第24話 決闘代行6
決闘当日、俺は朝の早い段階から、王立魔法研究所を訪れていた。
理由はいくつかあるが、最も大きいものは加工を終えた両手剣を受け取るためだった。キサラは来ないだろうし、シエルもまだ眠っていたので、俺一人だけだ。
「これが依頼の品です」
しかしヴィクトリア殿下直々に、両手剣を受け渡しに来てくれるとは思わなかった。
木製のケースを彼女はテーブルの上に置き、俺はそのケースを開ける。中には波紋状の酸化被膜が施された両手剣と、丁寧に畳まれた革製のバンデージが入っていた。両手剣を手に取って立ち上がり、人の居ない方向へ振ってみる。神竜戦で折れた両手剣と重さは寸分たがわないように感じる。
両手に力を込めて握りしめると、うっすらと両手剣が燐光を纏ったように見えた。新規格のダマスカス加工ということで、当然あるべき変化なのだが、その光は少し頼りないように思えた。
「……少し光が弱いように見えるが」
「私が持ったのはナイフで、貴方が持っているのは両手剣、質量の関係で同じように光らせるには、より大きな力が必要になります」
ヴィクトリア殿下は表情を変えることなくそう答える。同じ力では光らせられないという事は……
「っ……!!」
全力で握りしめると、根元のあたりから強い燐光が広がっていく。なるほど、力――生体エネルギーを籠めるほどに強く光るらしい。
力を抜くと、少しずつ光も収まっていく。腕に少しの疲労感が残っているのは、剣にエネルギーを吸われたという事だろう。燐光が消えたのを確認して、俺は両手剣をバンデージで包んで背に掛ける。
「さすがですね」
慣れ親しんだ重さが背中にある事に、すこしの安心感を覚えていると、ヴィクトリア殿下が呟くように言った。
「正直、この大質量で新規格のダマスカス加工を施すのは初めてで、研究員五人が握りしめて、やっと光らせることができた代物です。それを一人でここまで……」
「鍛え方が違うからな」
俺はそう言いながら、椅子に座り直す。
「正直、この規格は未知の部分が多いです。恐らく使いようによっては、まだまだ潜在能力を引き出す方法があるでしょう。何かあれば魔導文を飛ばしてください」
ヴィクトリア殿下が満足げに肩の力を抜いたのを見て、俺はエリーから預かった言伝を話すことにした
「ところで先日、第一王女――エリザベス殿下と話す機会があってな、言伝を頼まれていた」
「……聞きましょう」
「仲直りは無理なのかな、だそうだ」
昨日の様子から見て、この対立の原因は、エリーよりもヴィクトリア殿下にあるような気がしていた。部外者である俺にはどうにかしろとは言えないものの、仲直りの橋渡し役にはなるつもりだった。
「はぁー……姉さん」
だが予想とは違った反応が返ってきて、俺は眉をひそめた。俺が考えていたのは政敵と対峙する官僚としての態度とか、好ましくない相手に対する嫌悪の感情を発露させた態度だった。
だが、今ヴィクトリア殿下がため息と共に頭を抱えた仕草には、悪意のような物は一切なかった。むしろ、出来の悪い子供に対する母親の態度のような、親愛の篭った振る舞いのように見えた。
「大丈夫です。この決闘が終わればすべて解決します」
決闘が終われば、か……そもそもこの依頼は、思い返せば奇妙な部分が多かった。勝利が条件ではないし、報酬も前払いのような物だ。そこに関して、殿下から聞いてみてもいいかもしれない。
「そういえば、今回の依頼だが――」
「殿下、あの冒険者と一対一で話したいんで、今日来たらそうつたえ、て……」
口を開きかけたところで、ヴァレリィが欠伸混じりに扉を開け、言葉を切った。
彼は俺が居る事と、近くに三人以外が居ないことを確かめると、扉を閉じて咳払いをした。
「ちょうどいい、シエルちゃんがいない今、お前とちゃんと話しておきたかった。殿下、話をしても?」
ヴィクトリア殿下は静かに頷き、ヴァレリィはそれを確認して俺に詰め寄ってきた。
「この決闘が終わったら、お前はシエルちゃんを置いてこの街から出ていけ、後の処理はしておくから」
「断る。何度も言わせるな」
俺は母竜と「後は任せろ」と約束した。ならば、最後まで責任を全うするべきだ。
「頑固にもほどがあるだろう! 命あっての物種だぞ!」
胸ぐらをつかまれ、引き上げられる。その程度で揺らぐなら、俺は初めから神竜の卵など持ち出していない。
必死なヴァレリィの顔を冷静に見返す。その表情は必死そのもので、私利私欲によるものではないのが十分に分かった。だからこそ、爆弾は最後まで俺が持っていなくてはならない。
「いつかあの子自身に殺されるぞ! シエルちゃんの母竜を殺したお前は!」
「元よりそのつもりだ。あの子の復讐はそこで終わらせる」
「……っ!!」
言葉を詰まらせるヴァレリィに、俺は静かに手を重ねて、手を離させる。みすみす死なせるような事を、彼自身もしたくはないのだろう。
「……とうさま?」
その声が聞こえたのは、閉じられたはずの扉の方向からだった。鍵は掛かっていて、音は外に漏れないはずだが……
視線を向けると、その疑問は氷解する。そこにいたのは、シエラともう一人、呆然と立ち尽くすキサラだった。
「え、お兄さん……死ぬ気で――」
――
神竜種の大多数は人間を見下し、軽蔑している。
その理由はいくらでもあった。
圧倒的な身体能力の差。寿命。欲望により自身を亡ぼす姿。そして、親の仇であること。
神竜は生まれた時に目の前にいるものを、親と認識する習性がある。しかし、それには致命的な矛盾があった。母体の死亡と同時に生まれる命であるから、目の前にいるのは、親ではないのだ。
そして、母体の死亡が自然現象や老衰であればいいのだが、神竜にとってそれが、どれほどあり得ない事かは自明だろう。
この習性は遥か昔から、研究者や白金等級の、神竜種と関わる人間の間で知られている話だ。神竜を討伐した冒険者が卵を持ち帰り、卵から孵った子竜を息子として育てる。目的は戯れか、育てた結果もう一度殺し、素材を取るためか……
そして竜が育ったある日、竜は真実を知り、騙されていた怒りから冒険者を殺す。その経験をした竜は、人を軽蔑するようになる。
だからこそ冒険者ギルドでは、神竜種の卵は採取してはいけないことになっており、破壊が義務付けられている。
俺はそれを承知でシエル――母竜から卵を採取した。
幸いなことに、神竜種が人を襲うのは、あの村であった事件のように、執拗に刺激し続けた場合のみだ。殺すのは直接の仇のみ、神竜種の理性は、人間よりもはるかに優れている。
「後始末は任せろ。俺はそう言ったからな」
立ちすくんでいる二人に、静かにそう告げる。卵を破壊されれば神竜種がこの世界から一匹いなくなる。それは人間にとって悪い事ではないが、神竜種を恐れている魔物たちにも利する行為だった。そして勿論、母竜も望んでいない事だ。
規定を捻じ曲げることもできず、卵を破壊することもできない。俺は自分の命で母竜との約束を守り、真実を知られた時には、命を終わらせるつもりだった。
……まさか、こんなに早いとは思わなかったが。
「うそ、だよね? とうさまが、かあさまを殺したなんて」
「……本当だ」
動揺を隠せないでいるシエルに、俺はなるべく感情を表に出さずに口を開く。弁明をすれば言い訳にとられるだろうし、事実あの村で神竜を殺すと選択したのは自分だ。
「なんで……」
「お兄さ――」
キサラが言葉を言うよりも早く、シエルは俺の方に走り出して、その右手を白銀の鉤爪へと変化させた。
冷たく、罪を糾弾するように光る爪が、俺の身体を捕らえ、その勢いのまま壁にぶつかる。壁にたたきつけられた痛みに息が詰まる。そしてシエルの、困惑と悲哀と怒りのすべてがないまぜになった表情が、身体に感じる痛み以上に俺を責め立てる。
「どうして、かあさまを……」
「憎いなら……」
「憎いんじゃないよ!」
殺される覚悟はできている。と言いかけたところで、シエルの言葉が鋭く言葉を切る。
「なんで、どうして!? ちゃんと説明してよ!」
「シエル! 落ち着いて!」
キサラが声を上げる。俺はそんな彼女を目で制した後、シエルにすべてを語る事にした。
「……分かった。まずは、俺が依頼を受けたところから話そう」
本来なら、もう少し時間を掛けて、ゆっくりと受け入れさせてやりたかった。そして、人間側の立場として仕方なかったことだと分かって欲しかった。だが、彼女を目の前にして、その見通しが完全に自分本位だという事が分かる。肉親の仇は、そんな言葉だけで許せる相手ではないのだ。
ゆっくりと、話が進むにつれてシエルの手から力が抜けていき、俺の身体に自由が戻ってくる。足に力を入れて立とうとすると、身体の骨が複数折れていたようで、眩暈のするような激しい痛みに膝をつく。
「――ここまでが、お前が生まれるまでの話だ。済まなかった。母親を助けられなくて、そして、黙っていて」
話が終わった段階で、ヴァレリィが俺にかけ寄ってスクロールを破く。
「白閃、大丈夫ですか?」
身体の再生が始まり、痛みが引き始める。彼に肩を借りて立ち上がると、俺は俯いたままのシエルに声をかける。
「仇を取るつもりなら、それでいい。俺はシエルの判断を尊重する」
生まれてそれほど時間が経っていない彼女に、この言葉は重いかもしれない。だが、どのような選択をとっても、俺は受け止めるつもりでいた。
「……わからない」
シエルはそのまま膝を折る。震える手を床に付いて嗚咽を漏らした。
「ヴィクトリア殿下、そろそろ決闘の時間です。闘技場へお越しください」
扉が開かれ、近衛兵の一人が報告する。殿下はすぐに行くと答えた後、俺に向き直って口を開いた。
「申し訳ありませんが時間がありません。すぐに向かいましょう」
奥歯を噛みしめる。出来る事なら、シエルの側にいてやりたかった。だが、それは出来ない。依頼があるからだ。ここで彼女を優先すれば、何故あの時私情を優先して母竜を助けなかったのかと、自分の行動に矛盾してしまう。
「……キサラ」
「分かってますよ、お兄さんは依頼をこなしてください」
キサラは深く頷いて、シエルの傍らにしゃがみこむ。俺はそのそばをすり抜けるようにして部屋を出ていく事にする。
「黙ってたことの埋め合わせ、後でやってもらいますから」
すれ違いざま、キサラが俺にだけ聞こえるようにつぶやいた。
「ああ」
すこしだけ、彼女を安心させるように髪を撫でる。
「っ……」
「行ってくる」
目を閉じて、気合を入れ直すと、俺はヴィクトリア殿下に付いて部屋を出て行く。
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