2章6話 松竹梅


 大学から帰り着くと、玄関に靴が多かった。

 奥からはいの音がするから、松竹梅・・・のおっさん達が来ているのだろう。

 少し久しぶりだろうか。ここ最近は祖父さんが出かけることも多く、うちに来ていなかった気もする。


「おお、楽! 随分と久しぶりじゃねぇか。元気だったか?」


 そんなに足音は立ててないはずなのに、めざとく気づいて酒やけをしたような声で声をかけてくるのは松原さん。松のおやっさんと俺は呼んでいるが、この人は大きな強面の顔にこれまた大きな体格をしている。祖父さんと同年代ということは七〇歳を超えるはずだが、威圧感溢れている肉体に衰えは感じられなかった。

 しかし、その外見と荒っぽい口調からは想像できないほどの甘党で、来るたびに様々な和菓子を持ってきてくれる。

 俺があんこ類が好きになったのは、間違いなく松のおやっさんのおかげだ。


「ふふ、お邪魔している……ん? 二十歳になったと思ったが、また少し痩せたのではないか? 楽のことだから心配はいらんと思うが、しっかり食べるんだぞ?」


 続いて声をかけてくれたのは、竹さんこと、竹原さんは、松のおやっさんとは対照的で、非常にスマートな人だ。

 若い頃はさぞモテたに違いない。というのも、昭和世代とは思えないほどの足の長さ、異国の血でも入っているのではないだろうかと思えるほどの高く整った鼻梁に、涼やかな目元は、時折道を行く御婦人すら振り向かせているほどだ。

 そして、俺が茜に対してホワイトデーのお返しに悩んでいた時などに、さり気なく有用なアドバイスをくれるのは、いつも竹さんだった。


「僕はこの間振りだね、詩音くんも問題なくクラスに馴染んでいると聞いているし、一安心かな?」


 そして、最後は梅ちゃん先生。

 そう、本来は梅原先生と呼ばないといけない。何故なら俺の通っていた小学校の校長先生だったのだから。詩音を編入する際にもその伝手で手続きやクラス分けで口を利いてくれたのも梅ちゃん先生だ。

 もともとあまり勉強が得意ではなかった俺が、高校に、そして大学に通えたのは、間違いなくこの梅ちゃん先生のおかげでもある。


 松原、竹原、梅原と、狙っているとしか思えないこの三人の引退した老後を楽しんでいるおっさんがたは、うちの祖父さんとよく卓を囲んでいる爺さん達だった。

 松竹梅のおっさんと言いたくなるのもわかるだろう?


 梅ちゃん先生を除き、もともと何をしていたおっさん達なのかは知らないが、家にいたらそれぞれ奥さんや娘さんの目があるからと避難してきているあたり、家での立場は伺いしれるところだ。


 だが、間違いなく三人ともにお世話になって生きてきた。

 叱られたり、甘やかされたり。偏屈で言葉足らずの祖父さんだけでは不足していたであろう成長途中のあれこれは、今となっては感謝しかない。


「……楽、頼めるか?」


 祖父さんが、ぼそりとそれだけ言った。

 目と手は捨て牌と手配に釘付けな上に言葉足らずにも程があるが、まぁそれだけでも伝わる。


「あぁ、材料もあるからいいけど、四人分でいいのか?」


「おお」「頼むよ」「久しぶりで嬉しいねぇ」


 俺の問いに思い思いに肯定の返答をする爺さん方に少し笑うようにして、俺はキッチンへと向かった。


 元々、牛肉は今日明日で使い切らないとと思っていたのでちょうどよくはある。

 本来の夕食には少し早いが、詩音がそろそろ帰って来る時間でもあるだろうし、晩ごはんのメニューは祖父さん達に出すものに味噌汁でも別で用意すればいいだろう。

 頭の中でいくつか計算した俺は、冷蔵庫とパントリーから取り出して調理を始めた。


 鍋に油をひき、弱火で熱する。

 温まる間に、ジップロックに切っておいた昨日の残りの玉ねぎの薄切りに少量の塩をふりかけておく。これは玉ねぎの甘みを引き出すための下準備だ。

 次に、鍋がいい音をしてきたら玉ねぎを入れて焦げないように動かしながら玉ねぎの顔色を見ていく。

 そろそろ限界ですと言わんばかりに、透き通って液体になりそうになるまで炒めた後、小さじ半分ほどのバターを加えた。家庭の味というわけでもないが、このほんの少しのコクが美味しいと個人的には思っている。

 そして牛肉を加え、余分な水分を飛ばすように強めの中火で炒めていくと食欲を促進させる香りが漂ってきた。


 みりんと砂糖、料理酒を加えて全体を軽く混ぜ合わせて、最後に醤油を円を描くように回し入れる。甘みと塩味のバランスを整えるため、少量の白だしも加えると、火を弱め、蓋をして3分ほど煮込む。この間の少しずつ香りが変わっていくのが俺は好きだったりする。

 最後に丼に盛ったご飯の上に、具材を汁ごとよそって、かつお節、紅しょうが、刻みネギをのせたら完成だ。

 立ち込める湯気と共に、甘く煮込まれた玉ねぎの香りが広がっていく。


 俺が高校生の頃、バイトの初任給で、いつもお世話になってるからと、爺さん4人に牛丼を作って食べさせたことがあった。

 血の繋がってるはずの祖父さんはむっつりして無言の癖に、他の爺さん三人が、楽が大きくなったなぁとそれぞれ顔を歪ませてかきこむように食べて、最高だと言ってくれた。

 それから俺はこの爺さん達には文句も言わずにつまみは作ってやるようにしているのだった。


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