沈黙と発言
この世で最も賢きこととは何かと聞かれれば、私は沈黙と答えるだろう。
喋らないことほど知恵に満ち、自らを美しくする行動はない。だが私は沈黙の対義語である発言に対しても、同じ賛辞を送る。喋ることほど自身を成長させるものは他にないと。
理由を話す前に、私の過去を話そう。私は昔、とてもおしゃべりな存在だった。誰にでも話しかけ、深く考えず必死に言葉を紡ぎ、笑いたくもないのによく笑う。とにかく口をよく開く私は、発言者とでも言うべき存在だった。
そんな発言者である私は、『私が知らない世界』からさまざまな形で報復を受ける。『静かにしていろ』と時には言葉で、時には視線で、さまざまな人が私に対して敵意を向けた。
なぜわかってくれないのか、という身を焦がすような苦しみとともに、私は『外の世界』では私の存在は重要なことではないのだと気づく。私が世界に対して深い関心がないように、彼らもまた私に対して関心がなかったのだ。
何の興味もない相手に擦り寄られても、嬉しくはないだろう。それは私も世界も同じだった。
それを知ってから、私は沈黙を愛するようになる。私を重要視しない世界へ私を曝け出すことをやめたのだ。
だが、それでも苦しみは終わらない。沈黙は私から痛みを取り除いたが、代わりに渇きという新しい苦しみを与えた。どこを見渡しても草ひとつない曇天の荒野に、たった1人だけ取り残されたかのような孤独感と飢餓感に、私は苦しめられるようになる。
なぜそんな渇きを覚えたのか。沈黙をし続けていた私は、世界のどこにもいない存在になっていたからだ。誰も私のことを気に留めず、私自身さえ私のことをいないものとして扱う。そんな世界に私がいると、言えるだろうか。
私がいない世界を冷たい目で見続ける。そんな日々が続いたが、ある日私は世界に『私』を見出す方法を見つけた。『外の世界』に対してではなく、『私の中にある内の世界』に語り始めたのだ。
私の世界を友として、言葉をかける。それを繰り返すうちに私の世界は鮮やかに色づき、広がりを見せるようになった。そして常にその豊かな世界の中心に、私は立っていた。どんな時でも私抜きでは世界は回らず、どんな場所にも私はいる。私は自分との対話で私を見出したのだ。
『口は災いのもと』だと人は言う。その通りだ。世を生きるためには黙っていた方がいい。だが内なる世界を生きるためには、口を閉じてはならない。
口は何のためにある?災いを呼び寄せるためだけにあるのか。違うはずだ。言葉を交わすためだ。『私がいる』と知るための、自分に対して問う声だけは決して絶やしてはならない。
私だ。私を見出すために言葉はある。
世界に対して発言し、自分に対して沈黙を貫くのではない。世界に対しては口を閉ざし、私に対して声をかけるのだ。
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