄するような言葉に、ハヴェルは顔をあげて口元を緩める。その表情は自嘲気味ではあったが、それでも意志を貫く強さがあった。



――



「私達はすべての人を救う事は出来ません。なので、全ての人を救うために行動するのです」


 人一人では、救える人間はたかが知れている。だとすれば、頑張ったところで何も変わらないのではないか。ボクの質問に、セラ様はそう答えた。


 白閃とハヴェル枢機卿は二人で何かを話しているみたいだった。ボクとセラ様は彼らとは少し距離を置いたところで話している。


「頑張ったことは無駄になるかもしれません。私の自己満足で終わることもあるでしょう。それでも、私は何かせずには居られないのです」


 その言葉は、行動に裏打ちされていた。だけど、ボクの考えも経験から導き出したものだった。彼女の考えを肯定することは、今までの自分を否定する事だった。


 彼女以外から言われたなら、そんな理想論を語ったところで、意味がないと切り捨てていた。だけど、セラ様はそれを実践している。


「ボクにはとてもできないですね」


 彼女が持つ、静かで強い意志の宿った目から視線を逸らして、ボクは自嘲気味に笑う。


 修練を積まず、慢心して、彼に深い怪我を負わせて、結局なんの役に立つ事もなく、セラ様だけの力で何とかなってしまった。結局、ボクは何もしない方が良かったのかもしれない。


「そんな事はありませんよ」


 考えを見透かしたように、彼女はボクの手を取った。


「誰にでも、どこかに譲れないものがあるはずです。貴女はまだそれが見つかっていないだけ、焦ることなく、静かに考えてみましょう」


 セラ様の手は暖かく、ボクは緊張がほぐれるのを感じた。譲れない物……あるとすれば、それは何だろう。ボクが大事だと思うものは――



――



 陽が沈み切ってしばらく経った頃、キサラとヴァレリィが戻ってきた。


「へぇーよかったじゃないですかぁ、ラッキーだったですねぇ、へぇーそうですかぁー」

「巡礼の聖女が近くに来ていたのか、それは幸運でしたね」


 ヴァレリィは水を大量に持っていた。どうやら昼間の暑い時間帯が相当堪えたらしい。


「じゃあさっさと出発しましょう。本部まで無駄な時間使いたくないで――」


 彼女の額を弾く。とてもいい音が鳴った。


「ぎゃあああああああああ!!! 何ですか!? いきなり何なんですか!?」

「いや、心なしか機嫌が悪いなと」

「機嫌悪そうな相手にやることじゃなくないです!!?!?!!?」


 何か悪いことをしただろうか、そう思っていると、ヴァレリィがその理由を教えてくれた。


「キサラちゃんは包帯や湿布をたくさん買い込んでいましたからね、無駄になったのが癪なんですよ」

「えっ、ちょ……ちち、違いますよぉ、確かに買い込みましたけどぉ、お兄さんが使い過ぎたんで予備を買い足しておこうかなって」


 なるほど、それは悪いことをした。回復スクロールがあるとはいえ、衛生用品は多くあるに越した事は無いからな。


「それはそうと、ティルシアさんが見当たりませんが、彼女は?」

「ああ、どうやら巡礼の聖女と一緒に旅をするつもりらしい」


 彼女が何を言われたかはわからないが、出発する前の彼女にはしっかりと意思の光が宿っていた。ならば、俺が止めることはできない。


「えぇー、折角回復属性を使える仲間ができたのにもったいなくないですかぁ? 残念ですねぇー、折角回復スクロールの節約ができると思ったのにぃ、いやー残念ですねぇー」


 妙に機嫌がよくなったキサラは放っておいて、俺はシエルを起こす。夜の間動くので、今まで寝かせておいたのだ。


「ん……おはよう、とうさま」

「俺達も出発するか」


 旅を続けるなら、いつか名前を聞くこともあるだろう。それが旅をする人間にとっての再会になるはずだ。



――



 ボクはセラ様についていくことにした。


「いいのかしら? 貴女もあっちで一緒に旅をしたかったんじゃない?」

「良いんですよ、ボクはあの人達についていくには力不足過ぎます」


 みんなと旅をして、見ないようにしていた事実は、自分の能力の低さだった。修練で勉強した程度の事は、外の世界に出てしまえばだれでも当然持っているもので、それが優秀だからと言って、どうにかなるものじゃなかった。


「でも、いつか胸を張れるようになったら、また一緒に旅ができたらな、くらいには思ってますけどね、ふへへ……」


 せめて、守ってもらうだけのお荷物からは卒業しなきゃ、あの人達――白閃とは一緒に居られない。それに、ボクだけの譲れない物はまだ全然見つかりそうになかった。


「そう、でも……好きな人とはいつも一緒に居なきゃダメよ」

「うぇっ!?」


 思わず身体を跳ねさせる。その反応が答えになっていることに気付いて、ボクはそれ以上何も言わずに下を向いた。


「……どうしてわかったんですか?」


 彼女と一緒に居た時間はそんなに長くはない。それなら、バレてしまった理由が気になった。


「同じ匂いがしたから、かしら」

「匂い?」

「セラ! ようやく石塔が見えてきましたよ!」


 ボクが聞き返した時、ハヴェル枢機卿が偵察から戻ってきて、次の町が近い事を知らせてくれた。


「ええ、ありがとう」


 その時、ボクは彼女の顔を見て理解した。どうやらそういう事らしい。


 こっちについてきたことは失敗だったかな? 邪魔しちゃったみたいだし。ボクは皮肉を込めてそんな事を考えた。

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