物語を食む機械

私は疲れ切っている時、本から目を離せなくなる。


それは周期的にやってきて、私を活字の虜にし、それ以外何も目に入らないようにしてしまう。その症状は深刻だ。他のことに対して興味が失せ、身体が空腹を訴えても決して、手は本を手放さず、目は文字を追い続けるようになる。


その間私は『読む』という行為以外何もしない。思考と言う行動さえやめて、延々と読み進める。何度も何度も頭の中で文字を反芻しながら、本の中身に想いを馳せ、ただページを捲る行為を繰り返す。そして最後のページに到達すれば、休みさえ取らずに別の本へと手を伸ばす。それを何度も何度も繰り返していく。


どれだけ読み耽ったところで、心が満足することなど決してなく、すり減って疲れていくだけだ。頭にふとそんな考えが浮かぶ時もあるが、変わりはしない。その時の私に、本以外に重要で考慮に値するものなど何もないからだ。


疲れきって目を閉じるまで決して動きを止めない。物語を想う心を持ちながら、まるで喜びも見せず読み進める様を後から客観視する時、私は自分を機械のようだと思う。


淡々と規則正しく、ページを捲る機能しかない壊れた機械。なぜそんなことをするのかも考えず、まるでそうすることが自分の生きている意味であるかのように決して動きをやめない。そんな機械の瞳に光はなく、折れ曲がった身体からは生気が失われていた。


読書は自身の糧となるものであって、自分をすり減らすものではない。わかっている。それでも私がそれをやめられないのは、私が自分自身を別の何かで埋め尽くしたいからだ。


生きていると、自分が何か間違った存在じゃないかと思う時がある。自分の心の声に従って私は生きているが、その心自体に何か間違いがあるのではないかと不安に思う。私は私を信じると同時に、私は私に騙されているのではないかと疑っていた。


だから他の何かで埋めたくなったのだ。自分じゃないもので自分を満たしてしまえば、私だけの不安について考えなくてよくなると、そう信じて…。


だが人生は1度しかなく、心も1つしかない。そして進んできた道が間違っていなかったと言えるのは、いつだって走りきった後だ。


他のものを信じたり、簡単な終わりを自ら選べば何の不安に襲われることもない。が、それは解けない問題を鉛筆で黒く塗りつぶして、最初からなかったようにしてしまうようなものだ。その方法では私の不安に対する答えは出てこないだろう。


機械的に読み進めてはいけない。私は本を私のものにしなければならない。本から私が求めるものを引きずり出し、私の糧へと変えるのだ。

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