瞬間と永遠の美

私は美しさを大きく2つに分ける。すなわち、『瞬間』か『永遠』か。


瞬間の美とは燃え尽きる炎のようなものだ。炎は一度火がついた後、周りのものにその炎を広げ、盛大に燃え盛る。何もかもを焼き尽くさんと、地に空にと煌々と赤を広げる様は恐ろしいが、美しい。


炎に限らず世の中には、自分の色を世に押し広げようとする物がたくさんある。


生き物が最もわかりやすいだろう。例えば蟻は巣を地面の中に作るが、巣の中に食料を運ぶために色々な場所に足を運ぶ。草むら、コンクリート、家の中まで蟻は集団で入り込み、堂々と行軍して自分たちの黒を塗り広げる。1つの目的のために何百匹もの蟻が、1本の線のようになって進む様にも私は瞬間の美を感じる。


生物無生物問わず、時間に限りのある存在は爪痕を残そうと言わんばかりに、自分だけの色を塗り広げる。そしてそれが終われば、最初から居なかったものののように空に、土に還っていく…それは世界に2度とない爪痕であり、もう見ることができない光景だ。


これらの美の最も美しい点はそこである。消えるからこそかけがえのないものになる。この世でたった1つの美が産まれるのだ。


反対に、決してなくならずにあり続ける美もある。それが『永遠の美』だ。


永遠の美はぱっと見ただけでは、瞬間の美のような強烈な感情が湧かない。あまりにも当たり前のように存在しているからだ。


例えば月だ。あんなにも大きく眩い、白色の星は他にはどこにもない。たった一つの輝ける物だ。だが私は普段それを見ようと思わないし、見ても何も思わない。月見の季節になってさえ、一切目を向けない。


当たり前にあるものはいつでも見れる。失われる可能性がないものには尊敬や恐れといった物は湧かないのだ。炎と違い月は、私の意識を強く引きつけない。


だが、それは月が炎に劣っているということには決してならない。月はそこにあるというだけで、他の追随を許さない美しさを持っている。私がそれを感じられないのは、私がそれを『見ていない』からだ。


見ているようで、何も見ていない。『空に月がある』という事実を知っているようで、何も知らない。自分の内面世界に意識がよって、その世界を照らしている月を見過ごしている。夜に月がなければ何も見えなくなるのに、月を見上げている私はそんなことにさえ気づかないのだ。


月の美を知るには、深く集中して意識を向ける必要がある。意識から全てを外し、ただ一心に月と私だけを想うことで、心の目で月を見ることができる。そうして心の内で産まれた月は、優しい光で私の内を照らしてくれるようになる…。


心の中に『それ』を留めることで初めて、美しさを理解できる。永遠の美とは自分の内に産まれたあと、決して消えることのない絶対の美なのだ。


この美に該当するものは絵画や石像といった芸術作品や、個人が編み出した思想などだ。それらは私が見てそれを想う限り、永遠に存在する。決してその美を曇らせることなく、私の中で輝き続ける。


瞬間と永遠、どちらが勝り、どちらが劣っているということはない。それらはまったく美しさの種別が違うもので、比較する必要はない。


だが好みでいうならば、私は永遠の美の方が好きだ。瞬間の美は目と心を強く喜ばせるが、その喜びはあまりにも早く消えてしまう。だが永遠の美は私の心に残り、喜びをいつまでも深く与えてくれる。私は長く、太く伸びる大樹のような偉大さと重みを持った美を常に、心に抱いていたい。

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