世界色

小狸

短編

 世界は、どうしようもなく濁っていて凝っていてひどみにくきたなく救いようのないほどに混沌カオスの色をしていて、そしてそれは誰か一人の介入によってどうこうできるものではないという風に気付いたのは僕が13歳の頃の話である。こんなことを臆面もなく言うと共感覚を気取っているだの頭がおかしいだのと批判非難悪口あっこう讒謗ざんぼう罵詈ばり雑言ぞうごんを浴びることを承知の上で言うが、僕には人には見えないものの色が見える。この場合注意が必要で、人には見えないと一概に言うと、幽霊や魂の存在を否定したくて日夜ネットで反証材料を検索している者達からのげいを受けるだろうが、それは少し違うと、否定の余地を残させていただきたい。人には見えないものだからといって、どうしてそれが幽霊や魂の存在と直結するだろうか。ならばこのような一言を付け加えよう。「通常」人には見えないものの色が見える、というものである。そもそも――というそもそも論をここで発展させても意味がないかもしれないけれど、どうして自分の見ている世界と他人の見ている世界が同じだと思っているのだろうか。人それぞれ視力は異なり、視座も違う、先天的あるいは後天的に何らかの色が見えない色覚異常の可能性もある、そうでなくとも、ぱっと一つの景色を目にした時「何を見るか」というのは人によって変わって来るはずなのだ。例えば都会で一つの場所と位置を指定し、「ここから見える景色を、己だけの力で、可能な限りの語彙を使って全て表現しろ」という命令を遂行せざるを得ない状態に陥った場合、どうだろう。完全に同一の表現になることは絶対にないということは、理解していただけるだろうか。スマホで誰かのをコピペするだとか、そういう大学生のレポートみたいなことは無しである。それぞれ見えるものが違ってくるのだから、その中には、見えないものが見える人が存在したって、何ら不思議ではない。通常共感覚というと、音楽や美術方面を想像するだろうが、僕の場合は少々異なる。この辺りで「ハイハイ思春期中学生の、自分は特異であると思いたい妄想でしょ」と言いたい輩は、さっさと荷物を持って帰っていただきたい。見えるものを見えるといい、できることをできるという。それを許容するのが、今の多様性社会だろう。どんな生き方でも極力認めると最初に言ったのは、お前ら大人達だ。それに僕に何がどう見えようと、それは他人に迷惑を掛けていない。せいぜいこうして思ったことを小説としてまとめ、誰も読みもしないネット上に投稿する程度である。いいか、帰ったか。うん、では続きを始めよう。まず簡潔に言うと、僕には場の雰囲気を、色彩として知覚することができる。これで納得しないのなら、他人が思考する微弱な電気信号や仕草を無意識的に認識、受信し、脳が視神経経由で何か影響を及ぼしているだとか、そういう理解で良いと思う。適当で良い。理屈なんて後で考えれば良い、子どもが自殺した後で、そのいじめ対策委員会を立ち上げるように。まあ、理屈としてはやはり共感覚に近いものなのだろう。もっと噛み砕いて言うのなら、異様に場の空気が読める、ということだろうか。教えないけれど、怒りの色、哀しみの色というのは、その人の感情が言葉として口から発される前に、その場に発露される――文字通り「見える」のである。「そんな能力あれば人生イージーモードじゃん」と思うか? そう思う人間は総じて莫迦ばかだという烙印を、ここで押させてもらおう。大人が子どもに対して問答無用に「最近の若者は」と嘲笑するのと同じように。イージーなものか。むしろハードであった。人と見えている世界が違うということは、端的に言えば、人とは違うということなのである。そして人と違うということは、異常ということなのである。世間的には超能力と呼ばれる者は、全員異常者なのだ。異常。その印象は、皆が今僕に抱いている印象と同じである。勘違いをしている人もいるようなのでここではっきりさせておくが、異常者が持てはやされるのは、虚構の中だけである。人と違うと明確に分かる人間に、積極的に近付こうと思うか? 思わないだろう。むしろ生物的に避けるのではないだろうか。そしてそれが正しい選択であることに違いはない。異常者と向き合うというのは、綺麗事ではないのである。だからこそ――という接続詞が果たしてこの場合適しているかどうかは分からないが、僕は積極的にこの目についてを他人に公言しなかった。その理由は最初に「見える」ようになったのが、小学校の頃で、隣の好きだった女の子に「それ変だよ」と笑われたのが原因というのもあるが、今は僕の黒歴史を公開するところではない。誰にも知られることなく、しかし何となくその異常を自覚していったのが、僕の小学校時代だった。幸いにも、僕の所属していた学年は大人しい学年だった。まあ、察する能力が高いということで、教員からは贔屓ひいきされていたように思う。その色が見えた。特にこれといっていじめなどなく、そのまま中学校に上がった。中学に入学するにあたって、僕の環境に変化はなかった。小学校から中学校に上がるだけで、田舎だったのでいくつかの小学校が統合されるということはなかった。ただ、変わったことが一つだけあった。親が僕に、スマートフォンを支給したのだ。最初は空き時間にゲームをしたり、勉強時間を記録する程度だった。それがあることによって、僕の色彩的変化はなかった。その時までは。ある日、友人から、SNSを勧められた。それはとても有名で、誰もがやっているSNSだった。電話番号とメールアドレスを登録して本人確認すれば誰でも始めることができるというものだった。やらなければ良かった、過去に戻ることができるのなら、死んでもその時の安直な僕を止めると思う。ただ、僕は止まらなかった。普通にSNSを始めた。。「お、おええええええええええ!」自分の部屋の中でスマホを見ていて良かったと思った。僕は嘔吐した、せざるを得なかった。手にしたスマホから、それまで世界を形作っていた色が、ぐちゃぐちゃになっていくのである。偽のトレンド、閲覧数稼ぎの過激なハッシュタグ、人を攻撃する複アカウントでの工作、異なった思想を認め合わない大人達の醜い論争、「死ね」「殺す」と当たり前のように呟かれる日常、そんな気持ち悪い「色」を見せられて、吐かない選択肢は無かった。なんだ、これは、これが、世界なのか、これが、現実なのか。信じたくなかった、信じられなかった、しかし、目の前で、その情報は次々に更新され、色が塗り重ねられていく。誰だよ、地球は青いとか言った奴は。こんなに汚いのに、こんなに醜いのに、どうして、どうして、どうして生きていられよう、僕はもう見ていられなくなった、スマホをベッドに投げ、目を閉じた、それでもまぶたの裏にも、気持ちの悪い幾何学模様の色彩光景が広がっていた。世界。これが世界、とでも言わんばかりに。そこまで視覚効果を拡張してしまった結果、僕はこの目が見える限り、永遠にこの「色」を見続けなければいけなくなった。嫌だ、嫌だ、こんな色は、もう見たくない、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ――そう思って、僕は。


 自分の眼球を、えぐり出した。


 僕は安心した。


 もう何も見えない。


 空っぽであった。




(「かいいろ」――了)

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